㉖《おおいぬ座》のランタンと企図
この国には魔女がいる。海の向こうの皇帝が遣わした騎士団を返り討ちに、そして魔の手は遠く離れた場所にいたはずの元凶に襲い掛かったのだと、既に噂は広まりつつある。
草原の小さな国を含めた一帯は混乱のただ中にあった。苛烈な統治に対する不満が爆発し、各地で蜂起が連鎖している。駐留軍はじりじりと追い詰められ、退却を余儀なくされていた。
怖ろしい所業に震えあがって右往左往する者が大半の中、どさくさに紛れて誇りと土地を取り戻すべく、人を集めて奔走する者もいた。一連の大きな流れは直接聞き回らずとも、全て耳が拾っている。
その喧騒から唯一離れた場所で、魔女は事の発端の張本人にも拘らず、知らん顔で作業を進めていた。
「ああいやだ、これ以上寒くなったら何もできやしない」
独り言で悪態をつきながら、魔女は森の奥にある開けた場所で何日も動き回っていた。
周囲はうっすらと雲がかかり、淡い日差しが秋と冬の狭間にある森へ降り注いでいる。山から吹き下ろす冷たい風と針葉樹の深く灰色がかった緑も相まって、殺風景な印象は否めない。
ここはどうやら廃村の一部であるらしい。住居の成れの果てが立ち並んだ奥に、放棄された教会らしき残骸が残されている。魔女はここをねぐらと決め、周囲を整備しはじめていた。邪魔なものは片付けて、ゆくゆくは自分だけの畑と工房が悲願である。雪が降り積もるより前に、やっておきたい事は山ほどあった。
庵、と勝手に呼び始めた場所で、倒木に座り込んでしばらく息をついた。もう少し作業しなければと立ち上がった時、目と耳とそれから周囲を取り巻く結界が、近づく者の姿を感知した。
魔女は一瞬手を止めその気配を窺い、見知った顔であるため作業へ戻った。姿が見える頃に区切りをつけ、改めて出迎える。
「……《さそり座》の魔女さん、こんにちは!」
「どうも、少し時間が空いてしまいましたが」
聞きなれない呼称で、自分への挨拶だと認識するのに時間がかかった。相手は気にした様子もなく挨拶し、それから周囲の様子を観察している。
一人は十歳前後の黒髪の女の子、もう一人は三十代半ば程の青年である。年齢からすると親子のように見えなくもないが、身体的特徴や顔立ち、そして魔力の流れによって否定できた。
幼い目を引く魅力的な存在は皆無のように思われたが、それでも子供は楽しそうにきょろきょろと周囲を見回している。
「探検してきてもいいでしょうか」
「どうぞ、ゆっくり。まだ何もないけれどね。まだ片付けの途中だから気を付けて」
女の子は手を振って軽やかに行ってしまう。残されたもう一人が、呆れたように後ろ姿を眺めた。
彼女は初対面だが、彼の方は幾度となく顔を合わせている。《おおいぬ座》という奇妙な通り名を使う強力な魔法使いである。ここから遠く離れた国で、魔女や魔法使いを束ねる組織のまとめ役を名乗っていた。
「一応、危険がないように同行してくれたはずなのですが、……一体何なんでしょうね」
「……ところで《さそり座》とは何の話だったか?」
「ああ、私達の魔導結社は本名ではなく星座と星の名前を借りる事にしたのです。綺麗でいいでしょう? これからは《さそり座》か《さそりのシャウラ》という通り名をお使いになって、どうぞ」
さそりは他の虫と違う特異な姿をしているものの、それほど毒の強い種類ではない。神話において傲慢な英雄に打ち勝った逸話が、今も独り歩きしているらしい。
《さそり》という名前を手に入れた魔女の本分は虫使いで、かつては樹木を育てて薬毒を扱うありふれた存在に過ぎなかった。
「手の怪我はどうですか。指先が痛むと何かと不便でしょうに」
「ああ、まったくだ。貴殿にも機会があるとしたら、指先は避けた方がいい」
《さそり座》は相手に忠告した。髪以外の身体の一部を燃料代わりにする強大な魔法は禁忌扱いである。薄々わかってはいたものの、実際にやってみると手の爪全てが割れるとひどく不便な上に痛みも酷い。この頃になってようやく手の震えが収まって来たところであった。
