㉔蔦の葉
数えたら全27話でした。お付き合いいただければ幸いです
「おお、どうだった。少しは話が聞けただろうか……」
ミハイルはすごすごと部屋まで戻った弟分の気まずい表情を見て、ため息をついた。ゼスがプシュケと食事し、今日の反省や近いうちに彼女の故郷、魔女の庵を尋ねる算段をつけていた間、主人は手早く寝衣に着替えて身支度を進めている。
「今日は手を煩わせて申し訳なかったと。城内では協力し仕事にあたる認識がお互いあるだけで、殿下が気にされているような関係ではありません」
「結局、いつものように二人で食事だけとは。私の優秀な右腕も、プシュケが絡むとてんで駄目だな。仕事上必要だとか、陛下の意向だとか、適当に言い繕えばいいものを」
わかりやすい奴、とからかわれるのは納得いかなかった。主人は自らの婚約話を上手くまとめた経緯のせいか、今度は身の回りを気にするようになってしばらく経つ。一番身近なゼスは集中的に狙われ辟易していた。
自分は彼女にとって仕事上の上役、そしてゼスは命の恩人には親切にすべきあり、更に魔女の師匠から託されている関係上、プシュケを気に掛けなくてはいけない。
しかしミハイルは今日もしつこかった。
「望みを素直に口にできない、なんと可哀想な弟だろう。私が至らなかったばかりに」
「幼い子をからかうような物言いはやめていただきたい」
ゼスは長らくミハイルの影であり、手となり足となるのを求められ続けて来た。かつては毒見役、召使の一人にすぎなかった。時には命すら自分の意志で決められない理不尽を、幼い頃は特に飲み込む覚悟もなく、楽しい幼少期とは言い難い生活を送って来た。王族の子が粗相した際、代わりに折檻される子供がどこの国の宮殿にも用意されている。
しかしもう二十歳ともなれば、自分の出生や環境を嘆いてそのせいにすべきではない。身代わりに折檻されていた経緯を、ミハイルはそれなりに引け目を感じているらしい。しかし決して彼が悪いわけではない。むしろ常に気にかけて、大人になった今ではこうして重用してくれている。
同じ境遇の者は大勢いても、自分のような将来を得た子供は決して多くないはずだ。
「……このやりとり、プシュケはこっそり盗み聞きしていたら話が早いのにな」
「魔術師殿は誠実ですから、陛下の個人的な話まで耳をそばだてませんよ」
プシュケは城内のあらゆるやりとり、出来事を見聞きしているが、同時に尊重してもいる。安全上必要、もしくはよほどの事態でない限りは知りえた秘密を口外しない。ミハイルと二人、くだけた調子でやりとりしている時は、詳細な内容を聞き取る事はしていなかった。
「……というわけで、今度、お師匠殿の庵へ顔出す時に同行しても良いそうですから。近々日程を調整します」
「お師匠殿のところか。また手土産を見繕わなくては。今度は何がいいだろうか?」
「今回は甘い物を手作りするので不要だそうですよ」
前回はミハイルが見繕った高価な贈り物、海で見つかる稀少な香料を用意した。今回は魔女の愛弟子、プシュケがお菓子を製作する計画で話はついている。本人が大丈夫と太鼓判を押すので、ゼスはその通りに従う事にした。大層人間嫌いである魔女にとって何が有用なのか思案するより、可愛い娘が手作りした好物の方がお気に召すに違いない。
「そうか、うっかり失言してカナブンにされないよう上手くやるのだぞ。……そうだな、私からは温室で近いうちに咲きそうな鉢植えを提案してみよう。種類に気を配りさえすれば、花を贈られて悪い気はしないはず。可愛い弟子のプシュケも生育に助言してくれたのだと言い繕えば完璧だ」
やれやれ、とミハイルは時間を確認した。今からの時間、主人は王妃陛下のご機嫌とりに忙しい。両者共に国のための婚姻ではあるものの、跡継ぎを望む声が王妃陛下の重圧にならない程度に気を配って抑えている。それなりに幸せな夫婦生活を手に入れたようだ。
まだ婚姻を結ぶ以前に初めて贈られた鉢植えを温室で交配させ、庭師に助言を頼みつつ毎年綺麗に花が咲くように育てている。色形や大きさの違う株を大量に増やして配っているほどだ。贈り主はその成果に感激したようで、関係を深めるのに一役買っている。
「私も段々と詳しくなってきた。掛け合わせた成果が現れると嬉しいものだ」
一定の法則がある、とミハイルは饒舌である。育種において次世代に引き継がれやすい形質とそうでないものが存在しているらしい。また表出しなくても、因子を保有し世代を経て再び顕われるよう操作する手技は、様々な分野に応用できるのだと誇らしげに語っている。
