ほんのちょっとの、出来心
封鎖された空間で、一人それに向き合っていた。
どうしてこんなことになったのだろうと、記憶をたどってみても自業自得という言葉しか出てこないのだから嫌になる。
突然だが、この国では魔術師は国の要で、高給取りだ。だからこそ過酷な状況でも逃げることはできないし、勝手に他国へ出国しないように管理されている。まぁ、それは裏を返せば他国から不当な形で拉致監禁などをされないよう、魔術師自身を守る役割も果たしていた。代々穏やかな王が多いゆえに、争いを好まないから表立った争いは少ない。しかしだからといって、問題や危険がゼロなわけではない。強力な力を持つからこそ、まだまだ見習いと言える魔術師でもさまざまな制約をかけられているのだ。
自然が多く、妖精との接触も多いために、この国独自の『魔術払い師』というものも誕生した。この技術は他国からの注目度も高く、より他国の干渉を受けにくくする手助けをしている。
そんな高給取りで、誇りも意欲も充分な環境に居る私だが、今はとある理由からこうして魔術師専用の地下室に閉じこもっている。
「どうしよう、どうしよう……こんな事になるだなんて」
正直、私は優秀な魔術師だ。
だからこそ、こんな選ばれた魔術師のみ使用を許された部屋を使用できるし、本来なら山と書かなければならない使用目的を記した書類も、3、4枚も書けば許される。同期と比べても呑み込みが早いと褒められ続けていたし、先輩方にも頼りにされていた。……そんな、そんな私の日常を、崩した憎き男が現れたのは、魔術師になってたったの二年後のことだった。
「嗚呼、先輩こんにちは」
「……こんにちは」
「この前は、出張を変わってもらってすみません」
「いいのよ。貴方の大事な幼馴染が倒れたとあっては、心配で出張なんて行っている暇ないものね」
「えぇ、本当に。ずっと悩まされ続けてきた『呪い』が解けたのは嬉しいですが、カンディアが無茶をしがちなので見守っていないと不安で」
「……見張るの、間違いじゃないの」
「何か、おっしゃいましたか?」
この男を「田舎から出てきた世間知らずだ」と、甘く見ていたのが間違いだった。
魔術師になるやすぐに難しい任務も難なくこなし、今では国の要だなんていう人たちもいる。私だってそれなりに頑張っているのに、生まれ持った才能には敵うことはなく。頑張っても頑張っても、この男よりも成果を上げることはなく、認められることもなかった。
ただついこの間までは、妬みやひがみの感情のほかに、かすかな哀憫の念も覚えていた。
この男は、妖精に駆けられた厄介な呪いのせいで、幼いころより行動制限をかけられていたのだ。あそこまでの呪いは数十年に一度あるかないかという事態で、「天は二物を与えども、同じくらい奪っていくのだなぁ」と思っていた。
なにせ、魔術師として働くたびに幼馴染の魔術払い師の力を借りるしかなく、憎からず思っている彼女を苦しめていることに心を痛めていた。呪いを解く手がかりを得るには魔術師になるのが手っ取り早く、そんな彼を支え事態を改善するために幼馴染の女の子は健気に頑張っていた。正直、天才君だけなら憎たらしいだけだったけれど、健気な彼女のことは嫌いじゃなかった。
好きなのに素直になれない所とか、それでも陰ながら支えようと日々頑張っている所なんて、応援する気持ちにしかならない。嗚呼、どうしてこの世界はこんなに健気な少女たちを苦しめるのだろうと、切ない後ろ姿に涙を浮かべたことも一度や二度ではない。
―――そう。正直、恋愛小説を読んでいるように、ごく身近な男女の様子を楽しんでいた。
応援していたのも本当だし、可哀想な二人がいつか結ばれて呪いが解けるように願っていたのも本心だ。
だが、いざ呪いが解けて幸せオーラを出しているライバルを見て、憎たらしく思うなという方が無理があるだろう。
