化かす者
普段は到底口にできないような食事を前に、生唾を飲み込む。
様々な種類のフルーツの盛り合わせは、地元の山まではまずお目にかかれない上等なものだ。痛んだ個所など勿論ないし、何か特別な手を加えてあるのか、綺麗な飾り切りをしているのに変色している個所もない。
人生で一度は口にしてみたいと一族中が夢見る盛り合わせだ。目が離せなくなっても仕方がないだろう。
「あら。嫌だったわ、この娘ったら。せっかくタキチさんがお時間を空けてくださったのに」
「いえ、こんな大きくて色の良い柿やびわを前にして、僕も平静ではいられませんよ」
「まぁ、お優しいわ。私たちのような田舎者は、サツマイモやニンジンが主食で、果汁たっぷりの果実なんてなかなか口にする機会がないので理解があって嬉しいわ。ね、リコさん」
「叔母様、このお魚はなんてお名前なのかしら?こちらのサツマイモを煮たものも、つやつやして美味しそうだわ」
「この魚はサバといって、海でとれる魚だそうです。蒸かした芋も勿論好きですが、こちらもなかなか美味ですよ」
「まぁ、私も蒸かし芋は好きでよく作ります」
「そうそう、お祝い事があると特別な甘みの強い芋を買ってきて、つぼ焼きにしたりするんです。この娘が作るつぼ焼き芋は村でも人気なんですよ」
「まぁ、つぼ焼き芋!以前知り合いに頂いたことがありますが、ねっとりと甘くて癖になる御味でしたわ。リコさん達が結婚したら、私もご相伴にあずかれるかもしれないわね。楽しみだわー」
「おばさん、僕たちが結婚すれば勿論式にはお呼びしますが、気が早すぎますよ。第一、それでは芋目当てで結婚するみたいじゃないですか」
もっともだと、私も頷く。
いくら数少ないアピールポイントだとは言え、自分の結婚式で芋をひっくり返したくはない。あの芋はつぼ内の火力や温度を一定に保つ必要があるから、必要数を焼くならばずっと付きっ切りで焼くことになってしまう。
「さぁ、せっかくの新鮮なフルーツですから、頂きましょう。気に入ったフルーツがあったら、今度アレンジしたお菓子を用意しますので教えてください」
「で、では、私はこのびわを食べたいです!」
「嗚呼、この時期のびわは有名な果樹園で丁寧に作られていますから、とてもおいしいですよ」
「ん、本当に果汁があふれてきました。水分が豊富なのに甘みもしっかりあっておいしいです」
「確かにこれは美味しいですね。食の好みがあってよかった」
食い意地が張っていると怒ることもなく、タキチさんとの会話はとても弾んだ。
知識が豊富で、穏やかな彼との会話は心地よかった。
「あら、どうやら私たちが居なくても、話が弾んでいるようですわね」
「それでは、後はお若いお二人で、親交を深めていただきましょうか」
定番のセリフを吐いて、仲人のおばさんたちは部屋を出た。
あまりにあからさまな言動だというのに、ここまでお手本通りな振舞いをされては感心して見送ってしまった。
「面白くなるほど、お手本通りのセリフでしたね」
思わず、自分が口にしたのかと思うほど、目の前の方も同じことを考えていたらしい。
二人目を見合わせて、笑った顔はこれまでの外行きの笑顔より愛嬌があって好きだった。
「それでは、我々もお決まり通り庭でも散歩してみましょうか?」なんて誘い文句で、タキチさんの手を取った。いつもなら見知らぬ人の手を取るなんて抵抗があるのに、思ったよりも大丈夫で驚く。以前に友人の紹介で会った男性は、妙に馴れ馴れしくて抵抗感しかなかった。それに対し、タキチさんは決して目を引く見た目ではないけれど、愛嬌がある。
こざっぱりとした着物はセンスが良いし、髪も邪魔にならないように整えている。
差し出された手は予想よりもごつごつしていたけれど、こちらを気遣ってか添える程度の力しかかけられていない。
「リコさんが今日羽織っているお着物は、控えめで素敵ですね」
「ありがとうございます。本当はもっと鮮やかな着物に憧れもあるんですが、祖母のおさがりのこれが昔から好きで。子どもの頃に泣いて強請ったんです」
祖母の着物を褒めてくれたことが嬉しくて、思わず俯く。
おばさんは「もっと若者らしく華やかなものを選びなさい」と言ったけれど、これを選んでよかった。
「タキチさんは、派手な色合いはお嫌いですか?」
