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⑱期待の新人


 プシュケは王城からの正式な要請に応じ、これからしばらくは王城でお勤めである。師匠の庵を出て、人間の世界へ戻った形だ。とは言ったものの、ここはかつて暮らしていたような寒村や、多くの人々が暮らす街とは異なる別世界だった。


 まずゼスと一緒に到着してすぐ、ミハイルとその父君という人が直々に歓迎してくれた。城で働く上級階層の人々に囲まれながら姿を見せ、壮麗な衣装に身を包んだ二人が並ぶと顔立ちは似通っている。

 正式に殿下という立場を明かしたミハイルが改まった口調と態度でプシュケを歓迎し、大いに期待している主旨を述べた。城内のみならず、この国で暮らす人々への貢献に期待するとも付け加える。そして不慣れなうちは、ゼスが身柄を預かる説明も添えられた。



「……この対応は普通なの?」

「まさか。ミハイルが大いに都合よく喧伝した結果。とりあえずは毒見役という名目、落ち着いた頃合いを見計らって、正式に宮廷魔術師の役職が与えられるだろう」


 謁見が滞りなく済んだ後、ゼスが居室へ案内してくれる道すがら、プシュケは小声で彼に尋ねた。人間世界の常識に関しては、彼を頼るほかない。

 周囲は石造りの、まだそれほど古くはない堅牢な石造りの建物で、それなりに緑も目についた。虫を養うのに苦労しないだけの広さと植生は得られそうである。


 そしてここへ来て、ゼスも高貴で洗練された身の上であるのがはっきりと見て取れた。将来ミハイルが王位を引き継いだ際には側近として、様々な調整役を務めるらしい。秘書官と呼ばれる役職だそうだ。


 そして彼の回答通り、この歓迎は重大な出来事と見做された。王城のみならず市井でも噂が流れているらしい。あの有名な魔女の直弟子という衝撃や困惑、少なくない恐怖によってしばらく落ち着かない空気が漂った。


 

『荷解きは済んだのかしら、プシュケちゃん』


 プシュケはゼスに敷地を案内してもらい、あっという間に一日終わった。庭や厨房、医務室の責任者に引き合わされたが魔女という肩書がある以上、どこへ赴いても奇異の眼差しは避けられない。

 一方、単独行動の使い魔が戻ったのは陽が暮れた後だった。卓の上に彼女の美しい羽を引き立てる一輪挿しがあるのを見て、いそいそとそちらへ陣取った。今日は一日中、敷地内を飛び回っていた。プシュケが物珍しそうな視線を散々浴びている横で、蝶々は特に警戒されずに見物を楽しめたようだ。


「どうなの? やっぱり王城にいる蝶々は貴族なの?」

『そうねえ、みんな私とあなたに興味津々よ。あの人の直弟子、この王国は怖ろしい魔女の庇護があるってね』


 あの魔女、ともらった夕食に口をつけながら、プシュケは思わずつぶやいた。食堂を利用する許可も得たけれど、初日はとりあえず居室である。今向かったところで、悪目立ちして食事どころではない。

 師匠の御手製とは違うけれど、上品な味わいで美味しかった。素材を活かし灰汁などは丁寧に取り除かれていて食べやすい。


 師匠の悪名は、ここで働く人々にも大いに知られているらしい。大昔には宮廷魔術師という役職が存在していた話も聞こえたけれど、現状プシュケが溶け込むのには時間がかかりそうだった。 


「……まあ、なんとかなるでしょう」

『そうよ。上手に渡って行きましょうね』


 ルクレティアの声に優しく慰められながら食器を片付け、寝支度を整えた。まだ初日、とプシュケは自分に言い聞かせながら寝台へ横になる。城内の小さな、誰にも注目されない小虫達の耳からは、いつまでも自分の噂話が聞こえていた。 



 プシュケはいつもの習慣で早朝目覚め、改めて居室を確認した。場所は王城の一画、日当たりも十分な庭付きだった。専用の部屋が与えられるのは全体から見ればほんの一握りであって、実績に乏しい新参者としては破格の待遇である。

 見張りの目と耳が緩む事はないが、外へ出てせっせと土いじりをする。持ち込んだ特別な肥料と苗を確認しながら水はけや土質を知らべて植える種類と場所を検討していると、やって来る姿があった。


 ここは魔女の庵ではなく王城の敷地内である。ゼスに習った通り改まった口調で挨拶してみようかと姿勢を正したけれど、ミハイルが手をひらひらと振る方が早かった。


「やあ、未来の宮廷魔術師殿」

「おはようございます、ミハイル殿下、ゼス君」

「仕事上必要なら手伝う」

 