ついこの前だって、出張はこの男がいく予定だったのに、「彼女が呪いを解くために無理をして倒れたので、看病をするため長期休みをください」と言って、勝手に休もうとしていた。この男の仕事は、一日二日で誰かに引き継げるものではない。天才と呼ばれているには、それなりの理由があるのだ。だから、上が何とか30日以上の長期休みを、五日程度の休みに収めた。代わりに、仕事量は抑えられて、だいぶ融通をきかせた勤務体系に変えられた。あまりにあっさり引き下がったから、もはやこの男はこんな結末になることすら、織り込み済みだったのではないかと薄っすら寒いものを覚えた。
ただ廊下で出くわしたから最低限の礼儀として挨拶しただけなのに、惚気られ。こちらに振られた仕事量の多さを考えると、やけになるのも無理がないと思う。
✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾
目の前に現れた存在を見つめて、どうするのが最善なのかと頭を働かせる。
どうしよう、どうしようと何度心で思ったかしれない言葉が、再び頭を占めている。いや、正直なことを言えば、何をしなければならないのかは、分かっている。でも、分かっていることがいつでもすぐにできる訳ではない。ましてやそれの難易度が高ければ高いほど、体は固まったように動かなくなるのだ。
「まったく、お前という者は……」
「ちょっ、こんな状況で、お説教とかやめてよ!」
どうしよう、どうしようと思いながらも、目の前の存在は待ってはくれない。
パニック状態のときに、いつも何かと突っかかってくる同期の男が現れて余計に焦りが募る。
こんなはずじゃなかっただとか、予想外だとか言い訳はいくつも浮かぶのに、口ははくはくと動くばかりで音にならない。
そんな私を見かねたのだろう。同期の男が前に出た。
「―――いい、俺がやる」
「な、何を言ってるのっ?」
「俺がやるから、お前は汚れるな」
一瞬、喜んでしまった自分を恥じる。
苛立ちのままこんなミスをして、自分の後始末もつけられないなんて、本当にどうしようもない人間ではないか。甘えた考えに鞭を打つ。
「そんなっ、そんな事できないわ!」
元はと言えば、この状況は自分が招き寄せたようなものだ。
反対していた彼を無視して強硬に走ったのは私だというのに、大変になったら彼に任せるなんて、自分が許せなくなる。
「駄目、そんな事をしたらっ、貴方が!」
フッと笑うと、諦めたように彼は微笑んだ。
そのはかなげな笑い方は、まるで慈悲深い聖人を思わせる穏やかなものだった。まるでこんな薄暗い地下室には似つかわしくない表情に、思わず目を奪われて一拍反応が遅れてしまう。
「やめてっ、ダメだったら!」
「あぁぁぁ!」
べとぉっと、音が聞こえそうなほど彼が頭から汚れていくのを黙ってみていることしかできなかった。それでも『諦める』という選択ができなくなった彼は、グッと体をめいいっぱい伸ばして『それ』を引き抜いた。
「やだっ、大丈夫?絶対に、目を開けちゃだめだからね!」
「…………」
「ああ、何か拭くものは……、あっ、首からローブの中に入っていく!」
頭からかぶった『大量のよだれ』を、彼は拭って苛立たし気に床に捨てる。グチャっと音がなるほどの量が落ちたのに、未だテカテカと嫌な光を放っている。大変申し訳ないが近寄るのに戸惑わられる。幸い、そんな思いをしてまで取り返してくれた私の杖は、破損した様子もなくて安心する。
何度かよだれを無言で放ってと繰り返しているけれど、一向に口を開こうとしないことに不安が募る。
「ね、ねぇ、本当に大丈夫?」
「……あぁ」
呼吸とも、ため息とも取れる声が聞こえたけれど、口にまでヨダレが入るのを避けるためか、それ以上話そうとはしない。
「ご、ごめんね!まさかこんなことになるだなんて、思ってもみなかったの」
「…………そんなことより」
「いやいや、全然『そんなこと』じゃないでしょう?足元まで、よだれが滴っているよ」
