最低な片想い
激しく改稿しました(2012/06/23)
ある日、恐れていた事が起きてしまった。
彼の優しさが、とうとう煩わしくなってしまったのだ。
これまで、どんなに忘れようと思っても忘れられず、好きで居続けたというのに……。人に優しくて、だれにでも礼儀正しい。そんなところは、間違いなく彼の長所で、それを否定するような人相手には歯をむき出しに威嚇したりする。大人げないと思いながらも、私の中のラインを守り続けたのは、今となってはただのプライドか、自己満足の権化だったのかもしれないと今ならわかる。
何度も彼の優しさに支えられてきたのに、私はあまりの煩わしさに捨ててしまいたくなった。
―――あんな優しさも、あんな奴ももういらない。
まだわずかにうずく胸の痛みを見ないふりして、私はこの想いに別れを告げることを決意した。そもそも、彼には私がこんな気持ちを抱えていることなど、打ち明けていないのだ。いくらでもごまかしようがある。
彼に「久しぶりに一緒に飲もう」と呼び出されたのをこれ幸いと、恋い慕う気持ちを押し隠したままでそれを伝えた。こんな話をするには不釣り合いなほどにぎやかな小汚い居酒屋の雰囲気が、今は少しおかしかった。日常生活では許せないようなベタベタしたメニュー表や、ちょっと勘弁してほしいべたつきの残る机や椅子も意識の外に出したくて、早々に一杯を頼む。アルコールさえ入れてしまえば、グラスの不自然な跡も気にならなくなるのだから不思議だ。
早く早く。酔ってしまえば、後悔するような言葉もするりと出てくる。
一口、二口目もまだ言葉が出ずに、まだまだ次だと飲み進める。チェーン店の一つであるここは安さが売りで、あとを追いかけるように頼んだつまみやお通しが小腹を満たしたところで、ようやくほろ酔い加減がやってきた。向かいの男の顔を見ることはないまま、つまみをパクパク食べなんてことない世間話をするノリで、『もう会わない』と彼へ伝えた。
お酒の入った私の口は案外滑らかで、シラフであったら到底言えなかったであろうことも音に乗せることが出来た。告白などできなかったが、もうこれで満足だ。小汚くて低コストなこんな居酒屋なら、いつまでも引きずる記憶にもならないだろう。いくら記憶の迷宮をのぞこうとも、思い出せるのはきっと机の不自然なシミぐらいだ。ようやく、この苦しい想いから解放される。
そう心の底でほっとしていたのに、彼はいかにも理解できないと言った表情で残酷にも私へ問うてきた。
「―――どうしてだ?お前のために、時間を空けたり頑張ってきたのに……。
これからだっていろんな相談に乗ってやるし、お前が望む限り傍にいてあげるよ」
何も分かっていない彼が、言葉を連ねる。
私が彼を好きだということも、きっとまだ彼は気づいていないのだろう。あれだけあからさまに一喜一憂していたというのに、彼の中で私は所詮『感情表現の豊かな女友達』だと認識されていたのだ。グラスについた水滴が、私を興ざめさせるように流れて落ちる。
『望む限り傍にいてくれる』だなんて、常であったら胸を締め付けられる様な……嬉しいと感じさせられる言葉だっただろう。―――けれど最早、そんな言葉ですら私の心を震わせるものではなくなってしまったみたいだ。私の顔には「まだそんな事を言っているのか」と、失笑しか浮かばない。
「無理して頑張ってこられたのが嫌で、嫌でたまらなかったのよ」
「頑張るのが悪かったのか?」
そうじゃなくて……と呟きながら、どう説明したものかとお酒の入ったグラスを傾けた。普段なら甘いカルーア・ミルクが好きでよく飲むのだけれど、今は舌に残るしつこい甘さが煩わしくて、めったに飲まないグレープフルーツのサワーを注文してみた。炭酸の喉ごしが爽やかで、果実の苦みでキリッと口の中が引き締められる感じがする。
こんな風に、ただ甘やかすのではなく時には苦味も必要なのだと、訝しげな視線を送ってくる彼へ目を向けた。自分が傷つき、みじめな思いをしてまで彼に告白してやるつもりはないけれど、最後くらいこれまで使わなかったような直接的な言葉を選んで説明してあげよう。
『そうと決まれば、飲まなければやっていられないっ』と、私は先ほどと同じものを注文した。ゆず蜂蜜サワーなんておいしそうだけど……この分からず屋を相手するには、あの爽やかさが必要だ。酔っぱらい特有の、大きくなった気は私へさらにお酒を注がせる。
「すいませーん、グレープフルーツサワー御代わりお願いしま―す」