 二人はやや眠たい表情だが、足取りはしっかりしている。野良仕事をするつもりのようで、特にミハイルは似合っているとは言い難いものの、庭師のような恰好だった。どちらもスコップを手にしていた。冷やかしではなく本当に手伝いに来てくれたらしい。


「実は私も、先日知り合った姫君にならって温室を造成しようかと思っていて。プシュケにも助言を求める事になるだろう」


 ミハイルの雑談を聞きながらしばらく土を掘り返し、小石を取り除いてから苗を植えた。肥料を撒いて、よく育つおまじないを施しておく。花壇といくつか植木鉢を並べておけば、そのうち咲いてルクレティアが喜んでくれるだろう。水をあげてみると、植えた草花も気に入ったような気配が伝わって来る。

 作業がひと段落した頃、師匠が持たせてくれた果物があると見せてみた。二人とも喜んで食卓を囲む準備を手伝ってくれた。


「ルクレティアや他の蝶々にも手伝ってもらって、自分なりに全体構造の把握に向け取り組んでいるところで」

「……やはりな。昨日からやけに蝶々や小さな虫が目に付くわけだ」


 プシュケがゼスの付き添いで入れる場所があるように、逆に虫にしかわからない世界や捉え方がある。案内してもらいながら、既にルクレティアやその子供達を敷地内へ放って城内の構造を調べる作業に取り掛かっていた。

 特にミハイルの居室がよく見える場所などは、優先して調べておきたい情報である。


「ええ、お二人にも見張りをつけていますから、ご用命の際は気軽にどうぞ。名前を呼んで下さったら返事します」


 プシュケは仕事の一環であるという態度を示しつつも、ミハイルの反応を窺った。人によっては盗み聞きや監視を嫌がる者も多いだろうけれど、相手の反応に嫌悪感は薄い。


「私のように地位がある者に、真の意味で私生活は存在しない。私の全ては元からゼスに筒抜けだ、今更一人くらい増えたところで」


 貴人は身支度を整えるのに人手が必要で、どこへ行くにも護衛が付き従う。更にあらゆる意思決定に思惑が絡む。自分の意志など存在しないに等しいと言いたいようだ。


「……」


 プシュケも庵にいた頃、特に思春期に差し掛かってからは、大好きな師匠も時には煩わしく思う日もあった。自室での振る舞いには目を瞑って、と交渉した事もある。しかし頻繁に怪我をしかねない状況に陥る子供だった身では、相手も気が気ではなかっただろう。

 気持ちは理解できるので、ミハイルに対し同情する台詞を選ぶべきかと迷ってもう一人を窺うと、ゼスは無視して果物を齧っている。沈黙は金なり、というわけでプシュケもそれに倣って、まだ薄明るい空を見上げた。


「……何か言ったらどうだ、弟も妹も冷たいじゃないか」

「物わかりの良い兄上に感謝いたします、殿下」


 朝からうるさい兄である。血縁者ではない弟妹は揃って淡々と応じつつ、朝ごはんに集中した。



 一刻も早く王城での生活に慣れておきたいプシュケだが、早速持ち上がった課題として、やはり馬に乗れない事実が挙げられた。そもそも大半の馬が、魔女の接近を嫌がるのである。


 放牧場を貸し切って練習する場を設けられたため赴くと、プシュケが厩舎に近づいただけで、不機嫌そうないななきが聞こえた。いつもと違う様子に馬丁が戸惑い、落ち着かせるため四苦八苦している。目が合った馬達は慌てて屋根の下へ逃げ込んで、警戒の眼差しをこちらへ向けた。


「これは……」


 厩舎の柵外から馬の動きを眺めている横で、ゼスの方は困った顔で隣に並ぶ。ミハイルは面白がって、手本を見せると騎乗し貸し切り状態の放牧場を駆け回っている。軽快な蹄の音が軽やかに響いた。


「今まではどうしていた? お師匠殿も畑で作物を作るなら、牛や馬の助けがあっても重労働だろうに」

「本当に必要な時だけ、村から借りて来ていたっけ」


 魔女や魔法使いが労働を軽減する術を知っていたとしても、畑の土おこしや、新しく開拓する力仕事に牛や馬の助けは欠かせない。植物の世話は力仕事なので、まるで貴婦人のような涼しい顔の師匠も、それなりに野良作業していたのだった。


「私の本分は虫使いの魔女で、そのような使役系統の魔法は他者に嫌がられるのは特に珍しい現象ではなくて」


 プシュケは同い年の上役に説明を試みた。まず魔力の強弱は個人の資質に左右される。そして使役される側のルクレティア曰く、力が弱ければ低姿勢なお願いをされている感覚であるらしい。

 少し強まると手を差し出し握手を求めるのに似ていて、そして師匠やプシュケは、まるで有無を言わさず服従するほかないほど強力な使い手である。頭を掴んで無理やり下げさせるようなもので、嫌がられるのは仕方のない話だ。