「薬を自分で作り出せる点だけは、この分野の魔女でよかったと思う」
もう一人の訪問客は分厚い瓶底眼鏡が一見野暮ったいものの、その後ろには穏やかで知的な印象がある。しかし、油断のならない眼差しでもあった。左手には既婚であると示す指輪が光っている。どうやら彼は装飾品に何らかの魔力を宿す技術があるらしい。
「良い指輪だね」
「ええ、ありがとうございます」
魔女は心から賛辞を贈る。指輪の贈り主と彼との間で、強力な守りの魔法が掛けられているのを感じた。
彼は持ち物を褒められたのが相当嬉しいようで、手土産と称して保存できそうな乾物や、それから手紙や防寒具をこちらへ手渡した。
「貴殿は銀貨か何か、お持ちのようだ」
ありがたく支援物資を受け取りつつ、《さそり座》は彼に指摘した。この距離でも焚火に近づきすぎたような感覚がある。触りなどすれば、手の皮が爛れるに違いない。
昔から、どこの世界においても魔物を遠ざけ、退治するのに使われるのは銀と相場が決まっている。身を守るためとはいえ、大勢の人間を返り討ちにした《さそり座》の魔女はとっくに、そちらの領分へ転がり落ちているらしかった。
「……なるほど」
相手は一つ頷いて、自分の財布に魔力を流して強固に遮断した。すると熱感は嘘のように消え失せ、冷たい清涼な空気が戻って来た。
「所詮、近づかなければ何も起きませんからね。何か作ったり改良したりするのが、魔法使いとしての私の本領でして。我々の理念としては後進の育成、技術の保全、何より横のつながりが大切です。今日は測量で、とりあえず図面を作ってきましたから」
彼は《さそり座》が銀を触れない事実をさらりと流して、本日の用件に取り掛かるつもりであるらしい。
相手の説明によれば生活する場である母屋と仕事にとりかかる工房が二階建て。農村によくある祈りの場所と集会場が一緒になったような規模であるらしい。
「一人で使うのだ、これほど立派でなくても平気だよ」
「いやいや、将来的には弟子を養うのが組織の取り決めですからね。このくらいは広さがあった方が使いやすいですよ。仕事のために設備投資は必須ですから」
何しろ頼みたい案件が山のように、と彼は大仰に肩を竦めている。彼は口数が多い方なのか、終始何かしら言葉を発している。
「ああ、それとようやく完成しましたので。これ以上寒くなる前でよかった」
以前来た時に渡してくれた試作品を回収し、彼は一回り大きなランタンを手渡した。見た目より軽く、けれど日用品とは思えないほど繊細な装飾が施されている。
何より複雑で緻密な魔力機構が、硝子の向こうに煌々と、怖ろしい魔力が宿るのを感じた。この炎が自分に向かえば、何も残さず焼き尽くされてしまう様子がありありと想像でき、思わずたじろいでしまう。
「器用じゃないか」
「私にはこれしかできませんから」
彼は破顔した。分厚いレンズの眼鏡の奥が笑っているように見えるのは元の顔立ちがそうさせているようだ。
《さそり座》は目の前の明るい火と、そしてかつて炎に囲まれた記憶から、自然と彼に問いかけていた。
「ここへ来るまでに、雄の蟷螂がいなかったか? 使い魔だったんだが」
彼はしばらく逡巡した後、首を横に振った。
「ここへの道すがら、沼のようになっている場所が厳重に括られて、中に誰かいるのが見えましたが、あれは……」
「あれは関係ない。人間を招き入れた裏切り者は、もう少し痛めつけて気が済めば解放してやるさ」
「……殺すのはだめですよ」
「…………ああ、組織の方針には従う」
相手もしつこく問いただすようなそぶりはない。最低限の忠告のみで済ませた。
かつてはこのような忠告を逐一、魔女に訴える奇特な者がいた。いる時は鬱陶しい限りであったのに、いなくなると途端にあたりが静まり返ったような心地で落ち着かない。
「私の本業は貿易商、でいいのかな。とにかく商会の幹部、と言っておけば人間の中でもそれなりに扱ってもらえるのでね」
