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⑨転機

この話は全部二十五話ほどです


 見習い魔女のプシュケは師匠に教わるままに草木を育て、虫に手伝わせて季節の花や果物、をありとあらゆる作物を収穫し、薬の調合を習う日々を送った。相変わらず身体を動かして活発に遊んでいたが、師匠から手取り足取り教わった裁縫も人形遊びも決して嫌いではない。庵で学ぶ事はたくさんあった。


 毎日せっせと教えを吸収し、世間一般でいえばそろそろ年頃、というあたりである。人間の街や村で暮らしていれば、そろそろ同い年の子供達で集まって教会へ赴き、成人の仲間入りを宣言する年齢である。

 そういった人間の暮らしの中にある通過儀礼に思いを馳せたものの、師匠は神を信仰していない。食前に日々の豊かな祈りに感謝する程度の慣習が残ったプシュケはさほど気にしていなかった。ここへ来る前の記憶は既におぼろげで、離れた場所に対する帰属意識はとっくに薄まっている。

 

 その頃になってようやく、師匠は重たい腰を上げた。毎回律儀に欠席の旨を書き付け送り返していた書状に、渋々顔を出すと書き付けたのである。


「プシュケも大きくなったことだ、そろそろ会合に出て来いとせっつかれているのでね。留守番を頼んだよ」

「師匠は私を、まだ五歳だと思っているのじゃないかしら」


 まったく、と弟子は玄関先で箒を手にせっせと励んだ。まさかこの年になるまで一人で留守番させてもらえないとは思わなかった。ようやく年相応に大人として扱ってもらえそうな気がして嬉しい。今日を境に、子供から大人へ扱いが変化するのだろう。

 母屋で荷造りを進める師匠は今期の役員を決めなきゃならん、と煩わしそうにしている。けれどいそいそと普段は庵の奥に眠る衣装を出した様子を見るに、満更でもないのだろう。


「それじゃあ、留守番をよろしく」 

「わあ、素敵」


 彼女が衣装箪笥から出して、微かな虫除けの香りと共に羽織るのは暗い銀のローブかと思いきや、よく見れば黒い布地に銀糸が無数に縫い付けられている。いかにも彼女らしい丁寧な仕事で、魔力を高めつつ攻撃から身を守り、快適に過ごすための魔法がいくつも編み込まれている。

 これだけの効果と見た目の美しさを両立させていて、我が師匠ながら怖ろしい。プシュケは興味津々でぐるぐると観察した。お願いして、裾や袖のところに入っている複雑な紋様を目に焼き付けておく。


「それじゃあルクレティアも、よくよく目を光らせておいてくれ。特に、人間には気を付けるように。誰か訪ねて来ても、決して応じてはいけないよ」


 はあい、とルクレティアが愛想よく応じ、師匠はランタンを腰から外して手に取った。移動は徒歩や馬ではなくて魔女、魔法使いだけが使える、長い距離を移動するためのやり方がある。どれほど遠くにいたとしても、招かれればさほど時間をかけず移動できるようだ。


「それから、帰ってきたら大きな魔法を本格的に教えるから、そのつもりでね。最後まで髪の手入れ、気を抜かないように」

「はあい、師匠も気を付けてね」


 庵の一番外側にある植物を纏わせた門を潜って見えなくなるまで見送って、プシュケはくるりと踵を返した。静かないつも通りの庵だけれど、主の師匠が不在だと思うと違和感が拭えない。


 見習いは、自分の随分長くなった髪を触ってみた。今は腰の辺りまであって、人生で一番伸ばしている。魔女や魔法使いは身体の一部を燃料のように使って、通常より大規模な魔術の行使が可能であるらしい。

 その実践訓練に向けて、年単位で準備を進めて来たのだった。


「さ、何しようかな。ルクレティアは……」


 プシュケの肩に止まっていたルクレティアは、今日は淡い碧と黒の対比が美しい羽をしている。恋多き蝶々である彼女は早速相手を見つけたようで、ふわふわと空中で左右、上下に円を描くように既に踊り始めている。ふふふ、というひそめられた楽しそうな声が聞こえた。美しい光景に見えなくもないが、あまりに頻度が多い上に毎回相手が違うので、プシュケは内心では理解に苦しんでいた。これで毎回本気らしい。


『虫の一生は短いの、一巡りの季節でおしまいなのよ。機会を逃す手はないでしょう。まだまだ子供のプシュケちゃんにはわからないでしょうけど。それに私の可愛い子供達をあなたのために動員しているじゃない。もっとお礼を言って欲しいくらいよ?』

「はいはい、いつも助かっていますよ、と」


 誠意が感じられないわ、とまた新たな伴侶を得たルクレティアは、人間であれば唇を尖らせているに違いない拗ねた口調で応じた。彼女の言う通り、そして師匠がかつて教えてくれたように、虫使いの良いところは少ない負担で大量の支配下生物を得られる点にある。


