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⑳いつもお腹が空いている


「……怪しげなあの娘、食い物に口を付ける前にやめろと言い出すじゃないか。どういう事なのだ」


 今夜ミハイルと父君が口にする食事や周囲の安全を確認したプシュケは、自分の執務室と私室が割り当てられている区画に歩いて戻った。その間にも耳や目が付近の噂話を拾っているが、歓迎されている内容とは言い難い状況が続いている。

 現在城内では安全のため、薬の持ち込みに制限を掛ける措置を導入している。しかしたかが咳止め胃痛止めで、とひそひそと交わされる不信のこもった指摘は耳に届いていた。

 

 偽瀝青の一件は禁止する以外にはない。だが王城へ来てまだ日が浅い若輩者をミハイル親子とゼスが全面的に肯定しているのだから、面白くないのは全くその通りである。反論のしようがなかった。


 

 



「浮かない顔に見えるが、大丈夫か?」

「……お腹が空いて切ないだけです」


 もう少しで庭の整備もひと段落できるところまで進んでいる。相変わらず親切なゼスが石や小枝を拾って除けたり、切り株を引っこ抜いたりするのを手伝いに来てくれていた。横で作業しているプシュケを心配してくれているらしい。

 それにしても、広い範囲に目を光らせる仕事をしていると、自分の手で草木を手入れするのは良い息抜きになる。花や土のにおいを感じると落ち着くのであった。


「やっぱり、食べるふりはした方がいいかな。一応、毒見役という建前であるわけで」

「……危険だと思ったものに手を出さないでくれ。解毒はお手の物だとしても」


 絶対にだめ、とわざわざ作業の手を止めてまで念押しされたので、プシュケは素直に聞き入れておく。わかったわかった、と準備している食事を気にしているふりをした。魔法のランタンを使えば火にかけっぱなしでも焦げ付かず、別の作業に集中できて便利である。

 

 ここでの食事はもちろん、師匠とは味の付け方が異なっていた。その違いで急に恋しくなったが、自分で作る事によって解決した。厨房で食糧を分けてもらって、一緒に暮らしていた育ての親の味が恋しいのだと素直に説明すると、怪しい毒見役でも同情してもらえた。毎年、若い兵士や使用人もそのような心境に陥る者が出るそうだ。


「じゃあ、今日はこの辺で。ゼス君もどうぞ。一人分を上手く作れないからたくさんあるよ」 


 特別な食事やお菓子を作る時は計量と温度操作をはじめとした熱管理を慎重に行う必要がある。対して日常料理は時間と食材のやり繰りが重要だと、師匠もよく弟子に言い聞かせたものだ。というわけで今日の夕ご飯は鍋一杯に出来上がっている。


 プシュケとゼスは道具を片付け、手を洗って食事の準備に取り掛かった。ふつふつと温まった鍋の様子を窺い、小皿に一口とって味見した。その間にゼスが持ち込んだカボチャのパイを切り分けている。

 所定の位置に師匠お手製布敷に置くと、勝手にランタンの魔力が及んで温まるという便利なやり方を、彼も既に学んでいた。


「ミハイルが差し入れを融通してくれたのだ。優秀な毒見役がいるおかげで、これはちゃんと安全」

「ええ、これは安心安全」


 職務とはまた別にすぐお腹が空く成長期同士、こうして協力し合っているのである。彼に食べ物を勧めても絶対断らないので、なんだか受けて入れてもらえているような気がする。最近のルクレティアは虫同士の付き合いに注力しているので、まだ戻ってきていない。


『大変なの。お師匠様の様子も気に掛けてあげなくてはいけないし、まるで二人分の使い魔をしているみたい』


 昨晩もふらふら枕元へやって来て、シロップを飲ませるととても喜んでいた。けれどあれこれ聞く前に忙しい疲れたと言って寝てしまう。プシュケも虫の社交はよくわからないので、使い魔のやり方に任せてしまっていた。


「……おいしい」

「よかったよかった」


 二人で料理に手を付けつつ、プシュケは師匠の事を考えた。弟子がいなくなって一体どう感じているだろう、と想像してみる。こちらはそれなりに寂しさも感じながら過ごしているけれど、あちらは所属する組織での人間関係は悪くないらしいようで、相談があれば快く応じているのをプシュケも知っている。それはそれでいい。


「いつ見ても良い眺めだよ、ゼス君」


 プシュケはゼスの素晴らしい食べっぷりに視線を戻す。十歳を超えたあたりからいつもお腹が空いて、いくら食べても足りないような心地で暮らしていた。正常だよ、とは言いつつも一緒に暮らす師匠が少食なので、自分はおかしいのではないかと密かに気にしていた。王城へ来てよかったのは、同年代の少年少女も大抵はお腹を空かせているのだと知った事だった。

 彼は美味しいので仕方がないのだとやや拗ねたような表情で応じる。お互い食事に関しては遠慮しない暗黙の了解が生まれつつあった。

 

