②食事を囲んで
どうぞ、と気軽に口に出してしまった手前、プシュケはゆっくりと部屋を見渡した。私室と執務室と簡単な工房まで一緒になっていて、誰かが宮廷魔術師を訪ねるのもこの場所だ。王城の片隅に区画を与えられ、仕事の役に立ちそうな草花と果樹を植えて、出来が良い物は時折献上している。
部屋は宣言通り綺麗に片付いていた。修業時代、身だしなみと部屋の片づけ整理整頓から魔術が始まるのだと、折につけ師匠に言い聞かされたためだ。
定期的に医務室に渡している薬の材料やありとあらゆる種類の虫除けは既に運び出し届けてあった。これほど人が多い場所なので窓辺に吊るしたり、枕に入れたりするなど、需要は多岐にわたる。手が足りない分を助力して、良い関係を築けるように努めていた。
窓から見える、ここで仕事をするようになった年に植えた接骨木がすっかり大きくなって、王城で築いた拠点の中心であるかのように佇んでいる。この木から作るシロップは使役する虫に与え、消費した魔力の補充にも欠かせない。プシュケと師匠が扱う魔術の根幹を成す調合だ。
「いちじくでいいかな」
部屋から外にある畑に出られるような造りになっていて、プシュケは腰に括り付けてあるランタンに手を伸ばした。小ぶりだが精緻な細工が施されている。これはある高名な魔法使いの作品で、常に煌々と明かりを灯し続けていた。持ち主の魔力が燃料であるため、使わない時は黒い布で覆っておかなければならない。
今は少し炎を大きくし手元が見えるようにして、食べ頃と思われるいちじくを鋏でいくつか収穫する。水で洗って器に並べておいた。そうして夜の少し冷たい空気を感じながら、いつも飲むシロップを調合してゼスが来るのを待った。
仕事は終わっているので上掛けを脱ぎ、仕立ての良いシャツとスカート姿で鏡を見ていると、窓の外から小さな蝶々が入って来た。少し目を離した間に、使い魔のルクレティアはまた羽を交換したようだ。黒い大きな羽から、春先によく見かける指先ほどの大きさの薄青い蝶々である。
『プシュケちゃん、どう? 身支度は済んだかしら』
蝶々はゼスと一緒に来るのかと思いきや、先にこちらへやって来たらしい。部屋がちゃんと綺麗になっているのか、使い魔として確認しに来たのだろう。そうしてプシュケの頭に着地して、髪飾りの代わりをするつもりのようだ。彼女はやたらと主人の世話を焼きたがる性分である。
『これから殿方とお食事なのに、あまりに飾り気ないのもね』
「はいはい」
そうでしょう、と得意気な使い魔を、プシュケは適当にあしらっておいた。髪が短いのでおしゃれの選択肢が限られている。
喋っているうちにゼスがやって来た気配がした。煮込み料理、それから夕食用に焼かれたパンを持って来てくれたのが、見せてもらう前から香りでプシュケにもわかる。
「失礼」
「どうぞ、ゼス君もお疲れ様」
つい先ほどまで顔を合わせていた相手は若くして秘書官という役職のためか、同い年という実年齢より老成して見える。幼少期にはミハイル陛下と兄弟同然の間柄であり、城内でも一目置かれている。
一見すると優男の容貌だが、眉間には日頃の気苦労が深く刻まれていた。ほんの幼い頃から、彼は子供である事を許してもらえなかった。当時の陛下に付き従い、遊び相手とお目付け役をこなす日であったそうだ。
「……ちなみに話とは?」
「……とりあえず、騒ぎのせいで食べ損ねているのではないかと思って」
「ああ、それは……お気遣い多分にありがたいです」
まるで食欲に負けたようでプシュケは気まずい。まだ師匠の元で生活しながら修行に励んでいた時期はまるで母親のような彼女に散々世話を焼かれていて、今はもう少ししっかりしなくてはいけないはずだが、この体たらくである。
