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フェスとイベントコンパニオン

「……でさ、そこで上司がさ」


居酒屋のテーブルで、誰かが大声で笑った。

ジョッキがぶつかる音と油の匂い。

店内は妙に熱い。


ナカジマはグラスの氷を指先で回していた。

カラン、と乾いた音。


今日は合コンだった。

隣では女の子がカクテルのストローをくるくる回している。

向かいの子も普通に可愛い。話し方も柔らかい。

でも――。


(違う)


ナカジマはぼんやり天井を見上げた。

誰かが話して、誰かが笑う。

それに相槌を打ちながら、自分だけがこの場から少し外れている気がした。


「ナカジマくんって彼女いないの?」

「今はいないっすね」

「えー、絶対モテるでしょ」

「まぁまぁ」


肩をすくめる。

嘘ではない。

付き合おうと思えば相手はいる。

でも。


(なんか違うんだよな)


恋、というより。

もっとこう、胸の奥を掴まれるような何か。

そういうものが、まだない。

結局その夜の合コンは、最後までぼんやりしたまま終わった。


帰り道。

駅前の信号で、友人が言う。


「明日サマフェス行く?」


ナカジマは夜空をちらりと見上げた。


「……行くか」

「合コン微妙だったし」


友人が笑う。


「それな」


信号が青に変わる。

人の流れに混ざりながら歩き出したとき、ナカジマはふと口を開いた。


「なんかさ」

「ん?」

「俺、いつかとんでもない女に会う気がするんだよな」


友人が吹き出した。


「何それ」

「知らん」


ナカジマは肩をすくめる。


「勘」


次の日。

フェス会場は音で満ちていた。

低音が地面を震わせ、遠くで歓声が上がる。

ナカジマは友人に腕を引かれて入口を抜けた。


「パンフもらっとこ」

「おう」


ブースにはイベントコンパニオンが並んでいた。

パンフレットの山。

流れていく人の列。


その中の一人が、ナカジマの前に立った。

黒髪だった。

光を吸い込むような髪が肩に落ちている。

眠そうな目。

白い肌。

黒いTシャツ。

その布地が、胸の形を静かに拾っていた。

少女がパンフレットを差し出す。


「どうぞ」


営業用の笑顔。

その瞬間。

少女の目が、ほんの一瞬だけナカジマを見た。


――時間が、歪んだ。


呼吸が止まる。

周囲の歓声が遠ざかる。

低音が、ゆっくり沈んでいく。

人の動きが遅くなる。

揺れる髪。

舞い上がる紙。

全部が、水の中みたいに緩くなる。

少女の黒髪が、ふわりと揺れる。

睫毛の一本まで、はっきり見える。

ただ客を見ただけの、

一秒にも満たない視線。

それなのに。

胸の奥を掴まれたみたいに痛んだ。


ナカジマはパンフレットを受け取る。

指が触れそうになる。

触れない。

気づいたときには、喧騒が戻っていた。


少女はもう次の客に同じ笑顔を向けている。

別の男が笑う。

少女も笑う。

その瞬間、Tシャツの胸元がわずかに揺れた。

ナカジマの視線が落ちる。

慌てて逸らす。

でもまた戻る。


(やばい)


心臓が妙に速い。

友人が振り向く。


「おい?」


ナカジマは返事をしない。

少女を見る。

別の男に笑う。

男が少し近づく。

その光景を見た瞬間。

胸の奥が、少しだけイラついた。


(……なんだよ)


別に。

何の関係もない。

ただのコンパニオンだ。

それなのに。

なんか。

面白くない。

ナカジマは小さく息を吐いた。

そしてもう一度、少女を見る。

黒髪。

白い肌。

眠そうな目。

その顔を、頭の中に刻みつけるみたいに。

ナカジマは小さく笑った。


「……終わった」


友人が眉をひそめる。


「は?」


ナカジマは胸を軽く押さえる。

心臓がまだ速い。


「俺、終わった」

「何が?」


ナカジマは少女から目を離さない。


「……やばい」


少し間を置く。


「完全に落ちた」


友人が呆れた顔をする。


「は? 一瞬じゃん」


ナカジマは肩をすくめた。


「一瞬で十分だろ」


人混みの向こうで、黒髪が揺れる。

ナカジマはぼんやり呟いた。


「……覚えた」

「何を?」

「顔」


少し笑う。


「絶対また会う」


そのときはまだ、自分でも分かっていなかった。

この顔を、

一生忘れないことを。

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