「狸族の中でも、僕は特別先祖返りでして。お恥ずかしながら、悪習まで引き継いでいるところがあるんです」
「そうなんですね」
聞けば、蛍光色のような色合いだと、目がカチカチしてしまうらしい。
他にも、同じ狸族でもだいぶ人に近くなった私たちとは違い、外部の刺激に敏感すぎるきらいがあるらしい。自分には想像もできないような大変な経験をされているのかと思えば、いっそ同情心すら芽生えてしまう。
「なかには、お前は先祖返りだから化かすのだろうなんて、からかってくる同僚もいるほどでして」
「まぁ、わかっていて嫌味をいってくるなんて、意地が悪い人もいるのですね!」
失礼だけど、いい歳いった大人が、個人の特質や遺伝に関することで他人をからかうなんて、あまりに幼過ぎて呆れてしまう。帝国に仕える人は、もっと良識があると思っていたから、勝手ながらがっかりしてしまう。
「立派なお仕事をされているのですから、そんな意地の悪い人の言葉なんて気にする必要はありませんよ」
「―――貴女にそういってもらえると、救われた気がします」
元々たれ目がちな目がひときわ緩むのが印象的で、私は思わず見惚れてしまった。
照れ隠しに、顔にかかった髪を何度も引っ張る。あまりに何度も引っ張るものだから、「あまり髪を引っ張っては、綺麗な髪が可哀相ですよ」なんて言われてしまって、もっと落ち着きをなくした。
少し肌寒い気温のなか、五度目のデートをしていた。
『美狸には三日で虫食いどんぐり』なんてことわざがあるように、模様の美しさやつややかな毛並みに惹かれる気持ちはいまだある。けれど、それ以上に彼の話す口調の柔らかさや、笑いの絶えない会話に惹かれていった。そうなってしまえば、少し血色の悪い目元や情けなく思えた眉だって気にならない。最初に受けた頼りない印象だって、何度か手を引かれたことで意外としっかりしていると認識を改めた。そんな風に、良いところを見つければ見つけるほど、私なんかが相手で良いのかと疑問に思う。
いつも忙しそうな所を見ると、仕事でも期待されている出世株なのだろう。
ぐるぐると考えを巡らす内に、楽しみなはずのデートも心から楽しめなくなっていた。彼がいろいろプランを練ってくれて、彼の時間をもらっているのに、こんな気持ちで逢っていた罰が当たったのかもしれない。
唐突に、タキチさんが視界から消えた。
「えっ……」
私より背が高いはずの彼のつむじが見えると、ぼんやり見ていた。そのすぐ後に、口元を押さえてうずくまっているのだと理解して背中を擦った。
「だ、大丈夫ですか」
「す、すみません。ミントの香りは苦手で……」
言われてみれば、先祖返りの獣人はにおいに敏感なタイプもいるというから、彼もきっとそうなのだろう。まさか口臭予防に今流行りの特製ミントをかじってきましたなんて言えなくて、ごくごくと近くにあった自販機の缶コーヒーを飲み干して謝罪をする。本音を言えばコーヒーはにおいが気になるから飲まないでおきたかったけれど、ミントの香りを散らすのにはうってつけだろう。
「き、気が付かなくてごめんなさいっ」
「いや、これ位で文句を言う神経質な男と思われたくなくて、少し痩せ我慢をしました。結果的に、こんな事になって申し訳ない」
彼ならきっと、もっと先祖返りの体質にも理解のある相手がよりどりみどりで見つかるだろうに、私何かで申し訳ないと言う気持ちが更に深まる。
「タキチさんは、本当に私との結婚を考えてくれているんですか?」
逢う回数が増えるたび、彼に惹かれていく自分に気づいていた。
ささやかな気配りが心地よくて、軽いお世辞に胸が弾む。逢える日なんて、数日前からお高いクリームで毛艶を整えて、服装にも気を遣う。派手過ぎず、けれど流行りは押さえて。
タキチさんの好きな色が緑だと知ってからは、毎日の服装のどこかに取り入れるようになった。たまたま街ですれ違うなんて、彼の職場を考えればそうそうないとはわかっているのに、「もしもがあるかもしれないから」なんて、日々頭を悩ませるのだ。だって、いつも同じ服を着ているなんて思われたくないし、ずっと同じものしか使わない流行りに疎い人間だとも思われたくない。……こんなことを日々考えるようになった時点で、私はずいぶん彼との結婚に乗り気になっていたのだろう。
