④羊人間と馬人間
プシュケは朝ごはんを食べながら、髪の手入れは師匠にお任せしている。するとその時ちょうど、庵に客人がやって来たらしい。魔女様はご在宅ですか、とノックに続くのは女性の声だ。
「……すまない、手が離せないから、裏へ回って入ってどうぞ!」
「失礼いたします。《さそり座》の魔女様、ご機嫌麗しゅう。組合の定例報告会のお知らせをお持ちしましたので……。まあ、お弟子さんを迎えたというのは本当のようですね」
師匠が声を張り上げながら指示した通り、裏口から顔を見せた使者はこちらを認め、にこにこと目を細めている。プシュケは口に食べ物が入ったままなので、会釈だけではじめましての意を示しておいた。あらあら、と彼女も魔女や魔法使いの仲間であるらしく、黒い外套にフードを被っている。
「見ての通りだよ。そろそろ使い魔を連れて来ないと、と思っているところ」
「まあ、お小さい方なのに。優秀な素質の持ち主なのですね」
師匠はプシュケの三つ編みを完成させ、客人から複数の小包と封書を受け取った。二人はまるで、私の赤ちゃんが初めて喋りました、と申告する母親と隣人のような温度でやりとりしている。プシュケは黙っていちじくを齧った。
《さそり座》、若しくは《さそりのシャウラ》というのが師匠の魔女としての通り名であるらしい。組織に所属する者達は、夜空に輝く星々にあやかった名前を用いるのだそうだ。
魔法に並行して読み書きの勉強も進めているプシュケは、師匠宛ての荷物や訪ねて来る大抵の客人との会話を聞いて、その呼称を用いるのだと理解し始めていた。
「プシュケ、こちらは高山に拠点を置く《牡羊座》と《山羊座》、糸紡ぎの魔法使い達のところで働いている方だ」
はじめまして、と外套を脱いだ相手は、いかにもやわらかそうな金の巻き毛の持ち主である。そして信じがたい事に、人間なら耳が生えている場所から黒っぽい巻き角が見えて、プシュケは思わず瞬きをした。
使者は人間ではないのか、それとも特異な姿をしているのか判断がつかない。顔は人間のものだけれど、後は指先には手袋を嵌め、全体的に厚着している。足の蹄や尻尾がついているかどうかはわからなかった。人と羊の両方の特徴を併せ持つ相手を、けれどじろじろと凝視するのも失礼かと思って、プシュケは気にしないふりを装っておいた。
こちらの動揺をよそに、相手は饒舌に自己紹介を続けている。
「高山は植生が違うので珍しい品は数あれど、手に入りにくい物も多いのです。ここの魔女様がお作りになる染料は、発色の具合がなんと美しいことでしょう」
褒めても何も出ないよ、と師匠はいつもの愛想のない言い方をする。けれど微かに誇らしい気持ちが混じったのを、プシュケは敏感に感じ取った。
それからこちらはご注文の品です、と相手は組合の荷物とはまた別のかごを、師匠へ手渡した。プシュケがそうっと覗き込むと、白い毛糸の束がいくつも詰まっていた。
「ありがとう。やはり寒い時期には羊毛の手袋、襟巻と上着を羽織らせておきたくてね。それから寝台にも一枚、温かいのが必要だ。この子はものすごくお転婆で、いずれ私の手に負えなくなってしまうだろうから、今のうちに。プシュケ、何色がいいか決めておくようにね」
そうでしょうそうでしょう、と羊のお使いは相槌を打つ。プシュケは手に取って、師匠が畑で栽培する綿花や、工房の屋根裏で生産する生糸とも違う手触りをじっと観察してみた。人間の世界で流通している品とは違って、微かな魔法の力が宿っているのも感じる。
「……ところで、先ほど採れたばかりの果物だが、食べる? 人にあげる用ではないから形は多少よくなくても、味は一緒。食べ切れない分はまとめて砂糖で煮てしまうから、今のうちさ。早い者勝ちだよ」
「そんな、悪いですよ」
プシュケが毛糸を手に取る間に、羊人間はちらりと食卓へ視線を移していて、師匠の言葉で我に返ったようだ。慌ててよくあるお決まりの台詞を口にしたものの、声にあるのは拒絶の気配ではない。誘惑と遠慮と食欲、人前での立ち振る舞いが激しくせめぎ合っているらしい。
「羊のお姉さん、どうぞ。とっても甘くて美味しいですよ」
プシュケがいちじくをそっと差し出すと、使者はあっさり理性を陥落させた。
「ああ、なんと幸運なのでしょう。私も早く工房での仕事に参加したいと志し早幾年、けれどここへ通うのは密かな楽しみでもあるのです……!」
師匠が大きな籠を持って来て、やわらかい果実をそっと綺麗に並べて詰めた。その横で羊人間がいちじくを食べ進める手はなかなか止まらない。
結局彼女が小一時間ほど滞在した後でさようなら、と仕事と腹ごしらえを済ませ意気揚々と家路につくのを、プシュケと師匠は二人で見送った。
「これは師匠に、薬の調合をお願いするお手紙ですか?」
