はいかぶり
豊かではないけれど、日々の生活には困らない程度の領土を構えるとある男爵家。
そこの一人娘として、私は生まれた。
体が弱いけれど優しいお母様に、堅実で頼りになるお父様。
二人に愛され、守られているのが何よりも誇らしかった。お母様は病気がちでも博識で、お話していると話題は尽きなかった。婆やに窘められても話が止まらなくて、それでもお母様は優しく笑ってくれた。
男爵という身分がら、仕事が忙しいお父様とは長く一緒に過ごせることはなかったけれど、帰ってくるときは決まってお土産を渡してくれた。王都で話題の人形に、入手困難な焼き菓子。いつも一人で過ごすことが多かったから寂しかったけれど、離れていても私のことを思ってくれていると、実感させられるものだった。それに何より、少しでもお母様に良い治療を受けさせようと、仕事に忙しいお父様を困らせたいとは思わなかった。一緒にいられる時間は長くないけれど、私にとっては確かな絆を感じたから。
けれどある日、すべてがガラリと変わってしまった。
私の朝は、いつも早い。
朝一番に井戸から必要な生活水を汲んで、家族が使う分と動物たちの分を用意する。ためておいた雨水で洗濯をし、家庭菜園に水をやったところで、ようやく気温が上がってきて水に手を入れても震えないで済むようになるのだ。初めて家事をやり始めた時は、もっと時間がかかってしまったけれど、私もずいぶん手際が良くなったものだと自画自賛する。
気温は寒く、着ることを許されている服は薄くて頼りない物なのに、うっすら浮かんだ汗をぬぐう。澄んだ空気の中で、教会の鐘が鳴り響くのを聞くのは気分が良い。まだまだ一日は始まったばかりだけれど、この瞬間が私は何より好きだった。
さぁ、この鐘の音を聞いたら忙しくなる。
起きて餌を催促してくる鶏たちをいなしながら鶏小屋を掃除して、卵を回収させてもらう。頭が良いこの子たちは、餌を持ってくる私には攻撃しない。でも時々、お義姉様たちがお腹が空いて卵をとろうとすると、けたたましく鳴きながら追いかけまわされるらしい。髪をぐしゃぐしゃにして、服をフンや餌まみれにしたお義姉様たちを見た時は、申し訳ないけど心がスッとした。そのあと、「間食も用意しておかないなんて気が利かない」だの、「汚れた服を洗っておいて」だのいろいろ言われてしまったけれど、一日中鶏小屋のにおいをさせたお義姉様たちをみたらいつもより苛立ちは少なかった。
この時間は、あまりゆっくりしていられない。お義母様たちが起きてくる前に、朝食を作ってしまわなくてはと腕まくりをする。
みんな遅い時間までパーティーだ、交流会だと夜遅くまで騒いでいるから、朝は遅いのが唯一の救いだ。これで日の出とともに起きたりされたら、さらに早くに用意をしなければならなくて大変だったろう。
お母様が亡くなって、私をめぐる環境は一変した。
半年ほどは喪に服していたお父様も、一年もすればこれまで通り……いや。それまで以上に、仕事に明け暮れるようになった。お母様がいらした頃は二、三日に一度は必ず帰ってきていたのに、その感覚が五日に一度になり、七日になり。気づけば、私がまともに会話するのは、家令の爺やと家庭教師の先生だけになった。この頃新しく友だちが出来たりもしたけれど、彼は忙しいらしくめったに会うことができなかった。
もしもこれで、婆やが生きていたらもっと違ったかもしれない。けれど残念なことに、婆やはお母様が亡くなる少し前に儚くなってしまい会うことすら叶わない。徐々に元気をなくしていく私を心配したのだろう。お父様は、ある日突然新しいお義母様をつれてきて「今日からは、彼女がお前の母親だ」と、驚くことをおっしゃったのだ―――。
お義母様には娘が二人いて、私の持っているドレスや装飾品をどんどん我が物顔で奪い取っていった。お父様は「姉を立てることを覚えなさい」といって、取り合ってはくれなかった。お義母様は終始冷たいまなざしで、お父様がいないときにはまともにお話することもなかった。