「リコさんは、素敵な人ですよ」
「田舎育ちだから都会の流行なんてさっぱりだし、先祖返りについての知識もまともに持ってないんです。こんな事じゃ、貴方のお嫁さんにしてもらえても、出来ることなんてたかが知れているわ」
「僕だって、仕事ばかりで流行なんてさほど知りませんし、先祖返りについては研究されだして日も浅いのですから無理もありません。それより、リコさんとは食の好みが合うから、美味しい物やお互いに好きな事や苦手なことを見つけて生きたい。僕は君と一緒が良いです」
「食い意地がはっているのに、胸を張って得意と言えるのは、ドングリ料理くらいなんです」
とても、都会で暮らしている彼を満足させられるとは思えない。
「リコさん、僕はこれでも給料は悪くなくて、結婚してもそういった苦労はさせません。料理を作りたくないなら外で食べれば良いし、休みの日には僕が腕を振るいますよ」
「いえ、そういう事ではなくて……」
「以前も言いましたが、僕の理想はリコさんの所のような仲の良い夫婦でして、奥さんとなってくれたら一途に尽くすと誓います」
「それは、素敵だと思いますが、」
「生憎、趣味らしい趣味もないですし、酒も付き合いで飲む程度で浪費癖もありません」
まっすぐな瞳で言葉を尽くされれば尽くされるほど、ああこの方は自分にはもったいない人なのではないかと、怯む心がいる。
「本当に、私なんかにはもったいないようなお話で……」
「それでは、お断りの言葉にしか聞こえませんが、僕は振られてしまうのでしょうか?」
くすりと笑われて、思わず下げていた視線をあげて睨みつける。
そんなに背の高くないタキチさんと目を合わせるのは簡単だと思っていたけれど、想像していたより近くにあった顔にぎょっとする。
「ねぇ、リコさん。僕は田舎のどんぐり料理が好きですし、いつもまっすぐに見つめ返してくれるところも好ましいです。何より、緑色が好きだと言ってから毎回のように緑色の物を身につけてきてくれる、貴女の可愛らしいところが大好きなんです」
気づいた時には、抱きしめられて逃げられないようにされていた。
初めてみた強引な様子と、少し震えていた腕に勇気をもらって、私はその日に彼の婚約者兼、恋人となった。
彼の訃報が伝えられたのは、付き合ってから2か月もたっていない頃のことだった。
「えっ……そんな、あの人は事務方で書類仕事ばかりだと言っていたのに、」
沈痛な面持ちで微かに俯くこの騎士様は、見たことがない。
ほかの同僚の方は友人との食事会にも来てくれて、幾度かお会いしたことがある。きっと別の誰かと勘違いしているのだろうと、自分からしたらずいぶん屈強な男の人に噛みつく。
「そんなはずがありません!どうして書類仕事をしている人が、郊外で事件に巻き込まれるんですかっ」
「それが、タキチさんはたまたま別動隊が人手不足ということで、召集をかけられ巻き込まれたようです」
ギュッと、指輪のはまった左手を握り締める。
こんな事なら、もっと詳しく仕事の内容を聞いておけばよかった。
仕事の話は大抵が上司や仕事量についての愚痴で、詳細なんてわかりようもない。お見合いの時に守秘義務があって詳しく話せないことが多いと言われたから、婚約してからもその手の話題は避けていた。私を緊急連絡先にしていることや、何か急ぎ連絡を取りたい時の対応方法を聞いた時に、もう少し踏み込んでおけばよかったと後悔する。
「そうよ、城から出ないのなら、わざわざ婚約者に連絡方法を教えるはずがなかったのに」
それをわざわざ伝えてきた時点で、何か感づいても良かったのに。
あの時は彼の「僕の家族は今となっては、貴女しかいなくなってしまったので……」という寂しげなまなざしに、すっかり意識をそらされてしまった。
「子どもに赤いおべべを着せて、あやすのが夢だって言っていたのに」
「リコ嬢……」
「あの方、婚約したばかりだというのに、子どもの名前を三十も挙げていて、忙しいのに私よりも結婚式の準備すら率先しておこなっていたんです」
「……そうですか」
「離れるのが嫌だって、早々に私の家族に挨拶して、自分の家に私を住まわせて……。兄なんかは先祖返りのせいだろうし、多少性急でも許してやれなんて言うんです。でも、あの人はああ見えて嫉妬深いから、ただ自分の近くにいてほしかっただけなんですよ」
