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⑧魔女と弟子と使い魔


『プシュケちゃん、遊びましょ』

「もうちょっと待って。今、師匠の大事な説明を確認しているから」


 プシュケは師匠の講義を小さな黒板になるべく正確に書きとって、これで文字の練習も兼ねていた。抜けはないはず、と見直しているところに、使い魔の蝶々、ルクレティアが手元にやって来た。

 今日の彼女は染み一つない、まるで新雪のような真っ白な羽を披露している。すっかり秋めいたとはいえ、まだ緑が残る森の中では随分と目立っていた。彼女と出会ってからしばらく経った現在、ルクレティアが何と言っているのか、プシュケにも概ねわかるようになった。



 使役の魔法には大事な要素がいくつか存在する。まずは使役する対象で、私達は虫使い。これが人によって鳥、水棲生物や温血動物限ると言った条件に縛られていて、相性も人によって向き不向きがある。


 魔力の消費は体重と生存年数におおよそ比例するらしい。成獣よりは幼体、また鳥は案外扱いやすかったりするそうだ。師匠曰く、鼠が一番簡便だとする見方もあるが、普通の人間でも対策として猫を飼っている者が多いため要注意。それから生息場所の関係で、病気をたくさん持っているというのもある。一度に何匹も出産するために、すぐ増えて管理も面倒なのだとか。


 次に重要なのが、魔女、魔法使い本人がどの程度魔力が強いかどうか。低ければ懇願する形になり、逆の場合は問答無用で従属させられる。この格差を埋めるためには使役数を絞る、若しくは長期的に良好な関係を築くと、難しい命令や危険が伴う場合でも応じてくれるだろう。



 これでよし、と講義内容を頭に念入りに刻み付けてから、ルクレティアへ向き直った。使い魔の要望も叶えて正しく管理するのが、一流虫使いへの第一歩である。決して、座っているのに飽きたわけではない。


『それで今朝も言ったけれど、私の方がお姉ちゃんって事でいいでしょう? プシュケちゃん』

「この間まで幼虫だったのに? ルクレティア、貴方の方が後に生まれたのよ」


 出会った時は芋虫だったので、てっきり彼女はまだ子供のようなものだと勝手に認識していた。ところが実際に話ができるようになると、師匠の低く落ち着いたものとはまた違う、けれど紛れもなく大人の女性として聞こえるのに驚いた。

 というわけで随分ませた蝶々だ、とプシュケは呆れた。今のところは従属させる存在というより気の置けない友人、もしくは容赦ない近しい身内のような立ち位置に近い。


『でも私、もう五回結婚して卵をたくさん産んだから、まだちっちゃい見習い魔女のプシュケちゃんより、お姉ちゃんでもおかしくないでしょう。だってあなたはまだ、恋も愛も知らないのだもの』


 ルクレティアの話を聞いたプシュケは、自分の使い魔がメスの蟷螂でなくて本当によかったとしみじみと噛みしめたのだった。結婚の度、伴侶を産卵の糧にするため襲い掛かる光景を見なくて済む。


「恋とか愛なら、私だってちゃんとわかっている。だって師匠が大好きよ、ルクレティアもね」

『……やっぱり、私がお姉ちゃんをやった方がいいと思うの。プシュケちゃんがお姉ちゃんをやりたい時はちゃんと代わってあげるから』


 プシュケはそれなりの自信を持って回答したのだが、相手を納得させられるものではなかったらしい。小さい子の言動をあらあら、と微笑ましく見守られているような口調で説き伏せられ、あまり面白くない。釈然としなかったものの、結局は欲しがりルクレティアに姉の称号を渡しておくことにした。




 今日の庵の周辺は好天である。日当たりも風の具合も申し分ない。一回りしたプシュケは師匠に合流し、洗濯物を干す作業に取り掛かった。母屋と工房、そばにある立ち木に綱を張り巡らせてシーツや枕カバー、敷物まで引っ張り出して風に当てておく。