今は基本的に観賞分野だが、ゆくゆくは作物の病害虫や気候の変動に強い種を作りたいのだと、意欲的に取り組んでいた。
プシュケも虫の支配の他に草花も専門分野であるらしく、共通の話題として持ち出される。魔女の館には小さいながらも温室があって、稀少で繊細な植物はそこで厳格な管理がされているらしい。
「そうだ、プシュケを可愛がる魔女殿に直接交渉したら……」
「文字通り悪い虫としてカナブンにされたまま、永遠に戻してもらえないでしょうね」
冗句と言い切れないこちらの返答にミハイルはひとしきり笑っている。落ち着いた後に気をつけるように、と念押しされたゼスはその場を辞した。
ゼスがまだ生まれて間もない頃、両親は出先で身体を悪くして亡くなってしまった。母はともかく父はそれなりに丈夫なはずが、井戸水か宿で出された食事のどちらかがよくなかったのだろう、という曖昧な経緯しか残されていなかった。
宿場や居合わせた人々が取り調べられたものの、それ以上調査はされず不幸な事故、とされている。
当時父は騎士として、それほど名家ではない家柄から近衛に抜擢されたらしい。ミハイルの父から目を掛けられ、周囲から妬まれていた。母親は王城に出仕していた下級貴族の娘だった。上流階級との繋がりを求められていたはずが、結局は騎士である父と結ばれた事で、生家と良好な関係とは言い難かった。
生まれたばかりのゼスを両親に引き合わせ、関係改善の糸口を探る道すがらの悲劇だったと、そう聞いている。大がかりな捜査が行われずによくある悲劇として片付けられてしまったのも、そのあたりの事情が深く関わっていたらしい。
価値のありそうな衣装や宝飾品は全て母の生家が遺品として回収した。叔父が父の後を継いで、兄の忘れ形見ではなくいずれは自身の息子に継がせたいという意向を隠さなかった。ちょうど王家にミハイルが生まれた頃だったので、赤子のゼスは体よく王城へ差し出されたのだ。成人まで生き残る事を、誰も想定していなかった。
両親の持ち物として残った数少ないうちの一つ、父が可愛がっていた馬は引き取りに来た叔父を受け入れず、捕まえようと投げられた縄を躱し飲まず食わずで暴れ続けた。あまりの様子に見かねた厩舎の責任者が止めに入って、結局王城へ残される事となった。
ゼスは少し大きくなった頃、寄る辺のない気持ちの時は馬に会いに行った。身体は大きく言葉は通じなくても幼い子供の気持ちはわかるようで、寄り添ってくれる賢い生き物だった。
もう一つ、首飾りは街の露店で購入したという。貴石はなく誰から購入したのか定かではない。植物の葉の飾り以外特徴もなく値が付かないと判じられたため、ゼスの手元に残った。
本来なら女性向けの装飾品が、結局首元にしまい込まれて本来の用途からは掛け離れており、罪悪感に近いような感情をいつも抱いていた。
「蔦の葉は離れ難い気持ちを表しているから、きっと仲の良いご夫婦だったのでしょうね」
ある時から遠慮なく見せて欲しいと頼む相手が現れたので、ゼスは大人しく差し出した。彼女は見るだけ、と悪戯っぽく付け加える。
蔦という植物は人の暮らしの中において、壁などに張り付くように成長する。そして冬が近づくと葉が美しく色づくのだと、魔女のプシュケが言った。
「いいね、宝物だね」
「…………そうだよ」
ゼスは素直に認めた。彼女の前ではそのように振舞えた。相手は王城のしがらみとは何ら関係がない。ここへ来て仕事をしている理由は自分とミハイルに対する個人的な肩入れ、というのを本人が認めている。
深い事情を把握していない彼女の手にある首飾りを眺める時、若くして悲劇的な死を遂げた二人ではなく、幸せな時間がきっとあったはずだと、不思議とそのように感じるのだった。
奇妙な話だとゼスは常々感じている。かつて運良くプシュケがゼスの治療を請け負って、ミハイル共々匿った。彼女がいなければ城に戻れず、何もない森と平原のどこかで命を落としていた。
ゼスは彼女と親しいが、魔女や魔法使いの世界に詳しいわけではない。五年近く一緒にいても未だに謎めいた存在のまま、同じ場所で仕事をしている。初めて見る魔法がそれなりの頻度で登場し、他の者には決してできない方法で、王城で暮らす人々を守っている。
そろそろ自分達は大人の領域に足を踏み入れている。魔女や魔法使い、特におそらく近いうちに一人前の実力を認められるであろうプシュケが将来どうするつもりなのか、ゼスは何も知らない。彼女に直接尋ねたら判明するかもしれないが、しかし正面から問いかけるのを躊躇っていた。
ゼスは私室へ戻って、窓際の一輪挿しに、プシュケからつけられている小さな蝶がひらひらと移ったのを確認した。彼女が寝ていても、安全確認を主とした監視が城を取り巻いている。