一瞬、足元に目線を向けた彼の頭から、今度はべちゃりと明白な音とともに新たな液体が零れ落ちる。それはもはや水たまりと言っても良いレベルで、とどまることを知らない。それというのも、元凶となった存在をそのまま放置しているのが問題で……なんて考えだした私の思考を遮ったのは、彼に残されたプライドだったのかもしれない。
「そんなっ、ことよりも!」
「はい」
「どうして、こんな禁術級のことをしでかした。ましてや一人で何て、無謀にもほどがある」
「いや、いくら禁術級といっても、厳罰化されているわけじゃないし……」
「そんなの、こいつを呼び出したら、とんでもない苦労をすると分かり切っているから、わざわざ手を出そうというやつがいないだけだろう。そもそも、俺の質問にまだ答えていない」
「えっ、そうだっけ?」
「惚けていないで、どうして俺に相談もなくこんな事をしたのか答えろ」
「いや……それは、ね。ほら……」
「こ、た、え、ろ」
普段はキッチリと整えられた髪から、べっとりとよだれが零れ落ちたところで、私は覚悟を決めた。
「……伝説級のケロべロスにちょっと会ってみたいから、力を貸してほしいなんて子どもみたいなこと言えなかったのよ」
渋々白状した私をまるで慰めるように、かわるがわる大きな舌で舐めあげてくる。
噂に聞いていたより、苛烈な性格じゃなかったことにホッとした。現れた瞬間にその大きな口で私の杖を加えられた瞬間は、本気で終わったと思った。何せ、召喚した人間かそれ以上の力を持つものでないと、召喚した生き物は戻せない。あまりのストレスに、だいぶトチ狂ったことをしてしまったのだと実感する。
まさか、年下の天才君よりはるかに劣っているなんて受け入れられなくて、自らを励ますとともに、子どものころからあこがれていたケロべロスに会えたら嬉しいなんて思っただけだなんて。こんなこと、連日の激務の末に寝不足の頭でなければ決してしない暴挙だ。ましてや、自らを危険を冒して召喚陣の中に手を伸ばしただけに飽き足らず、唯一の武器といって良い杖を奪われるなんて間抜けにもほどがある。
「ほう?子どもみたいな、愚かな行動だったという自覚は持っているようだな」
「……はい、ごめんなさい」
「ほかに言うことは?」
「もう二度と、私利私欲のために危険な生き物を召喚しないと誓います」
「そこに、首輪もつけないまま召喚したものに近づかない、召喚陣に足を踏み込まないも含めておけ」
「はい、申し訳ありません」
「―――で、いくら寝不足とストレスにイカレタ頭でも、お前はこんな危険を冒すような人間ではないと思ったが?」
改めて召喚陣を強化しなおしてくれた後に、顔を覗き込まれて初めて、自分が座り込んでいたことに気づく。どうやら安心して、腰が抜けてしまったらしい。
彼は、意味もなく呼び出されたとケロべロスの機嫌を損ねないように、ケロべロスが好むとされている甘いお菓子を用意して気をそらしてくれている。何から何まで申し訳ないが、三つの首がそれぞれ競い合うようにしてお菓子を食べる姿は、それだけで癒されるものがある。
「おい、後で撫でる時間くらいはやるから、現実逃避はやめろ」
こつんと軽く頭を小突かれて、学生の頃に連日徹夜で勉強したりすると、彼にこうして怒られていたなぁと思いだす。当時からまぁまぁ実力のあった私を止めてくれるのなんて、トップを争っていた彼くらいのものだった。あの天才君に会うまでは、どん欲に力を磨くことにしか興味がなかったから、だいぶとっつきにくかったはずなのに、よく普通に接してくれたものだと我が事ながら思う。私が逆の立場だったら、絶対にこんな女に構ったりしない。
「大事な杖を奪われるほど、何に心を奪われているんだ?」
「……あのね、天才君に恋人ができて、長期休みを取ったでしょう?」
「嗚呼」
「それで私にも一気に仕事が割り振られたんだけど、全然さばけなかったの」
