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ファンサとボートネック

会場の照明が、ゆっくりと落ちていった。

その瞬間、客席の空気が一変する。

ざわめきが一気に膨らみ、前列へ押し寄せる人の波が生まれた。

誰かが大きく叫ぶ。


「テンセカー!」


それに呼応するように歓声が広がる。

次の瞬間、ドラムのカウントが鳴った。

最初にステージへ現れたのは悦汰だった。

ライトに照らされた途端、会場から大きな歓声が上がる。

黒いドラムセットの前に腰を下ろす。

悦汰が高く手を掲げ、スネアを叩いた。

乾いた音が鋭く響き、空気を裂く。


続いてステージに飛び出してきたのは、ベースのタカトだった。

アンプから流れる低音が会場の床を揺らし、腹の奥まで響く。

タカト側にいた女の子たちが、悲鳴のような歓声を上げる。


「タカトー!」


タカトはその声に笑いながら応え、うねるようなベースラインを鳴らした。

さらにその横から、ギターのナリが姿を現す。

ギターを高く掲げると、歓声はもう一段大きくなる。


「ナリー!」


隣で沙耶が全力で叫ぶ。


「ナリくーーーん!!」


ナリはステージの端まで歩くと、客席を軽く見渡した。

そして一瞬だけ――

視線が止まる。

沙耶の方だった。

ほんのわずかに口元が緩む。

小さく、優しく笑った。

それは客席全体に向けたものではない。

ほんの一瞬、そこにいた誰かにだけ向けたような笑みだった。

沙耶の体が固まる。


「……え」


数秒遅れて、沙耶の顔が真っ赤になる。


「ちょ、ちょっと待って今……」


ユキが横を見る。

沙耶は完全にパニックだった。


「今!今!絶対こっち見た!!」


腕を掴まれる。


「ユキ見た!?今ナリくん笑ったよね!?」


ユキは思わず笑った。


「うん、見た」

「むりむりむりむり……」


沙耶は両手で顔を覆う。


「とける、しぬ…」


語彙力は完全に崩壊していた。

その横で、照明がステージの上を大きく回る。

そして。

ステージ奥のライトが一斉に点いた。

一瞬、会場が静まり返る。


次の瞬間――

爆発のような歓声が上がった。


「依緒ーーーー!!」


依緒がゆっくりとステージへ歩いてくる。

黒いボートネックのTシャツ。

鎖骨と肩のラインがはっきり浮かび上がる。

強いライトの中で、細い首のラインが白く縁取られる。

喉仏がゆっくりと上下した。

伏せた横顔に、長いまつ毛の影が落ちる。

それだけで、会場の空気が変わった。

歓声が止まらない。

ユキの呼吸が、一瞬止まる。


「……依緒くんだ」


思わず小さく呟く。

ナカジマのことも。

葵のことも。

さっきまで頭の中をぐるぐるしていたことが、全部消えていく。

視界にあるのは、ただステージだけだった。


依緒はマイクスタンドに手をかける。

客席を見渡す。

ライトが眩しく、観客の顔までははっきり見えない。


――それでも。

視線がふと止まった。

客席の中央。

黒い髪の女の子。

フェスの最前列にいた子だった。


(……あ)


今日も来ている。

依緒は一瞬だけ目を細めた。

強いライトの向こう、観客はほとんど影になっている。

それでも、その子だけは不思議とはっきり見えた。

眠そうな、大きな瞳。

ほんの一瞬。

視線が止まる。

それだけだった。


だが次の瞬間。

頭の奥に、別の光景が浮かんだ。

夜の駅前。

改札の近く。

白い蛍光灯の下で、男と女が向き合っている。

男が顔を近づける。

女は、ほんの少しだけ首を振った。

小さく、静かに。

キスを拒む仕草。

数秒。

その光景が、記憶の断片みたいに浮かんで――

すぐに消えた。


悦汰がドラムを叩く。

鋭いスネアの音。

カウントが始まる。

ステージの空気が、一気に引き締まる。

依緒はギターを構えた。

指が自然にフレットを押さえる。

さっきまで頭をよぎっていた映像は、もう残っていない。

思考を切る。

音に集中する。

次の瞬間。

ギターが鳴った。

歪んだコードが会場を突き抜ける。

同時に、客席の歓声が爆発した。

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