この蝶はルクレティアではない。プシュケの使い魔はあらゆる羽を貴婦人の如く頻繁に入れ替えているが、なんとなく見分けがつくようになった。
『あの子に気がある』
ミハイルは先ほど、館にいる魔女に交渉したらどうだ、と言った。しかし相手はとっくにこちらの胸の内を看破している。
あの時、否定しなかったのは交渉術として相手を気持ちよく喋らせるためだった。今、全く同じ内容を囁かれても、ゼスは何も言えない。
かつて、怖ろしい厄災の魔女は機嫌一つで情勢を覆してしまうような、理屈が通じない天災に近いものだと勝手に捉えていた。しかしいざ魔女の庵へ足を踏み入れると、どこの親も一度は子供に抱く、自立を容認する余裕と、まだ頼りない足取りで旅立つ姿を見送るしかないもどかしさで大いに揺れていた。ゼスにもそれがわかるほど、愛弟子を実の娘同然に案じている。
庵の魔女とゼスの心配をよそに、プシュケはさほど抵抗もなく城の人々へ馴染んでいる。噂とは裏腹に、実態は城で働く年若い娘である事実に拍子抜けしてしまうのだ。面倒見が良い年長者を中心に交流し、仕事に支障のないよう立ち回っている。
最初に馬に乗れなかったのが最大の障害、と呼べそうな程度である。どうしたら乗れるようになるか、と尋ねられたゼスは結局練習しかない、と何の解決にもならない回答しかできなかった。
体力気力、筋力をつけ馬と信頼関係を重ねるしかない、という身も蓋もない返事に、プシュケはさほど落胆した様子もなく、その日からより一層研鑽を積んだ。
元々、彼女は活発な子供時代を過ごしたそうで、一般的な上流階級の女性ほどか弱いわけでもない。日常的に広大な土地の植物を世話して過ごし、本人は毎日走り回っていたという。馬を十二分に操る身のこなしを会得するのに、さほど時間はかからなかった。
『馬の耳につけている識別票に、細工を手伝って欲しいの』
彼女がゼスに差し出したのは小さな瓶である。中身は絵の具のような、プシュケによると常温でやわらかく、容器から出ると固まる蝋の一種であるらしい。それをほんの少し識別票に付けただけで、馬の反応は劇的に変わった。生き物を無理やり従わせるプシュケの魔力を感知しない措置がとられ、馬にとっては最近現れる新顔の一人としか見做されなくなった。
正攻法なのか力技なのか、魔術師がそれでいいのかという野暮な指摘は、プシュケの歓声によってかき消された。しっかりと手綱をにぎり、全身を上手く使って見事に乗りこなしている。
「やった、乗せてくれるようになった。ゼス君見て見て」
ミハイルから下賜された個体ではなく、厩舎から適当に引っ張って来た馬を駆りつつこちらへ向かって手を振るという高等技術を自慢げに見せつけた。
「……」
ゼスは可愛い仔馬を献上しただけ、という間抜けな結果に終わったものの、その素振りを見せないよう一緒に喜び、上役として褒め称えておいた。
かつて魔女の庵で一晩手当てを受け朝になってから顔を合わせた際のやり取りを、ゼスは鮮明に記憶している。患者の様子を目にし、あの時も心から喜びの声を上げかけ、取り澄ました表情で咳ばらいした。よかった、と小さな声で何度か付け足した。
あの時はどうしてよく知りもしない相手の回復を喜んでいるのか、理解できなかった。
プシュケの為人をよく知るようになって、彼女が自らの技術に持つ誇り、教えてくれた相手への尊敬によるものだと理解した。
仕事についた理由と姿勢が全く異なる自分は決して持ちえない感情のため、余計に眩しく感じるのだろう。
「……」
もし今話しかけたら、彼女はきっと城内に問題が起きたのだと飛び起き応じてしまう。ゼスは心のうちに留めた。
魔女の世界で婚姻事情、やはり力の強さや能力の相性で選ぶというのが妥当な予測である。プシュケは薬草魔女で、本分は虫使いが本人の申告である。
比較対象が乏しいため差だけではないが、彼女が十二分に強力な力を持つ魔術師であるのは疑いようがない。十五歳にして実力は申し分ないと送り出され、未だに大きな事故なく全て防ぎきっている。
あの怖ろしい魔女が直弟子として大事に育てたプシュケなので、やはり将来的には能力の高い魔術師と引き合わされるのだろう。
彼女は優秀な魔術師、自分は王城で仕事をする人間である。介入する余地がないにも拘らず、それでもずっと一緒に仲良くいられるような関係を望んでしまう。
自分は明かりに向かって飛ぶ虫と似たようなもの、と内心で結論づけた。寝台に横になって目を閉じると、せめて花にしたらいいのに、という彼女の声が夢うつつで聞こえたような気がした。




