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⑯隣に並んで


「丸腰とはいい度胸じゃないか」


 低い女性の声は威圧的でさえある。怒りを抑えている老成した語り口だが、声そのものはもう少し若いような印象を受けた。ゼスはもう一度周囲を窺ったものの、変化は見受けられなかった。


 ずっと昔、この国にも魔女や魔法使いが住んでいたらしい。多くは薬の調合や産婆を請け負ってひっそりと生き、暮らしを助ける存在だった。けれど中には悪さをする者もいて、酷ければまるで魔物のように辺境の町や村を脅かしたそうだ。

 その頃の伝承では、悪しき魔女であるのならば銀製の武器などが有効、とされている。後は教会の祈りなども挙げられるが、ゼスは武器を村へ置いて来てしまっている。そのようなものを持ち込んだところで、相手がプシュケより高度な術の使い手であるなら、身を守れるとは思えなかった。


 負傷して魔女の館に転がり込む前のゼスは魔女、魔法使いの類をお伽噺か、発展途上の社会における不可思議な出来事を、無理やり引き受けさせられた存在としか認識していなかった。

 事実、先日ミハイルと共に訪れた同盟国には宮廷魔術師がいて、薬の調合や占星を受け持ち、時には政へ進言も行うのだという。それを聞いてもまだ信じていなかった。

 それがあのプシュケとの遭遇によって、認識が根底から覆されてしまっている。今自分に話しかけているのは、一帯の人々が怖れる魔女なのだと。


「……」


 あたりは今朝の感覚よりも空が暗く、日差しはない。風も冷たく通り過ぎた。昨日より暖かな小春日和だったように記憶しているのに、それも含めて友好的な歓迎とは言い難い。

 一応、気が付かないうちにカナブンに変えられる事はなかった。にこやかに出迎えられ、かまどの火を見て欲しいと言われて後ろから突き飛ばされるよりは友好的、とゼスは自分に言い聞かせた。


「先日は、不躾に入り込んでしまって非常に申し訳ありませんでした。私と、私の主人がどうしてもと頼み込んだ手前、親切に手当して下さったお弟子の方は、……息災でしょうか」


 どうしているだろう、と案じているのは決して上辺ではない。ゼスはなるべく角が立たない言い回しを選び、相手の反応を待った。もしプシュケが気づいて来てくれればとりなしを期待できるかもしれないが、残念ながら気配や姿は見えなかった。


 一般的な親方と職人見習いというよりは養い親に近いような存在であると、本人が語っていた。その時照れくさそうに恥ずかしそうに、蝶々に向かって反論していた姿を覚えている。何を話しているのか尋ねても教えてくれなかった。師匠はとにかく過保護で、としきりに咳払いを繰り返していた。


「……次の大事な講義のため、時間を掛けて進めていたのが台無し。それから変なものが入って来ないように厳重に封鎖してあったのに、それも勝手にいじって滅茶苦茶でね。弟子は諸々の修正が済むまで自主的に反省している」


 左様でしたか、とゼスはせめてしおらしく聞こえるように応答しておく。その間に周囲に視線を走らせ、背後も振り返った。しかし依然として何者の姿も捉えられなかった。それからすまない、と心の内で親切な魔女見習いに謝罪しておく。ゼスとミハイルがここへ迷い込まなければ、彼女は師匠の言いつけ通りに無難に留守番を終えていただろう。


「主人より贈り物を預かっております。先日の非礼をお詫びし、感謝と友好の証として受け取っていただけますか」


 木立の奥の湿地にいるのに、生き物の気配が薄いのが不安を煽る。蝶がひとひら、少し離れた場所にいるのが見えた。しかしそれがこちらに語り掛けている魔女とどの程度関係あるのか、ゼスには判断がつかなかった。


「ああ、あれか」


 冷ややかな魔女の声に、微かに感心するような気配が混じった。魔女の世界においても、今手元にある品は入手に手間が掛かるらしい。ミハイルが父王にねだってゼスが持ち込んだのは、ある希少品だった。

 波間に浮いていたり、海岸に流れ着いていたりして発見されるものだ。見た目は冴えない石のように映る。これを火にくべると、この世のものとは思えない芳香が漂うのだ。正体不明ながらも香料として高値で取引されている。西の国では巨大な竜の身体からこぼれた一滴であると、まことしやかに信じられているらしい。


