⑤間が悪い客人
プシュケは見習い修行のかたわら、絵本の場面を再現する遊びにすっかり夢中になっていた。師匠は子供向けの説話集を入手して、プシュケに読んで聞かせてくれている。毎晩寝台に横になった見習いのために物語が紹介されるほど、お話の蓄えは潤沢だ。気に入った話は何日も繰り返しお願いして、楽しみに日中を過ごしていた。
お話には似通った境遇の子供が、それなりの頻度で登場する。親の庇護を受けられなくなったり、進退窮まったりした際、目の前に凄腕の魔女や魔法使いが現れるのだ。今晩選んだお話も、異国の小さな神殿で祭司と修業している僧侶見習いの話で、ある晩神殿まで帰りつけずに困っていると、原っぱに住む優しい老婆が一晩泊めてくれる運びとなった。
「……見習いはそうして、身体が温まって幸せな気分で、シーツを被りました」
「私と一緒だね」
ああ、と師匠もにっこりと微笑みを浮かべ、先を読み進めた。ところが真夜中になって何かが擦れるような不審な物音を聞きつけ目を覚ますと、優し気な老婆が一転、正体は髪を振り乱した怖ろしい人食い鬼であった。せっせと刃物の手入れに勤しみ、見習いは肝を潰して慌てて逃走を図る。すっかり共感して物語に入り込んでいたプシュケは、寝転んだ態勢でなければその場でひっくり返っていただろう。
「……ひどい、ひどい!」
「私が作ったお話じゃないのだから、そう文句をつけないでおくれよ」
この人食い鬼も組織には入っていない、と読み手は気に留めない様子で読み進めている。反対に主人公を手助けしてくれるような魔法使いや精霊であれば、組織に所属している仲間かもしれない、などと言う。
師匠はその組合への帰属意識がそれなりに高いようだ。
「じゃあ、師匠もお守り作れる?」
「まあ、やろうと思えば。この話の祭司が渡したように返事をさせるくらいなら、さほど難しくはない」
「じゃあ、明日作ってください」
師弟は一昨日、絵本のような大きな物ではないが、お菓子の家を作っておやつにしている。板状に焼いたクッキーを何枚もクリームでくっつけ土台を作って、様々な飾り付けで家を作るのは楽しかった。
昨日は南瓜と紐と車輪を合体させ、プシュケは継母にいじめられる可哀想な令嬢を助ける魔法使いの真似で引きまわして遊んだ。
「シンデレラ! 魔法使いが助けに来ましたよ」
プシュケは南瓜を引っ張って、母屋から少し離れた場所で樹木を世話している師匠の元へ駆けつける。農作業を終えたシンデレラが片付けを進めていたので、剪定した枝や落ち葉を搭載した荷車を先導した。
「十二時までにおうちに帰らないと、大変な事になりますからね」
「はいはい」
正午だろうと真夜中だろうと、十二時に違いはない。そういうわけでお昼ご飯だ。朝の残り物とパンを温め直し、とランタンに宿る火の魔力を借りていつもは美味しかった。食事が口に入る時の温度で満足感に差が出るから大事だよ、と師匠も同意するところである。
「それじゃあ師匠、明日はこの話をやるからね」
絵本の内容から話は逸れつつも、師弟は翌日の打ち合わせを始めた。彼女は相変わらず組織からの依頼で薬や化粧品の仕事を進めるそうだ。プシュケも一人でシロップを作れるよう、明日も調合の練習である。
その合間で、今読んだ人食い鬼婆から逃げ回るお話を再現するのだ。
「……嫌だよ、夜中の原っぱで追いかけっこなんて」
「じゃあ、そこは省いて。でも夜中に目が覚めるところまではいいでしょう」
「刃物の手入れぐらいなら、まあ。わざわざ夜更けにやる作業ではないけれど」
相手は顔をしかめていたものの、プシュケは頑張って説き伏せて了承をもらった。代わりに一生懸命講義を聞き、シロップの調合を真剣に取り組むと約束した。
「じゃあ、約束ね」
今晩は早く休んで、彼女が寝る前にもう一度起きなくてはならない。見習いはとりあえず横になって目を閉じた。ややあって師匠がそっと寝室を離れる気配を感じる。よくおやすみ、と優しい声が耳へ届いて、プシュケはくすぐったかった。
「……」
しかし寝なくては、と意気込む夜に限ってなかなか上手くいかない。しばらく意識して目を閉じていたものの、結局暗い部屋の天井を見上げる羽目になった。考え事がある夜は寝つきが悪いのだと、師匠が言っていたような気がする。
