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ツマにもなりゃしない小噺集  作者: 麻戸 槊來
唯一無二のヒーローを目指す鼠
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クリスタルの想い

この作品には、とある病気に関する記述がございます。いくつか架空の症状もあり、不快感を覚えた方には、大変申し訳ないです。

(追記)すみません、途中で日本から海外に設定を変更したため、一部ちぐはぐな箇所があり直しました。舞台のイメージは海外です。


だんだん肌寒くなってきた、まだかろうじて緑が綺麗なとある日のこと。

私は適当にひざ掛けを芝生の上に広げると、ごろりとその身を横たえた。ちょっと人より不健康な生活を送っている手前、白い肌はすぐに日に焼ける。夏だと日焼け止めをベタベタ塗っても真っ赤になってしまうから、こんな風に外でゴロゴロするなんてぜいたくな気分にさせられる。痛みが目立つホワイトブロンドの髪は適当に背中へ流して、乱れるのも気にせず空を見上げる。最近はどうも髪の毛の調子が悪く、自然と鏡をみる時間も減ってしまった。


数か月前までは、もっぱら庭なんて室内から眺めるもので、壁にかけた絵画とさほど変わらないものだった。郊外のこの家は交通の便も悪く、破格の値段で手に入れた。子どものころに暮らしていた実家に近く、つい懐かしさから選んでしまったのだけれど、私にしては大きな買い物だ。両親などは、「あんな不便な場所わざわざ選ばなくてもいいのに」と、文句たらたらだった。悔しいことに、越してきた当初よりだいぶ庭も色褪せてしまった気がして、声を大にして否定はできない。


数軒先にはプール付きの家なんてあるけれど、この家は庭がただ広いだけで辛うじて二階があるのが売りだった。芝刈りさえ定期的に業者へ頼む程度で、越して数年経つけど別段手も加えていない。気温に合わせて多少彩りを変えるものの、何ら特別感もなく、心惹かれることもない。ただただ存在するだけになりつつあった庭に、意味を見出したのは偶然としか言いようがない。


「あっ、今日は先に来ていたの?」


寝ころび乱れた髪を、そっと払われて薄く笑む。

どうやら待ち人は、すでに到着していたらしい。遠慮がちな指先がくすぐったくて首をすくめると、怯えるように手を引っ込めてしまい残念に思う。知らず追いかけた手はどこに向ければ捕まえられるのか分からず、力なく下に落とした。代わりにノートを手繰り寄せると、三分の二ほどに迫ったページに、文字を書き込んだ。


『待った?』なんて恋人同士の会話みたいな言葉をわざと書き込み、相手の出方を見る。

内心ドキドキしていた言葉に返されたのは、『さほど待っていない』という、何とも色気のない格式ばった文字だけだった。






私には、彼の姿が見えない。

比喩でもなんでもなく、本当に彼の姿を物理的に目視することができないのだ。彼には以前否定されてしまったが、所詮透明人間というものなのだろうと考えている。

出逢いも突然で、ある日気づいたらそばに居て、色々あってこうして毎日会話する仲になった。まぁ、会話と言っても、彼にはどうやら私の声が聞こえないようで、文字に記すだけなのだけれど。話すことはできるというのに、『口下手だから』なんててきとーな言葉でこの形に収まった。

ひとりでにペンが動き、文字をつづっていく。最初にそれを見たときは、魔法のようだとはしゃぐよりも先に、怪奇現象かと恐れおののいた。


彼と初めて逢ったときも、私は仕事に行き詰ってこんな風に芝生に寝ころんでいた。あの日はまだ半そでには寒いくらいの気温だったのだけれど、どうしても仕事をする気が起きず、家に入ることすらいやだった。私はイラストレターをしているのだけれど、いくつ案を出そうとも先方のお眼鏡にかなわず、やさぐれていた。しまいには「直接イメージを伝えたい」といわれ渋々街へ向かってみれば、案の定相手はセクハラまがいの口説き文句を連発しだした。



