㉑素晴らしい贈り物
『……ほらプシュケちゃん、起きてちょうだい。この子達があなたのお仕事を手伝ってくれるそうよ』
空が白み始めた頃、窓の外で名前を呼ぶ声がする。使い魔ルクレティアの声に、プシュケは目を擦りながら起き上がった。蝶々は昨晩外から戻って一緒に寝た記憶がある。まだ暗い時間に外へ出たようだ。今日の彼女は黒っぽい大きな羽を選んでいた。
窓枠にたくさん止まっているのは、大きさも色も様々な蝶々達である。他にもこちらにひらひらと近づく姿がいくつも見えた。ここ最近、ルクレティアが敷地を盛んに飛び回っていたのは、新参者である虫使いの魔女に手を貸してくれる者達を募っていたのだという。
『私の妹よ。少々おっちょこちょいだけど、長い付き合いだから』
「……はじめまして。私の使い魔がお世話になっているみたいで」
ルクレティアがいつものように姉を自称しつつ、紹介しながら引き合わせてくれた。小さな頃から面倒見ているの、と説明が続いている。集まった蝶々からは好奇心や、盛んに感心している気配が感じられた。
プシュケはいそいそと寝台を降り、庵から持ち込んだ浅い大皿にシロップを注いでもてなした。これが大層、彼らのお気に召したらしい。歓迎と喜び、連帯の感情が伝わって来る。ひと時、まるで春先の野原のように美しい光景に、庵にいた頃を思い出した。
『時間を掛けて丁寧に、少しずつ進めること』
師匠はいつも念押した。プシュケは急ぎ過ぎてしまうと、よく付け加えられる子供時代だった。今、相対しているのはついつい先へと焦る自分との戦いである。
結局、昨晩ゼスが言っていた通り、普通の使用人が城に上がって少しずつ仕事を覚えるのとは違い、やる事は既に決まっている。師匠の元で学んだ十年の中から、ゼスとミハイルのために提供するのだ。これから少しずつ、城の者が自分を受け入れるとまではいかなくとも、同じ場所で仕事に就く魔女の存在に慣れてもらうしかない。
窓から見える場所に、庵から持ち込んだ接骨木が植えてある。プシュケの魔術の中心的存在は既に土に馴染みはじめ、根と枝葉を大きく伸ばす準備を始めていた。
『あら似合うじゃない』
プシュケは師匠から受け取った上掛けに袖を通した。急に王城への出仕を決めたため、間に合わなかったのがようやく完成し、こちらに送られて来た。一見すると被り帽付きの黒い外套のようだが、彼女の手によってほぼ隙間なく銀糸で刺繍が施されている。外部からの攻撃や、魔術の行使を助けるような紋様が無数に縫い付けられている。羽織っているだけで快適に過ごせるような効果も十二分に込められていた。
師匠も似たような一枚を持っているけれど、引きずるような長さではなく、軽快に動き回るのに支障のない丈になっている。
「こっちはどうかな? お姫様が持っているのとは少し違うけれど」
『まるで蝶々みたいね。杖の代わりにする?』
師匠が弟子にもう一つ、良かったらと持たせてくれたのは、異国から海を渡って来た一枚の扇である。ルクレティアの言う通り、広げると蝶の羽によく似た構造だ。貴婦人が持つような羽飾りの装飾がない代わりの、見慣れない異国の組紐飾りをプシュケはそっと指先で調べてみた。こちらにも師匠の手が入って、試しに格好良く開いて見せてみると魔力がきらきらと朝日に輝いた。
「師匠は杖を使わない主義だけれど、みんなに見せつけなさいって」
『いいじゃない。人間の女性にとって装飾品は装備と同等ですもの。活躍の方向性が違うだけで、わかる人には価値が伝わって良いでしょう』
儀礼兵の制服や武器みたいなもの、とルクレティアがしたり顔で言う。虫だって身体の大きさや美しさは重要なのよ、と続けた。
「よし、ではプシュケに私の馬を譲ろう」
「えっ」
自信に満ちたミハイルの宣言に、プシュケはとりあえず一緒に来ているゼスの反応を盗み見た。彼は事前に知らされていなかった様子で、口元を引き攣らせている。その表情のまま、頭の中で様々な段取りをつけようと必死になっているらしい。
三人はミハイル所有の素晴らしい青毛の雌馬を眺めた。人間の言葉か場の空気を感じ取っているのか、自分の主人とプシュケとを見比べつつも、ゼスよりは動じていない。
「この馬は特別なのではありませんか? 私が拝受して不都合が生じませんでしょうか」
温血動物は専門外のプシュケにも名馬だと察せられる個体な上、ミハイルとの信頼関係も深い。殿下の愛馬ともなれば、他の馬とは出自が違うのも推測できる。しかし断っても角が立つだろうと判断しつつ、両者の答えを窺った。