魔女が届いたばかりの書面に目を通している横で、プシュケは荷物の山を検分した。梱包を解いて一つずつ並べていくと小瓶に入った液体や宝石のように美しい粒、謎めいた粉末。何らかの調合に使用する材料であるらしい。不思議な香りを漂わせている品も多かった。
プシュケが毎日練習として手順に則り小鍋をかき混ぜている横で、師匠も何やら複雑な調合や加熱操作、乾燥、摩砕して何か作っては取りに来させたり送ったりしている。組合から依頼される仕事であるらしい。
「それもあるけれど、こちらは全体会合の日取りで、最近は顔を出していないからせっつかれていてね」
「魔法使いのお友達が大勢いらっしゃるのなら、私だってお留守番くらいできます。お出かけしてはいかがですか」
「……もう少し大きくなってからね」
師匠はいつもこうだった。プシュケだって既に一人で近くにおつかいくらい難しくない年齢である。それなのに彼女ときたら、まるでようやく歩けるようになった幼子であるかのように弟子を扱った。
「じゃあ、一緒に連れて行くとか」
「……以前、意見が真っ二つな採決の時、弟子を大勢引き連れ会場入りして者がいてね。反対意見の演説時間に大声で妨害させて場外乱闘が発生、それで一人前の者しか出席できない決まりになったのだ」
ふうん、とプシュケは魔法使い同士の掴み合いという、騒々しい議場を想像してみた。自分の他にもいる魔女や魔法使いの弟子達が、どのような様子なのかは気になる。しかし結局自分と同じような見習いは留守番するほかないようだ。
「……そういうわけだから、今年も《おおいぬ座》の彼に委任しておくとしよう。今年は人馬族の賢者がやたらと接触してきて、皆ぴりぴりしているのだよ」
師匠はペンをとって、返信をしたためている。左様で、と応じたプシュケはさらりと発せられた言葉に耳を疑った。
「ちょっと待ってください、人馬族って何ですか?」
「……ああ、私達のような人間から生まれる変人と違って、いるところには物語の中にしかいないような連中がうようよしているのだ」
師匠は意地の悪い表情を浮かべる。海の国からは人魚、西の火山帯は竜族、そして東の草原には人馬がいてね、とにわかには信じがたい話を始めた。
「ちょっと待ってください、ではさっきの方は一体何だったのですか」
「あの人は使い魔のようなものだ。本性は羊だから、人馬族とはまた別」
「とにかく馬の身体に人間の上半身がくっついているなんて嘘、絶対に信じませんからね」
「プシュケ、その言い方はおやめなさいな。誇り高き人馬族の賢者は、きっと酷い侮辱と受け取るよ。自称、神の血を引いていると豪語するくらいだから」
草原をどこまでも追い回されるよ、と師匠は神妙な顔つきでプシュケを脅かそうとしている。
「じゃ、じゃあ師匠は昔話や絵本の中や、吟遊詩人の頭の中にしかないような世界の魔法使い達と、交流があるの……!?」
プシュケは勉強に使っている小ぶりな黒板と白墨を手に取った。黒板に白墨で、人間と馬が合わさった絵を描こうと試みた。身体の半分が馬で、残りが人間。怖ろしく奇怪な姿しか思い浮かばず、困惑のこもった絵姿が出来上がってしまう。
「半分が人間で、半分がお馬さん……」
馬の頭を描いて、その下半分は人間の身体を描く。しかし師匠は白墨を受け取ると、人間の上半身に馬の首から下が繋がった実に奇妙な絵姿を完成させた。これだよ、などと師匠は神妙な顔つきで頷くので、ますますプシュケは困惑した。
彼らの一族はこの一帯よりもずっと広い草原に住み、占星をして暮らしているらしい。
「このような姿かたちをしていたら、絶対に首と背中が疲れてしまって、背もたれが恋しくなります」
「……いや、人馬族の連中、背もたれなんて見た事がないのでは? まあともかく、早く立派な魔女として独り立ちして、私が組合の会合で弟子の自慢話ができるようにするように。人馬族の賢者がする孫娘の自慢話に、人間出身の魔女と魔法使い達はうんざりしているところだ」
人間から生まれた魔女、魔法使い達に対し、同じ種族で固まっている者達とでは何かとやり合う間柄らしい。
「遠い遠い世界の果てには、そのような生き物がひしめき合っていて、人間に無理難題を吹っ掛けて、対価として暮らしやすい土地を取り上げたりしている」
「……師匠と一緒ですね」
プシュケの師匠も、国土のあちこちにある村と何らかの取引を経て、人間の土地を取り上げ管理して暮らしている。実に様々な場所があって、プシュケはどこまで続く地平線を望む草原を走り回り、木立や流れの穏やかな美しい清流を泳いで遊ぶのが好きだった。
「プシュケだって女の子なのに、とんだお転婆だもの。お人形遊びに編み物に刺繍、機織りや土いじりをもっと好きになってもいいのに、毎日毎日駆け回って」
見習いは師匠の小言を聞き流した。そうして世界のどこかに存在する魔女、魔法使いの仲間たちへ思いを馳せた後、ゆっくりと隣に視線を戻した。