「この間、色々あったでしょう。お互いに理解が深まって気持ちが通じて、それで言葉もわかるようになってきたのよ」


 仲良く走り回る弟子とその使い魔に、師匠は目を細めている。しかし何がわかるようになったかと言えば、蝶々のルクレティアはせっせと番を探して卵を産み、つぎつぎと子供達を設けている事実だ。その過程は羽を変える度に二、三回繰り返されている。


 真っ白な姿のルクレティアはプシュケの頭に止まって休んでいたのが、ふわりと舞い上がった。視線で追うと、似たような姿の蝶々が森の奥からやって来たところである。


「もう次の相手を見つけたの?」


 うふふ、とプシュケの呼びかけには曖昧な返事と共にひらひら行ってしまう。運命の出会いを果たした蝶々達は空中でくるくる回るように踊り始めた。


『特別な相手がいるって、素晴らしい事なの。二人も番を見つけたらどうかしら?』


 飛び回っている姿を横目に、魔女二人はこっそり目配せし合った。とっかえひっかえしているのでなければ、もう少し説得力があっただろう。ルクレティアは新たな恋人と共に森の奥へ行ってしまった。


 群れを作る動物の多くは、一匹に対し多くの異性が番う種類がそれなりにいる。しかし人間は一対一の関係が多くの社会で採用されていた。師匠が言うには、一部の国で裕福な者は複数の伴侶が公然と認められているらしい。血を引く後継を設けなければならない身分と立場が存在している。というわけでそれほど変ではないのだが、やはり理解は難しいのであった。


『失礼ね、毎回ちゃんと嘘偽りない愛なの。人間の価値観だけで、私達の営みを語らないでちょうだい』


 どうやら逢瀬は終わったようで、ルクレティアがこちらへ戻って来た。愛しの君が名残惜しく帰って行くのを見送って、口を尖らせている。


「……私達人間から生まれる魔女や魔法使いの能力は、子供に遺伝しないから、さほど熱心ではないね。職業的な後継は弟子に任せるわけだから」

「……そうなのですか」


 プシュケはまだ子供なので、その仕組みへの興味はまだ薄かった。師匠は大人の女性で、それなりの収入に加え住居も構えている。伴侶なり、実子なりという存在がいてもおかしくはないはずだ。しかし人間嫌いなためか、直弟子のプシュケと組織の関係者以外に積極的な接触を持たない性分である。


「……」


 この庵にも、他に虫使いの魔女か魔法使いの卵が見つかったら、人数が増えていくのだろうか。しかし弟子が大勢いる者は、それなりに揉め事が多いため組織が細かい取り決めを設けている。取り分などでしばしば争うのは、どこの国もいつの時代も同じ悩みであるらしい。


「大人になるって、大変」

 

 まだ子供で居られるプシュケは山と積み上がった洗濯物から手巾を一枚、最近習った物を軽くする魔法を掛けた。蝶々の刺繍が上手にできたお気に入りで、記念として師匠にあげた。本人は引き出しにしまって使おうとしないので、仕方なく弟子が無理やりポケットに押し込み使ってもらっていた。

 手巾はふわりと風を捕まえ宙に浮いた。プシュケは師匠に、この魔法なかなか上手だと褒めてもらったのである。


 ひらひらと遊ばせながら、プシュケはある事を思いついた。そこで自由時間になった時、真っ先に木に登った。軽くする魔法を自分に使ってみると、予想通り少ない力でひょいひょいと登って行く。昨日はここへ来るまでに何分もかかり、使う枝を慎重に吟味しなければいけなかった。

 そうして下を覗き込み、秋らしく落ち葉の多い地面を眺めた。


「あ、あれ……?」


 ところが浮いたのは一瞬だけだった。重さに耐えきれず、まるで糸が切れたように身体が地面に叩きつけられる寸前、梢がざわめいた。木の葉が集まってプシュケの下に滑り込み、更に弟子の危機に駆けつけた者がいた。


