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ドラマティックアイロニー

映画が終わった。

スクリーンが暗くなり、館内の照明がゆっくりと明るさを取り戻していく。

椅子が軋む音とともに、観客たちが次々と立ち上がる。ざわめきが広がり、人の流れが通路へと動き出した。


ユキはまだ少し落ち着かない気持ちのまま、席に座っていた。

ついさっきまで、隣でナカジマの手が繋がれていた。

今はもう離れている。けれど指先には、さっきの体温がまだ残っている気がした。


胸の奥が、まだ静まらない。

二人は席を立ち、人の流れに混じってロビーへ出た。

自動ドアを抜けると、夜の空気が頬に触れる。映画館の中より少しだけ冷たくて、さっきまでの暗闇とはまるで別の世界みたいだった。

しばらく二人の間に沈黙が落ちる。

その静かな空気を、ナカジマが先に破った。


「このあと」


ユキが顔を上げる。

ナカジマはごく普通の顔のまま続けた。


「ホテル行く?」


ユキの顔が一瞬で赤くなった。


「え」


小さく声が漏れる。

頭が一瞬真っ白になった。


ホテル。


その単語だけが頭の中でぐるぐる回る。

心臓の鼓動が一気に速くなった。

ナカジマは特に表情を変えない。ただ静かにユキを見ている。

ユキは慌てて首を振った。


「……ごめん」


小さな声だった。


「まだ」


視線を少し落とす。


「そういうのは……」


ナカジマは少しだけ黙った。

それから軽く頷く。


「わかった」


あっさりした声だった。

それ以上、何も言わない。

ユキはその反応に少しだけ驚く。

気まずい空気になるかと思ったのに、そうではなかった。

ナカジマはそのまま歩き出す。


「じゃ」


振り向いて言う。


「飯いこ」


ユキが瞬きをした。


「え」

「腹減った」


ナカジマは少しだけ笑う。


「いい店ある」


ユキは一瞬だけ迷った。

けれど、さっきまでの緊張した空気はもうどこかへ消えている。むしろ、ほんの少し安心している自分がいた。


「……うん」


小さく頷く。

ナカジマは駅の方ではなく、横に伸びる細い路地へ曲がった。

大通りのネオンから少し離れた、落ち着いた通りだった。

少し歩くと、古いビルの一階に小さな看板が見える。

控えめな灯りに照らされたその店は、ぱっと見ただけではレストランとは分からないような雰囲気だった。


「ここ」


ナカジマが言う。


「隠れ家系」


ドアを開けると、温かい光がふわりと外に漏れた。

店は路地の奥に静かに佇んでいた。

大通りの喧騒が嘘みたいに遠く、店の中には落ち着いた空気が流れている。

暖色のライト。

木のテーブル。

壁際の棚にはワインボトルが整然と並んでいる。

ユキは少しきょろきょろと店内を見回した。


「ここ、来たことない」


ナカジマはメニューを開きながら言う。


「大学の近くの店より静かだから」


ユキは椅子に腰を下ろした。

まだ胸の奥が落ち着かない。

さっき映画館で手を繋がれてから、ずっと心臓の鼓動が少し速いままだった。

グラスの水を一口飲む。

そのとき、ナカジマがふと口を開いた。


「前一緒にいた男」


ユキが顔を上げる。


「え?」


ナカジマはメニューから視線を外さない。


「背の高いイケメン」


少し間を置いて続ける。


「彼氏?」


ユキは一瞬きょとんとした。


「あ、葵?」


ナカジマは何も言わない。

ユキは慌てて首を振った。


「ちがうちがう」


声が少し慌てている。


「幼なじみ。ずっと昔から」


ナカジマは水を一口飲む。


「ふーん」


それだけ言う。

けれど視線はどこか鋭かった。

ユキは続ける。


「恋愛とかじゃないよ」

「ほんと?」

「ほんと」


少し笑う。


「兄妹みたいな感じだし」


ナカジマはフォークを指で軽く回した。


「恋愛関係になったことは?」


ユキはびっくりして顔を上げる。


「そんなのないよ!」


少し顔が赤くなる。


「ほんとにないから」


ナカジマは小さく頷いた。


「そっか」


それだけ言う。

けれどナカジマの中では、すでに答えが出ていた。


(あいつ)

(完全に好きだな)


葵の視線を思い出す。

ユキを見るあの目。

あれは分かる。

男だから。

ナカジマはワインメニューを閉じた。

それから、ゆっくりユキを見る。


「じゃあ」


少しだけ笑う。


「安心した」


ユキは目を瞬かせる。


「え?」

ナカジマはさらっと言った。


「彼氏だったら面倒だと思って」


その言い方があまりにも自然で。

ユキの顔が、また少し赤くなった。



―――

駅前から少し外れた路地。飲み屋の灯りがにぎやかに並んでいる。

葵は友達と歩いていた。

三溝寿希也。同じ学部で軽い調子の男だ。

コンビニの袋を片手に、寿希也は必死で懇願してる。


「いやマジで彼女ほしいからさ、誰か紹介してくれよ」


葵は聞いていない。

適当に相槌を打つ。


「あーはいはい」


興味のない声だった。

二人は路地を曲がる。

その先に、小さな店の灯りが見えた。

隠れ家っぽいイタリアンの店だった。

木の扉が開く。


そのとき。

葵の足が止まった。

視線が、動かない。

店から出てきた二人の姿が見えた。


黒いワンピース。

見間違えるはずがない。

ユキだった。

隣には男がいる。

背の高い男。

ナカジマ。

二人は普通に会話をしている。

ユキが少し笑う。

ナカジマも笑う。

距離が近い。

胸の奥で何かが鈍く鳴った。


「あ?どうした?」


寿希也が歩きながら振り返る。

葵が動かない。

路地の真ん中で、立ち止まったままだ。


「葵?」


葵は答えない。

ただ、店の前を見ている。

ユキとナカジマは気づかない。

そのまま並んで歩き出す。

駅の方へ。

遠ざかる背中。

葵の視界だけが、そこに固定されていた。

寿希也が少し眉をひそめる。


「……お前」


葵の拳が、ゆっくり握られる。

でも声は出ない。

胸の奥で、何かがゆっくり沈んでいく。

寿希也が視線の先を見る。

そして、すぐ理解する。


「あー……」


寿希也が小さく息を吐く。


「…まじかー」


小さく息を吐いた。

葵はまだ動かない。

ただ、遠ざかる二人の背中を見ている。

まるで、そこから一歩も進めないみたいに。

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