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駅前とレコーディング帰り

夜の駅前だった。

レコーディングスタジオからの帰り道。


ビルの谷間を抜ける風は思ったより冷たく、夜の湿った空気が肌にまとわりついてくる。

駅前のタクシー乗り場には、何人かの人影が並んでいた。

終電が近い時間帯らしく、どこか疲れたような空気が漂っている。


依緒はギターケースを肩にかけたまま、その列の少し後ろに立っていた。

レコーディングが終わったばかりで、肩にはまだわずかな重さが残っている。

体の奥に、スタジオの空気とアンプの音がまだ残っていた。

隣では、悦汰がスマホを見ながら何かメッセージを打っている。


「今日のテイク良かったな」


ふいに悦汰がそう言った。

依緒は小さく頷く。


「うん」


それだけ答えたが、頭の中はまださっき録った曲のことでいっぱいだった。

ギターのフレーズ。

二番のAメロに入る直前のあのリズム。

ほんの少しだけ、間をずらした方がいいかもしれない。

拍をきれいに合わせるより、ほんの少しだけ崩した方が感情が出る気がする。

そんなことを考えていた、そのときだった。


駅前のベンチの方で、人影が動いた。

男と女。

依緒は何気なくそちらに目を向ける。

ただの通行人だと思っていた。

けれど、女の方を見た瞬間だった。

視線が、止まる。


黒い髪。

白い肌。

小柄な体。

その腕の中に、ぬいぐるみを抱えている。


どこかで見たことがある。

依緒は、ほんの少しだけ目を細めた。

記憶を探る。

ステージの光。

フロアの暗闇。

最前列の中央。


テンセカのライブ。

いつも来ている女の子。

最前センターで、静かにこちらを見ている。

騒ぐわけでもなく、スマホを掲げるわけでもなく、ただじっとステージを見ている。

――あの子だ。


依緒は、しばらくその二人を眺めていた。

隣にいる男が、何か話している。

その手が伸びる。

女の顎に触れる。

軽く持ち上げる。

キスしようとしているのだと、すぐに分かった。

女が、小さく何かを言う。

止める。

男の動きが止まる。

数秒。

駅前の空気が、ほんの少しだけ変わった気がした。

男は短く何か言ったあと、女から離れる。

そのまま改札の方へ歩いていった。

振り返ることはない。

女はその場に残った。

ぬいぐるみを抱えたまま、少し俯いている。

夜の駅前の灯りの中で、その姿だけが小さく浮かんで見えた。

依緒は、その様子を黙って見ていた。


「タクシー来たよ」


悦汰の声が横から聞こえる。

依緒は視線を外した。

何も言わない。

タクシーのドアが静かに開く。

二人で後部座席に乗り込むと、車はゆっくりと走り出した。

窓の外に、駅前の灯りが流れていく。


依緒はふと外を見る。

さっきの場所。

ベンチの近く。

あの女の子は、まだそこに立っていた。

ぬいぐるみを抱えたまま。

夜の灯りの中で、さっきよりも小さく見える。

依緒は、ほんの少しだけ考える。


(……何あれ)


心のどこかに、わずかな引っ掛かりが残った。

けれど、それが何なのかは分からない。

理由も、意味も。

依緒はゆっくりと目を閉じる。


頭の中に戻ってくるのは、さっきのスタジオの音だった。

ギターのフレーズ。

アンプの残響。

録り終えたばかりの、あの曲。

その旋律が、静かに意識を満たしていった。

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