「これが一体何か、私にはわからないのですが。海からの贈り物で時折流通し、希少価値が高い以外には」

「……貝から採れる石を宝石だと持て囃すなら、もっと大きな生き物からも何かしら採取できるという、ただそれだけ」


 ゼスの率直な所見をおかしそうに笑う気配がする。海洋生物には詳しくないので、いつか機会があればプシュケに教えてもらうほかないだろう。

 そして、本題はここからだ。なるべく穏便に話を勧めようと口を開きかけた時、先に相手の声が明瞭に耳に届いた。


「誠実、勤勉であるのは、人間の仲間内であまり評価されないね。王城という場所では殊更、都合よく扱いやすいだけだ。お前は兄にそう思われている。私に言われるまでもないだろうけれど」

「……」


 話が終わるより先に、相手がゼス自身の話を持ち出したのだと察せられた。耳の痛い事情を既に知られている事実に顔を顰めそうになるのを抑えて、黙って耳を傾けるほかない。 


 両親が亡くなってしまった時点で、ゼスは時にミハイルの盾にされるのを承知で留められた。幼少期から従者として付けられたものの、明確な後ろ盾はない。主人が問題を起こした際代わりに折檻を受けるのもしばしばだった。主人も多少は悪いと思っているらしいのが慰めで、成長につれてミハイルはゼスを無邪気に弟として扱うようになった。

 

「ええ、数多く候補がいる中、兄が私を結局最後まで外さなかったのは、裏をかかれる可能性がないためでしょう」


 そのうち良家の子息が大勢城に上がるようになって、ようやく主人の意図を察した。優秀かつ高貴な身分を持ち、能力を兼ね備えた者はいくらでもいた。しかし彼らは大抵何者かの息がかかっていて、ミハイルは都合よく利用されないため、側近の座は既に埋まっていると言い張るためだった。

 結局信頼ではなく安全策を取ったに過ぎない。人を遠ざけるこの魔女でなくても、そのあたりの事情を聞こえよがしに囁かれたのは一度や二度ではなかった。大した地位もない者が、殿下に取り入って大きな顔をしていると。

 王城は決して華やかな場所ではないとよくわかっている。それでもゼスは今から、命の恩人と交渉しなければならない。


「……名前はゼス君だったか? あの子に気があるのだね。なら、じゃあ、……まあいい事にするか」


 ミハイルについて、薄々わかっていても指摘されたくない事実を言い当てられ、更に自分の意志と矛盾する仕事を預かって顔を顰めていたゼスは、姿を見せない魔女が続けた台詞に顔をこわばらせた。 


「……な、」

「誰にも弱みを見せないよう気を張って来たのに、うっかり命を救われてしまうとは可哀想に。きっとあの子に何もできやしないだろう。それを見越して、預けようじゃないか。……こんなものは別に魔法でもなんでもない。わかりやすいだけ。これからは気を付けなさい」


 ミハイルとプシュケ、そして他の誰も居合わせなかった事だけは感謝した。穏便に接触したい相手でなければ見当違いだと反駁したかったが、そちらも黙って飲み込んでおく。交渉がまとまるまで余計な口を挟んではいけない、と内心で三回ほど繰り返した。


「……魔女殿は、交渉するのを許可してくださると?」

「勝手にすればいい。魔女の組合の決まりで、弟子はいつか外へ出さなきゃならない」


 突き放したような声にほんの少し、感情が入ったように感じられた。姿が見えない分、こちらも何とか感じ取ろうとしているおかげもある。

 冷ややかな態度が少しだけ崩れて苛立ちと諦観が微かに混じっている。けれどそれを表出させるのは本人も我慢ならないらしい。


「私は人間が大嫌いで、あの子もとっくに見限ったのだと思っていた。森の奥にある木に縛り付けられて捨てられていたというのに、偶然行き会った相手の役に立てて嬉しかったなど、言い出すとは思わなかった……」


