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どんな場合においても、ルールは守らねばなりません。

この物語はフィクションであり登場人物・団体名等は全て架空のものです 。

 例えば、堪らなく尿意を感じていたときに目の前にコンビニエンスストアがあったとする。そしたら、迷わず足はそちらに向かうだろうし、トイレを借りるだろう。

 ドアの前に立てば自動的に開くものでないのが、若干まどろっこしく感じるかもしれない。ここは手で押したり、引いたりするタイプの出入り口だった。

 ドアを押して入り、店の奥に進んでいくとトイレのマークがついたドアがある。大概は男女兼用だ。そして、目の高さより少し下の位置に大きめのシールが貼ってある。

『お手洗いをご利用のお客様は、必ず店員にお声を掛けてからご利用下さい。』

 本来なら、このルールに従うべきなのであろう。レジにいるユニフォームを着た可愛らしい女の子に、「トイレをお借りします。」とたったそれだけの言葉を口にして伝えれば良いだけの話だ。

 だが、それを怠る人間は少なくない。恐らく、別に咎められる訳でもないからだろう。手間を省きたいのか、尿意との戦いを一刻も早く決着を着けたいのかは人それぞれだが。


 例に漏れず、僕も声を掛けることなくドアノブに手を伸ばし握ると軽く回しそのまま押した。

 電気は点いていない。そこは、手洗い場であった。鏡も付いているようだ。

 電気よりも用を足すことを優先した僕は、目の前のもう一つのドアを開けるべく一歩踏み出した。

 だが、それ以上進むことは叶わなかった。中に人が居たから、ではない。

 

 そこにあるべき床はなく、底が開いていたのだ。


 気付いたときには既に遅く、バランスを崩していた僕は暗闇の中に落ちていく。

 驚くと咄嗟に声が出ないというのはどうやら本当らしい。

 十七年の生涯は、尿意を抱いたままで幕を閉じるのか。格好悪い。実に格好悪い。死ぬのならば、いっそのこと漏らしてスッキリ感を味わって死ぬのも悪くないかもしれない。

 そんな下らないことを考えられるくらいに、落ちている時間は長く感じられた。実際は一瞬だったのかもしれない。

 尻に、軽い衝撃。痛みをそんなに感じないのは、まるで誰かが落ちてくるのを想定しているかのように下に引いてある厚いマットのようなもののお陰かもしれない。身体は半分ほど埋まっている。

 助かった。となると、やはり漏らさなくて正解だったかもしれない。いやいやいや、そうではなくて。


「なんだァ?普通、穴から落ちてくんのは不思議の国のアリスばりの美少女だよね。」


 僕が聞いても色っぽいと感じるような心地よいテノールに顔を上げると、ここのコンビ二の制服を肩に羽織り腕を組みながら回転椅子に座った男が訝しげな表情を浮かべてこちらを見ていた。


「そもそも、君はどちら様だい。」

「あの…。」

「まァ、いいや。本当は女の子が良かったけど。」

「すいませ…」

「空いてる枠一個しかないし、早く埋めたかったし。あっ、文句言ったら目潰しだから覚悟ね。」


 僕が落ちてきたことを大して驚く訳でもなく、背凭れに身体を預け顎に手を当てながらぶつぶつと独り言を呟いて、物騒なことを言いつつニヒヒと笑いながら、顎に当てていた手を離し目潰しするような動作を入れた。

 状況を説明してくれる訳でもなく、落ちてきた僕の身体を労わるでもなく、そもそもこれは店舗側の不注意で落ちた筈なのに、それについてのフォローも謝罪もない。何か話を一方的に進めているような節さえある。

 ましてや、本来このコンビニに入った目的でもあるトイレにさえ行けていない。


「人の話、聞けよ!」


 つい、大きめの声が出てしまいハッとして男の方を見ると彼は立ち上がっていた。痩身気味に思えたが、僕がマットに未だ身体が埋まっているのも手伝ってか、妙な威圧感を感じた。

 男は、机の上に乗る店頭でも見たことのある地球儀に似た棒付きキャンディーの刺さるディスプレーから牛柄の包装がされたものを引っこ抜いた。


「カルシウム足りてないなァ、最近の若者は。自分のこと棚に上げて、随分と偉そうな口利いてくれんじゃねェか。」


 包装紙を外しポケットに突っ込んで、棒付きキャンディーを口に含むとバリバリと音を立てて噛み砕いた。


「うちは無名なコンビニだからかなァ…最近駅前に大手さんが出来ちゃったし。ちょっと立地条件の問題もあるみたいだけど、馴染みの客ばっかなんだよ。君はどう考えても初めて見る奴だし。」


 どこか困ったような表情を浮かべながら、棒を咥えたままで腰に手を当てて右足に体重を乗せてお構いなしに喋り続ける。


「つまりはトイレの注意書き、読んでないってことだねェ?」

「ウルセェな!レジに客が並んでたんだから仕方ねェだろ!」

「それでも、君の過失だろ。張り紙に『必ず』って入ってた筈だ。」


 キャンディーの棒をプッとゴミ箱に向けて吐き出し、黒い髪をくしゃりと掻いた後で犬歯を覗かせ笑って見せた。


「君がトイレを黙って使おうとさえしなければ、全て丸く収まっていた筈だ。違うかい?もしかしたら被害者のつもりかもしれないが、それはお門違いだ。郷に入っては郷に従えというだろう。『必ず』と書いてあった。それを君は見落とした。ここでのルールを破ってしまった。つまり、被害を受けたのは君ではない。紛れも無く貴重な休憩時間を邪魔されてしまった僕の方だ!」


 一方的に捲くし立てられると相手の言っていることがあながち外れてもいない気がしてしまい、ぐうの音も出ない。それでも、僕の気持ちとしてはモヤモヤして、ハラハラして、仕方がない。


「でも、僕も鬼じゃあない。その制服、琥珀高だね。僕も卒業生としては、可愛い可愛い後輩に情けを掛けてやらないこともない。」


 今まで浮かべていた表情が、接客用の笑顔であったことを知った。

 僕は思わず息を飲んで、言葉の続きを待つ。

 彼は真顔になると、人差し指を僕に向けてすぐには理解出来ないようなことを口にした。



「君、今日からピンクね。」

誤字・脱字等発見された場合はご報告をして頂けましたら幸いです。

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