沈丁花の砂糖漬け
とある国の、とある王城の一角に私は居た。
選ばれた貴族でも、年に数度しか足を踏み入れることができない王家自慢の庭園。
他国の王族にも評判が良いと言われるこの庭は、草木は勿論のこと、管理の難しいといわれる巨大な噴水なども有している。これは代々皇后陛下が管理しており、まだ大国と呼ばれるようになる前から多額の資金と技術を投入されており、みるものすべてを魅了する。そんな通常では、花々の美しさや庭師の技術力などにうっとりするべき場所でも関係ない人は多いらしい。
かくいう私も、国王陛下の御母堂である上皇太后さま主催のガーデンパーティーでさえ、仕事に励んでいた。
王弟殿下に連れられて、複数の貴族に軽い挨拶をかわし、私の『とある能力』についての話が移ったところで、スッと懐から小瓶を取り出す。
「まぁ、その素敵な小瓶に色とりどりの花が集まっていくなんて、何て華やかで素晴らしい能力でしょう」
空虚な誉め言葉が、するりと空気を滑って形を成す。
口元を覆う扇の羽のように、ふわふわと小さなカナリア色の花びらが舞う。
私の意志とは反した現象だというのに、子爵婦人だという女性は眉をひそめた。
「はは、この素晴らしさは、女性にはなかなか理解できないものかもしれませんな」
あざける様な男爵様の言葉が、常盤緑色をした花弁がいくつも出現した。
サクランボくらいの大きさで、厚みがあるそれは手元の小瓶に収まるか心配になる。
「あら、そんなに実感を伴って恐れるだなんて、何か後ろ暗いことでもおありかしら?」
「ふんっ、どうやら小娘の能力に敬意を示しすぎてしまったようだ」
あからさまな嫌味は緋色の花だったから、それなりに怒っていらっしゃるらしい。
きっと口にしたらさぞかし、にがかろうと思いながら瓶へ納める。国王陛下から賜ったガラスの小瓶は、細かい透かし彫りが美しい。特別な術を施してあるため、何色の花がどれくらい入っているか、ふたを開けずともわかるようになっている。それだけで売ったらどれほどの価値になるか分からないものだが、「そなたの能力にあわせて作らせたものだし、そなたが持って初めて意味を成す」と言われて有難く使わせていただいている。その代わり、壊れないように気を使いながらも、寝るときは勿論、入浴の時や花摘みの時でさえ手放すことは許されないものになったのは苦々しい所だ。
「おや、兄上。政務はもうよろしいので?」
どうやら、こんな状況を作った張本人のお出ましらしい。
これまで周囲へ見えるように顔近くまで掲げていた小瓶を、服のすそで隠す。私の能力は、国王陛下や一部の相手へは使用しないように制約されている。
「ああ、これだからそなたの能力は面白い」
この場で一人楽しそうな国王陛下の言葉は、それはそれは楽しそうなタンポポ色の花びらだった。
様々な能力を有する国民がいる中で、私は他人の言葉を花びらとして視覚化できる能力を得た。他人の能力を見分ける神官様のおっしゃるには、相手の発言に関係なく本心が色となって現れるらしい。まず他人がしゃべった言葉の後に、私が息を吐きだす。吐息自体は特別な力を宿している訳ではなく、普通の呼吸と何ら変わらないため抑えるのは難しい。何せ、相手が一言発した言葉にすら発動するのだ。さすがに数十分もたてば発動しないだろうが、その間ずっと呼吸を止めているなど不可能だ。一度苛立った貴族から「お前を殺せばバレずに済む」なんて脅されたこともあるが、その時に出てきた花が期待を表すオレンジ色だったのはある意味恐怖だった。何をどう利用したいと考えたのか分からないが、この能力を利用しようとする輩など大概ろくでもない人間だった。
これまで人の感情を読めると言った能力者もいたが、まだ能力についての理解が浅かった時代だ。証拠もない能力はその時の王家にとって邪魔な存在になったのだろう。表面上は王族を惑わしたといわれ、罪人として捕らえられて若くして亡くなったと教わった。
私の場合は、幸か不幸か本人の意思にかかわらず『花びら』として具現化する能力だった。
王宮に上がってからの付き合いである騎士のブントなどは、純粋に私の能力を面白いと言ってくれたけれど、それが少数派であることは、この能力でわかってしまう。
