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㉕星を冠して


 師匠への手土産は、彼女の好物であるカスタードタルトに決める。約束した通り、製作の助手を志願し仕事を終わらせたゼスが来てくれた。準備で忙しいプシュケに代わって、使い魔のルクレティアが飛んで行って彼を出迎えている。


「今日も美しい羽だ」


 蝶々に親しみを持って話しかけるのはゼス、ミハイルとその妻だけが行う。彼はルクレティアの機嫌を損ねてはよくないと心得ているので、彼の来訪に合わせてさりげなく姿を見せた蝶々を、指先に止まるよう誘導した。言葉こそ通じないものの、両者は常に意思の疎通を試みている。


「俺に何か言いたい時は空中でじたばたするから、今日は特に問題ないようだ」

『それじゃあプシュケ。ゼス君は不慣れだから、しっかり教えるのよ。お師匠様は甘い物にうるさいから』


 仲良し二人を邪魔しちゃ悪いもの、と彼女はわざとらしく付け加える。いつものように姉を自称しながら、プシュケが言い返すより前に窓からどこかへ飛び立ってしまった。夜の月明かりの下、庭の向こうへひらひらと離れていく姿を見送るほかない。


「……もう少し装飾の少ないエプロンと三角巾はないだろうか」

「師匠が作ってくれたから、可愛いのが好きなのでこういうのしか無いよ」


 ゼスはプシュケが用意した衣装を何枚も広げて見比べ、その中で比較的レース飾りが地味な一枚を確実に選んで装着している。似合う似合う、とプシュケが褒めると彼は渋い表情を浮かべた。

 師匠が手作りして定期的に贈られるプシュケの寝衣などはもっとふんだんに可愛らしい造りになっているので、感覚が麻痺しているのかもしれない。とりあえず、いつもの違う恰好をした秘書官の姿を楽しんでおく。



「まず、タルト生地を焼くの。そうしたら次に卵のクリームを作って流し入れて、……素敵でしょう?」

「聞いているだけで腹が減るな」


 プシュケは工程を一通り黒板へ書き出しゼスに示した。まずは計量、特に甘い物を作る際は正確さが要求される。

 彼は妥協を許さず真面目に秤と格闘しはじめ、これは彼の気質にも向いている作業のようだ。


「……プシュケが操る虫も万能だが、やはりこれもすごいな」

「そうでしょう。このランタンのおかげで、とにかく楽できるの」


 部屋の中心に佇むのは、師匠が所属する組織幹部、偉大な炎の魔法使いによって生み出された特別なランタンである。範囲内の明るさを快適に調整し、あらゆる熱操作を正確に受け持つ優れ物だ。

 おかげでかまどの前に立って熱に耐える必要がない。炒める等の作業は安定した場所が必要なので、プシュケは作業台の定位置にゼスを誘導しておく。ランタンの魔力を受け取る魔法陣が設置されていて、ここに近づけると鍋が熱くなるから気を付けて、と忠告した。


「ああ、いい香り」


 プシュケはゼスが計量した材料を混ぜ合わせ、ランタンの魔力を小鍋に流し始めた。お菓子作りには欠かせない香草のおかげもあって、いくらもしないうちに甘ったるい香りが部屋に漂いはじめた。


「あの、これ……すぐ焦げ……」

「そういう時は持ち上げると火の勢いが弱まるから」


 普通のかまどと一緒、という助言にゼスは片手鍋を持ち上げたり魔法陣にくべたりを繰り返し、焦げつかないよう丁寧な作業を試みている。

 この甘い匂いを持つ材料は温室で蜜蜂が受粉作業を手伝ってくれて、とプシュケも手元の作業を進めつつ、調子よくおしゃべりした。ミハイルの温室にも巣を一つ貸しているので、ゼスもその働きぶりを目にした事があるだろう。


 彼はふつふつと鍋底の泡立ちを注視し、焦げないように延々かき回す作業に没頭した。そろそろかな、と一緒に覗き込むと、なんとも豊かな優しい淡い黄色の、もったりとした仕上がりである。初めてとは思えない出来具合、とプシュケはゼスを賞賛しておいた。

 自分も師匠に見てもらいながら作った初挑戦では、残念ながら焦がして香ばしい味わいになったのを覚えていた。






「甘い物は力仕事だ」


 その後もタルト生地作成をはじめとした工程を終え、予定通り無事にお菓子が完成した。焼き上がったカスタードタルトから形の良い物を師匠の手土産に、せっかくなので二つほど味見と称し皿に並べる。