『ねえプシュケちゃん、お師匠様も留守だから、人間の住んでいる村へ行ってみましょうよ』


 さよなら、と伴侶を見送った使い魔はこちらへ向き直った。ひらりとやって来た邪悪なささやきに、プシュケは呆れてしまう。


「人間の村へ行ったとして、よそ者はとても目立つでしょう」

『いいじゃない、そんな顔しなくたって。昔みたいに木から飛び降りるよりはずっと有意義で危険は少ないし、万が一ばれた時は私が逃げる時間を稼いであげる。それとも、もっと規模の大きいところにしてみる? そうしたら住民と余所者の区別は誰も付けられないでしょう』

「どっちにしろ同じでしょう。目的もないのにふらふらしたって、時間の無駄。師匠に怒られて、カナブンに変えられたら困るじゃない」

『お師匠様だって、多少は織り込み済みなものよ。監視役がいない間に息抜き、心の洗濯しましょうよ。時間はたくさんあるわ』

「人間の街へ行っても、使えるお金を持ってない。私が貯めているの、知っているでしょう。それだと何も楽しめないものなのよ」


 プシュケは高山にいるという羊毛を扱う魔法使いから毛糸を購入して、冬が来る前に自分で染めて編んで師匠に渡す計画を立てていた。ところが見積もりをもらってみると、品質が良いためか値が張るようで、見習いの懐事情はあまり暖かくない。


『お師匠様にお小遣いの値上げを訴えるしかないわね。プシュケちゃんには甘いから、すぐ対応してくれるでしょう』


 ルクレティアの言う通り、師匠がやれやれと応じる顔が目に浮かぶようだ。しかし衣食住の面倒を散々見てもらっている身でありながら、決して肩身が狭いわけでもない。どうしてもお金が、という意識が薄いので実行に移す気なれなかった。


 そもそも普通の人間ではないと見破られたとして、何が起きるだろうか。魔女、魔法使いなどというあやふやな存在は、市井も教会も認知していない。この国に棲む魔女はただ一人、それがお伽噺の中にいるだけだ。


 仮に街へ行ったとして、とりあえず大人しくしていれば何も起こらないだろう。せいぜい通行人に紛れて市場を覗く程度しかできないという予想もあって、特に魅力は感じなかった。

 大体、そのような危険を冒さなくても、ここにいくらでも美味しい物がある。生活上で厳しい制限が課せられているわけではない。話し相手も今は不在として師匠もルクレティアもいて、不足は感じていなかった。 

 自分はもうそちらとは関りがない。普通の人間とは距離を取って暮らしている。師匠のやり方に従うべきだという意識が強いのかもしれない。


「……師匠、無事に仲間と合流できたのかしら」


 ついに師匠の気配が遠くなって、プシュケでは感知できない距離を隔てたらしい。出かける気はなくても、使い魔はともかく一人で過ごすのは初めてだ。まだ寂しいよりも好奇心の方が強く、何をするわけではないがどきどきしてしまう。


「……」


 それでも時折、プシュケは焦燥に駆られるような心地になるのだった。ここで師匠と使い魔と楽しく静かに暮らす、それで本当にいいのだろうか、と。人間の世界へ戻りたいわけではないけれど、何かが欠けているような気がする。


「でもやっぱり、一人って退屈かもしれない……」


 ぼんやりとした焦燥は、もう幾度も頭を過っているの。この年齢に特有のもので、考えても答えがでない類であるらしい。心の隅へ追いやって、庵の中で楽しく過ごすのだと気持ちを切り替えた。



 初めのうち、プシュケは健気に普段は手を付けないような床まで磨いて過ごすつもりだった。やがて師匠が帰還した際には困惑してもらおうとたくらんだのだが、何しろ先が長い。彼女が戻る頃には、達成感は薄れてしまっているだろう。


 シロップから作った飴玉を舐めつつ、プシュケはデッキにある椅子に座ってぼんやりと庭を眺めながら物思いにふけった。素晴らしく贅沢な時間の使い道である。


「……」


 師匠と長年暮らしてみて、いくつかわかった事があった。腕の良い魔女であるようだが、弱点がないわけではない。火を扱えず、その上ひどく怖れているの。あの魔法のランタンがなかったら、師匠はお湯一つ沸かせない暮らしを強いられ商売あがったりである。


 それからもう一つ、銀製品を遠ざけている。人間の世界においては高価で、富を象徴する。広い地域に共通で、悪いものを遠ざける効果もあるらしい。教会も推奨していたと、かつて聞いたような気がする。

 時折、絵本の中で魔物と対決する際に銀の剣や弓が高頻度で登場するのはそのためだろう。関係があるのかないのか、師匠の身の回りには一つもない。

 人間の中で身分がある者は銀食器を用いて、それが毒の混入をある程度検知できるとされている。直接見た経験はないものの、一目で看破できるほどに色が変わるのだそうだ。


「……という事は、銀が嫌いなのは師匠だけなのかしら、それとも私や他の魔女達も?」


 魔法使いがそうなのか、それとも彼女個人の趣向なのかがわからない。本人が帰宅したら聞いてみるほかないだろう。


 暇を持て余したプシュケは自分のランタンを手に取った。何年か前の誕生日、師匠が《おおいぬ座》のシリウスという高名な魔法使いに頼んで作ってもらったのだった。分厚い眼鏡を掛けた老人が渡してくれたランタンは師匠の物より一回り小ぶりだが、機能性は遜色ない。非常に便利である。


