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㉘最終話 王城の魔術師と庵の魔女


 この国には魔女が棲んでいます。暗い沼地の奥に潜み、かつて海の向こうから押し寄せる敵に一人で立ち向かい、ついには退けた怖ろしい力の持ち主でした。

 子供を攫って食べしまう悪い魔女がいつ何時、次に連れ去る犠牲者の品定めをしているか、わかったものではありません。



 語り手であるまだ若い母親はおどろおどろしい口調で、ランタンの明かりを絞った暗い部屋に向かって囁いた。祭りの季節が近いためか、彼女の子供達は寝台へ潜ってもまだ騒いでいた。そこでしかたなく、確実に寝かしつけられる魔女の噂話を持ち出したのだ。

 いつもであれば本当に魔女がやって来ては困るので、どの子もそそくさと寝床へ入って目を瞑る。ところが今夜は様子が違い、くすくす笑う声が聞こえた。


「魔女は国王様に頼まれてお城で仕事をしているって、隣のおじさんが見て来たって!」

「本当は良い魔女で、子供を攫ったりしないんだよ。情報が遅れているんじゃない?」


 日中は子供なりに仕事を手伝い、合間に近所の子も一緒に走り回って遊んでいた。しかしこの態度を見る限りでは、まだ元気が有り余っている様子である。


「そう? それなら明日の本番、早くから頑張った良い子にはご褒美があるというのに、みんな早く寝たくないのね?」


 母親は慌てず騒がず、思わせぶりな台詞を口にした。日中、この若い母親は祭事のための特別な食事を用意する係の一人だった。そういう理由で忙しい作業の合間におしゃべりと美味しそうな食事の香りと味見を楽しんでいた。

 それは話が別、と子供達は慌ててシーツを被って、わざとらしい寝息を立てはじめる。それが演技ではなく本当に眠りについてしまうまで、時間はかからないだろう。



「魔女、ねえ……」


 そっと子供部屋を離れながら、母親は一日の出来事を振り返った。自分が子供だった頃は、今ほど祭事の規模は大きくなかった。毎年少しずつ、周囲が豊かになって行くのを肌で感じながら大きくなった世代である。


 かつては散々脅かされたものの、大人になった今では子供を寝かしつけてくれるので、それなりにありがたい存在として捉えるようになった。本当に攫うかどうかは定かではない。王城にいる話の信憑性もわからないが、年長者が時折語る昔話によれば、海の向こうまで侵略者を追い払ったのはどうやら事実であるらしい。

 そして前の王様と、後を継いだ若い陛下は頼りになりそうだと、小さな村でも度々話題になる。


 平和に穏やかに暮らせる日々がどうか、これからも。教会に捧げる祈りの中には家族や周囲の人々に加えて王都にいる国王、そしてほんの少しだけ、この国のどこかで暮らす魔女も含まれていた。





 ゼスとプシュケは早朝から出かける準備を進めている。厩舎から馬を連れて来て食事と水を与え、もちろん普段土いじりを健気に手伝う小さな一頭も含め毛並みを整えた。虫除けや疲れにくくさせる魔法が込められた飾り紐を装着し三頭並べると、誇らしい気持ちが伝わって来る。


「ゼス君の寝衣もこれからは私が作るね。リボンとレースにはよく眠れて、冬は暖かくて、夏はべたべたしないような魔法をこめるから」

「……とても嬉しい申し出だが、そのありがたいおまじないはリボンやレースでなければだめなのか?」

 

 ゼスに可愛い服を着せるプシュケの計画は即座に見破られてしまう。仕方なく釦や襟袖にさりげない刺繍を入れておく方法に妥協したところで、いつものお喋り蝶々がたくさん仲間を引き連れて、庭の向こうから飛んでやって来た。