セクシャルハラスメントと言葉を横文字に変えようと、要は性的な嫌がらせなのだ。

相手が不快に思うような性的な言葉を投げかけたら、すぐにアウト。セクハラをする側のなかには「どんな言葉がセクハラになるか分からなくて怖い」なんていう人間もいるけれど、友だちでもなく碌な関係を築けていない相手に、ギリギリのラインを狙った下品な言葉を投げかけるなと、声を大にして言いたい。セクハラと言われる人間の大半が、不用意で馴れ馴れしい態度をとっていたり、親しくもないのに踏み込んだことを聞いたりするから嫌われるのだ。


要するに、嫌われるような行動を普段からとっているから、その人間はアウトなのであって、それをしない人間はアウトと言われない。……そして残念なことに、今回の依頼者は確実に私にとってアウトな人間だった。服を褒めるだけならいざ知らず、好きでもない父親世代のおっさんに「その服エロい」だの「前より派手になったし、どんな男でも釣れそうだね」だの言われて、どうして喜ぶと思うのか。いつものテロテロなTシャツを脱いで、少しでも仕事感をだすために、オフィスカジュアルなんてしゃれ込んだのが裏目に出たらしい。


だいぶ寂しい頭頂部を、毟って更地にしてやろうかと何度思ったか知れない。


「そもそも、ブラウスとロングスカートだから肌はほぼ出ていないし、かっちりジャケットまで羽織ったのにどこがエロくて派手なのか。脳内お花畑の禿げたおっさんとか、需要狭すぎてマジ要らない」


禿げた男性全てを否定する気はないけれど、そこにセクハラとパワハラが追加されれば、確実に悪でしかない。


『考え事?』


サラサラと綴られた言葉に気づかいがあふれているなんて、分かるほどには彼と過ごした。


『そう、また変なクライアントに当たっちゃって』


『前に言っていた、ナルシストなジジイ?』


『ちがう。勘違いハゲの方』


『今回も、依頼を断れないように手回しされたの?』


『うん。ほんとムカつく』


文字数の多い単語でも、崩されることなく記される。

彼の字を見ていると、こんなにきれいに綴りなのかと、はっとさせられることがある。最近では手紙のやり取りなんてまず行わず、初対面の人だってSNSなんかが多い。ましてや私のようなフリーランスの人間はなおのことで、有難いことに太い顧客がついているから急な呼び出しなんて数えるほどだ。


まぁ、その少ない呼び出しが大変面倒だというのは、まぎれもない事実なのだけれど。

そもそも、昨今の風潮でわざわざ会わなければ伝えられないことなんて、厄介でしかないと思う。もちろん直接会ってみないと人となりは分からないというのは分かるし、必要な場面だってあるだろう。けれど、こと私の仕事に関しては、無駄としか言えない行動に溜息しか出ない。


『もう、綺麗な格好して、その辺に寝ころんじゃだめだよ』


綺麗という部分にピクリと反応しかけたけれど、すぐにからかわれているだけだと心を落ち着かせる。


『また、初めて逢った時のこと?』


『そう。庭で女性が倒れていると助けにいったら、絶叫された哀れな男が居たでしょう?』


誰の姿もないのに物が突然動き声が聞こえたときは、頭がおかしくなったのかと落ち込んだものだ。ましてや、自分しか住んでいない自宅の敷地。驚くなという方が無理がある。

おかげで、彼がいう所の綺麗な格好で、そこら辺をジタバタ暴れまわったから、お気に入りのスカートは土と草まみれで大変なありさまだった。


『あの日のことは、忘れない』


確かに彼へ初めて逢った日の行動は、ひどかったとは思う。

しかし、突然頬に触れた生暖かい感触に絶叫し、腕をとらえられた私の身にもなってほしい。


『驚くこちらなど気にすることなく、君は物を投げつけてきて……』


「もう。見えなかったんだから、しょうがないでしょう!」


それ以上不満をいわせないように、えいっとペンの先を突っついた。

彼にいわせれば、彼の姿が見えない私の方がおかしいのだという。―――けれど、見えないものは見えないし。不可思議の代表みたいな存在に『透明人間なんて非科学的な存在、いるわけないだろう』と言われても、ちっとも現実味がない。


