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1話目 4月12日 絶頂からの転落

4月12日


 僕には命より大事なモノが2つある。君と依智留だ。

 この日それが3つになる。それを凄く楽しみにしてたんだ‥。


 都合の悪いことに、イベントって同じ時期にいくつもまとまって起こるんだなぁと不覚ながら思わされたよ。依智留の時もそうだったろ?確かあの時は・・


----------------------------------------------------


 コツコツコツコツ


 カリカリカリカリ


 講義室に響くのは、板書の音とそれをノートに書き取る音。

 板書は大学ではそれほど多い光景ではないが、少ないわけでもない。


 しかしながら、黒板一杯を使うほど板書の多い講義やそれを皆が皆、熱心に書き写す講義は非常に珍しい。


 大抵、携帯を陰でいじっている学生や、前日のバイトや飲み会等で寝不足になり、居眠りしている学生がいるものだが……この講義に限ってはいない。寝不足で目が充血しながら頑張っている学生もいる。


 教師が振り返り、学生たちに板書の内容を説明する。

 学生たちは全員真面目に話を聞いている。目線は全て板書に向けられている。

 黒板の方を見ること自体は不思議でもなんでもないが、

 「全員」が「全員」黒板を見ているというのは異様だ。

 誰も教師を見ようとしないのだ。講義室内には張り詰められた緊張感が漂っている。


・・・・


 とんとんと教師が書類を纏めている。どうやら講義が終わるようだ。


「さて、今日は私用のため、早いですが終わりにします。」


 教師は急いでいるようでそそくさと講義室から出て行った。その瞬間、張り詰められていた緊張感が一気に解き放たれ、学生たちが騒ぎだした。


「ふぅ~……今日はいつにもまして凄い迫力だったな」

「私用ってなんだろうね……あの人のことだから……」

 そこまで言って女学生が青ざめる。

「いやいやまさかまさか……でもあの人だったら……」


 講義室はしばらくの間、さきほどの教師の話で持ちきりだった。

 どうやら大学内で存在感のある教師のようだった。


-----------------------------------------




 講義が始まる前に陣痛が始まったという連絡を受けた。

 講義が終わった後に破水したという留守電が届いていた。


(急げ、急げ、急げ、間に合わなくなるぞ!)


 僕の名前は桝居岳《ますいがく》、27歳、大学で助教を務めている。いやいや自己紹介している場合じゃない、

 今は急いでいるんだ。ああ、なんでうちの大学はこうも広い!


 人目を気にせず走りまくり、急ぎ大学の正門を出ると、黒いスーツを着た男たちが僕に呼び掛ける。


「若、急いでください、足は用意しています!」


「若というなと何度いったら分かるんだ!しかもここは僕の職場だぞ!

 ああ、もういい、今だけはお前たちを使ってやる、車はどこだ!?」


 ……なぜ若だって?そんなことを説明している暇はない。今この瞬間を逃したら、出産に立ち会えなくなる。前回だって間に合わなかったんだ。今回こそ絶対に妻の力になって見せる。


 そう、強く念じ、男たちの案内のもと、黒塗りのリムジンに乗り込んだ。








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 2人目の子どもが出来たという話を聞いて、まず喜んだ。


 次に経済的な事や子育て出来る状況なのか、責任を持って育てられるかどうかを考えた。


 男の子だったらこんな子になってほしい、女の子だったらこんな子になってほしいと色々妄想した。


 妹や弟と依智留(いちる)がうまくやっていけるか、依智留が良いお姉さんになれるか、

 妹や弟に嫉妬しないか心配した。


 できれば自分に似てほしくない、妻に似ていればうれしいなぁと思った。


 色んな事を考えた。夢を描いた。

 でも、今となってはとにかく無事産んでくれればそれでいい。

 母子ともに元気であれば、それだけでいい。


 病院に向かう車の中でただひたすらと祈っていた。


--------------------------------------------






 病院に着いた、看護師の制止も聞かず走りまくった、

 …ネームプレートが見える「桝居 和佳(ますい よりか )

 僕の妻だ…間に合ったか・・分娩室に入ろうとしたその時、


「おぎゃーおぎゃー」


 という赤ちゃんの泣き声が聞こえる。その瞬間、喜びだか悲しみだか複雑な気持ちで崩れ落ちそうだった。

 今回も間に合わなかったか‥涙をこらえて分娩室に入った。


「岳君、遅いぞ!」

「パパ、遅いよ!」


 大柄でスキンヘッドで和服姿の男、お義父さんと、そしてそこの脇にいる、かわいらしい女の子は依智留、僕の可愛い可愛い娘だ。

 その二人が揃って僕に文句を告げてくる。しかたないだろ、僕だって急いだんだ。そう思いながら、視線はベッドの方に向く。


「元気な女の子だったわよ、あなた」


 和佳だ。赤ちゃんを抱いている。

 産後でやや疲れが顔に出ているようだが、何も問題なさそうでよかった…。

 目にうれし涙があふれてくるのが分かる。


「よくやった、よくやったな……」


 きっと今自分の顔は涙でぐちゃぐちゃになっているだろう‥。駄目だよ。何も考えられない‥。

 2人目だからきっと感動も薄くなるんだろうなぁと思っていた。

 そんなことは無かった。子が出来るというのは、改めて本当にうれしいことなんだと実感させられる。

 とにかく感謝を伝えたい気持ちでいっぱいになる‥生まれてきてくれてありがとう、産んでくれてありがとうと‥。


「ねえ、あなた赤ちゃんを抱き上げて‥」


 自分の感動が絶頂に到達しそうな事が分かる・・急ぎ手をアルコール消毒してもらい、

 赤ちゃんを抱きかかえようとした瞬間、







 手は空を切り‥なぜか目の前には、見知らぬ老人が居て、その背後には20人ほどの人だかりがいた。

 和佳も赤ちゃんもお義父さんも、助産婦も医者も居ない。ただ依知留だけが僕のズボンを掴んで目を点にしていた。


 ねぇ‥僕の絶頂はどこにいったの。新しい家族は?和佳は?

 僕の幸せはどこだ。

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