「……危うくカニのお母さんのようにつぶれてしまうところだった」

「師匠、ごめんなさい。痛くありませんか」


 下敷きにしてしまったのを、プシュケはおろおろしながらとりあえずお腹から降りた。


「軽くする魔法が間に合ったから、それほど痛くはないけど、……まったく」


 師匠は立ち上がって、服の埃をせっせと払っている。一帯にまとめて魔力が放たれたようで、高く舞い上がった落ち葉が空に浮かんだままだった。

 この間読んだお話で、カニの親子が新天地で見つけた果樹を収穫していると、邪魔者が現れるのだ。ついにはまだ熟していない実が母カニに投げつけられて大怪我する一幕があった。


「木に登る時は上手く行ったのに……」


 よじ登る際体重を軽くする、というのはそれなりに手ごたえがあった。おかげでひょいひょいと目的の枝まで辿り着いたのだ。


「全く、試すのなら木の上でなくて、階段の一番下の段から始めなさい。次またやったら、反省するまで落ちても大丈夫なように蜘蛛に変身させるからね。よく覚えておきなさい」


 師匠は怖い顔を作って、危ない真似をした弟子にこんこんと言い聞かせた。それから、と黙っている使い魔にも矛先を向けた。


「それからルクレティア、ぼうっとしていないでお目付け役の仕事をしなさいよ」

『……だって、昨日はやっと一番下の枝に登って、蝶々はこういう景色が見えるのねって、いじらしい事を言っていたの! その後はどんぐりを集めて喜んでいたのに、どうして今日は飛び降りるのよ、成長の方向が予想できなくて、私もう、ついていけない!』


 わああん、とルクレティアは人間のように泣き喚いている。プシュケはばつの悪い思いでうつむいた。


「……とにかく今日はおやつ半分! 私も半分で、ルクレティアも半分だよ! そういう可愛い顔で誤魔化そうとしたって無駄!」

「そんな!」

『そこはおやつを抜くところでしょう! お師匠様はまたそうやって弟子を甘やかす! だからプシュケは毎日毎日危ない遊びばかりなのよ!』


 三者三葉、言いたい事を口にして、それぞれが息を荒くしている。師匠は組織から依頼があると工房へ戻り、落ち込んだプシュケは建物のそばに積み上げられている木箱にお行儀よく座り込んだ。そうしてしょんぼりと、半分しかもらえなかった焼き菓子を眺めた。

 

 もしペナルティがなければ、これほど美味しい焼き菓子が丸々一枚食べられたなんて。プシュケは一口を大事に齧った。

 先ほどは大失敗してしまったが、物を軽くする魔法というのは生活上、実践的な魔法である。これがあるおかげで、師匠とプシュケ二人だけで薬草や果樹の世話をこなし暮らせていた。

 新しい魔法を使いこなしたら師匠が驚いて褒めてくれて、それから重たい物を運ばなくてよくなったら、と思ったのだけれど、なかなか上手くいかなかった。


『……さ、プシュケちゃん。終わった事は仕方がないの。おやつを食べたら切り替えて、今日も魔法を特訓しましょうね』

「さっきはごめんね、ルクレティア。あなたの上に落ちなくてよかった」

『いいのよ。大体、虫の一生は短いの。失敗から学ぶのは大切だけど、くよくよするのは時間の無駄。高い所へ行ったら落ちる。水辺も溺れないように気を付けておく。近くに火があったらどうやって消すか算段をつけておきましょう。大きな白葡萄は喉に詰まってしまうかも。家具の角や高い場所の引き戸は頭をぶつける可能性があるわね。不自然に落ちている食べ物を拾ったら罠か毒餌かもって、これからは警戒しましょう。私も気が付いたら警告するからね』


 あと百通りはあるのよ、とルクレティアは自慢げに子供に起きやすい事故を羅列していく。それでね、と先を続けた。


『私達は卵を産んだら、あとは自然に任せるの。それに比べると人間や鳥、動物の子育てって大変ね。目を離したら一体何が起きるのか、気が気でないでしょう。……そうねえ、今日は新しい魔法は休憩して、一旦復習の時間にしましょうか』


 使い魔の蝶々は早速姉として振舞っているつもりなのか、明るく提案した。


『たとえば蜻蛉と蝶々は同じ羽を使って飛ぶ虫でも、全く違うの。彼らのように、宙に留まれるのは限られているからね』


 ちょっと待っていて、とルクレティアは知り合いを呼んできた。師匠の庵にはミツバチも飼われているけれど、彼女達は年中忙しいので欠席である。蜻蛉とてんとう虫がルクレティアの招集に応じてやって来てくれた。