ゼスは城内においては上役であって世話役ではない。彼が安全に、そして円滑に業務が行えるように補佐するのが宮廷魔術師の仕事。しかしそれ以外の時間においてはそれなりに付き合いの長い友人である。城内では最も親しいと言っても過言ではない。
知り合った当時はまだ子供であったためゼス君、と呼びやすい名前で呼んでいるが、二十歳になった今、それが適切であるかどうか自信がなくなってきた。子供時代の大半を、人間嫌いの師匠と蝶々としか過ごさなかったので、同年代との付き合い方には自信がなかった。
そうでなくとも特殊な職種のため、あまり軽く扱われては困る、という事情も多分に存在している。
「今更戻るのもどうかと思って、ここにあるもので済ませるつもりだったの」
「果物は確かに滋養があるが、それだけだと偏るそうだから。きちんと口にするように」
「ありがたくいただきます」
プシュケは小言を聞きながら食事を盛り付けて卓に並べた。食事を疎かにして体調を崩したとあっては、といかにも師匠が口にしそうな注意を、ここへ来てからはゼスが代わって浴びせてくれる。
料理はまだ微かに湯気が立っているので、ランタンの魔力を借りて温め直す必要はなさそうだった。ゼスが持って来てくれた二人分の豆と野菜、肉の欠片が入った煮込みスープとパン。果物と生でも問題ない葉物野菜を挟んで、お腹を満たすには十分だった。
こうして並んで座って食べ物を用意しながら仕事の相談や、他愛のない話題に終始する日もある。かつてはもう一人参加していたのが、結婚してから王妃陛下のご機嫌取りに忙しいミハイルは遠慮するようになった。ゼスはどうするのかと思いきや、行動に変化はない。定期的に額を突き合わせて、仕事が円滑に進むように打ち合わせを欠かさない日々が続いている。
「魔術師殿が力を発揮できるようにするのが、こちらの仕事だ」
「助かります。どうぞ、いつものシロップ漬けだけど」
プシュケは王妃陛下より下賜された美しいガラス皿を用意した。シロップ漬けは修業時代に作り方を教わって、毎年果物を収穫していそいそと作っている。けれどなかなか師匠の味には近づけないのだった。
「あ……」
「ああ、ありがたい」
プシュケは勧めてから、先ほど相手の身に起きた出来事を思い出して、手を止めた。危うく毒を盛られるところだった彼は特に躊躇する素振りもなく、そのまま匙で掬い取って口に入れている。
「まるで生き返ったようだ。プシュケの師匠殿の腕前に、一層近づいたのではないか」
「本当? 自分だとわからないけれど」
生来生真面目な彼にしては、随分と大袈裟である。こちらが味の具合を吟味しているのとは対照的に、他の食事と同様に楽しんでいる様子だ。ゼスなりの冗句かもしれないが、プシュケは適当に肩を竦めておいた。生真面目に感想を述べてくれるのでありがたい存在ではある。
それで、とゼスが声を改めた。
「……先ほどは助かった。相手の出方を見極めようとは思ったのだが。なかなか上手くいかないものだ」
「なかなかの演技でしたよ。城の者達は、ゼス君が商談に乗り気であるとすっかり噂になっていたので」
薬毒を酒に混ぜ込んで飲ませてしまえば、相手を都合の悪い状況へ追い込むのは難しくない。武器を手に取って襲撃するより、毒を盛る行為は力量差を容易く無視できるためか、歴史上何度も繰り返されている。
肉を切り分ける刃の片側だけに毒を塗りつけて、政敵を暗殺した王妃の逸話などはよく知られていた。
この小さな国はこれまでも様々な脅威に晒されて来た歴史がある。現在、二人の主人であるミハイルは同盟関係にある国から末の王女を迎えていた。その時期から国境線を巡って対立する別の国の仕業と思われる妨害の動きが多発し、プシュケも何度か食い止めていた。
先ほど取り押さえた下手人は近年、急激に勢いづいてきた商会の会頭である。何らかの形で敵国から資金提供があって工作に励んでいたのだろうというのがゼスの推測だ。彼に何かあれば、城内に混乱をもたらし、ミハイルにも少なくない痛手を与えられる。