プシュケは横になった姿勢のまま深呼吸して、昼間に習った魔法を復習し始めた。虫使いの魔女として最も基本的な内容だ。魔力をするすると建物の外へ伸ばして、庵の外にいた羽がある虫を一匹捕まえた。視覚、聴覚や嗅覚を共有して広範囲を探索する魔法である。師匠はほとんど常習的に使用していて、見習いが危ない遊びをしないよう目を光らせていた。
母屋の周囲をぐるりと回ると、下の窓から明かりが差している。こっそりと覗くと師匠が何冊かの分厚い書物の頁を開きながら、小鍋の中身をゆっくりとかき混ぜている。湯気と共に立ち昇る微かな香りから、食べ物ではなく薬、おそらく傷用の軟膏か何かだろうと思われた。真剣な眼差しで、何かを数滴垂らして調整している。
プシュケの虫はこそこそ踵を返し、建物の上を目指し周囲を一望できる場所を探した。敷地の入り口から平らな石が並べて埋め込まれていて、訪問客に通り道を示している。プシュケが昼間、南瓜の馬車を引っかけて横転させたのを思い出しながらしばらく庭を眺め、静かな夜を満喫した。周囲を囲む森を月が煌々と辺りを照らし、夜風が気持ち良い夜だった。梢の下では多くの生き物達が息を潜め、また忙しく餌を求めて動き回っているだろう。
気が済むまでじっとして、そろそろ虫を解放して寝台へ戻ろうと思い始めた時、プシュケは敷地の外から近づく何者かの気配を感じ取った。
すると間もなく、昼間に見習いが飛び石を伝って遊んだ小道を、数人が急ぎ足でこちらに向かうのが見えた。彼らの身体の大きさはばらばらで、先頭は明かりを持った子供のように小柄な者、中には細身の女性らしき姿も混じっている。そして、何かを大事そうに抱えていた。
プシュケは一気に目が覚めた。師匠の説明では、庵の外にある村とは、必要以外の干渉はしない取り決めになっているらしい。
一行の先導役が躊躇いながら、《さそりの魔女様》、と呼び掛けた。師匠は手を止めず顔も上げないまま、しかし目を眇めるように表情が険しくなった。おそらく人間が使う炎の気配がお気に召さないのだ。無言の後、扉が微かに開いて人々は慄きながら顔を見合わせた。そうして一番に唯一の女性らしき人が躊躇う様子もなく、そそくさと中へと足を踏み入れた。
「一体、誰だろう……?」
プシュケは虫を解放して自分の身体へ戻った。師匠が心配で、寒くはないけれど、シーツを身体に巻き付けてから階下にそろそろと降りて行った。客人は誰も見習いに気が付かなった。魔女はおそらく把握しているだろうけれど、寝台へ追い返されるような事態にはならなかった。
母屋の一階に通された人々の中から、代表らしい男が不躾な訪問を詫びる声が聞こえる。師匠は眉根一つ動かさない。明かり持ちの少年は息を潜め、口元を引き結ぶようにしている。
聞こえる謝罪の声が徐々にしどろもどろになっていくのは、どうやら師匠の手元を目の当たりにしての態度であるらしい。いつの間にか小鍋ではなく小ぶりな鋏や小刀、包丁が並び、月明かりを受け訪問者を冷たく見返していた。プシュケはあっと声を上げそうになって手で口をふさいだ。なんとも間の悪い客人である。
「魔女様に叶えていただきたい願いがあって、今宵こうして参りました」
凍り付いた空気にもめげず、女性が口火を切る。外套を脱ぐと若いらしい。様々な外見の特徴から、それなりに裕福に暮らしている様子がわかるようだ。そして彼女が大事に抱えていたのは赤子である。といっても月齢としてはそろそろ立ち上がる頃に見えるものの、プシュケにもわかるほど衰弱している。それは睡魔のせいではなくて、生来のものであるようだ。
「生まれつき心の臓がよくないのです。様々な伝手を借り、名のある方々に治療を願い出て、この日まで生き永らえましたが、限界が近いようで。そこで、高名な魔女様にお縋りしたく」
師匠も人間が嫌い、と言えど付き合いのあるいくつかの村から食糧を融通してもらう代わり、様々な依頼を受ける場合がある。山に入ったまま帰らない猟師を見つけ出したり、作物の生育上に影響がある天候不順の相談を受けたりもする。そしてその代わり、近くの土地を不可侵とする約定を設けている。
しかし相手は村の人間ではないようで、師匠が引き受けるのか、そうだとしたらどのような条件を突きつけるのか、プシュケにはわからなかった。
弟子が考え込んでいる間に、女性は話を進めていく。子供の病状とは裏腹に、声には奇妙な明るさがあった。他の者が押し黙っているのとは違って、妙に興奮している。目の前の魔女がきっと自分の依頼を受けるだろうという確信があるらしかった。