そんな対応も、ある出来事を境に代わってしまう。
私の一番の宝物を、奪われそうになってお義姉様に怪我をさせてしまったのだ。それはまだお母様がいらした時にもらったもので、代々娘が生まれたらその時期に咲く花に見立てて、ネックレスを作る風習がある。最高級の宝石をあしらわれたそれは、本当はまだ12歳にも満たない私に贈るには早すぎるものだった。
でも、「あなたの結婚式には、立ち会えそうもないから」と、本来よりもずっと早くに贈られていた。嫁ぎ先でもお金に困ることがないようにと用意されたそれは、キラキラと綺麗で、お母様の深い愛を感じて大好きだった。そんな品を、ただ「綺麗だから」という理由だけで無理やり奪おうとしたお義姉様が許せなくて、思わず押したらガラスで腕を切ってしまったのだ。
「嫁入り前の姉に怪我をさせるだなんて、役立たずな上に碌なことをとしない子ね」
そんなお義母様の冷たい言葉は、すべてを物語っている気がした。
きっとお義母様は、お金目当てでお父様と結婚したのだろう。……そして、血のつながらない私を、ただの邪魔者としか思っていなかったのだと確信した。
いくらお義母様のことは好きになれなくても、お父様に相談することなどできなかった。
お母様が亡くしても前を向こうと頑張るお父様に、「新しいあなたの妻はお金目当てで、二人の娘は他人の物を奪おうとする泥棒です」だなんて、言える訳がなかったのだ。
次第に、繕い物をしておくように、命令されるようになった。
次には使用人たちの数が減らされ、掃除や洗濯を任されるようになった。
友だちなどは、「いつからシンディは、貴族令嬢じゃなくて使用人になったんだい?」なんて嫌味を言ってくるのも珍しくなかった。
家令にこっそり聞いた話によると、お父様の新しい事業がうまくいっていないらしい。そのうえ、パーティーが大好きなお義母様たちは、その都度ドレスを新調して宝飾品を買い求めた。
いつの頃からか、綺麗で自慢だったお母様のお庭は、家庭菜園に変化されていた。
だんだんと出される食事の品数が減り、家にあった美術品が減っていく。そんな中でもお義母様たちは、「未来の旦那様と出会うために必要なの」といって、パーティーの参加を減らすどころか増やそうとする。
出かける時はきらびやかなのに、生活の質はどんどん落ちていく。
そんな日々が続いていく内に、お父様の訃報が届けられた。
「こんな事になるなんて、聞いてないわっ」
「新しい家に行ったら、贅沢し放題だとお母様は言っていたのに!」
「―――しょうがないでしょう。静かにしなさい」
喪服を着ていても、まったくお父様に敬意を示していないのが分かる三人。
話している内容も神経を疑うもので、たとえ見ず知らずの人に対する内容でも怒りがこみ上げるような話だった。
「これまで以上にぜいたくはできなくなるだろうし、嫌になっちゃうわね」
「あーあ。こんな事なら、お母様も違う相手を選べばよかったのに」
「……私だって、あなた達なんて嫌いよ」
思わず呟いた言葉は、お義母様には聞こえていたらしい。
バシッと鋭い音がすぐ耳元でしたと思った瞬間、私の記憶は曖昧になった。
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ピチョン、ピチョンと水音とともに、ネズミの這いずる音が聞こえる。
ここは薄暗い地下だというのに、寒く思うどころか鞭打たれた体は熱を以て熱いくらいだった。これまでも何度か鞭打たれることはあったけれど、こんな地下牢があるだなんて初めて知った。ずっと使われていなかったであろうここは、汚れがこびりついた箱と鎖があるだけだ。乾ききっているのに、異様な匂いがするあの箱が何をするものかは、考えないようにしている。
辛うじて敷かれていたのは、布団の代わりなのだろうか?
