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ピックとメッセージ

ライブハウスの外は、夜の空気が少しだけ冷えていた。


さっきまで押し込められていたフロアの熱気が嘘みたいに薄れていて、代わりに秋の湿った風が肌に触れる。耳の奥にはまだ低いベースの余韻が残っていて、身体の芯がほんの少しだけ震えている気がした。


ユキは建物の外壁に背中を預けたまま、力が抜けたようにぐったりと立っていた。ライブ中に暴れた髪は少し汗で額に張りつき、頬にはまだ火照りが残っている。胸の前で両手をだらりと揺らしながら、ゆっくり息を吐いた。


「もう依緒くんむり……」


声は半分溶けていた。

自分でも何を言っているのかよく分かっていない。


「語彙力しぬぅ……」


隣に立っていた沙耶が、それを聞いて小さく吹き出す。


「完全に脳溶けてるじゃん」


ユキは壁にもたれたまま顔だけ空に向けた。ライブハウスの上に広がる夜空は暗く、街の光でほんのりと白く濁っている。さっきまでステージで響いていた声が、まだ耳の奥に残っていた。


「だってさ……」


ユキは胸の前で小さく拳を握る。


「やばくない?」


沙耶が肩をすくめる。


「ま。やばいね」


ユキは少し身を乗り出した。


「声」

「やばい」

「顔」

「やばい」

「存在」


沙耶はとうとう声を出して笑った。


「それもう完全に宗教でしょ」


ユキは真顔のまま答える。


「神だから」


その返答の迷いのなさに、沙耶はまた笑う。

それからポケットに手を入れて、何か小さなものを取り出した。

三角形の小さなピックだった。

黒い表面に、白いロゴが印刷されている。

10secDIVISION。

沙耶はそれを指の上でくるくると回しながら、少し得意そうに笑った。


「うちさ」


ユキがちらりと見る。


「ナリくんからピックもらった」


ユキの体がぴくりと反応する。


「え」


沙耶は肩を揺らしながら説明する。


「さっきの曲の最後のサビ」

「投げてくれたやつ」

「たまたま取れた」


指先で軽く弾くと、ピックは小さく光を反射した。

ユキの目が丸くなる。


「うそ」

「まじ」


沙耶は嬉しそうに笑う。


「ナリくん、たまに投げてくれるんだよね」

「地味に優しい」


ユキは一瞬だけ、そのピックをじっと見つめた。

ほんの少しだけ、羨ましそうな色が瞳に浮かぶ。

けれど、すぐに小さく首を振った。


「いい」


沙耶が眉を上げる。

ユキは真顔で続ける。


「依緒くんが存在してるだけでいい」


沙耶は呆れたように笑った。


「重いって」


ユキはまだ少しぼんやりしていた。

ライブの余韻が体の奥に残っていて、思考がゆっくりとしか回らない。ステージの照明、マイクを握る長い指、低くて透明な歌声。それらが頭の中で繰り返し再生されている。


そのときだった。


ポケットの中で、スマホが小さく震えた。

短い振動。

ユキはゆっくりとスマホを取り出す。

画面に表示された通知を見た瞬間、胸の奥がほんの少しだけ跳ねた。


LIME。

送り主の名前。

中嶋。

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