「ファーブロス様が目の前で俺がとても口にできない高級料理を食べていても、王族と一緒にピリピリムードで召し上がるんじゃ味なんてわかったものじゃないだろうし、まったく羨ましくないんですよね」なんて、包み隠さず本心を口にするから、こういう人もいるのかと驚いたものだ。何せ、彼が本心から口にしている証拠は、私の手の中に現れるのだから。
子どもの頃からの度重なる実験の末、怒りは赤い花で、悲しみは青い花といった具合でわかれている。そこに強い感情が乗っかると、花びらの大きさや厚みに変化が現れるらしい。だから子爵婦人のカナリア色の花は、多少の興味を持っていただけたようだが、口にして居るほど私に関心がなかったらしい。たいして男爵様は、信頼の薄緑色よりも恐れの色が強く出ていた。
そこから考えると、黄色のタンポポ色の花が現れた国王陛下は、あの状況を楽しんでいたとわかる。国王陛下の思考や感情を語るなど、不敬かつ国家問題になりそうなことを避けるために、国王陛下の発言は常に隠すようにしている。そのためしょっちゅう私の小瓶を覗き込んでは、「やはりお前の能力は確かだな」なんて喜んでいる。
自分の思考を読まれて喜ぶのなんて、私をどうとでもできると考えている人間だけだ。
国王陛下には間違いなく私の命を握られているし、王弟殿下や皇太后さまは自分の政敵を減らすか、国王陛下に恩を売るための道具にされている。いくら王族に多少目をかけてもらっているといっても、邪魔だと判断されれば、過去の能力者のようにあっという間に消されるだろう。
「はぁ……」
「ふふっ、お疲れ様です。今日の業務はこれで終了ですね」
楽しげに私をねぎらってくれた王弟殿下の後に続いたのは、綺麗な向日葵色の花びらだ。
その表情をみて、かすかにブントの眉間にしわが寄ったのが嫌に鮮明だった。
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色々なパーティーや外交の場に連れ出されるたびに、国王陛下たちは私の能力を最大限に利用した。思い返せば、ブントがやけに王族たちに辛口になったのも、この頃からかもしれない。
「陛下をはじめ、宰相や王弟殿下までも、自らの無能さをファーブロス様の能力で補おうとしているのですね」
なんて、言いだした時には、思わず扇でその顔を殴ってしまった。
どこで誰が聞いているか分からないのに、なんてことを口にするのか。あまり驚かさないでほしい。
そもそも、他国の外交官の前であからさまな能力の使用を支持されたりはしない。
だが、相手への威圧や信頼を表すために利用される。そんな事を繰り返しているうちに、私を連れ立って歩くのは相手を信頼していないのではないかと、嫌厭されるようになった。もしかしたら、ブントはこうなることを予想していたのかもしれない。私の能力はあくまでその時の感情を表すもので、警戒を表す橙色の花びらが出るからと言って、相手が必ず謀反を起こそうとしている訳ではない。その言葉に怒りを表すくれない色を宿していたからと言って、過去の記憶に怒りをにじませている可能性もあるのだ。
徐々に私の能力に不満を持つ貴族が増え、堂々と意見することができない者は必要以上に喋らなくなった。喋らない人間たちの中では、私は用無しだ。むしろ厄介者と言っていいだろう。
始めは私の口元が隠れるように、ローブを羽織ったうえで更にフェイスヴェールのようなもので隠すように同行させられたこともある。けれど、それでは周囲に分からないため私の言葉以外の判断するのが困難になる。いちいち小瓶を覗き込ませるわけにはいかないし、早々にお役御免になった。
―――今では時々、国王陛下の命の元で怪しい動きをする人間の本心を、あぶりだすくらいになってしまった。
普通に王城で仕事をするには私の能力は邪魔になるし、だからと言って市井で生活するわけにもいかない。他国に利用されては困るし、ある程度の制限が必要だ。
庶民にしておくのはもったいないと、王弟殿下の婚約者候補にすら名前が挙がっていたのは昔の話。能力を使った仕事の時以外は、常にそばに居てくれた王族も今は居ない。妙なことをしないように見張りのお世話係とブントという護衛は一人ずついるけれど、彼らは貴族との会話に割り込んだりしない。あって失言をしないように止められるくらいで、王弟殿下といた時はあれで守られていたのだと今ならわかる。