時間の経過した藁にしか見えないそれでも、ないよりマシかとその上に身を横たえた。正直、もうこれ以上は起きていられなくて、選択肢などありはしなかった。
唯一動かせる目で周囲を確認してみると、石壁にビッシリと謎のシミがついている。赤黒いそれがどうやってついたものなのか考えれば、心が折れそうで目をそらす。
「―――もう、」
終わりなのかもしれない。
これまで亡くなったお母様のことを思いながら、何とか頑張ってきた。お父様もいつか私を抱きしめて、「私が間違っていた」とお義母様たちを追い出してくれると思っていた。どうして。どうして、どうしてと、いつも働きながら、鞭打たれながら考えてきた。
……だから彼が突然現れた時、天からのお迎えが来てしまったのかと思ってしまった
「シンディ!」
ああ、今となってはこんな風に本気で心配してくれるのは、彼と野良猫やお世話をしているうちの馬くらいかもしれない。お母様が亡くなってから知り合った魔法使いと友人になったなんて、誰に話しても信じてはくれないだろう。
……心のどこかで王子様が助けてくれるのではないかと、期待していた。今目の前にいるのは彼なのに、別の男性を想って胸を締め付けられるなんて、私はなんてひどい女だろう。そんな私の気持ちも知らず、魔法使いは悲痛な声を上げる。
「ようやく見つけたっ。ずっと見つからないと思ったら、こんな所に閉じ込められて可哀そうに」
眉をしかめて目つきの悪い彼が、怒っている訳ではないと分かる程度に一緒に過ごした。
彼は元々目つきが悪くて、心配すればするほどそのはきつくなる。最初の頃こそ恐ろしく感じていたけれど、今ではその不器用さが愛おしい。
こんな時、『あの人』だったらどうするだろうかと考えたところで、唐突に怖くなって思考を閉ざす。
―――そんな事は、考えても仕方がないことだ。
だって、魔法使いである彼はその力を使って探しに来てくれたけれど、『あの人』は自由に出歩ける立場にない。ましてや、別の人間に探させようとしても、こんな一貴族の家にたどり着くことはないだろうし、そもそも『あの人』には名前以外何も伝えていないのだと絶望する。
「シンディ、お願いだから、手を伸ばしてくれ」
「…………」
「君が助けを求めてくれないと、僕は手出しができないんだ」
切ない表情でこちらを見つめる彼の瞳の奥には、静かに燃える青い炎がちらついていて、感情が揺さぶられる。
いっそ、すべて夢だと思えたら楽なのに。
綺麗なドレスを着たことも、パーティーに参加したことも。『あの人』と踊ったことや、微笑みを交わしたことさえ、全部全部夢だと思えたのなら。こんな風に薄汚い牢の中で、荒い呼吸を吐いている現実だって、なかったかもしれないのに。逢いたい『あの人』はいなくて、助けてくれる『彼』の手に縋りつくことに抵抗を覚えている。
今まで散々、『あの人』に近づくために利用してきたくせに。
彼もどうせ、割り切ったかんがえで、私には分からない利益でも生じるのだろうと軽く考えていた。むしろ、継母たちに虐げられる分、この魔術師を使って憂さ晴らしをする気持ちがなかったと言えば嘘になる。
迷いが生じている。今までだったら、『あの人』に逢うために、ともに幸せになるために、どんな犠牲もいとわないと思っていたのに。こんなにも『あの人』に対する気持ちが揺らぐのは初めてで、心の整理がつけられない。
本当にここで、彼に縋ってしまっていいのだろうか?もしもそんなことをしたら、大変なことになるのではないかと、自分が招くであろう出来事に怯えているのだ。
「頼むよっ、頼むから手を伸ばしてくれ!」
私の迷いを振り切る様に、魔法使いが柵の間から手を伸ばしてくる。
少しでも距離を縮めようと必死に伸ばされた手は、力が入りすぎて震えている。彼なら魔法で移動することもできるのではないかと思ったけれど、この地下牢は魔法を弾く効力があるらしい。届かないことは分かり切った距離なのに、古びた柵にこすりつけた服は勿論、頬まで鉄さびなどで汚れている。
きっといつも綺麗な服を着て身だしなみを整えている『あの人』は、きっと私のためにこんなことをしてくれない。
「シンディっ!」
最後に名前を呼ばれたときに、自分がどれほどバカだったのかと自覚した。
「嗚呼、私は……」
『あの人』を愛していたのではなく、好意を寄せてくれた人間に、頼りたかっただけだった。