「先方もいい加減懲りて、少し落ち着くと良いね。たまには師匠のところへ顔も出そうと思っているから」
もちろん引き続き警戒は欠かさないが、仕事の話が少し落ち着いたので、プシュケは上役に相談事を打ち明けた。
職務に専念するのはもちろん、しかしプシュケも他に気かけなくてはならない人がいる。故郷で暮らす魔女の師匠は、自分が巣立ってから一人静かに暮らしている。
他に兄弟弟子がいてくれれば心強いものの、師匠はひどい人間嫌いである。それが何に起因しているのか、本人が教えてくれないため定かではない。しかし唯一の弟子が人間の国で宮廷魔術師の仕事を請けるのをよく許してくれたものだと、未だに思っている。
彼女は弟子のプシュケよりよほど強大な力を持つ魔女だった。子供を攫ったり海の向こうまで脅威が及んだりした逸話が残されているほど。実際に子供を食べているかはともかくとして。
「ええと師匠が、今年の果物が豊作だから顔を見せなさいと。ゼス君も良かったら来る?」
美味しい物はあると思う、と誘ってみると、秘書官はしばらく考えこんでいる。彼は二度ほど、プシュケが住んでいた場所に来た事があった。訪ねる相手が相手なので半ば冗談のように持ち掛けたが、ゼスは意外にも了承した。
「招いてくれるのなら。大勢で押しかけて刺激しなければ、それほど気を損ねる事もないのではないか。だが、何かお気に召すような手土産を考えておかなければ、門前払いをくらうだろう。以前はミハイルが宝物庫から引き出した、とにかく希少で香料や薬の素になる奇石を見繕ったのだが」
「……ああ」
きっとあれだ、と具体名は示されなかったものの、プシュケにも見当がついた。稀に港町に交易品として出回る稀少な香料だ。今のところ波間や砂浜でごくまれに見つかる以外、人間が手に入れる手段はないとされている。一つ見つかれば王都に屋敷が立つほどの値で取引されている。
師匠曰く、海を拠点とする魔術師や人魚族が独占しているらしい。いくら彼女でも流石に製造できないようで、高価なのでどうしても必要な場合以外は手を出す事はない。
師匠は喜ぶだろうけれど、しかし里帰りのために高価な出費を要請し、ゼス達に金銭的な負担を強いるわけにもいかない。
「……それじゃあ、ケーキでも焼きましょうか。師匠の好きなたまごのタルト」
「噂に名高い偉大な魔女殿が、焼き菓子で満足してくださるだろうか」
「師匠が納得すればいいでしょう。高価でなくても希少でもないけれど、心のこもった贈り物として、私が言い包めるから」
こちらの提案に、ゼスはしばらく心配そうな顔を浮かべていた。しかし最後には弟子のプシュケがそこまで言うのなら、と納得してくれたようだ。
二人は食卓を片付けながら打ち合わせを進め、日取りも決めた。後は主人の許可を得るだけである。それじゃあまた、と彼が帰って行った後で、今まで静かにしていた使い魔が口を開いた。
『結局、秘書官殿は何も話さずに帰ってしまったじゃないの』
「え? 私のご飯を心配していたのでしょう?」
『年頃の二人が食事までして何も進展しないなんて、信じられない。プシュケちゃんはご飯のことばっかり考えて』
わざわざちゃん付けで呼ぶ時は、こちらを子供扱いする時である。何なの、とプシュケは蝶々に向かって尋ねたが、相手は定位置である寝台横の一輪挿しへ舞い降りると、そのまま何も言わなくなってしまう。
彼は他に何か話す事があったのかなかったのか、いまいちよくわからないままになってしまった。しかし翌日も仕事があるので休むほかない。
寝るのに楽な姿勢を模索しながら、プシュケは魔女の師匠と暮らしていた頃を思い出した。子供でいられた頃はよかったな、と使い魔の耳に入ったら鼻で笑われそうな感傷的な気分だった。