「おいっ、話している最中だろう」
突然に言った『絶縁宣言の理由』を説明している途中で、追加を頼んだことが気に入らなかったようだ。私の向かいで彼は不機嫌そうな顔をしているが知ったことではない。客が少ないのだろう。直ぐさまやってきた御代わりを一口あおってから、再び私は口を開いた。
「ねぇ……だってそれは私が望んだからでしょう?貴方がしたくてした訳ではない。
貴方には何の得もない。ただの、同情みたいなもの」
「そんな事ないよ。俺はお前のことが心配だっただけだ」
「それが同情だっていうのよ。私は心の底から必要とされたかったの」
出来ることなら、恋人として―――。
声にすることのできない想いを、口の中で転がした。
どうせなら……嫌がらせついでに告白してやろうとも思ったけれど。一番最後に見る彼の表情が『申し訳なさそうな顔』だなんて、ごめんだと考えて口を閉ざした。
想いを告げていない今でさえ情けない顔をしているのに、これ以上目の前でしけた面をさらされたのではたまったものではない。私はさっさと帰ろうと、三杯目をごくごく飲んだ。
彼が私の気持ちに応えてくれることはない。
どんなに楽観視したとしても、それだけはあり得ないと言いきれてしまう。
珍しく私が事細かに説明しているのに、やはり彼は理解できないと言った顔を崩さない。まるで、さも私がおかしい事を言っていると言った様子だ。ここまで決意して『酔っぱらいの戯言』と片づけられたのでは堪らないから、これは冗談でも思いつきでもないと断言しておく。
すると、ようやく本気だと気付いてくれたのかもしれない。彼は困り切ったように眉を下げ、力なく呟いた。
「わかんないよ。そんなの……どこが違うんだ?
我慢しないで、俺の前で泣いていいんだよ」
―――また、彼は悪魔の様なことを口にする。普段だったらそろそろ酔いが回って頬が熱くなってきてもいいくらいなのに、私は酔うどころか頬すら赤らんでいない。さっきまでの感覚は、ただめったにないことに興奮していただけのようだ。
同情がどれほど残酷なものか、きっと彼は理解していない。
普段優しくしてくれていても、同情から来た気持ちは移ろいやすい。好きな相手が頼ってきたら、どんなに私が苦しい状況に居ても彼は好きな人を選ぶだろう。それを悪いことだとは言わないが、彼の偽善という自己満足に巻き込まれるのはごめんだ。あんなにも仲のいい彼女がいて、私のことを『女とも思っていない』彼の様子に、本当に苛立つ。
大体、彼の前で不覚にも泣いてしまったのは片手で足りるほどなのに、さも何でも知っているといった表情をされるのに、腹が立つ。あんたが、『私の何を知っているのよ』と言ってやりたい。
「そんなのまっぴらごめん。なんで自分を理解せず、置いて行こうとしている人間の前で弱みを見せなきゃならないのよ」
そう。この男は転勤することが決まり、愛しの彼女を連れて引越しするのだ。
だから、きっと彼と会うのもこれで最後。ごくりと、グラスに残ったサワーをすべて飲み干す。
「俺はただ、お前に優しくしたかっただけなのに」
まだそんな事を言っている。いっそシラケた思いで目の前の男を見つめる。
確かに貴方は誰にでも優しい、最高の友人だったよ。―――けれど、叶わない片想いの相手としたら、最悪だった。
何度、隠れて泣いたか貴方は知らないでしょう?貴方が彼女と、目の前で微笑ましい会話をしている時ですら、私の心は鬼か蛇にでもなった気分だった。
その癖、落ち込んでいると目ざとく見つけて。たとえ慰めるためとはいえ、抱きしめるのはやりすぎだよ。何度酔いに任せて押し倒してやろうと企んだか分からない。今でも、実行に移さなかったことは後悔している。けれど、いざその時になると、拒絶されるのも関係が崩れるのも怖くて、何も行動を起こせず仕舞だった。
あんたみたいないい男、惚れないと思っているほうが馬鹿なのよ。
だから、もう友人でいる事なんて無理だから、ここで終わりにしよう。
私は自分の飲み代に色を付けて、テーブルの上に御代をおいて立ち上がる。彼はこれから、私みたいな女友達の存在を忘れ…あの仲良しの彼女と、幸せにでもなればいい。精々、遠い場所から祈っていてあげるから。
「ねぇ。その優しさ、優しくないよ」
どうせなら、
もう期待もできないくらいに、傷つけて……。
優しさと同情の境界線、間違ったのはどちらが先…?
お付き合いいただき、ありがとうございます。
次話は、勇者様と巫女の会話になります。