彼は律儀に、《さそり座》の仕事を手伝った。物を軽くする簡単な魔法を駆使し、邪魔な岩や建物の残骸を運んでいる。
「二十歳過ぎまでは、自分だけでした。その後、私の火を見つけてくれた方に師事できて幸運でした。自分の技術が、いかに無駄だらけかよくわかったので」
「……その年まで独学とはおそれいるな。天才じゃないか」
《さそり座》と《おおいぬ座》の二人は陽が暮れるまでたっぷりと労働に勤しみ、もう一人の訪問客の少女が戻る頃にはすっかり疲れ果てていた。お腹が空いたから帰りたい、という子供の声を聞き流して、彼はこちらに別れのあいさつや次回の訪問、それから組織の運営について説明した。
「星座を冠した人には、会の運営方針に口出しする権利を差し上げますよ。それから、どうぞお気をつけて。あなたを探している者が、まだ大勢いらっしゃるようですから」
そういう大変そうなのはいい、と《さそり座》は運営方針に口を出す権利を遠慮した。しかし二人にまあまあと宥められ結局断れなかった。暗くなりつつある山道を去って行く彼らを見送った後、受け取ったランタンをしげしげと眺めた。明るく温かく、そして魔力を燃料としているので不快な気配はない。
良いものをくれたものだと、《さそり座》は寄越した相手を疑いもせずにランタンを受け入れ、その恩恵にあずかる事にした。
これまでの人生、上手く運んだ試しがない。ある時から、寝ていてもどこからか届く視界や音を聞くようになった。これは他の者が夢と呼ぶのもの同じだと思っていた。そこら中に溢れている虫の目や耳から勝手に届くのだと、最初はわからなかった。
知りえない話をぺらぺらと喋る子供を、親兄弟は気悪がっていた。隣の奥さんと自分の父親は頻繁に、納屋や林の奥へ入って行く。中でする何が楽しいのかと訊ねたのがよほど気に喰わなかったらしい。奉公に出すと言って、顔はいいから主人に気に入られたら妾にしてもらえるかも、などと笑い合っていた。
家を出た先でも、同じ部屋にいると気分が悪くなると複数の者が口を揃えた。それが虫を操る魔力の副作用だとわからなかったので、対処しようがない。そのうち物置部屋へ追いやられ、しかし一人でいる方が楽だとわかってさほど気にしなかった。
ある時、いつも付け回して意地悪く文句をつける侍女長を脅かしたのは、植木鉢にいたオスの蟷螂だった。彼女は虫が大嫌いだったので、慌てて逃げて行く。
『……あなたは魔女だ。それも相当力の強い、きちんとした訓練を受けなければ』
こちらに話しかけて来る虫は今までいなかったので、それなりに驚きつつも取り乱すような事はなかった。魔女や魔法使いの類や血縁に関係なく生まれ落ちる存在であるとされている。
その晩、遅くまでこき使われようやく寝静まった時、誰かが部屋へ入って来た。どうやら侍女長の意趣返しで、あの部屋にいる女は好きにしていいという話を真に受けた奉公先の主人が、酒の勢いで踏み込んで来たらしい。
『だめだ、死んでしまう! 戻れなくなるぞ!』
我に返ると、相手は自分の足元に倒れ痙攣している。蜂が必要に応じて毒針を出すように、咄嗟に反撃したらしい。騒ぎを聞きつけた使用人が集まって来る気配を前に、着の身着のまま逃げるほかなかった。
『大声で助けを呼べばよかったんだ、流石に見ては見ぬふりはできないだろう』
「へえ、花畑に住む蟷螂はさすがに考えが違うようだ」
蟷螂は押し黙った。虫と違って人間の世界には身分がある。どれほど運が味方して同情を集めたとして、失職は免れないだろう。縛り首でもおかしくはない。
屋敷を飛び出し、夜の山道をあてどなく進んだ。転々とするうち、ついに魔女の先生を見つけて師事を仰いだ。快く受け入れてくれた相手は大勢の弟子を抱えている。美しい声の持ち主で、聞いた者はまるで魅入られたように師を崇めた。
「どうやら、あなたはとても優秀な魔女みたいね」
残念ながらこちらが虫を支配する魔力と、相手の声はひどく相性が悪かった。そのうち他の弟子と敵対させよう、孤立させようとしてきて、うんざりだった。
