嘘と告白
翌日――大学の帰り道。
夕方のキャンパスは、人が少ない。
講義棟の長い影が地面に伸びて、通路のコンクリートを斜めに切り分けている。昼間の喧騒が嘘みたいに静かで、風の音だけがゆっくり流れていた。
ユキは階段を降りながら、スマホの画面を見ていた。
ナカジマからLIMEが来ている。
『昨日はありがと』
たったそれだけのメッセージだった。
短い一行。
でも、その文字を見ているだけで、胸の奥が少しざわつく。
返信しようとして、ユキの指は画面の上で止まった。
何を書けばいいのか、分からない。
そのときだった。
「ユキ」
声がした。
ユキは顔を上げる。
少し離れた壁にもたれて、葵が立っていた。
腕を組んだまま、こちらを見ている。
表情がどこか硬くて、空気の温度が少し違う気がした。
葵は、いつもならスマホをいじるか、軽く手を振るか、何かしら動いている。
なのに今は――
ただ壁にもたれて、じっとこちらを見ている。
まるで、逃げ場を失ったみたいに。
ユキは小さく首を傾げる。
「どうしたの?」
葵はすぐには答えなかった。
少しだけ視線を逸らしてから、ゆっくり口を開く。
「……ナカジマってやつと」
言葉が途中で止まる。
それから、小さく続いた。
「デートしたの?」
ユキは一瞬だけ動きを止めた。
驚いた。
でも、隠す理由はない。
「……うん」
小さく頷く。
その瞬間だった。
葵の指が、わずかに強く握られた。
「……付き合うの?」
低い声だった。
ユキは少し考える。
正直に答える。
「分かんないけど」
少しだけ笑う。
「多分……」
その瞬間だった。
葵の顔から、すっと血の気が引いた。
「嘘だろ……」
声がかすれている。
ユキは思わず声を上げた。
「葵?」
様子がおかしい。
本当に、おかしい。
葵は視線を逸らした。
何かを必死に押し殺しているような顔だった。
それでも、低い声で言う。
「……やめとけよ」
ユキは首を傾げる。
「なんで?」
葵は答えない。
しばらく黙ったまま、地面を見ている。
そして、ぽつりと落ちた。
「それは……」
声が震えていた。
ユキは瞬きをする。
「え?」
葵は顔を上げない。
視線は地面に落ちたままだ。
拳だけが、わずかに震えている。
「俺だって」
葵の喉が小さく鳴った。
「ずっと好きだったんだよ」
空気が止まった。
ユキの思考が、まったく追いつかない。
「……え?」
葵はゆっくり顔を上げた。
目が、少し赤い。
「ずっと」
言葉を探すように、息を吐く。
「ユキが好きだった」
ユキの頭が真っ白になる。
「え、だって」
言葉がうまく出てこない。
「葵、ずっといろんな女の子と……」
葵が笑った。
自嘲の笑いだった。
「……お前の代わりだよ」
ユキの呼吸が止まる。
葵は続ける。
「お前以外と付き合えば」
「そのうち気持ち消えるんじゃないかって思って」
少し間を置く。
そして、小さく言った。
「でも無理だった」
沈黙が落ちる。
夕方の風が、二人の間を通り抜けていった。
ユキは動けない。
世界が、ほんの少し歪んだ気がした。
葵は何も言わず、ただユキを見ている。
何か言葉を待っているみたいに。
でもユキは、何も言えない。
頭が追いつかない。
幼なじみ。
ずっと一緒だった葵。
小学校の帰り道も、文化祭も、全部隣にいた。
その葵が――今、恋をしている顔をしている。
数秒。
ユキが何も言わない。
その沈黙が、葵には長すぎた。
葵の顔が、少し歪む。
「……」
視線が揺れる。
それから。
葵の唇が一瞬だけ震えた。
「……嘘だよ」
ユキが顔を上げた。
「え?」
葵は小さく笑った。
さっきより、ずっと弱い笑いだった。
「本気にすんなって……」
視線を逸らす。
「忘れてくれ」
短く息を吐く。
「今の、全部」
ユキが慌てて言う。
「葵、待っ――」
でも、葵はもう歩き出していた。
振り返らない。
夕方の光の中へ、そのまま消えていく。
ユキはその場に立ったままだった。
胸がざわつく。
スマホを握ったまま、動けない。
画面には、まだナカジマのメッセージが残っている。
『昨日はありがと』
たった一行なのに。
さっきまで近かったはずのその文字が、
なぜか遠くにある気がした。
風が吹く。
ユキはしばらく、その場から動けなかった。