気が重くなりながら、最大限の敬意を示すために若緑色のドレスの裾を直す。
きっと自分の溜息を花に変えたら、それは綺麗なすみれになるだろう。うんざりとした気持ちに気づかれないのだから、その面だけは感謝する。
何せ、めったにない王族へ忠誠を表現する絶好の機会だ。逃す手はない。崇拝なんて表現は仰々しいけれど、少しでも悪意がないことを分かってもらいたい。今日はひと月に一度行われる、王族主催の晩餐会に参加していた。私が参加することによって生じる独特のピリつきは、嘲りが混じって嫌な重苦しさが肌に張り付く。まるで花を、限界まで口に詰められているかのような気分になる。
「……ファーブロス様、そろそろお部屋にお戻りください」
「もう、そんな時間?それでは私は、これで失礼します」
皆が複雑な表情で頷きだけを返すのに、苦笑しながら席を立つ。
私が長いしてはみんなも食事を楽しめなかろうかと、こうして中座することも珍しくない。時々行われる晩餐会に出席されるのは、国王陛下なりの気遣いなのかもしれない。周囲に与える影響を考慮し、部屋にこもりっぱなしの私を気遣ってくれているのだろうと思う。気づまりにならないように、周囲がいたずらに私の能力に怯えなくて良いように。広くは知られていないけれど、私の能力は就寝中や食事中は発動しない。それもそうだろう。なにせ、寝ている時に花が口に詰まったら息が止まるし、食べている時は極力溜息をついたり余計な行動をとらないようにしている。
自分で管理できる能力ではないから、確かなことは言えない。けれど、さすがにどんな能力であれ、自らを危険にさらすことはないという事なのだろう。もっとも、先ほど想像したように、自らが作り出した花を口にしたことはないから、毒性のある花を口にしたらどうなるか分からないけれど。少なくとも、そんな危険を冒してまでおいしくもない花を食べたくはない。
「―――ずっと寝ていられたら、花も出さずに済むのかしら」
「ファーブロス様がずっと眠りについたら、その原因になった者の首を切ります」
「ーーーブントは、いつも元気ね」
大抵の人間は、私の前で饒舌に話すことなどない。それがこのブントは良くも悪くも飾ることがなくて、いつもまっすぐな言葉をくれる。彼から生まれる花はいつも綺麗で、目に鮮やかな花々は私を楽しませてくれる。
それに救われることもあるけれど、そんなまっすぐな彼を私のお目付け役として縛りつけてしまう申し訳なさも抱えていた。
「やっぱり、私はこの国のお荷物ね」
ため息を吐いた私を、ジッとブントが見つめていた。
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それから数ヶ月後のことだ。私が皇后陛下をかばって、栄誉の負傷をしたと報道されたのはーーー。
「あら。国営の記事だというのに、ずいぶんと美化した肖像画を載せてくれるのね。どうやら、本格的に私を神聖化したいらしいわ」
皇后陛下主催のガーデンパーティーで、毒物が混入する事件が発生した。あまり政に慣れていない皇后陛下が時間をかけて用意し、初めてこの王家の自慢の庭に客人を招いた。これが成功すれば、本格的に外交にも参加できるということで大分気負っていたらしい。
「本気の意見を聞きたいのよ!」
ということで、私を伴って貴族夫人のお茶会という名の意見交換会や、商人との謁見に参加させられたのだから相当のものだ。それだけ、周囲の期待や目が厳しかったということだろう。この庭で開かれるガーデンパーティーを成功させて初めて、皇后として認められると言われるだけ有る。
花があちらこちらで咲き乱れ、心が踊った。こんな感覚は久しぶりで、「あなたの能力も、私のパーティーに『華を添える』にはちょうど良いわ」なんてからかい混じりに笑った皇后陛下の小憎たらしい顔も可愛く思い出させる。本当に、誘って貰えて良かったと、暖かな陽気のなかで幻想的な空気に酔っていた。
「ちゃんと逃げないで、出席しているようね」
「皇后陛下、この度はお招き頂きありがとうございます」
皇后陛下への挨拶の列が落ち着いたところで、すごすごとご挨拶に伺う。皇后陛下としては初の開催ということで、遠路はるばるやってきた辺境伯なども珍しくないらしい。参加者へのねぎらいを終え、ようやく席を立てるところで申し訳ないが、私も感謝の気持ちを伝えずにはいられなかった。