『売れっ子になって、好きな仕事だけ受けて生きて行こう。その時まで我慢だよ』
何故かどこへも行こうとしない蟷螂は相変わらずである。独立しよう、と励ましてくれた。
そのうちに別の魔女が声を掛けて来て、自分の下で技術を学びながら手伝ってくれないかと誘いを掛けて来たので、そちらへ移る事にした。
小さな私塾のような場所で、まだ卵の魔女や魔法使いに薬の調合を教える仕事は、それなりに好きだった。
ところがその頃、今度は人間の世界で不穏な動きが加速しつつあった。海の向こうにある帝国が版図を拡大し、小さな国はあっというまに飲み込まれた。自分達のような魔女、魔法使いの類は異端であるとして追われるようになった。主だった者達が密かに集まって今後の動きを話し合う席で、逃げるしかないとする者に対し、自分は反対だった。
子供や老人も多くいる中、逃げるあてもないのに動くのは仕方がないと主張し、嵐が通り過ぎるまで隠れ住むほかないと意見した。
結局、逃亡先や匿ってくれる協力者を探しに行く者、残って子供の世話を請け負う側に分かれ、自分は残った。外へ出た者が戻った試しはなかった。捕まってしまった者もいたかもしれないが、安全な遠い場所へ身軽に逃げ去った者が大半だった。
「扉、今日も静かだね」
隠れ里には魔法の扉が設置されて、安全な逃げ場所を確保した者が、向こう側から開けてくれる手筈となっていた。子供達が希望の眼差しで見つめていたのは最初だけで、それとなく事情を察しているのか、そのうち誰も触れなくなった。
息を潜めて暮らしているうちにも、日々情勢は悪化していく。そしてついにある時、ここは異端の者が潜んでいると、火と銀の弓矢が撃ち込まれた。先頭に立つ者は見覚えがある。いつだったか、旅人や荷馬車を沼地に引きずり込む小悪党を追い払った事があった。あの時も蟷螂が殺してはだめだというので、適当に痛めつけ追い払ったのだ。人間へ寝返って、いつかの恨みを晴らしつつ協力者という安全な立場を手に入れたわけだ。
隠れ里は炎に包まれ、奥へと追い込まれていく。殿を務めて髪と爪を潰し結界の維持を試みたが、火の勢いは止まらず、侵入者を阻む結界は次々と破られた。気力と魔力の限界で膝をつきかけたその時、不意に最後まで守っていた奥から物音が聞こえた。
「……話がつきました、全員受け入れてくれるそうです! 急いで!」
向こう側から扉を開けた者は惨状に目を瞠って、声を張り上げる。あちらに何があるのか、誰が待っているのかわからないまま、しかし他に逃げ場はなかった。隠れていた二十人弱の子供と老いた魔女達は扉を次々と潜って行く。
「さあ、先生も……」
最後の子供がこちらを振り返った時、背後から矢が飛んできた。扉を直撃して燃え上がる直前に、小さな体を向こう側へ押し込んだものの、自分は間に合わなかった。魔女を探す荒々しい声がすぐ背後に迫っている。
「……」
煙に咳き込みながら、ある考えが頭を過った。残っている全てを費やして反撃に出た場合、どの程度嫌がらせになるだろうか。
本来、髪以外は禁忌である。痛みと恐怖で本来無意識に躊躇してしまうのが、今はもう失うものは何もない。このまま大人しく捕まる気もなかった。
『どうしよう、……?』
ふらふらとこちらに近づいたのは、一番ちびを守るよう頼んでおいたはずの蟷螂である。逃げる時間くらい稼いでやる、と言えばよかったのに、咄嗟にいつもの憎まれ口をたたいてしまった。
「……いつも何かにつけて戻れないと言っていたが、何も残らないよ」
扉があった場所に背を向け、ついに追手と対峙した。結界は間もなく破られて、拘束されるかその場で殺されるかのどちらかだ。いつもは入念な準備を重ねるのが自分のやり方だが、今日に限っては残った全てをかき集めた力任せの一撃のはずだった。
『行かせない』
聞いた事のないような低い声に、満身創痍の魔女は咄嗟に振り返った。
『本当は自分の子供に捧げなければいけなかった分だが、……あなたはきっとこれからたくさん弟子を育てるだろうから』