何度かペンにちょっかいをかけてみるけれど、なかなか相手も離そうとしない。

ここに来るときは決まってペンは一本、ノートは1冊。相手が書いていると、こちらは何もできなくて、こんな風に邪魔するしか他はない。以前は時々スケッチブックを持って庭へ出ていたりもしたけれど、彼と会話するようになってから自然と回数は減っていた。



たまに彼へ頼まれて簡単な絵を描くことはあるけれど、仕事のことは忘れたくてここではあまりしなくなった。フリーランスといえば聞こえはいいが、要は何の保証もないことで。まだまだ何とか生活できている私にしてみれば、仕事を選り好みしている余裕はない。依頼を受けても、描きたいものとは異なるものだなんて当たり前。それどころか、まったく知識もなく専門でもない雑誌の挿絵を頼まれて、必死に勉強し提出したのに、「別の人に頼むことになった」なんてメール一つで、それまでの苦労がなかったことになったりする。



もちろん、次はそんなことがないように気を付けはするけれど、依頼者が毎度同じ人であるとは限らないし、断りづらい相手もいる。大きな仕事は何とか手に入れたくて、無茶をしたこともある。本来だったら一ヶ月くらいかかる仕事を「半分以下の時間で終わらせろ」なんて、たいして珍しいものでもない。


堪えて堪えて、下げたくもない頭を下げて。

面倒な人間関係や、上司のイエスマンになるのが嫌で選んだ仕事のはずなのに、理想と現実の間には大きな壁があった。


「子どもじゃないんだから、そんなに簡単じゃないのは分かっていたんだけれどね……」


まさか、テレビで笑ってみていたような迷惑なクレーマーや最低なモラハラが、何ら珍しくないどころか、当たり前につきまとってくるものだとは思わなかった。子どもの頃は、よくある反抗心から「普通に就職して、30歳前に結婚して専業主婦なんてつまらない」と思っていた。けれど、箱を開ければそんな日常なんてすごく希少なもので、うまく結婚しても周りの友だちはどんどん離婚するか、子どものために無理やり我慢してと、みんな何かしら抱えていることに気が付いた。


友だちの中にも「あんたみたいな自営業、本当に羨ましい」と、ろくも現状を知らず言ってくる娘はいる。そんなときは、理不尽で不可能な依頼やクレーマーの話を面白おかしく語って、何とか心の平穏を保っている。こちらをよく理解していない娘に真面目に反論してみても、結局理解されることはない。それは当たり前だと分かっているのに、こうしてこちらを思いやってくれる『不可思議な相手』に癒されてしまうあたり、私も相当溜まっていたのだろう。


『本当のこと言ったまでだけど、怒った?』


『本当のことと、わざわざ念押ししてくる所が貴方だよね』


蜘蛛の糸のようにすら見える髪が、ふわふわと視界を泳いでいく。

私から触れるのは嫌がる癖に、彼は時々こうして触れてくる。透明人間といえば、服だけ見えているのが基本だと思っていたけれど、彼の場合は違っている。何故か彼が服を着ていても、私には見えなくなってしまうらしい。彼の近くにいると時々服が当たったりするから、露出狂の変態ではないことは確かだ。


『だいぶ、風が涼しくなってきたね』


『そうね、温かい湯に浸かりたくなるわ』


『最近は、温泉っていうのがこの国にも出来たらしいね』


「あら、透明人間の貴方でも、流行には敏感なのね」


思わず驚いて、ふふっと笑う。

つい最近も友だちから聞いた有名なリゾート地の名前に、すぐに光景が浮かんだ。


『何?』


『つい最近も、友だちから一緒に行かないかって誘われたから』


『そう、行けばいいのに』


少しそっけなく思える反応に、内心首をかしげた。

最近は疲れたと不満ばかり口にしていたからなのか、ゆっくり体を休ませることも大切だと、こんこんと説き伏せられた。いまだに、突然物が動くのには驚かされるけれど、実は彼と会話するのは好きだったりする。


