過ぎ去りし人
ハッピーハロウィン!
……ですが、今回は全くハロウィンと関係ない内容となっております。
ダメ男を成敗する話です。
光が渦をなす、ビル群の上。
彼女は、長い黒髪を揺らしながら、そっとまつげを震わせた。車がはるか下に見えて、目を凝らせばなんてことない景色のはずなのに、どこか幻想的に思える。日々書類とにらめっこし、世知辛い事柄に慣れすぎて、こんなに夜景を綺麗に思えることに内心驚いた。
「夜景がきれいだなんて、いつぶりだろう」
この場で口にするには不適切な言葉は、幸い彼女には届かなかったらしい。
仕事終わりに見る時は、決まって切なくなるからつい口にしてしまった。ここに同僚たちがいれば、きっと似たような反応をするだろう。
「世の中には、こんな時間でもまだ頑張って働いている人たちがいるのか」
「社畜が、社畜が……光っている」
「おいやめろ、何故か『ほたる』を思い出す」
「にいちゃぁん、どうぞお上がりぃ」
「やめろ。それはドロップちゃう。おはじきやって言いたくなる」
「この輝きを維持するために、どれだけの社畜が犠牲になっているんだろうな」
「俺たちは所詮、会社に飼殺されて、蛍と同じ運命をたどるんだ……」
「見てみろ、人がごみのようだ」
「いや、もはや元ネタが訳分からねぇよ」
そんなしょっぱい同僚との会話を思い出しつつ、意識を再び彼女へ戻す。
普通ならこんな光景「綺麗だ」と女性はキャーキャーはしゃぐイメージだが、今はそんな余裕もないらしい。
いつも勝気な彼女とは思えない姿に、いっそ泣き出すのではないかと呼吸が詰まる。急に連絡をもらったかと思えば、こんな場所にいると言われて駆けつけた。いくら大切な存在とはいえ、のこのこ夜にやってきたのは、下心からというより不安からだった。肌寒くなってきたこんな時間帯に、こんな場所で女性一人。早く帰れと伝えたのに、「こんなとうが立った女、誰も相手にしないわよ」なんて、帰る様子がないのだから心配にもなる。
どちらかと言えばこちらは巻き込まれた方だというのに、こんな彼女を見れば文句すら出てこないのだから不思議だ。何を話してくれなくても、無理やり連れ帰ることも、立ち去ることもできずにずっと立ち尽くしている。
風は冷たく、細い肩が震えているのは寒さからか、悲しみからか。
このまま見つめているのも忍びなくて、そらした視線の先には枯れかけの木があり虚しくなった。冬というにはまだ早いが、秋もだいぶ深まった季節。
「―――私を裏切ったあいつを、絶対に許せないの」
そんなのは、当たり前だ。
あの男は、さんざん彼女を利用して、結局自らの無謀な夢を取ったのだ。あんな物のために、どうして彼女が捨てられなければならないのか。
誰だって、説明などできないだろう。……あの男にだって、説明などできないかもしれない。なにせ、彼女に何も告げずにあいつは居なくなったのだ。もしかしたら、こんな彼女の姿を想像して、何も言わずに去ったのかもしれない。
「私をだましていただけでも罪深いのに、何も言わずにいなくなるだなんて」
言葉が途切れたように思えたのは、きっと強い木枯らしのせいだろう。
「散々面倒見てやった恩を忘れて、後ろ足で砂をかけるような真似をして」
「そうだね」
「いつも従順に言うこと聞いているように見せかけて、偉そうに説教していたくせに」
確かに、あの男はいろいろと細かかった。
決して内向的とは言えない彼女相手に、やれ大人しくしろだの、お淑やかにしろだの色々とうるさかった。はたで聞いている分でも嫌になるお小言にも、言い返せども無理やりやめさせなかった彼女は、よっぽど心が広いだろう。
あの男はいくら理由があったからと言って、半ば転がり込むように同棲に持ち込んだ。
「俺はやめとけって言ったのに」
家事をして多少の収入はあれど、それは到底平等と思えるものではなかった。
とある理由から彼女と出会い、あいつと付き合いだした頃も知っている身としては、ずっと心配していた。微かな不満が伝わったのだろう。目線を下に向けたまま、鋭い声が返ってくる。
「そんなの、分かってるわよっ!」
いくらやめておけと諭されても、諦めきれないほど好きだったのだろう。
こんな形で奴を失うとは考えておらず、珍しく戸惑っているのが伝わってくる。こんなに素直に感情を表現しているのは、彼女と出会ってから、初めてではないだろうか。
「許せない、許せない」
絞り出すように、腹の底から絞り出された声にぞくりとした。
誰だってあんな扱いを受けたら、恨み言の一つや二つ言うだろう。……それは理解できるのに、あまりにも『怨念』とすらいえる声音に、怯えが走った。
次第に車が減り、ビル群の明かりも消され始める。
どんどん深まる闇に、都会だというのに気づけることが不思議でしょうがなかった。度重なる残業で、人工的な明かりに慣れたと思った身でも、闇を感じるだなんて恐怖でしかない。先ほどまでは消えかけているように思えた彼女が、突然存在感をもってそこに立ち尽くしている。
「―――きっと、許せる日なんて来そうもないから、ずっとあいつを覚えているままなんだわ」
「…………」
そうかとも、うんとも言えずに、息を詰める。
下手な呼吸をして、指摘されるのが恐ろしかった。緊張でつばすら飲み込めないなんて、相手には気づかれたくなかった。あんな奴のことなど「とっとと忘れてしまえ」というには、あまりに犠牲が大きかった。
「なんて、ずうずうしくてひどい奴」
カツンと、嫌に彼女のヒールが音を立てる。
身の内に宿した怒りを想えば当たり前のはずなのに、その怒りが自分に向けられていないことに心底ほっとする。
