5話目 4月12日 トイレとオカマと諸悪の根源
4月12日続き4
なんかさ、この異世界は何一つ僕に優しくない気がする。
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コツコツコツ。
僕と彼、二人の足音が響く。彼と言うのは、
「オトイレハダイジョウブデスカ……?」
と発言した男性だった。
大体30半ばくらいであろうか、髪はうっすらとした茶色で目にかからない程度に短く、やや細身であり、目は糸のように細い。
ぱっと見は人の良さそうな清潔感あふれる紳士である。
『人の良さそうな』……ああ、何でもない。嫉妬なんて誰もしてないぞ。
彼の言葉を信じて、ついて行った先は、トイレとは思えない広さをもった部屋であった。
とても一人で使うと想定されていないクイーンサイズのベッド。
質素ではあるが、上質な木材を使った品の良い執務机。
曇り一つない大型の姿見。
その他諸々、金額の上では高いが、決して豪奢とは言えないような上品な家具が揃っていた。
まさかここで用を足せと? それがこの世界の常識なのか? もしかして……。
ふと振り返ると、ここまで僕を連れてきてくれた彼は一礼して、逃げるように去っていった。
おい一人にしないでくれ。トイレはどこだよ。……くっもう姿が見えない。
正直言って、ここに来るまでも結構長かった。この建物はどれだけ広いんだ。
下手に迷ったりでもしたら、と思うと迂闊なまねはできない。
これだけ広い部屋なら、もしかして個室のトイレが付いているんじゃ? だからあの男はここに連れてきたんじゃ? と僅かな望みにすがって、手に持っていた取扱説明書を執務机に置き、あちこち歩き回って見回す。
……ない、ない、ない。トイレがない。尿意は既にMAXだ。
仕方ない、この高そうな壺の中にでも……と思った瞬間、
カタカタカタカタッ
執務机に置いた取扱説明書が動き出す。おいなんだよ、今度はポルターガイストか?
「ピンポンパンポーン♪今宵も『グッドナイト、私の道頓堀が騒いでる』の時間がやって参りました!」
音も無しに、取扱説明書が腰みのを身にまとった中年に変わった。……ちなみに体長は20㎝ぐらいだ。
取扱説明書から中年に変わった瞬間はよくわからなかった。そのくらい瞬間的な変化だったのだ。
いやそんなことはどうでもいい。今この人に聞かないといけないことはただ一つだ。
「おい、君、トイレはどこだ?」
「ん、あたしは小石川学《こいしかわまなぶ》よ!まなぶんって呼んでね。」
「そんな事は聞いてない。トイレはどこだと聞いている。」
「驚いてもくれないし、突っ込んでもくれないのね。まなぶんって呼んでね。」
「トイレはどこだ」
「まなぶんって呼んでね。」
これだけは譲れないとばかりに主張してくれる。仕方ない、僕は名より実を取るタイプなんだ。
「まな……ぶん。トイレはどこだ」
「分からないわ、そんなこと」
掴んだ。ドアまで歩いた。ドアを開けた。投げた。ドアを閉めた。何を掴んだとかは言いたくない。
すぐさまドンドンと音が聞こえる。うるさい !僕は誰にも見られずひっそりと用を足したいんだ。
「開けて! 開けて! ぶっちゃけ、こんな建物見たことないけど、なんとなく作りも分かるし、文字も読めるから、多分あなたを案内できるわ」
それを早く言え! もう尿意は限界に来てた。急ぎドアを開け、掴む。
「急いで案内しろ。でないとお前を握りつぶす」
「う、う、分かったわよ。そんなに睨まないでよ。ただでさえ怖いんだから」
「うるさい、必要な事だけを話せ」
「こんな扱いされたの、この300年間一度も無かったわよ。
ああ! 握る力を強めないで強めないで、
とりあえず右の方にまっすぐ行って!」
ようやく分かってくれたみたいだ。
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間に合った……奇跡的に間に合った!
「ふぅ~。さてさて、まなぶん。君はところで誰なんだい? 見たところ、あの本から急に君に変わったみたいだけど」
トイレを無事に済ませたことによる安堵感で、やっと平静時の自分を取り戻せた気がする。
感動の絶頂でこっちに呼び出され、いきなり土下座されて、調子にのった本を読まされ、依知留と離れ離れになって、わけのわからない戯言を聞かされ、尿意をもよおすとか、僕じゃなくても取り乱すだろう、普通。
「なんか大分、感じが変わったわけど……それが本当のあなたなのね。
さっきの取り乱した感じのあなたもワイルドで素敵だったけど、今の落ち着いたあなたはもっと素敵よ。」
ふぅ……落ち着け、取り乱すな。僕は紳士だ。
「あ、質問の事だけど、あたしはあの本の筆者よ。あと彼ら、変な事言ってたでしょ?
あれも実は全部私が書いたの。面白かったでしょ。土下座とかね。」
「お、お前が諸悪の根源かーーーーー!!」
気が付いたら僕は小石川を力いっぱい投げ飛ばしていた。
異世界とか大嫌いだ。
ああ、もうくじけそうだよ。
和佳と依知留に会いたい。新しい家族にも会いたい。
……早く幸せになりたい。