長く友人として支えてくれた魔法使いよりも、半年前に出逢った王子様の煌びやかさに心惹かれた。穏やかな振る舞いと優しい微笑みに恋をしたと思っていたけれど、今の状況を打開してくれる非現実的な存在ならだれでも良かったのかもしれない。男爵家にとって王子なんて、それこそ空に浮かぶ月ほど遠い存在だ。そんな方に目をかけていただけたら、人生ががらりと変わる。そんな妄想に耽って『あの人』を真実見ようともしなかった。
―――ただ、少し道を聞かれたついでに話しただけ。
ただ、貴族の癖に置かれた環境を珍しがられただけ。
よく考えなくても、『あの人』が私を隣においてくれないことなんて、分かり切っていた。きらびやかな夢は終わりにして、そろそろ現実を歩みださなければならない。
こんな薄暗く汚い地下牢で、夢を見続けている場合ではないのだ。
私は今の現状を打開するべく、そっと震える手を彼へ向けて伸ばしたのだった。
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キラキラとした豪奢な飾りと明かりで、目の前がチカチカして眩んでしまう。
眩暈にも似たその感覚は、数週間前では予想もつかないものだった。
「大丈夫か、シンディ」
「えぇ、大丈夫です。あまりの美しさに驚いてしまっただけですわ、叔父様」
地下牢から救い出された私の現状は、すぐに叔父様の知るところになった。
元々人が多い王都を嫌い、辺境で一代限りの子爵位をいただいて一人暮らしている。そんな叔父様も流石に、街の衛兵にお義母様やお義姉様が捕らえられるとあっては無視できなくなったらしい。この度私を引き取って男爵位を返上することにしたらしい。
「まさか、お義母様たちが詐欺まではたらいていただなんて……」
「滅多なことを言うんじゃない、シンディ」
「ごめんなさい、叔父様」
しかし、私たちを遠巻きに見る貴族たちの声は、その話題で持ちきりだった。
もっと豪華な暮らしに憧れたお義母様たちは、男爵家の名前を使って色々なところにお金をせびっていたらしい。時には、ありもしない儲け話で。時には、うちの家宝を売り渡すと言って。始めは私も共犯と思われていたようだ。けれど、お義母様たちが来てから私が公の場に現れなかったことと、使用人の様に働かされていたことを知っている魔法使いや使用人たちの証言で、その可能性は薄いと証明された。
少しでも黒いうわさを払しょくしようと、叔父様は領地に帰る前に王族主催のパーティーに参加することにしたらしい。「ここなら主だった貴族が参加するし、お前が生きていると世間にアピールするのにちょうどいいだろう」と、仏頂面で口にしていた。人嫌いな叔父様だけど、王都に良い思い出のないまま引っ越す私を気遣って、少しでも華やかな世界を見せようとしてくれたのだろう。そんな気遣いが、少しくすぐったくもうれしかった。
「もしや、そこに居るのはシンデレラかい?」
叔父様と一緒に様々な人に挨拶してまわっていると、王子が微笑みながらやってきた。
少し前の私なら、きっとその笑顔に見惚れて何も考えられなくなった。だけど今なら、その瞳の奥に宿る冷たい光や、冷酷な感情も透けて見えてしまう。
「お目にかかれて、光栄です」
「王太子様におかれましては、お元気そうで何よりです」
「おや、人嫌いの子爵が珍しく参加していると思ったら、子爵はシンデレラの知り合いだったのか」
「……シンデレラとは、私の姪のことでしょうか?」
「そうだ。彼女が家族からそう呼ばれていると聞いてから、愛称で呼んでいるんだ」
王子の言葉を聞いて、何とも言えない目で叔父様が見てくる。
少し悲しみをのせた眼差しが居たたまれなくて、私は大丈夫なんだと小さくうなずく。
「……私は、シンディの叔父にあたります。これまで男爵である兄とは縁が薄くかかわる機会もありませんでしたが、血の繋がった姪に寂しい思いをさせるのは心苦しく迎えにまいりました」
きっと王子は、私が消えても一ミリも気にしないだろう。
そう思っていたのに、彼の視線が体を執拗になぞっている気がして身をよじる。これまでは埃に汚れた服を眺められるなんてなかったのに、今はまるで別人を前にしているようで身の置き場がない。早くここから立ち去りたいけれど、そんなそぶりをすれば、今度こそ牢から出られなくなってしまいそうで我慢する。
「シンデレラが男子を産めば男爵家を取り潰す必要もないのに、気が早いんじゃないかい?」
「いえ、これ以上は黙っていられませんので」
「……そうか、『友人』としては、気軽に逢えなくなるのは何とも寂しいものだよ」
「恐れ多い、お言葉感謝いたします」
「そうだ。私の大事な友人を連れて行くのだから、最後に二人っきりで話すくらい時間くれるよね?」
無理やりエスコートされて連れてこられたのは、人払いをされたバルコニーだった。