「そんなの、上司たちが適性を理解していないだけの話だろう」
「ううん。私だけじゃなく、先輩にも確かに割り振られていて、あの天才君なら一日とかからず終わるような業務量も、私にはいっぱいいっぱいでとても手に負えるものではなかった」
「……そうか」
相槌を打つだけで、余計なことを発しない彼が心地よくて、ぽつぽつと言葉を落とす。
これまで仮にもライバルだと思っていた存在が、ライバルどころかとんでもない実力を持っていたこと。心のどこかで不公平に思っていた大役も、いざやってみれば緊張で全然うまくふるまえなかったこと。
先輩や上司たちのガッカリした様子に傷つく癖に、出来なくても当たり前というように励まされるのも嫌だったなんて。こんな気持ちは惨めすぎて、学生の頃からずっと競い合ってきたこの同僚には言えやしなかった。
いつだって、彼の前では対等でいたかった。
こんな風に、年下にあっという間に抜かれて落ち込む姿なんて、見せたくなかったのに。
「ちょっと、落ち込んだ気持ちを建て直そうと、でっかいわんこを、撫でたかっただけなのにぃ」
「こいつは『わんこ』なんて、可愛らしい言葉が似合う生き物じゃないぞ」
『こいつ』の部分が気に入らなかったのか、『可愛らしくない』の部分が腹立たしかったのか。
ケロべロスは一声吠えると、鋭い牙をむき出しにして威嚇してくる。あまりの勢いにちょっとひるんだ彼だったけど、「大人しく食べててくれ」と新たにお菓子を追加してごまかしていた。
ふんっと不満げに息を吐きだしたくせに、結局食欲に負けてしまい尻尾を振る姿は反則的に可愛い。
普通の犬ではまず見ることがない太い足も、長い尻尾も可愛らしい。場違いにもほっこりした私の前に「ほら、お前もこれでも食べて落ち着け」なんてお菓子が差し出される。
砂糖を煮詰めたみたいなドライフルーツたっぷりのそれは、最近では太ることを恐れて口にしていないものだった。甘いくせに中毒性のあるその味は、子どもの頃には大好きで良く強請っていたと思い出す。今日は普段よりも感傷的で、嫌になる。
「おいしい」
「最近のお前は、色々らしくないことばっかりで、肩に力が入っていたからな」
「でも、もっと頑張らないと」
「お前は充分頑張っているし、人それぞれ得意不得意がある。同じ業務をするにしても、まったく同じやり方ではうまくいかないということもある。自分なりのやり方を見つけるのが、一番の近道じゃないのか?」
「……でも、」
「何も、お前のやり方をすべて否定している訳じゃない。お前の勤勉さは頭が下がるし、魔術師のなかでも、緻密さが求められる召喚陣や魔法陣を書かせたら、お前の右に出るものはいないだろう?おかげで、こいつは俺が帰そうと思っても帰りゃしない」
ふっとケロべロスに視線をやると、お菓子を食べながらもこちらを窺っていたらしい。耳がピクピクと動いてちらりとこちらを窺う目が可愛い。
「でも私は、既存のものを正確に書き写しているだけだから」
「新たな魔法陣の作成に成功するなんて相当の確立だ。ましてや、後世に伝えるにはその正確さがものを言う。一度使えただけでは、民衆の役になどたたないと分かっているだろう?」
自分の特技を認められて、これまで凝り固まっていた思考が息を吹き返すような感覚を覚える。
もっと高い技術や柔軟さを求める内に、だいぶ偏った思考に陥っていたらしい。
「ありがとう、おかげでちょっと気持ちが楽になった」
「これからは、ケロべロスを召喚するまえに、俺に相談してくれ」
「そうだね、今度からは気を付けるよ」
「いや、何なら、落ち込んでいなくても、俺のことを呼んでくれて、全然かまわないんだが……」
「さーせっかくこんな所まで来てくれたんだし、憧れのケロべロスを後悔ないくらい撫で倒しておこう!」
この後、私とこの同僚が天才君たちのカップルの次に『じれったい二人』だと噂をされていたことを知って動揺するのは、また別のお話。