『まず、私達蝶々はね……』


 蝶々も種類によっては、海を渡る大移動する種類もいるらしい。彼女は今、いつの間に着替えたのか白い羽ではない。水色と黄色が、黒い複雑な網目模様によって美しく引き立てられている。教会にあった色ガラスのようだった。

 蝶々は一見儚い印象だが、実際はかなり強力な羽の持ち主でもあるらしい。種類によっては同じくらい大きな甲虫と蜜を争い競り勝って蹴落とすような荒々しい一面もあるようだ。使い魔として強化されたルクレティアに至っては、カラス位なら頭突きで悠々と追い払える。


 次に蜻蛉は素早く飛び回って、飛行能力を狩りに活かしている。空中に浮いてその場に留まる事が可能だ。これはかなり高度な技術であるらしい。

 優しく触るならどうぞ、と蜻蛉が言うので、プシュケはおそるおそる、そうっと透明な羽をうっかり引きちぎってしまわないように指を伸ばした。


 確かに、羽のつき方が違う。実際に見せてもらうとルクレティアの言う通り同じ高さ、位置を保って飛んでいる。


「お師匠様の支配を受けている時はね、とっても心地よくて楽ちんなの。羽も手足も触覚も、完璧に動かしてくれるのよ。それと比べるとプシュケちゃんの時はこう、むんずと掴まれて振り回されているみたいに感じてしまって。もっと虫の身体の造りを勉強したら、よくなるんじゃないかと思うのよ」


 ルクレティアはしたり顔で、使役される側の意見を述べた。虫達と額を突き合わせながら、プシュケも既に覚えている魔法を更に磨く方針を採用し、熱心に聞き入った。

 師匠も見習いに、丁寧な作業を心がけるように口を酸っぱくする。使い魔の観点はそれに適っているように感じられた。


「……そっか。師匠は初めてにしては上手だって、褒めてくれたのに」

『ええ、小さな見習い魔女にしてはすごいけど、やっぱりお師匠様を超えるのが目標なら、もっと細部を大切にしないとね』


 次に話をしてくれたてんとう虫は飛ぶ能力と、それから草木をせっせと歩き回る能力も高い。花壇に手招きすれば生育に邪魔な虫を駆除してくれる、益虫として数えられる事もあるのだ。


「虫、と一括りにするのはよくないね」


 プシュケは彼らの献身に感謝した。そうして、数日前に師匠がまた組織の中で回っているという、紙を折って色々な形にする話を思い出した。人形などを使役する者達の間で流行しているらしい。プシュケはこれを手巾に応用して、何度かの試行錯誤の後、蝶々を作った。




「あれ、ハンカチは……?」

「師匠! ちゃんと全部乾いたよ」


 夕方になってプシュケが洗濯物を取り込みに行くと、師匠が周囲を見回していた。大量に洗ったはずが、一枚もないので不思議に思ったのだろう。

 振り向いた彼女は、大量の白い布をひらひらさせながら走り回っている弟子に気が付いたらしく目を丸くしている。白い手巾をそれぞれ蜻蛉に蝶々に蜜蜂、手にした枝にはてんとう虫になるように操って飛ばし、おまけにずっと走り回っていた。なかなかいい運動である。

 

「あら、やっぱり上手ね」


 えへへ、とプシュケは駆け寄った。ありがとう、と並走してくれた蜻蛉の群れにさよならをして、てんとう虫を花壇へ戻した。それから庵へ入って、飛ばしていた布を次々畳んでから着地させていく。洗い終わった衣類の山は、まるでできるようになった成果のように思えて誇らしい気持ちになった。


「さあ、晩御飯にしましょうか」

「うん、果物を取って来るね」


 プシュケは使い魔と共に、再び庵の外へ飛び出した。日中よく晴れていたので、夕焼けも美しい。こうして子供時代が、まるで矢のように過ぎ去って行ったのだ。


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