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この前よりも、かっちりとした服装の彼女が横に座る。
「改めて、仕事が立て込んでおり遅くなって申し訳ありません」
連絡はもっぱらスマホが基本で、直接会うのはビル群を一緒に眺めたとき以来初めてだ。
彼女との出会いは、元婚約者とも付き合う前。べろべろに酔った彼女に、酒場で絡まれたのがきっかけだった。あの時は美人が酔っぱらっているなんて、もしやチャンスではないかと思ったりしたものだ。話しかけてみれば、恋人と別れたばかりだということだし、「やけ酒に付き合って!」なんて、とんだ幸運だと心底喜んだ。
だが彼女は鬼のように酒が強く、翌朝まで酒場をはしごした結果、何もなく純粋に酒だけ飲んで終わった。……いや、その表現は正しくない。正確には、死ぬほどつらい二日酔いにより、数か月ぶりの一日休みが消滅した。
一応、俺も弁護士としてそこそこ稼いでいるし、それからも何度か誘ってはうまい酒をおごっていたりしたのだが、まぁかわされてばかり。しまいには、「酒飲み仲間にはなれても、恋愛対象として見れない」と言われたまま、新しい恋人を紹介されて終わった。
そんな、元恋敵のはずの男が、今は酷く青ざめて向かい側に座っている。
たまたま街で見かけたデート風景から、彼女が思いっきり猫をかぶっていたのは知っていた。酒も控えていると聞いたから、こんなピリピリした姿を見るのは初めてなのだろう。驚きすぎて、うまく言葉が出てこないようだ。
彼女の希望を伝えるためにこの場を設けたのだが、生憎彼女は仕事で遅れていた。だから少しでも円滑に話が進むように、先に元婚約者と向こうの弁護士には軽くこちらの意向は伝えていた。
「い、いや、そんな事より……」
「そうですか。私が遅れることなど『そんな事』ですか」
「そうは、言っていないだろうっ?」
「『言ってはいない』けれど、思ってはいると。貴方のおっしゃりたいことは分かりました。それでは、そろそろ本題に入りましょうか?」
「さっきから、人の上げ足ばっかりとるなよ!」
「はい。では法的なことは専門外なので、申し訳ありませんが、ここからは私の弁護士にお願いしようと思います」
キリッと、横から視線を向けられて思わずびくつく。
今日は彼女の元婚約者を呼び出して、全面対決する予定だ。どうやら彼女は、1年付き合った恋人と一緒にためていた結婚資金を持ち逃げされたらしい。
「まず最初に確認させていただきますが、貴方は彼女の元婚約者ということでお間違いないでしょうか」
「そ、それは……」
「まぁ、ここで婚約者でもなかったと言われてしまえば、結婚詐欺となり警察の手を借りるしかなくなってしまうのですが」
「け、結婚をしたいと思ったのは、本当です」
「そうですか。では彼女が言うには、結婚資金として貯めていた二人の共同口座から忽然と金が消え、貴方とも連絡が取れなくなったというのもお間違いないですか?」
「いや、それは違います!彼女とは意見の相違が重なって、結婚を考えられなくて……。少し考える時間が欲しかったんですっ」
「では、連絡がつかなかったことは置いておくとして、どうして二人の結婚資金を持ち出す必要があったのでしょう?それこそ、彼女は数か月分の給料額に等しい料金を、振り込んでいたと伺ったんですが」
「し、資金を急に持ち出したことは、謝ります。でも、これまで通り同棲していたんでは、うやむやのまま結婚してしまうと思い、ホテルに宿泊するため金が必要だったんです!」
「…………」
いい加減、イライラしてきたのだろう。
隣から、刺すような視線がビシバシ訴えてくる。心なしか室温も低くなった気がするし、「いい加減に下手な言い訳はやめろ」と、怒鳴りたくなる。不利な発言をしないように、この場は任せてほしいと話し合っていたのだが、聞くに堪えない発言の数々に我慢の限界を迎えたのだろう。
これ以上抑えていては、こちらが噛みつかれそうで渋々頷く。
第一、巧妙に行方をくらましていたこの男を、SNSや知人友人の情報を駆使して一人で探し出してきた彼女だ。俺ごときが止められるはずがない。口を開いていいとうなずいた瞬間、細められた目はハンターだった。
それから怒涛の勢いで相手の嘘を指摘し、向こうの弁護士は早々に白旗を上げていた。
幾度かかばおうとした様子も見られたのだが、彼女の怒りのほうが強かった。居場所を特定してから探偵に調べさせた結果、こいつはホテルといっても泊まっていたのはラブホテルで、もちろん一人で宿泊ではなかったという。しかも数人の女性を渡り歩き、ヒモ同然に家に転がり込んでいたらしい。きっと結婚を約束したのも、彼女が初めてではなかったのだろう。探せば被害者はまだ出てきそうだ。
この男もまぁ、どうしてあんな見え透いた嘘で、逃れられると思ったのか。……いや、もしかしたら付き合っていた当初の彼女だったら、騙された振りをしてやっていたのかもしれない。けれど、今は奴にほれ込んでいたか弱い女性ではないのだ。そんなか弱さや惚れた弱みは、この最低男が金を持ち逃げした時点ですでに死に去った。
俺はただ、これで彼女の怒りが収まる様にと、祈っていた。
きっと、もっとシャレにならない状況に追い込まれた方や、詐欺被害にあわれた方もいらっしゃると思います。ご不快な思いをしましたら、申し訳ございません。微力ながら、だました側が小さな不幸に見舞われるように呪っておきますので、お許しください(汗)
本日もお付き合い頂き、ありがとうございました。
次話は、村の風習に何とか抗おうとする男女のお話です。