「もちろん式典の時は返してもらう。それなりに名のあるやつで、懐いてもいる。なるべく顔を見に来るから、馬も不安になったりはしないだろう。……それで、ゼスも魔術師殿のために、何か考えて来てくれたのだろうな?」
「ああ……殿下の配慮のおかげでほとんど霞のようですが」
ゼスが頭を抱えつつ連れて来たのは仔馬である。明るい栗色と白が混じった、プシュケの腰ほどの高さもない。たてがみはやや黄色がかっていて、大人しくゼスにくっついていた。彼の説明によると、成獣でも大きくならない種類らしい。まだ幼体であるためか、プシュケの魔力にも抵抗が薄い様子だ。手綱を受け取ったこちらに向かって、盛んに鼻面をこすりつけている。
「人懐こい気性の仔馬を選んでもらった。馴らして可愛がって、その様子を見れば他の馬の抵抗も少しは減るのではないかと思って」
「随分と牧歌的な解決策だな」
「……」
抗議の視線をミハイルが受け流すのを横目に、とりあえずプシュケはもらい受けた馬達を連れ、敷地内の歩ける場所を回った。その後は厩舎へ戻って、専用の道具で毛づくろい、それから蹄鉄を嵌める様子を見学した。野生馬には必要ないが、人に飼われている個体には欠かせない手入れであるらしい。鋲を打ち込んで嵌めるそうなのだが、痛くはないようだ。
『可愛いじゃない、お馬さん』
「そうね、大きくても可愛いって感じるのは不思議」
協力者の勧誘に飛び回るルクレティアがひらひら付いてきて、一行は賑やかである。プシュケは猫より大きな動物をちゃんと世話をした経験がなかったので、二頭と親しく触れ合うのは新鮮な体験となった。
その後もできる限り、プシュケは馬達の下へ日参した。朝は厩舎へ行って二匹を連れ出し、散歩と称して敷地内を歩いた。
それが終わると布巾やブラシで丁寧に、それから虫除けの魔法を込めた紐飾りも用意した。たてがみを整え、ミハイルのところにいた頃より綺麗に可愛くしてやろう、と師匠がやるように飾りつけておく。馬も割と満更ではない様子だ。庵に鼠除けのため雇われていた猫はリボンや被り物を嫌がっていたので、受け入れてくれるのは嬉しかった。
そうしてプシュケは朝早く、蝶々達の世話と打ち合わせを行った後は二頭の馬を連れ、王城の敷地内を歩いた。ミハイルとゼスに許可を取って、敷地をぐるりと大きく囲むように大がかりな魔法の準備を進めている。庵は師匠が周辺を囲うようにして、出入りする者を制限し、虫達の目や耳を借りて細部にわたる監視ができるようになっていた。体力や魔力の消耗を抑える働きもある。
「これでいいかな」
木に魔法の薬液をふりかけ、師匠から習った呪文を定期的に重ね掛けるのが肝要である。見習い時代に敷地内で遊び回るついでによく観察しておいた成果によって、プシュケが王城に留まるようになった期間でほぼ模倣できているはずだ。
そうして根気よく作業を続けているうちに、ミハイルの馬と仲が良い雌馬などが徐々に乗せてくれるようになった。馬の方にも仕掛けとして、プシュケが扱う使役系統の魔法が効かなくなる小さな細工を個体識別票に付けた。その関係上、自力で騎乗する技能を習得しなければならなかった分は、ゼスが手取り足取り面倒見てくれた。
「魔術師殿は呑み込みが早いな」
「お二方に助力していただいたおかげです」
よしよし、とプシュケは馬に止まる合図を出し、ちゃんと指示通りの場所に戻った。そうしてゼスとミハイルの協力に、心からのお礼を述べておく。二人の口添えがなければ、早朝とはいえ集中して訓練を重ねる事はできなかっただろう。
「ゼス君、本当にありがとう」
ひらりと馬から降り、手綱を引いて二人の下へ駆け寄った。何事も専門家を頼るという方針は間違いなかった。プシュケとミハイルでしきりに指導役を褒め称えたものの、彼は手柄を自慢するような言動は避けて肩を竦めている。生徒の上達にのみ、微笑しながら言及してくれた。
「……感動のあまり言葉もない、ということで」
プシュケも放牧場を何周も回れる筋力体力がつき、簡単な障害物を躱す方法も身に付いた。指導役だったゼスのお墨付きを得て、王城外で騎乗する許可が正式に下りた。
これからも頼む、という二人の要請にもちろん、と笑顔で応じておく。
目が届く範囲は衛兵に任せつつ、虫使いの魔法によって建物の影や街道沿いの木立の奥まで見張る事ができる。これでようやく、ミハイルやゼスの視察に同行し、安全確保のため動けるようになった。