「……ずいぶんなご挨拶ですね」
このパーティーを開くにあたって、私もずいぶんと協力させてもらったから、当初より気安い声かけができるようになった。上皇后陛下や、これまでの方々に劣っていると思われないため、この方がどれだけ尽力していたかは知っている。挨拶だけではなく、生の反応を見たくてソワソワしているのだろう。
「立食形式のパーティーなのに、座ったまま花を近くで眺めることもできず、みんなと気軽にお話も出来ないなんて味気ないでしょう?」
考えていた通りの答えに、思わず陛下と一緒に苦笑してしまう。
「我が后がどれだけ今日を楽しみにしていたかは知っているつもりだったが、ここまでとは予想外だな」
「全くです。今だって貴族の方々は、自分達の忠誠を問われるのではないかと、怯えているご様子なのに。私の様子をこわごわと、みなさん伺っておりますよ」
「あら。あなたが怖がられるのは、今に始まった事ではないでしょう?それに、陛下の前で怯えなければならない本音をお持ちの方なんて、構っていられませんわ」
「おい。たまには胃痛もちの家臣もいるのだから、大目にみてやれ」
「ふふっ。それを知って尚、彼女に尋問まがいのことをさせていた方の発言とは思えませんわ」
「おお、これは手厳しいな」
今日も御二方は、仲がよろしいようで結構だ。
そろそろご懐妊間近ではと噂されるくらい、王族の政略結婚としては珍しく円満な関係を築けているらしい。
『嫌な予感』がして心配だったけど、これなら問題なくおわりそうだ。
私の手元に貯まるのは薄緑のカーネーションや黄色のマリーゴールドと言った目に優しい花々ばかりで、幸せな空気に包まれている。
ーーーいつも、油断した時にそれはやってくる。
「あら、これはサプライズケーキ?」
ザワザワと周囲の声に目をやると、何やら大きなケーキが持ち込まれたらしい。メイド二人がかりで運ばれたそれは、色とりどりの花を散らしたホールケーキだった。
「ほう?こんなに上等で目新しい物を用意するなど、なかなかやるな」
喜ぶ陛下や周囲の真ん中で、皇后陛下の目が嫌に泳いでいるのが気になった。どうかしたのか問いかけようとしたのに、慌てた様子でやってきたメイドにそれを阻まれた。
かすかに『上皇后陛下』や、『内緒で』なんて単語が聞き取れたけれど、内容までは定かではない。
みんなにケーキを配膳される様を見ながら、ある一点に違和感を覚えてまじまじと見つめる。
「ファーブロス様、そのように険しい表情で見つめていると、何か二心あるのかと勘繰られます」
「わっ、分かっているけど、気になることがあるのよ」
彩りの良いケーキの中に、妙に惹かれるものがある。
惹かれると言っても良い意味ではなく、何か嫌な気配を感じるのだ。日ごろ花に悩まされているからだろうか?どうも違和感を拭えない。
「こ、皇后陛下のお皿に乗った黄色の花は、珍しくて可愛らしいですね?」
「えぇ、これは特別に他国から取り寄せた物らしいわ」
「ほう、そうなのか。確かファーブロスの流儀で言うなら、喜びや幸福感を表すと言ったところか?この場にふさわしいじゃないか」
陛下の言葉に、困惑顔だった皇后陛下すら微笑みかけた。
無意識に息を止めていたおかげで、皇后陛下の心情を無遠慮にさらさないで済んだ。けれど、じわじわと焦りに侵食されて、これではいけないという気持ちに支配される。私が生みだす花は様々な種類があるが、決まって無害なものだ。時期や環境に左右されることはあまりなく、能力者である私自身が誤って口にしても問題ないようにか、私が知る限り花弁に毒性がある花が出たことはない。……そんな、この国随一の庭師よりも花を見てきた私すら『見たことがない花』の存在は、警戒してもしょうがないだろう。
私の焦りを感じたのか、後ろに控えるブントや近衛騎士が怪訝な顔で見てくる。
もしもここで、大した根拠もないまま私が皇后陛下の皿に手を伸ばしたら、間違いなく不敬で捕らえられるだろう。私や陛下に配られたケーキには同じ花はなく、見慣れた薔薇やカーネーションが目に優しい。
「陛下にお配りした薔薇も珍しい品種で、ケーキの味を損なわない程度に甘やかな香りが特徴です。この国を統べる方にふさわしい高貴さと優雅さを表した一品ですわ」