「……最近も小さな子供を手に入れたと聞き及んでおります。屋敷が世話をしている村から、赤子を二人ほど都合しました。それから召使の一人も金銭と引き換えに、もうすぐ生まれる腹の子を譲ってもらう手筈で」
いかがでしょうか、と子供を浚う悪い魔女と信じ込んでいる彼女の依頼はそう結ばれた。途中まで同情しながら聞いていたプシュケは唖然とした。彼女が連れて来た者達は揃って俯き、息を殺している。
「……誰に何を吹き込まれたか知らないが。私達の扱う術において、望まれず祝福もなく捨て置かれたような赤子をもらったとして、全く有用でない」
ようやく師匠が口を開いたが、声はおそろしく冷たい色を帯びている。それは自分の子供が助かるなら許される行いだろうか、という疑念に対する答えであるらしい。
「しかし……」
「対価はそなたが差し出さなければ、何の意味もない。高貴な一族に生まれ、苦労など味わった事がないとしても、だ」
師匠は手元の小さな小刀を弄び始めた。部屋を微かに照らすランタンに目を向けて、それから窓の外の月明かりにも一度視線を向けた。そうしてから客人の女をようやく見据える。
口を開き、しかしいつもプシュケに向ける声とは全く違って聞こえた。
「これより命が続く限り、その赤子を三人、産みの母より尊敬されるよう手塩にかけて育てるのだ。実子と同等の金銭と教育、衣食住と愛情を何一つ欠かしては許さん。屋敷へ戻って全てを夫に告白し、その身重の使用人とやらもここへ連れて来て、必ずやり遂げると宣言したら、これより一年に一度、子供達の髪のひと房を引き換えとして息子の心臓にまじないを掛けてやってもいい」
部屋はしんと静まり返った。師匠がその気になればそれほど難しくはない術のはずが、不必要な要求が多分に含まれている。ただの子供の髪のひと房に、それほど価値があるとも思えなかった。どうやら、魔女は非常に虫の居所が悪いらしい。わざと相手が嫌がる材料を並び立てたのだ。
訪問客は目を見開き、要求とはかけ離れた条件を突きつけられたのが堪えているらしい。何が気に喰わないのか定かではないが、奥様、と付き添いの者がとりなすまでの間、表情と身体をわなわなと震わせていた。
「下賤と蔑む者の手を借りるのがお気に召さないのであれば、私以外の者を探すがよろしい。医者も薬師もそこら中に溢れている」
師匠はぴしゃりと話を終わらせ、庵の戸口が開いた。冷たい風が吹きつけて、訪問客達はすごすごと撤退していく。しんと静まり返った部屋で師匠はゆっくりと立ち上がり、外の月明かりが横顔を照らした。 窓掛を閉じながら、《さそりの魔女》は立ち尽くしていた弟子を振り返る。椅子に座り直して、並べてあった刃物をまた手に取った。
「やっと来たの? ……おやおや、勇敢なプシュケちゃんも人食い鬼婆の魔女は怖ろしいかな?」
「……全然、ちっとも、これっぽちも怖くない!」
プシュケはむすっとして応じた。珍しく相手は笑っている。そのまま本当に刃物の手入れを始めた。砥石を取って来て、まずは糸切り鋏を手に取って検分している。
「あの客人の方々、また来るかしら。師匠が刃物を持ち出した夜でなかったら、あれほど怖がらずに済んだでしょうに」
「……今頃は家来に八つ当たりしているだろうが、きっと来るだろうね。私は可愛いプシュケちゃんを育てるのに四苦八苦して忙しいから、赤子を二人も三人も寄越されたらたまらないよ」
師匠のうんざりだと言わんばかりの態度を、プシュケはじっと見上げた。嘘ではないらしい。
「あのように噂を真に受けて、自分と関係のない子供を巻き込んだら望みが叶うかのような噂が広まっては困る」
「……」
プシュケは自分が、明日のスープの具にするために連れて来られたわけではないと、流石にもう理解している。
けれど先ほどの交渉を前に、見習いは彼女に何を言ったらいいのか、なかなか答えが見つからなかった。
「……明日も庵中を走り回って、新しい魔法をばんばん覚えて師匠をうんと困らせないと。きっと手が空いたら人間達にもっと面倒な要求を突きつけるでしょうからね!」
ようやく考えをまとめて、プシュケは勇ましく宣言した。毛布を被りながらソファに陣取って魔女の仕事ぶりを監視しておく。怖いねえ、と師匠は口調だけはしおらしい態度を装った。