 いつものシロップと普通のお茶も用意して、結局いつものように二人で食卓を囲んだ。


「それから、こちらもぜひ味見してみて。師匠のようにはいかないけど、それでも今年はそれなりに味がいいと思う」


 プシュケは師匠に拾ってもらった際、一番初めに飲ませてもらったシロップを未だに越えられない。毎回試行錯誤を重ね、工程を見直し丁寧な作業を心がけているにも拘らず、である。


 グラスに注ぐと、ランタンの明かりを受け輝くようだった。見た目は一緒なのに、といつものように口を付けると、やはり何か物足りなく感じる。隣のゼスもタルトを半分ほど味わってお茶を飲み、そしてシロップに手を伸ばした。


「……生き返るようだ」

「ゼス君はいつも大袈裟」

「今、プシュケもそのような話をしてくれたじゃないか。飢えて死にかけた幼子には、さぞかし神の一滴のように感じられただろうに。そのせいで強力な補正が掛かっているのだろうから、毎年毎年師匠の味に届かないと思い込んでいるだけじゃないのか」

「…………え? あ、……そういう」


 ゼスの説明を理解するのに、プシュケは何度かまばたきするだけの時間が必要だった。空腹は至高の調味料である、というのは多くの人々に身を以て知られている。

 彼の指摘によって、今まで感じていた違和感が全て腑に落ちた。毎回手取り足取り作り方を教わって同じ材料、火の加減や器具まで揃えている。それなのに、という長年の疑問と悔しさがあっさり解消してしまい、プシュケは戸惑った。


「試行錯誤した事で、腕前はきっと上がっただろうから、少しも徒労ではない。毎年、味が少しずつ良くなるのは俺が知っている」

「師匠はそれとなく想像がついていたでしょうに。どうして教えてくれなかったのかしら」


 ゼスはプシュケのこれまでの努力は決して無駄ではないと取りなした。あの時はとてもお腹が空いていた、という子供でもわかるような正答に今頃辿り着いたプシュケを笑うでもなく、彼はタルトをつついている。


「私に最高のひらめきをくれたゼス君にお礼しないと。助言がなかったら、来年も再来年も同じ悩みを悶々と抱えていたから、遠慮なく言って」


 そもそもいつもお世話になっているから、と気恥ずかしさを誤魔化したいのもあって、プシュケは彼に尋ねた。しかし相手は遠慮気味である。

 二人でしばらく押し問答のようなやりとりに発展し、視線を泳がせていたゼスはようやくプシュケを見た。どうぞ、とランタンの明かりが微かに目の中へ映るのを見ながら再度問いかけると、彼はやっと願いを口にする気になったらしい。 


「どうしたら、これから先もこのような時間が持てるだろうか?」

「このような時間……?」

「プシュケもいつかは蝶々のルクレティアと一緒に、お師匠殿のところへ戻って……そして魔女は人間と同じように同業の者を選ぶ日が来るだろうか?」


 食事の話かと思いきや、彼の表情を見る限りは違うようだ。仕事の打ち合わせや、いつものように楽しくランタンを囲む時とも少し違う表情で、ゼスはこちらを見つめている。

 

「師匠の元へ戻るとしたら、それはずっと先の話になると思う。楽しく有意義に仕事している間は、帰って来いとは言わないでしょう」

「ミハイルも結婚の話を周囲にせっつかれていたのに、のらりくらりはぐらかして、婚約にこぎつける直前まで、弟だと言う割には俺にも教えてくれなかった」


 ゼスはここに居合わせないミハイルへの不満を、何故かプシュケに訴えた。牽制のように持ち出したので面食らってしまう。どうやらこちらに、今後の見通しの説明を求めているようだ。

 プシュケは昔、我ら三人は兄弟のようなもの、とミハイルが笑って宣言したのをふと思い出した。ゼスはあの時何も言わなかったように記憶しているが、彼にとっても決してその場の冗句ではなく、心のどこかに大事にしまわれていたやり取りだったらしい。


「結婚の話か……」

 

 プシュケは魔女や魔術師の結婚事情に、それほど詳しいわけではない。そのあたりに興味を持って質問する前に、こちらへ来てしまったためだ。師匠の仲間内では人間と婚姻を結ぶ者もそれなりにいるらしい、とは聞いている。