『それじゃあ気を付けて行ってきてね。お昼頃に私も顔を出そうかしら』


 宮廷魔術師が留守にする間、王城には優秀な使い魔がこちらに残ってくれる手筈である。ふふふ、と朝から上機嫌にプシュケとゼスを見比べた。


『プシュケちゃん、可愛いわねえ。初々しくてこっちまで嬉しくなっちゃう』


 使い魔は昨夜からこの調子である。いつもと一緒、とプシュケは反論したものの、相手は身軽な蝶々なので手が届かない高さまでひらひらと逃げられた。


「まあまあ」


 仲裁に入ったゼスも今日はお休みなので、仕事中のように気を張りつめているわけではない。じっと観察すると、それでもいつもより嬉しそうな表情に見える。


「……なに?」


 なんでもないよ、とプシュケは笑って誤魔化した。親しい友人から少し先へ進んだ今、たしかにプシュケも使い魔の言う通り、ふわふわした心地であるのは否定できない。変なの、と初めての経験に戸惑ってしまう。


「そろそろ行こう。忘れ物はない?」


 プシュケはそそくさと荷物の最終確認を促した。師匠への手土産に焼いた甘い焼き菓子、それからミハイルが温室で育てている中から綺麗に咲く予定の一鉢を快く譲ってくれた。ゆっくりして来ていいぞ、とにやにやしながら手渡されている。

 ゼスが丁寧にお礼の口上を述べたので、プシュケもそれに倣っておいた。自分の弟分と妹分がそのような新しい関係になった経緯を、どうやら既に把握しているらしい。

 

「それじゃあ、そろそろ……」


 プシュケはいつものように魔女、魔法使いしか使えない道を通るのではなく、ある程度まで馬の足で向かう。二人は忙しい立場であるので、まだ陽が明るくなりつつある時間を楽しむ貴重な機会でもあった。

 いつもは王城から離れない小さな馬も、今日は特別な空気を感じ取っているのか、いそいそと付き従っている。興味津々であちらこちらに視線を向け、風の匂いを嗅いでいた。

 プシュケは新たに身に着けた技術を自慢するだけでなく、彼らの可愛さを師匠にも知って欲しい。ついでに弟子が作った馬用の防寒具や飾りを見せようと張り切っていた。

 

 そして宮廷魔術師と正式に認められたため、授かった美しい徽章もぜひ見せなくてはならない。忘れず懐にしまってあるのを確認しているとプシュケ、と呼ばれて顔を上げた。


「今日は魔女のお師匠殿に、いつもプシュケの世話になっていると、王城での仕事ぶりを報告するつもりだったが、……改めて挨拶もしなければ。きっとルクレティアがそれとなく伝えてくれているだろうから、黙って交際に入ったような形は避けたい」

「それは、たしかに」


 ミハイルの秘書官として様々な段取りを組むゼスらしい意見である。プシュケと違っていつでも気軽に庵へ立ち寄れる身ではないから、と続けた。

 

「それに、この手の段取りが悪い男は心証がよくない」

「……なるほどね。それなら私はゼス君の兄貴分、ミハイルに正式に報告すればいいのかな?」


 プシュケは鉢を受け取った時の様子を思い出した。歓迎している様子なので、ありがたいようなそっとしておいて欲しいような複雑な心境である。しかしゼスが前向きなのでプシュケも変な誤解をされたくない。

 

「ミハイルにそのような言い方ができるのは魔術師殿だけだ」

「これはゼス君の真似なの……ふふふ」 


 ゼスしかいない時は文句を言っても大丈夫だとプシュケは勝手に解釈している。誰かに聞き耳を立てられるようなへまはしない。

 とりあえず一緒に出掛けて楽しい気持ちが伝わるよう、開き直る事にした。 







 そろそろ師匠も朝の庭仕事がひと段落ついたであろう時間を狙い、プシュケは庵への特別な道を開いた。ゼスを案内しながら進むと、目の前に懐かしい景色が現れる。薬草園の入り口には大きな接骨木が見えた。

 そして建物の前で、こちらの訪問を待ち構えていたらしい姿が目に入って、プシュケは手を振った。緩く編んだ髪、少し肌寒いためか上掛けを羽織って、明るいためか黒布で覆ったいつものランタンを提げている。