バルコニーと言っても広く、ティーセットを持ち込めば、さぞかし優雅なお茶会ができるだろうロマンチックな空間だった。
「こんなにめかしこんだ君を見られるなんて、今日は参加して正解だったよ」
「有難うございます」
「君が苦労しているのは分かっていたけれど、まさか義母たちがあんなに好き勝手していたなんて知らずに、助けられず申し訳なかったね?」
「いいえ、貴方様は誰より公平であるべき存在。一人の男爵令嬢に肩入れできないのは分かっております」
「そんな寂しいことを言わないでくれ。シンデレラとはこれから、友人以上の関係になりたいと思っていたのに」
耳を疑うようなセリフに、二の句が継げなかった。
王子は先ほど、『苦労していたのは分かっていた』と言った。男爵令嬢が使用人のようなことをしているおかしさはもとより、私の置かれている現状を彼なら一瞬で帰られたというのに、見て見ぬふりをしていたのだ。
これまでの目が曇った私なら気づかなかったけれど、王子が私を助ける気がないのは明白だ。
「そんなに心配してくださるなら、出会った頃に助けていただきたかったです」
「……なんだって?」
「貴方はいつも甘く優しい言葉をかけてくれるけれど、何一つとして力を貸してはくださらなかった。その上友人以上の関係になりたい?まさか、使用人のように適当に遊んで捨てるおつもりだったのですか?」
馴染んだものより、いくつか強い痛みが頬に走る。
これまで見たことがない冷たいまなざしを向けられて、これが彼の本性なのだと確信した。
「女を殴ることでしかいう事を聞かせられないなんて、哀れな人ですね」
ジンジンと痛む頬を抑えながら、王子を見上げる。
だんだん痛みよりも、悲しみの方が湧いてきた。きっとこの王子は、これまで自分の子どものような振る舞いを正してくれる人がいなかったのだろう。座り込んだ私に新たな拳が振るわれる前に、見慣れた存在が私を抱き起してくれた。
「無駄だよ、シンディ。彼はそれのどこが悪いのか分かっていないばかりか、自ら誇らしげに語るような男なんだから」
「…………」
どうしてここに、魔法使いがいるのだろうと不思議に思ったけれど、それ以上の衝撃で絶句する。
何とこの魔法使いは、国と契約をしている魔法使いだったのだ。彼は王子と元々面識があり、王子の毒牙にかからないように守っていてくれたのだという。
「よりによって、シンディを愛する僕にそんなことを言うのだから、本当に愚かだ」
パッと見上げた魔法使いの顔は、ぞっとするほど冷たくて目を見開く。
これは、見てはいけないものを見てしまったかもしれない。
「待って」
何とか彼を止めなければという、焦燥感ばかりが先だってそんな言葉しか出てこなかった。
だが、とっさに出てきた言葉は間違いだっただろう。魔法使いは全然笑っていない目のまま、唇に笑みを刻んだ。
「なんだい、シンディ。こんなことをされてまで、まだ彼をかばうつもりなのかい?」
「違うわ」
「……シンディ?」
「全然違う。ここでその人を傷つけたら、後で面倒なことになるのではないかと心配しているのよ」
「……なんだ、僕の心配をしてくれたのか」
ゆるゆると張り詰めた空気が消えるように、今度こそ魔法使いが笑ってくれた。
あんな貼り付けたような笑顔は、心臓に悪いからそうそう見たくはない。その日以降、私が王子と公の場以外で会うことはなかった。
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わが国は、古くから魔法使いと契約して力を強めた国だった。
中でも一人の男は絶大な力を有しており、国の要といって良い存在だった。しかし、ある男爵家がついえたのをきっかけに、その魔法使いは契約を破棄して姿を消した。あの日、シンデレラと一緒にいたのが、例の魔法使いだったのだ。父王から無礼なことはするなと口を酸っぱく言われてきたけれど、まさかそれほどの存在とは思いもしなかった。
―――そして奴は、わが国との契約を断ち切って、好待遇で敵国へ鞍替えしたらしい。
後で聞いた話だが、『シンデレラ』とは彼女の母親の国で、一番低い立場の奴隷を指す卑称らしい。そんな事にも気づけず、愛称で呼ぶことに優越感を抱いてたなんて、何と馬鹿なのだろう。
敵国は魔法使いを得たことで兵力を増し、防御の要を魔法使いに頼り切っていたわが国は、一気に弱体化して属国となり下がった。
とり潰しとはならなかったが、国の中枢を敵国に支配されたのだ。その責任を問われた王子である俺は、半永久的に幽閉されることとなった。