「じろじろ眺めてごめんね、ゼス君が気にかけてくれるから、ありがたくて」

「普通の兵士でも数年上の先輩が面倒を見るのが通例だ。プシュケはそれが、俺というだけの話」


 気にするな、と彼は続ける。プシュケは人間の付き合いはよくわからないが、そろそろ大人の頭数に入る年齢における男女の在り方が非常に複雑なのは知っている。しかし自分達の場合は職責が大いに関係しているため、一般的な考え方とはまた別の尺度で考えなくてはならない。初心者はいちいち適切か、そうでないかの判断をゼスに丸投げしてある。


「……どうしてみんな、私の面倒を喜んで見てくれるのかな? 師匠にルクレティアに最近はゼス君まで」

「……姉っぽいか妹っぽいかと聞かれれば後者だから、だと思う」

「お姉さん得点はどうしたら溜まるの?」

「姉がいないからわからないけれど、鷹揚さ、寛容さみたいな? 年上は分け与えて場を差配する印象」

「……わかった、全体の流れを考慮してゼス君に芋を一切れ多くあげる」

「ありがとう、お姉ちゃんに近づいた気配を感じる」


 よし、と姉に少し近づいたプシュケは満足した。ゼスは少し冗談めかして、プシュケの反応を窺っているらしい。

 プシュケは賑やかな食卓の話題として彼に問いかけた。

 

「正直、どのような印象なのかしら、普通の人々にとって、魔女や魔法使いという存在は」


 この国でも昔は魔女も魔法使いも市井に混じって暮らしていた。それが様々な国の支配を受け、ついに海の向こうからの侵略と占領を経て異端として追われ、その後は怖ろしい子供を攫う魔女の独壇場である。


 現在プシュケを不審がる者も多いが、ミハイルの父君、つまりは国王陛下がゼスとミハイルが全面的に歓迎する姿勢を内外に示している。おかげで遠巻きにはされつつも、排斥されるような動きはなかった。


「ミハイルと俺は身を以て知っているが、普通はお伽噺だよ。早く寝るように、ミハイルもよく世話係に苦言を呈されていた。プシュケは普通の女官や使用人と一緒ではないから、それほど気にする必要はない」


 床磨きが仕事の者は、よほどの事がない限り長年仕えてもせいぜいまとめ役や監督役。一方で良家の子女は上級使用人扱いである女官見習いとして入る者も多いそうだ。靴職人は靴、パン職人はパンと昔からよく言われる教訓と身分差が入り混じって、複雑な構造を作り上げている。


「それは世の決まり事であって、理不尽ではない。相応の給金を受け取り、目に見える範囲で能力がない者だけ得しているのでなければ。プシュケがここにいてくれる重要性は近いうちに、城にいる人間には嫌でもわかることだ」


 人間の世界には不平等が存在する。通常と異なる人の動きは注意が向きやすいのだと、ゼスは言う。


「ミハイルは気軽に、俺を弟などと呼ぶが、本当は正しくない振る舞いだ。かと言って他の使用人達の仕事とも違っていたから、今のプシュケと似ている面もある。父や母がもっと長生きして、王城での仕事の心構えを準備する時間があれば、もう少し受け入れやすかったのかもしれない。慣れない場所に来て寂しい気持ちは、なんとなくわかる」


 しんみりとした眼差しの彼は言葉を選んで、プシュケに寄り添おうとしているのが感じられた。同い年に心配させている事実を申し訳なく思いつつも、少し嬉しい気持ちがあるのは否定できない。結局は師匠とルクレティアに狭い世界でちやほやされて生活していた時の感覚が、早々変化するわけもないだろう。


「……こういう時こそミハイルが言っていた『生まれた場所は違えど、』というわけで、桃がないので物足りないけれど」

「実際、女の子一人でやって来て、よくやっていると思う。俺にできる事は頼って欲しい。必ず、味方だと」

「……ゼス君は」


 優しいね、と続けようとしたけれど、しかし何だか妙に照れ臭かったので、プシュケは誤魔化した。面倒見のいい世話役のおかげで結束をよりどころに、そして慣れない場所でも仕事への熱意を忘れずにいられる。


「うん、私も早く慣れて、師匠のような腕利きの魔術師になれるよう頑張るよ」


 元気出た、とプシュケが宣言しているうちに、こそこそとこちらに向かって近づく気配があった。相手が城内を移動している様子を把握していたものの、ここが目当てだとは思わなかった。護衛のための近衛を下がらせて、ミハイルが一人で姿を見せた。


「……良い匂いを漂わせて、てっきり呼んでいると思ったのに」

「ははあ、殿下。このような場所へいらっしゃるのはいかがなものかと」

「今日は早く休むとおっしゃっていたではありませんか」

「ゼス、変な事を吹き込んだな。いちいちかしこまる必要はないというのに」


 いやいやいや、とゼスとプシュケの声が重なったのが、ミハイルは笑いながら食卓の空いている椅子に陣取った。


「腹が減った。成長期は仕方がない。毎晩ではないから大目に見てくれ」


 もう一人加わって、食卓は再び賑やかになった。プシュケは料理を温め直し、一緒に食べてくれる人がいるのを嬉しく思った。成果が出るまでもう少し頑張ろう、と前向きな気持ちが湧いて来るのを感じたのだった。

 

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