「その説明を受けると、猶のこと美味しく感じるな。さすが、見る目がある」
「もったいなきお言葉、有難うございます。陛下に喜んでいただけるなんて、嬉しいですわ」
微笑みながら、皇后陛下がホークを口に運んでいく。
スローモーションで描かれる光景に、ドクドクと胸の音がやかましい。あまりにひどい顔をしていたのだろう。ブントが名前を呼び、伸ばされた手を避けるようにして私は一歩踏み出した。
「っっダメです!」
「えっ」
「皇后陛下に何をする貴様!」
「おい、そいつを早くひっとらえろっ」
ガッと肩を抑えられそうになったところで、後ろからブントに拘束されて動けなくなる。
首元に腕を回され、両腕も抵抗できないように拘束されている。そんな目の前で、呆然とする皇后陛下の身に異変がないことにほっとする。
「何やってるんですか、ファーブロス様!」
「その花を食べちゃダメです、皇后陛下。他国の花にも詳しい私が見たことがないものなんて、どんな毒が潜んでいるか分かりません!」
「ファーブロスは、そんなあいまいな認識で我が后が用意したものを無駄にしたというのか?」
「そのことに関しては謝罪しますが、本当にその花は皇后陛下が用意したものなのですか?」
「なに?お前は何を言いたい」
「似た花とすり替えられている可能性は、本当にないといえますか?毒見係は、すべての花を食したのですか?」
「当たり前だろう。毒花が紛れ込んでいるなど、荒唐無稽な妄想だ。第一そんなことが起こるなら、お前が一服盛ったと考える方が自然ではないか?」
「……それはっ!では、私にその花を食べさせてください」
「何てことをおっしゃるのですか、ファーブロス様!」
「彼女の言う通りですよ、ファーブロス様。仮にもご自身で毒かもしれないと疑っている物を口にするなど、正気の沙汰とは思えません」
ブントはともかく、私付きのメイドまでそんな風に声を上げてくれるとは思わなかった。
陛下の前で許されないうちに発言するなど、いつも一歩引いていた彼女からは考えられない光景だ。私の足元には、水色と赤の花が絨毯のように降り積もっている。相当驚かせ、怒らせてしまっているらしい。大きな花びらに、その思いの強さがうかがえる。
「良かろう。そこまで言うなら、自らの正しさを証明してみろ」
「何を言います陛下!そんな事をして、致命傷を追ったら元もこうもないではないですか!」
「だが、我が后のもてなしを無駄にし、顔に泥を塗ったのだ。それぐらいの覚悟はあっての行動なのだろう?」
騎士によって運ばれた皿は、幸い泥をかぶった様子がない。
ブントが近くまで運ばれたそれを見て、息をのんだのが分かる。
「どうしても食べるというのなら、俺が食べます」
「駄目よ。私が食べてこそ意味があるの」
メイドや自分の騎士に食べさせたのでは、たとえ死なずに済んだとしても、私の潔白は証明されないだろう。効果の定かではない花を、自ら食べてこそ意味がある。
「それなら、せめて俺が口まで運びます」
「分かったわ。ただ、触れただけでも害があるかもしれないから、不用意につかまないようにしてね」
どうしてそんなものを食べなければならないのかという悪態に、「私もそう思う」と心の中で同意した。
恐る恐る運ばれる可憐な爪先ほどの花弁。多少肉厚だけれど、かすかに先端が反り返ったハート型は可愛らしい。これに毒があるかもしれなくて、自ら口にしなければならないなんて、どんな罰だろう。
毒の盃を口にして楽に死ねるなんて貴族の特権だと思っていたけれど、もしもこれで『失敗』したら、私もある意味大物扱いかもなんて、どうでも良いことを考えてみる。目の前に差し出された花びらを口につけた途端、私は酷い痛みと息苦しさに気を失った。
とまぁ、さまざまな思惑が大騒動となったガーデンパーティーから、3か月の時が流れた。
私とブントは、隣国でゆっくりお茶を飲んでいた。所詮、亡命と言ったところだ。
「国のお偉いさんがたは、聖女が自ら毒を煽ってこの国の危機を救った。そんなお涙頂戴の筋書きにしたいらしいです」
勝手なものだと怒りを覚えるよりも、今後利用される心配をしなくても良いことに安堵した。
