展示会と無免許男
インデックス大阪。
会場の中は朝からすでに人で溢れていた。
巨大な展示ホールの天井には照明が並び、各メーカーのブースからはライトが眩しく照り返している。磨き上げられた車体の反射があちこちで光り、巨大モニターには宣伝映像が流れ、マイク越しのアナウンスが絶えず響いていた。
遠くのブースからは、エンジン音のデモンストレーションが低く唸るように響いてくる。
車好きの客たちがカメラを構え、スタッフが笑顔で案内をしている。イベント特有のざわめきと熱気が、会場全体に広がっていた。
そんな空間の中を、ナカジマはゆっくり歩いていた。
ただし、その視線は展示車には向いていない。
見ているのはブース。
そしてコンパニオン。
黒い髪を探していた。
一つ目のブース。
違う。
二つ目。
違う。
三つ目。
違う。
ナカジマの歩く速度が、少しだけ落ちる。
胸の奥に、わずかな焦りが生まれていた。
(いない……?)
そんな考えが頭をよぎった、そのときだった。
視界の端に、黒が入った。
ナカジマの足がぴたりと止まる。
いた。
企業ブースの前。
白いパネルの前に立っている。
黒髪。
白い肌。
そして、少し眠そうな目。
間違いない。
フェスでパンフレットを渡していた女だった。
ナカジマの心臓が、一気に速くなる。
鼓動が耳の奥で響く。
彼女の衣装は、フェスの時とは違っていた。
黒と白を基調にした企業制服。
タイトなスカート。
露出はむしろ控えめで、イベントコンパニオンとしては落ち着いたデザインだった。
それでも。
腰のライン。
脚の形。
胸元の存在感。
布の上からでも、はっきり分かる。
ナカジマの視線が一瞬そこに落ちる。
慌てて顔を上げる。
(落ち着け)
小さく息を吸う。
深呼吸。
そして一歩。
また一歩。
ブースへ近づいていく。
ユキはパンフレットを客に渡していた。
営業スマイル。
「こちら新型モデルのご案内です」
落ち着いた声だった。
柔らかくて、聞き取りやすい。
フェスのときと同じ声。
客が去る。
ユキが次のパンフレットを持ち直す。
その瞬間。
ナカジマと目が合った。
ほんの一瞬。
ユキの目がわずかに動く。
(あ)
見覚えがあった。
フェスのとき、ブースの前にずっといた男。
ただ、それだけの認識。
特別な意味はない。
ユキはいつもの営業スマイルを向けた。
「パンフレットどうぞ」
ナカジマの喉が小さく鳴る。
手を伸ばす。
パンフレットを受け取る。
指が少し触れた。
ほんの一瞬だけ。
ナカジマの心臓が跳ねる。
ユキはまったく気づいていない。
ただ仕事をしているだけだ。
ナカジマはパンフレットを握ったまま、言葉を探した。
何か。
話さないと。
でも言葉が出てこない。
沈黙が二秒ほど続く。
ユキが少しだけ首を傾げた。
「お車お好きなんですか?」
ナカジマは一瞬止まる。
そして答えた。
「……今日から」
ユキが少しだけ笑った。
営業用の笑顔とは少し違う、ほんのわずかな素の笑いだった。
「そうなんですね」
その瞬間。
ナカジマは確信した。
また落ちた。
しかも、前より深く。
そのときだった。
後ろから声がした。
「お前」
振り向く。
友人だった。
腕を組んで、呆れた顔をしている。
「顔真っ赤」
ナカジマは目を逸らす。
「うるせえ」
友人は笑った。
「パンフもらうだけでそんな顔になる?」
ナカジマは答えない。
ただ、手の中のパンフレットを見下ろした。
表紙には車の写真が載っている。
でも、内容はまったく頭に入っていない。
友人が覗き込む。
「その子?」
ナカジマは少しだけ間を置いて答える。
「……うん」
友人は大きくため息をついた。
「やっぱ女じゃん」
ナカジマは小さく笑った。
「やっと見つけたんだよ」
友人が眉をひそめる。
「何それ」
ナカジマはもう一度ブースの方を見る。
黒髪の女。
パンフレットを渡している。
また別の男に笑っている。
胸の奥が、少しだけざわついた。
ナカジマは小さく呟く。
「絶対逃さない」
友人は少し黙った。
それからぼそりと言う。
「……お前、ちょっと怖いぞ」
ナカジマは聞こえないふりをした。