その証拠に、こんなに立派な婚約指輪をつけさせて、男性と話しているとソワソワ落ち着かない様子だった。ただの店員さんでもそうなのだから、今こうして話しているのだって、すぐに駆けてきてやんわり笑いながら妨害してくるはず。ーーーそんな虚しい期待は、空が暗くなっても叶うことはなかった。
泣いて泣いて、数日何も食べずにいても、涙がとまることはなかった。目が覚めたら彼がきまり悪そうに帰ってくるのではないかと期待したけれど、目を開けても見えるのは天井だけで、隣に温もりがあることはなかった。何度か彼の同僚を名乗る人がきたけれど、葬儀のことなど考えられなくて早々にお帰り頂いた。もう、これ以上聞きたくなかったのだ。
そんなことをしていたら、実家の姉が心配して来てくれた。
「リコ、一度家に帰ってきたらどうかしら?」
「もし……かしたら、彼が帰ってくるかも、しれないから」
「そんな……」
そんな事はあり得ない。
残酷な言葉を聞きたくなくて、静かに首を振る。まだ、どこかで間違いであったと思いたくて、すべてが覆る吉報を待って、窓の外に目を向ける。そうやってずっと椅子に腰掛けているから、気づけば窓辺以外にはうっすら埃が溜まっていた。そんなに長く彼に逢えていないのかと、瞬きで涙を散らす。
あまりに見つめ過ぎたのかもしれない。あるはずがないのに、立派な馬車から見覚えのある騎士様に抱えられたタキチさんが、こちらに歩いてくるのが見える。
「あ、リコさーん!」
「おい。タキチ、傷口が開くから暴れるなっ」
「タキチさ、ん……?」
あり得ないはずの姿を見つけ、私の意識は唐突に途切れた。
✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾
タキチさんの焦った声と、姉の怒鳴り声で目を覚ます。
かすかに窓辺から差し込む夕日を見るに、随分寝てしまったらしい。
「リコさ、」
「リコ!大丈夫なの、具合が悪いところはない?」
一瞬、タキチさんが見えたかと思えば、すぐに姉のドアップに切り替わる。ギュッ抱きつかれて身動きがとれないなか、本当にタキチさんなのかと首を伸ばして驚いた。あちこちに包帯を巻いて痛々しい彼が、騎士様に羽交い締めにされている。どう見ても私より重傷なのに、椅子に腰掛けた状態でこちらへ手を伸ばす様は、不気味に見えた。
あまりに理由の分からない状態に、ぐるぐる考え過ぎて目が回ってきた。
「ちょっ、ちょっと、誰か事情を、事情の説明を!タキチさんは、無事だったの?」
「ほらほら、タキチ。君のお嫁さんが、混乱してるよー?医者の絶対安静を無視して、せっかく帰ってきたんだから洗いざらい吐かなきゃ」
「しまっ、締まってる、おまっ、馬鹿力!」
ギャーギャーーと騒がしい私たちの中で、事情を説明してくれたのは、意外にもやる気の感じられない騎士様だった。
「ーーーわざと仮死状態になった?」
「そうそう」
耳慣れない言葉に、聞いたまま繰り返す。
「急きょ張り込みの手伝いをすることになりまして。変装をしていたんだけれど、運悪く見つかってしまってね」
「足が遅くて、見つかっただけだろう」
ドコッと、鈍い音がした後に、騎士様がその場でうずくまる。何があったか分からないけど、タキチさんが「拾い喰いでもして腹を下したんでしょう。放っておきましょう」と言うので、とりあえず放って置くことにする。
「ある程度の時間がたったら変装を解除できるように調整していたんだけれど、まさか早とちりした隊員に誤報を君まで伝えられてしまうとは申し訳ないです」
「俺たちも気づいてすぐに訂正出来ればよかったんだが、形見だと言って持ち出し禁止の品まで持っていくとは思わなくてな。詰めが甘くてすまない」
「ほんとだよ。まさか処置のために外されたお揃いの指輪を、あろう事がなくしたなんて言い訳されたときは、どうしてやろうかと思った」
「あいつだって、あまりに嘆くリコ嬢を見ていられなくてやったんだろう?許してやれよ」
「リコさんが首元にネックレスにしてかけているのをみて、心底安心しました。初めてのおそろいの品ですからね」
あまりに平和に笑うから、それ以上怒れなかった。その代わり、もっと先祖返りと彼の仕事について、教えてもらおうと心に誓った。