 虫が相手であればさほど抵抗されないが、馬のように賢い生き物であればその分繊細な反応を示すのは致し方ない。


「……そのように面白がっている場合ではないでしょう。外出に連れて行けません」


 こちらが我らの宮廷魔術師だ、とミハイルは馬を操ってこちらへ近づいて来た。貴人の馬らしく青毛のすらりとした体躯の雌馬で、身分ある者を乗せるだけの魅力を持ち合せている。彼の馬とは顔見知りなので、それほど嫌がらずに柵のすぐ外まで来た。走り回った分の呼吸を落ち着かせている。


 ゼスも厩舎へ行って、自分の馬を連れて来た。他とは違ってこちらも距離を取る様子はなく、お腹に触る事もできた。栗毛で温かく、体毛は思ったよりしっかりとした手触りだった。こちらは歳を重ねた穏やかな牡馬である。ゼスの説明では、体力や身体能力を経験で補う働きをするのだそうだ。


「なるほど、この二頭は先日、乗り手を助けたのがわかるのではないか」


 馬の反応からして、ミハイルが指摘する通りであるようだ。とりあえずゼスが乗り方、扱い方の手本を見せてくれた。最初は手綱を持たせてもらって囲いに沿って歩き、次の周回は実際に跨ってみた。手綱を決して離さず腿で馬の背を挟むように、と指導された後に三周ほど放牧場を歩いた。


「じゃあ、一人で歩かせてみよう」

「え、あの、これ……手を放したら落ち……」

「手綱だけは必ず持っているように」


 ゆっくりとゼスが手綱を放し、一人乗りで前進した。


 初めて二人と知り合った時、実際に全速力で走る馬を見ている。本気ではなく軽い足取りでも上下に揺れ、気を抜くと宙に放り出されてしまいそうだ。そしてお尻が痛い。姿勢を保つために普段は使わない筋肉も使っている。

 必死だったとはいえ、二人は高度に馬を操っていたのだ、とプシュケは今頃感心した。


「魔女は遠距離の移動はどうしている?」

「そのための魔法があって、目的の場所へ移動するのはそれほど難しくないのです」


 プシュケは引き攣った顔で馬の背にしがみつくのに対し、ミハイルは平然と横に並ぶ。馬の様子は悪くないので、乗り手として慣れるしかない。


「それはいいな。ここでの仕事に応用できないか?」

「出口を作ってくれる者が必要になるので、もう一人雇って下されば」


 その一人が裏切らない限りは安全に運用できるだろう。ただし外部に構造が割れてしまうと、危険や逆に利用される可能性がある。若しくは報酬に目がくらんで背信行為、という恐れも考えられた。

 安心できる協力者として師匠の顔が思い浮かんだけれど、残念ながらカナブンにされてしまうだけだろう。


「……兵士全員が希望通り馬に乗れるわけじゃない。目立つか地位があるか、腕が立つかで淑女の注目も大違いなため、男は必死に練習する」


 すぐ乗りこなせる者はいない、とミハイルは話を締めくくった。わかりやすい解説になるほど、とプシュケは納得しつつ、近くまで迎えに来たゼスの手を借りて馬の背から降りた。プシュケは地面の頼もしさにほっと一息つく。


「人は楽をするために乗るわけじゃないのね」

「……中長距離を短時間で移動するためではある。ご婦人の運動として推奨されているくらいだ、運動強度としてはそれなり」

「ゼス君はどうやって馬に乗れるようになったの」

「……訓練しかない」


 プシュケは相手を見上げた。彼の目を見る時、とても同年代とは思えない落ち着きを感じる。初めて会ったあの夜、死の恐怖に怯えていても泣き喚いて取り乱すような振る舞いはしない。

 これはどことなく師匠にも通じていると、プシュケはこっそり庵の魔女を思った。


「……そうか」


 ゼスは縋るこちらを支えつつ、けれどどうする事もできないと諭そうとしている。ミハイルと違って口数の少ない彼の言葉は、動かせない事実である。どうやら楽できそうな道はない、というのがわかった。

 自分が師匠に習って研鑽を積んだのと、さほど事情は変わらない。どこの世界でも、若い少年少女は修練の日々を送っている。他の者との競争がないだけ、自分は随分恵まれていると自分に言い聞かせた。


「というわけだ、何か対策しよう。それはこちらへ任せて、プシュケは仕事に集中すればよろしい。ゼス、未来の魔術師をよく指導するように」


 ゼスは冷静に、初めて挑戦したわりには善戦したと慰めてくれた。ミハイルの方は微かにからかうような声だったので、プシュケはゼスの手を強く握ってしまっているのに気がつき、慌てて離した。

 

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