企業案件と西九条
それから、数日が過ぎた。
ナカジマからは連絡が来なかった。
ユキも送らなかった。
葵も同じだった。
大学では何度か顔を見かけた。
けれど、声をかけようとすると、葵はふっと視線を逸らす。
タイミングよく席を立ったり、階段を降りていったりする。
――避けられている。
そう思わざるを得なかった。
ユキは小さく息を吐く。
どうしていいのか分からないまま、時間だけが過ぎていった。
気づけば、男の人と話す機会が急に減っていた。
そんな夜だった。
スマホが震える。
事務所のグループLIMEだった。
新しい案件の通知。
ユキは何気なく画面を開く。
【コンパニオン案件】
HYPER GT
ALTAチーム レースクィーン
オーディション募集
日程:〇月〇日
会場:心斎橋スタジオ
希望者は明日18時までにエントリー
※身長160cm以上目安
ユキは、しばらく画面を見つめていた。
157cm。
条件には届かない。
普通なら、ここで閉じる。
それでも――
指が止まった。
【ALTA】
テレビでもよく見るチームだ。
HYPER GTの中でも人気が高く、グリッドの中央に立つレースクィーンはいつもカメラに囲まれている。
ライト。
歓声。
観客席。
そんな光景が、ふっと頭に浮かんだ。
ユキは小さく息を吐く。
「……別に」
ぽつりと呟く。
「落ちるだけだし」
エントリーフォームを開く。
名前。
年齢。
身長。
震える指で、一つずつ入力していく。
少しだけ胸がざわつく。
それでもユキは、そのまま送信ボタンを押した。
送信完了。
それだけだった。
世界は何も変わらない。
部屋は静かだった。
ユキはスマホをベッドの上に置く。
そのとき。
スマホがもう一度震えた。
沙耶からだった。
『チケット2枚とれたよ!今週末あるから行こ』
ユキは思わず笑う。
テンセカのライブのお誘いだった。
『いく』
すぐに返信する。
それだけで、少しだけ気分が軽くなった。
週末。
西九条ブランドアベニュー。
ライブハウスが並ぶ通りは、すでに多くの人で賑わっていた。
バンドTシャツを着た若い客。
グッズ袋を持ったファン。
開場前の独特のざわめきが、通りに広がっている。
ユキはライブハウスの入口近くで立っていた。
少しして――
「おっすー!」
明るい声が飛んできた。
沙耶だった。
手を振りながらこちらに歩いてくる。
ユキも小さく手を上げる。
「ん」
沙耶はユキの顔を見ると、すぐ眉をひそめた。
「どうしたん?」
顔を覗き込む。
「ユキ、元気ないじゃん」
ユキは苦笑する。
「いろいろあって……」
開演まではまだ少し時間がある。
二人は近くのベンチに腰を下ろした。
ユキはぽつぽつと話し始める。
フェスで会った男のこと。
オートモーターメッセ。
映画。
キス。
駅の夜。
そして――葵の告白。
全部話し終えたとき。
沙耶は、ぽかんとした顔をしていた。
「は?」
数秒の沈黙。
それから沙耶が声を上げる。
「てか、ユキのまわりの男、みんな展開早すぎん?」
腕を組む。
「普通にありえないんだけど!!」
少し怒ったような口調だった。
ユキは肩をすくめる。
「でも私」
少し考えてから言う。
「キス……嫌じゃなかった」
沙耶は一瞬黙った。
ユキは視線を落とす。
声は少し震えていた。
「私、おかしいのかな……」
そのとき。
沙耶の顔が、ぱっと納得した顔になる。
「あー!」
指を鳴らした。
「ユキ、それ違う」
ユキが顔を上げる。
沙耶は言う。
「新しいこと体験した時ってさ」
手をくるくる回す。
「アドレナリンとかドーパミンとか、なんか出るじゃん?」
「ジェットコースターとか」
「初ライブとか」
ユキは少し考える。
「うん」
沙耶は笑った。
「それでしょ」
肩をすくめる。
「だってユキ、フェス男くんといきなりホテルは違うって思ったんでしょ?」
ユキはすぐ頷く。
「うん」
沙耶はにっと笑う。
「じゃあ大丈夫」
「ちゃんと断れてるなら問題なし!」
少し間を置いて、軽い口調で言う。
「ファーストキスはもう帰ってこないけど」
ユキの肩を軽く叩く。
「それ以上は、本当に好きな人のために取っときな」
ユキは少し黙った。
その言葉が、胸の奥にすっと落ちる。
熱くなっていた頭が、少しだけ冷えた気がした。
ユキは小さく頷く。
「そだね……」
そのとき。
ライブハウスの中から音が響いた。
会場の照明がゆっくり落ちていく。
ざわめきが一気に大きくなる。
観客が前に詰める。
沙耶がぱっと立ち上がる。
「きた!」
ユキも立ち上がる。
胸の奥が、少しだけ高鳴った。
ステージのライトが点く。
そして。
暗闇の中から、ギターの音が鳴った。