 ここ何年かは一年に一度だけ、師匠が所属している組織の幹部達十人前後が庵へやって来て、予算や今後の方針などについての話し合いがある。プシュケも興味津々で覗こうとするのだが、弟子は立ち入り厳禁だそうで残念である。仕方がないので窓枠にルクレティアを忍ばせて覗くと、師匠も輪に入ってそれなりに真剣に話し合っていた。

 会議が終わると、偏屈な魔女と付きっきりで息が詰まらないか、などと尋ねられる。けれどプシュケは現状に概ね満足してしまっていた。嫌になったらぜひ連絡しておくれ、などと言って彼らは帰途に着くのだ。



 見習い魔女は外にある卓に白墨で魔法陣を書いた。小さなものを幾つか書き、それを線でつなぐ。そのうちの一つに、ランタンを置いた。そして小鍋を準備した。

 料理人やかまど番は、火の扱いを覚えるのに膨大な時間を費やすのだと言われている。季節による温度に違いがあるため、非常に高度な分野となる。その点、このランタンは便利なものだ。流石は名のある魔術師の作品といえよう。


 プシュケはそろそろ味見しようと思っていた、砂糖漬けにしておいた杏子の瓶を取って来た。それからいくつかの液体と飴玉のように透き通った結晶、乾燥させた植物を量って、小鍋のシロップに加えていく。師匠の書き付けを見ない分、後は自分の舌の感覚を頼りに、果物や蜂蜜を足した。やがてプシュケの魔力も加わってきらきらと淡く輝いた。

 するとその匂いを感じとったのか、周囲の草むらや木立の奥から蝶々がちらほらと飛んできて、用意したお皿の縁には色とりどりの小さな蝶で埋め尽くされて、まるで春先の野原のような美しい色彩である。プシュケがぼんやりと眺めていると、ルクレティアの子供達が味の品評をはじめていた。


『まだ初々しい味がする』

『これはこれで、まあ』


 結局はまだ漬かりが浅い、というような意味合いの感想を口々に並び立てたので、瓶は結局まだ元の場所へ戻しておいた。

 シロップ漬け一つにしても、師匠には遠く及ばない。丁寧に処理して、綺麗に壺の中へ並べておいたのに、だ。


「『あの大魔女、《さそり座》の師匠様に打ち勝とうなんて、大それた夢ね、助手のプシュケちゃん』」

「研鑽が大事なのよ。見てなさい、天上の味がするシロップ漬けをいつか必ず」


 うふふ、と楽しそうにルクレティアがこちらを眺めている。シロップ美味しいよ、と一応褒めてくれたので、プシュケは気をよくして、色とりどりの美しい蝶々を楽しんだ。


 様々な調合も好きだけれど、プシュケの本分は虫の使役である。まだ人間の村で暮らしていた頃はこれが全く制御できず、呻いて蹲るしかできなかった。自分が住居の前に立っているとしても家屋の中、隣人の居室や目の前にある小麦畑、近くの木立の奥から見えるもの、聞こえるものが混在してしまって混乱した。自分が一体どこにいるのかわからずに、ぐわんぐわんと強い耳鳴りがして地面にへたり込み、結局それが原因で、口減らしに森の入口へ捨てられたのだった。


 それを拾って育ててくれたのが、あの師匠である。


『ほら、しっかりおし』


 あの声は未だに忘れられない。泣いてうつむいていた時、突然、目の前に迎えに来た師匠がプシュケの額をぺちんと軽く触れた。魔力を調整してくれたのか、ようやく自分の目と耳だけで周囲を認識できるようになり、その時から魔女の弟子である。



 夕方までは平和だった。早くも新たな恋に燃える使い魔を横目に、食事後はたっぷりと午睡を楽しみ、果樹園を歩き回っていくつか収穫をした。あちこちに目と耳を光らせたが、特に何の動きもなかった。その時までは。


『プシュケ、様子が変よ』


 主人の御守りに戻ったルクレティアに言われるまでもない。プシュケは足を止めた。師匠が何重にも張り巡らせた結界の外、人間から取り上げた土地の隅の方で、何かいつもとは違う気配がする。


 付き合いのある人間達だが、魔女の庵には近づかないように、という御触れが出ているところもあるそうだ。用件がない限りはお互い不干渉を貫いている。プシュケは魔女の力を使い、庵の外の様子を窺った。


「……」


 見慣れない集団が街道を外れ、木々のまばらな場所、林の奥を何頭もの馬が走っている。速度からして時折通る領主の遠乗り、ではないようだ。蹄の音、人と馬の荒い息遣い、弓が風を切って飛ぶのと同時で金属音がする。

 野盗くずれが運の悪い旅人を追う光景に、それはよく似ていた。


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