昼下がりのキャンパスと無くした言葉
昼下がりのキャンパス。
講義を終えた学生たちが芝生の横を流れていく。
笑い声やサークルの勧誘、カフェの新メニューの話。
いつもの昼休みだった。
でも葵には、ほとんど聞こえていなかった。
(ユキが足りない)
あの日から、ユキを避けている。
連絡もしていない。
それでも、帰り道の光景だけは消えなかった。
驚いた顔。
声をかけてきたユキ。
それを無視して逃げた自分。
胃の奥が重くなる。
(……俺、最低だ)
息を吐く。
そのとき横から声がした。
「葵~」
同じ学科の女子だった。
明るい茶髪で、距離の近いタイプ。自然に腕を絡めてくる。
「今度さ、飲み行かない?
この前のサークルの子も来るって」
いつもなら適当に返事くらいはする。
でも今日は、声がほとんど耳に入らなかった。
葵の視線は前を向いたまま。
「おーい、葵?」
女子が不思議そうに顔を覗き込む。
そのときだった。
通路の先に、黒髪が見えた。
細い背中。
見慣れた歩き方。
ユキだった。
心臓が強く跳ねる。
葵は女子の腕を外した。
「悪い」
それだけ言って歩き出す。
後ろで「え?」という声が聞こえたが、もう気にならない。
頭の中が一気に騒がしくなる。
(どう声かける)
謝る?
でも――今さら?
足が少しだけ遅くなる。
もし嫌われていたら。
その考えが浮かんだ瞬間、胸がきしんだ。
それでも、このまま通り過ぎたら絶対後悔する。
葵は小さく息を吸った。
「ユキ」
ユキが振り向く。
少し驚いた顔。
でもすぐ、いつもの表情に戻る。
「あ、葵」
一瞬、時間が巻き戻った気がした。
その声を聞いた瞬間、胸が締めつけられた。
うまく言葉が出てこない。
それでも口を開く。
「……この前のことなんだけど」
ユキが首を傾げる。
「え?」
葵は視線を落とした。
「……ごめん」
それだけだった。
ユキは一瞬きょとんとして、それから笑った。
「全然、怒ってないよ」
あっさりした声だった。
「よくわかんなかっただけ」
肩をすくめる。
「でもまたこうして話せるならいいよ」
葵の胸の奥が、少し緩んだ。
「俺も……ユキと話せてよかった」
ユキが笑う。
その顔を見て、葵は息を吸った。
今なら――
「そんな事よりさ」
ユキが続けた。
「連絡先渡してくるってさ、やっぱ気になるのかな」
葵の思考が止まる。
「……は?」
ユキは気づいていない。
「連絡先渡されてさ、どう返したらいいかわかんなくて」
少し頬を赤くしている。
「付き合うとかじゃないと思うけどさ」
「でも、ちょっと気になるじゃん?」
何気ない声だった。
葵を見ている目も、いつもと同じだった。
幼なじみに向ける顔だった。
その瞬間、胸の奥で何かが静かに崩れた気がした。
謝罪も。
言い訳も。
好きだって言葉も。
葵は何も言えなかった。
ユキが首を傾げる。
「葵?」
葵は小さく息を吐いた。
「……知らんわ」
かすれた声だった。
ユキは少し驚いた顔をしたが、すぐに頷く。
「そっか」
その仕草が、妙に遠く見えた。
葵はそれ以上何も言えなかった。
ユキの黒髪が、風に揺れていた。