師匠は一見すれば、普通の人間と変わらない。子供の頃から代わり映えしないという灰色の髪のせいで年齢がわかりにくいものの、美しい妙齢の女性といっておけば差し支えないだろう。
弟子のプシュケの方はこれと言って特徴のない小娘で、顔を合わせたとて三日もすれば顔立ちは記憶から薄れてしまうに違いない。恰好だけは師匠の趣味でリボンやレースがひらひらと可愛らしい服装である。師匠の方はいかにも魔女というよりは屋敷で静かに暮らす貴婦人のようなブラウスやスカート、若しくは薬草の取り扱い、薬の調合から畑仕事までこなせるような服装の日もある。襟元はきっちりと堅苦しい印象で、肌を露出しているのは首から上だけだった。
「……」
そしてプシュケの知らない広い世界には馬と人間が合体したような種族が暮らしているらしい。それからさきほどの、高山の魔法使いから遣わされた使者は、まるで羊のような特徴をしていた。そうすると虫を扱い、《さそり座》の名を冠する師匠の正体が突然不穏に感じられてしまう。
「え、まさかもしかして……」
「ふふふ」
さそりという生物はまるで何かを振り上げたような恰好の、独特の毒虫である。師匠が言うにはそれほど毒が強い生き物ではないそうだが、神話では傲慢な英雄に立ち向かった、小さくとも勇敢で油断ならない存在として一目置かれている。
プシュケは師匠の弟子なので、同じく虫使いとして修業を始めていた。その影響で大抵の場合は見掛けても驚かなくなったが、やはり手のひらより大きいと少し怖い。
「やっと真実に気付いたようだね、……本当の姿を見たくなった?」
師匠は突然ローブを大袈裟にはためかせた。びっくりして椅子ごとひっくり返りそうになった弟子を前に、相手は腹を抱えて笑っている。怖ろしい真の姿とやらは特になかった。
「ごめんごめん、お詫びにシロップを舐めて機嫌を直しておくれ」
脅かされた弟子は抗議の姿勢を維持したかったが、結局グラスに用意してもらった甘い飲み物であっさりと陥落した。いつもの接骨木、別名エルダーフラワーのあっさりとした味わいのシロップである。けれど安い弟子だとは思われたくなかったため、しばらく考えた末にあれが飲みたいの、と追加で要求した。
「だって、先生は他にまだ美味しいシロップを隠しているのだもの」
「……何を言っているのだ、この間一緒に手取り足取り作り方を教えたのに」
師匠の言う通り、プシュケは魔法のランタンから力を借りて、初めての調合に苦心したのだった。師匠が行使する魔法の全ての基礎を担う、とても大切な魔法であるらしい。蜂蜜やいくつもの薬草と複雑な加熱操作の末、ようやく完成する代物だ。
「これもたまらなく美味しいけれど、師匠が私をここへ連れて来て、一番最初に飲ませてくれたあれなの」
魔女に拾われたプシュケは毎日可愛がられて、あれから何度ももらって飲んでいる。けれど初めてもらったシロップは特別なのだ。
森の奥へ捨てられて、どうする事もできずに蹲って何も口にしていなかった。師匠がこの庵へ連れて帰って来て、ガラスの器にシロップを注いだ。微かに何かの果物らしき香りが、鼻腔をくすぐったのを覚えている。正直、味はあまり覚えていないけれど、美味しいという言葉では言い表せないほど、とにかく衝撃的だった。
「……」
「……くれないのは、まだ早すぎるって事ですか? 『これは子供には毒だけれど、大人にとっては薬なのでね』って誤魔化そうとしても、そうはいきませんからね、師匠」
やれやれ、とプシュケの要求を前にして、けれど師匠は大袈裟に肩を竦めて苦笑していたのが、なんとも形容しがたい眼差しで、こちらを見つめるばかりだった。特別なシロップを、大事に隠している場所から出してくれる気配はない。
弟子が引用したのは、様々な国で語り継がれる子供向けの説話を集めたものの一つだ。後に高名な僧侶となる少年の子供時代の出来事である。
夜な夜な、少年が師事している徳の高い僧侶が奥へしまってある壺の中身を、しかし子供には毒なのだと言い張って独り占めする。そこで彼は一計を案じ、とんちの利いた大義名分の下、実は甘い水あめを奪取するのであった。どこの見習いも大変である。
いつか必ずあの味を自分の手で、とプシュケが決意を新たにする横で、師匠はなんとも複雑な表情をまだ浮かべている。
「あーあ、口ばっかり達者になるんだから。一体誰に似てこうなるのだろう……?」
「ここには師匠しかいませんよ」
「あーあーあー、可愛い可愛いプシュケちゃん……」
師匠は作業の手を止めて、弟子の髪を一しきりくしゃくしゃにしてしまった。せっかく可愛く整えたのに、と自分で笑って、彼女はプシュケの髪をやり直すつもりで解き始めている。
そうしている間に、プシュケは師匠を見つめた。こうして優しくしてもらって、楽しく暮らしている。プシュケがなりたいのは目の前にいるこの相手なのだが、それはなかなか伝わらないらしかった。