「師匠、ただいま帰りました」

「おかえり。今日は大人数で」


 えへへ、と魔女の弟子は馬から降りて駆け寄りながら、まず改めてゼスを紹介した。双方どこかぎこちない表情を浮かべ、軽い会釈を交わしている。

 馬はその辺に放しておけばいい、とプシュケがそれぞれを紹介した後、師匠が手製のたてがみ飾りを観賞した後で口にした。範囲内は様々な結界の魔法が掛けられているので、脱走や薬草園を荒らす心配はないと付け加えた。


 プシュケはミハイルが交配させ作り出した新しい品種の鉢植えや、好物であるカスタードタルトも見せた。言われた通り馬の手綱を放すと、三頭は仲が良いので連れ立って周囲を見回し、首を下げて足元を確かめている。


「それで師匠、これが陛下より正式に授与された宮廷魔術師の証です。私がいつも可愛いルクレティアを連れているので銀職人も……」


 最後まで説明できなかった。何気なく彼女に手渡した時、相手は聞いた事のない悲鳴を上げた。師匠は手渡された銀製の徽章を取り落としそうになって、それはまずいと思ったのか慌てて空中で捕まえた。


「だ、大丈夫? 師匠」

「……銀は嫌いだって言ったのに」


 いつになく取り乱しているのでプシュケも困惑しながら応じ、そういえば人間が扱う火と同じくらい、銀も嫌っていたのを思い出した。


「これはちゃんとした銀製なのか?」  

「もちろん工房と職人は厳正な審査によって選ばれるので……。ところで銀貨は、純銀ではなくて銅か何かが混じっているものですが、これは平気ですか。財布に何枚かあって」


 魔女の師匠はいぶかし気に徽章を手にしたまま見つめ、魔力を流して解析しているらしい。師匠の問いかけにはゼスが答え、彼も相手の反応に慄いている。

 そういえば彼女がその話をした記憶が甦った。決して失念したのではなく、単純に半信半疑だった。弟子は特に触っても何も起こらないので尚更に。

 この国にいる魔女が、お伽話の悪い人食い魔女とはかけ離れた存在だと、プシュケは誰より知っていた。


「……すまないね、昔は持ち込まれただけですぐわかって、もちろん触ろうとすれば大火傷だったから、少し驚いただけだ」


 蝶々に形とはなかなか良い趣味、と師匠は取りなすように顔を上げる。徽章をこちらへ返した師匠の手に変化は見られなかった。


「ああ、……師匠は昔から昔話に出てくるような悪い魔女や人食い鬼の真似をして、私を喜ばせてくれたの。優しいお母さん代わりというわけ。よく脅かされたりもしたけれど」

「迫真の演技でしたね」

「いや、演技ではない。昔は本当に……」

「では、平気になったという事なの? 師匠」

 

 プシュケとゼスに問いかけられ、相手は何度も瞬きを繰り返し視線を泳がせている。子供を攫って食べる悪い魔女でないので、銀を触ったくらいで負傷するわけもない。


「つまり、私を可愛がって育てる過程で、自称悪い魔女から心の美しいお母さんへ浄化されたという」

「誠実な振る舞いが報われるのも、よくあるお約束ですからね」


 これが至上の愛、と勝手に納得し頷くプシュケに、ゼスも気を遣って話を合わせた。師匠だけがまだ呆然としている。そんなはずは、と呟くのを耳が拾う。

 なんにせよ、目の前にいる庵の魔女がいくら悪役を名乗ったところで、プシュケを拾って愛情を注ぎ、技術を教え一人前に育て上げたのは間違いない。王城で世間というものに触れたプシュケは、職人の親方という存在が必ずしも親切な者だけではないと既に知っていた。


「まあ、もういい……。とりあえず食事の支度ができているから二人共、手を洗って」


 はい、ととりあえずプシュケは応じておく。お喋り蝶々のルクレティアが合流するまで、もう少し時間がかかるはずだ。それまでまだそれほど親しくない二人の仲を取り持って間を持たせなくてはならない。真剣に交際をはじめました、という嬉しくも気恥しい報告もある。 

 持ち込んだ美味しい焼き菓子と自慢のシロップ、そして王城で積み上げた仕事の実績について語れば、そう難しくはないだろう。


 プシュケは大好きな二人にたくさん笑ってもらおうと、今日は一段と張り切っていた。


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