今も秘密裏には捜索されているが、ことが事だけに真実を知らされている人間は少なく、表立って追手がやってくることはない。皇后陛下の皿に盛られていたのは、危惧した通りローレルジンチョウゲという毒花だった。どうやら私の能力にかこつけて、縁起が良い色合いだし害はないと丸め込んだらしい。しかも触れただけで水膨れや炎症をおこすものだったようで、もし飲み込んでいたら危ない所だった。「器官が腫れて、危うく呼吸ができずに死ぬところだったんですよ!」と、目覚めて開口一番にメイドや医師に怒られた。
―――もっとも、それを止めることもなく、少し後ろでニコニコ眺めていたブントが一番恐ろしかったのは内緒の話だ。
私はブントとともに、隣国まで逃がされていた。
どうやら今回の黒幕は上皇后陛下だったらしい。隣国からやってきた皇后陛下が気に入らない上皇后陛下は、彼女を害そうとした。しかも私が毒花を盛ったことにして、うまくいけば毒殺。失敗しても皇后にふさわしくないと理由をつけて、隣国に送り返そうとでも考えていたらしい。
「ファーブロス様が睨んでいた通り、あのケーキは皇后陛下が用意したものではなかったのですね」
「きっと、あのメイドは困惑していた皇后陛下に受け取ってもらえるように、これは上皇后陛下からのサプライズプレゼントで、陛下には自分からの贈り物だとでも言いなさいと唆したのでしょう」
「私が毒花を出せないことは、陛下ならご存じなのだけれどね……」
「それさえも、自分の能力にかこつけて、毒花を持ち込んだことにしようとしたのでしょう」
「まったく、疎まれたものね」
「逆恨みという物でしょう」
以前に開かれたガーデンパーティーで、私が彼女の贔屓にしていた貴族の本心を明かしてしまった。
それでコケにされたと思った彼女は、気に食わない皇后陛下を陥れるのにちょうど良いと思ったらしい。
「陛下も今回ばかりは、上皇后陛下を見捨てることにしたのですね」
「そりゃあ、自分の子どもを宿していた妻に毒を盛られたんだからね」
何と驚くことに、皇后陛下は子どもを身ごもっていたことが判明したらしい。
本人にも自覚症状はなかったが、今回の騒動によって念のためされた検査によって判明したという。それを受けて、元々小さな嫌がらせを受けていた皇后陛下も腹に据えかねたらしい。我々が国を離れたいという意思を尊重して、自身の故郷に亡命させてくれた。
「死んだことにはされちゃったけれど、自由が保障されるなら安いものだわ」
「安いわけがありますか!人をさんざんコケにした挙句に、利用しつくそうなんて。ふざけるにもほどがあるという物ですよ」
「でも、今後は存在しない聖女として、隣国で崇めたてられているだけでしょう?生きている時は散々な扱いだったのに、ちょっと複雑だけど私には関係ないわ」
「今でも、宰相をはじめとした一部の人間は、我々を探しているようですがね」
「あら。陛下は今回のことで、しばらく皇后陛下に頭が上がらない状態みたいだし大丈夫よ」
まさかブントがこんな所まで付いてきてくれるとは思わなかったけれど、彼は今後もそばに居てくれるらしい。ずいぶんな忠義者だと揶揄ったら、「それだけだと思っているなら、張っ倒しますよ」と凄まれて口を閉ざした。いくら護衛兼同居人とはいえ、同じ宿の同室に男女で二人きりなんて、訳ありと言わんばかりだと丸め込まれて、新婚夫婦という設定になっている。
しばらくの間はここに滞在する予定だし、憧れていた普通の生活に心躍る日々だ。どうやら、私の能力を知らない一般市民からすれば、私が姿を隠すのはさほど奇妙には映らないらしい。市民の中には、能力をうまく使えなくて重傷を負ったものや、やけどなど傷跡を隠すためという目的で、顔元を隠している者もたまにいるらしい。感情に左右されてきた私が、周囲を恐れず呼吸をできる。なんて幸せなことだろう。唯一私の能力を知っているブントでさえ、「そもそも、俺はファーブロス様のまえで嘘を吐こうなんて思ってないので、何も怖いことはありません」なんていうのだから怖くない。
いつもお付き合いくださり、ありがとうございます。
参考Webサイト:
日本の伝統色 和色大辞典 - Traditional Colors of Japan (colordic.org)
プルチックの感情の輪|人間の感情は色で分類すると関連性がわかる? - Web活用術。 (swingroot.com)