さらさらと動くペンとそれが綴る几帳面な文章。

僅かな会話でも崩れることのない言葉たち。そのどれも彼の性格を表しているようで、下手に触れられるよりよほど彼が『此処にいる』のだと実感させられる。


筆圧が強いのか、彼が文字を書くとかりかりと決まって音がする。

だから背中を向けていたとしても、何か伝えようとしているのだとすぐに気付くことができるのだ。






✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾






それから数週間後、私は軽い事故にあった。

よそ見運転をしていた車に、引かれたらしい。その日は珍しくスケッチブックを買おうと、財布片手に家を飛び出した。いつも彼と逢う時間が差し迫っていたこともあり、普段は歩くのさえゆっくりなのに、通りの向こうへ飛び出した。そこに猛スピードで赤いクラシックカーが通り過ぎようとして、軽く接触したらしい。


目覚めたのは白い病室のベッドで、重い頭に触れると包帯の感触がする。


「ここは……」


心配そうにこちらのぞき込む灰色の瞳に、これまでの記憶が一気に押し寄せてきた。慌てて掲げられた小さなメモには『大丈夫?すぐに看護師を呼ぶから待って』という文字がつづられていた。その字はあまりに見覚えがあって、これまで自分が心の拠り所としていた相手の正体を知った。


「ヴィトくん……?」


「―――っよ、かった」


うるんだ瞳は、一気に白い糸に隠されてしまった。

白髪よりもツヤはあるのに、真っ白なその髪は触り心地が良くて思わずなでる。恐る恐る持ち上げた顔は悲痛に歪んでいて、そこには、記憶にあるよりだいぶ成長した初恋の男の子がいた。






……どうして忘れていたのだろう。

彼は確かに、ここにいたのに。どうして……『見る』ことをやめてしまったのだろう。

祖父がオランダ人だという彼は、ヴィトというオランダ語で『白』を意味する名前の男の子だった。彼の説明によると、私は半年前に事故にあい、視界に異常が起こったのだという。これまで自覚していなかった自分の体について、ヴィトはすらすら説明してくれる。


一時的に、薄い色を見分けるのが難しかったこと。

普段の生活は、自然とこれまでのイメージと記憶で補っていたであろうこと。

半年前の事故の影響で、色素欠乏症の彼を一時的に見えなくなっていたことも。


「でも、それじゃあなんで服まで見れなく……」


「そこに人がいないのに服だけ浮いているなんて、どう考えてもおかしいだろう?だから、脳に負担がいかないように、自然と服まで見えないと誤認識していたんじゃないかと思う」


「そんな、そんな事って……」


信じられないけれど、自分の身に起こったことだ。信じるしかない。そんな目が今回の事故で治ったのは、奇跡としか言いようがない。


「もう、いいよ」


「良い訳なんてない……」


だって彼は人一倍さびしがり屋で、私が少し返事をしないだけでひどく落ち込んでしまうような人だったのに。久しぶりに会えてうれしいと喜ぶどころか、何も責任がない彼相手にどれだけ傷つけてしまっただろうか。


「確かに、子どもの頃にいじめっ子から守ってくれた女の子がおかしなことを言っていて、だいぶ戸惑ったけれど」


「うっ、ごめん」


「あー確かにね。昔は唯一色眼鏡で見なかった初恋の子が、今更アルビノだなんだって差別してくるのかと最初は憤ったし。里帰りして久しぶりに逢えた娘に、至近距離で無視された時は、絶望した」


「ほ、本当にその節は大変、失礼をいたしまして……」


「これから、ずっとそばに居て償ってくれればいいよ」


嬉しそうに笑う彼に、私はとことん感謝した。


「せ、誠心誠意、償わせていただきます」


「ずっとそばに居てもらうから、その言葉忘れないでね」


一つキスをされ、私は再びベッドへ沈み込むのだった。

初恋の男の子は、記憶にあるよりずっと格好良くなって戻ってきました。






次話は、最低男に罰が当たるお話です。

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