「師匠の受け売りでは、高貴な人々がそうするほど厳格ではないみたい。何より、魔法の力はほとんど受け継がないから、血縁はさほど重要視されないそう」

「……そうなのか」

「ゼス君こそ、人間のやり方に倣ってややこしい婚姻するのでしょう? ミハイルみたいに」


 こちらの返答は彼を驚かせたようだ。その表情を見つめながら、プシュケは逆にゼスに問いかけてみる。その通りだ、とあっさり認めると思いきや、彼はやや皮肉気な笑みを浮かべた。


「俺がこの仕事をしているのは家や血縁が理由ではなく、今更その方面を頼るようなやり方に変える気もない。いつも俺の手を取ってくれる人のおかげで、どうにかやっていけている。ミハイル然り、それから……」


 彼はプシュケを見つめた。皮肉な気配は薄まって、いつもの確固たる意志が感じられる眼差しである。あのゼスがここまで言うのなら、決意が揺らぐ事はないだろう。

 そして一つの可能性が、プシュケの頭に浮かぶ。少し前に師匠に話を聞いてもらったその先を、想像しなかったわけではない。けれどそれでいて、少し怖気づく自分もいた。


「もしプシュケのような魔女に、普通の人間が求婚を申し込むのは問題ないとしたら。その気が少しでもあるというのなら、決してあの時のように軽い気持ちではない。自分で用意して贈るのとはまた別に、ぜひもらってくれないか」


 彼が取り出したのは、ずっと大事にしている首飾りである。プシュケにも何度か見せてくれていて、蔦の葉という夫婦や恋人同士のお守りとして知られている。


「そのような言い方だと真剣に、大袈裟に、受け止めるけど……」

「ミハイルはきっと大喜びするだけだ。自分の勘はいつも正しいとか、ずっと前からわかりきっていたと言うだけ。魔女のお師匠殿は……求婚する男は多かれ少なかれ、どうせ同じ目に遭う」


 こちらの躊躇を見透かしたように、相手は言葉を重ねる。内容とは裏腹に、それほど負担とは感じていない様子である。

 そうして手のひらにやって来た繊細な造りの装飾品を、プシュケはおそるおそる受け取った。


「……私も入会したのだけれど、魔女や魔法使いの組織があって。出世すると星を冠した名前を名乗る仕組みがあって」


 プシュケも何か気の利いた返しをしなくては、と目の前の相手を見つめた。前もって心の準備をしていなかったために、いつかの馬人間のたとえ話のような支離滅裂な内容に転ぶ可能性もある。

 しかしどうしても今、彼に伝えるべきだと信じて先を続けた。


「大昔の人が迷った時は星を仰いで方角を、つまり自分の進む道を見定めていたのにあやかっていて」


 プシュケはあの夜、治療に必要だったため彼の手を取った。今は状況が違って、別にそうする必要はどこにもないけれど、そのまま握っておく。

 彼の眼差しはあの時と変わらず、幼さはない。諦念と義務感、そして使命を帯びた大人の目をしている。生来によるもの、そして環境によってそうなったもの、両方であると後から知った。


「あなたは夜空を仰ぎ見た私の目を惹きつけた、明るく輝くうちの一つ。私達が星の名前を冠するように、自分のありたい姿を語ってくれた時からずっと、指針として私の中にある。要するにかっこいいなって、会った時からずっと思っている」

「……それはずるくないか」

 

 さあ、とプシュケは目を逸らしておく。こちらの話を聞き終えた相手を、少しは動揺させられたらしい。どこか拗ねたような表情を浮かべつつも、ゼスは手を離そうとしない。プシュケもそのままでいる事にした。



『あら、話はまとまったのかしら』

「……どうせ盗み聞きしていたでしょうに」

 

 その時、ルクレティアがいそいそと戻って来た。そうしてそのまま、わざわざ主人が持っていた葉の形の飾りに止まる。今日は小さな白い羽を選んでいるので、元々そのような装飾品であるかのような具合だった。


『お師匠様に良い報告が出来そうね、おめでとうプシュケちゃん。それからゼス君も』

「どうやって説明しようかな……」

「残念だがお師匠殿には最初から見透かされている」

『そうそう、知らないのはプシュケちゃんだけ……』


 当事者じゃないのにどうして、とプシュケが憤ると、残りの二人から宥められた。まったく、と口にしつつも、それほど悪い気はしない不思議な夜だった。


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