 一息に告げて、姿を見せないままの魔女は一旦言葉を切った。

 ゼスが何も言えないでいるうちに、プシュケの明るさや物怖じしない態度の奥に隠されたものを少しだけ明かして先を続ける。


「配下に加えても、扱いが難しい部類と思うけど。適当な報酬を渡しておくだけでは足りない。まだ経験が浅いからやりがいを満たしてやらないと、そのうちつまらないから帰るって言い出しかねないよ」


 散々甘やかしたからね、魔女は最後に面白がるような気配を残した。


「この上なく不安定な情勢だが、今に限った話ではない。それに、だからこそ必要であるともいえる。のらりくらりとやり過ごし、あちこちの国を上手に利用してせいぜい長くもたせるのだ。主人にそう伝えなさい」






「あれ、ゼス君? よかった、あれからどう? 足は痛まない?」


 見ての通り、とゼスはできるだけ明るく応じて見せた。傷はとっくに塞がって跡が残っている程度。騎乗も支障なし、と説明しておく。

 いつの間にか周囲には穏やかな陽ざしが戻っている。どうやら言いたい事を一方的に告げて、魔女の話は終わったらしい。


 代わるように現れたプシュケはしばらく真剣な眼差しで、こちらを探るような気配がする。微かにこそばゆいような感覚が足を撫でたけれど、それ以上の事は起こらなかった。問題はないようだと判じたらしい。


「今日は一人で来たの? ミハイルは元気?」


 本当に来てくれたんだ、と特に警戒する様子もなくこちらへ来た。手には箒が握られている。季節柄、いくら精進したところで落ち葉を除去しきれるとは思えなかったが、魔女の能力で何とかするのかもしれない。

 季節が進んだ分、少し暖かそうな襟巻と毛織物を羽織っている。襟足は肩の長さで綺麗に切りそろえられていた。身動きするたび、さらさら揺れている。長かったり髪留めを使ったりすると揺れないのだというのがよくわかった。ゼスは目を惹かれるのがわかって、意図してあまり見ないようにした。先ほど魔女から指摘された内容が図星という理由ではない。


「……髪が」

「本当はきちんとした手順に則って切る必要があったみたい。知らなかったから伸ばせるようになるまで、少し時間がかかるって。ゼス君は悪くないからね、大丈夫」


 ばつが悪い表情を誤魔化す代わり、掃除を頑張っている姿勢を強調しておきたいようだ。彼女は箒を握り直している。袖口に裾、頭に被った三角巾に至るまで、これでもかとレースがあしらわれていた。


「その格好で野良作業するのか」

「師匠の趣味でね。いつもは小さい子じゃないから寝衣以外動きやすい格好なのだけれど、今は反省中なので衣服の決定権を返上したら、この通り」


 可愛いと思うなら師匠が着ればいいのに、と実に不満そうである。寝衣はもっとすごいよ、とにやりとして続けた。


「お師匠殿は自分で着るものと見て楽しむものは分けているのではないか。なんにせよ、怪我を治療してくれたばかりに、申し訳ない」

「そこまで怒られなかったけれど、反省の姿勢を示しておこうと思って。掃いても掃いても落ちて来るから、集めて芋を焼くところ。じっくり火を通した方が甘い仕上がりなのだけど、そこまでいられそう?」

「……それは、そちら次第」 


 こちらの声音で察したのか、明るく冗談を口にしていたプシュケが、真面目な表情を作った。ゼスは改まった口調でミハイルからの、正式な招きがある旨を説明した。父陛下も了承し、望んでいるのだと。


「……本気だったんだ。私、きっとお世辞だろうと思っていたの。師匠にも説明したけれど、まだちゃんとは話せていなくて」

「これが正式な要請だ、それで問題ない。内外問わず、この土地を狙う者は多い。絶対に安全とは言い難いが、……。それでも、貴殿がその高い能力を遺憾なく発揮できるよう、必要な支援は必ず提供する」

「……正直に答えて欲しいのだけれど、私に務まると思う? まだ何一つ、師匠のようにいかないけれど」


 彼女は声を潜めつつ、けれど静かにこちらへ問いかけた。好奇心と不安と戸惑いがせめぎ合い、本人も葛藤があるようだ。


「個人として、……正直なところ喜んで呼び寄せる場所とは程遠い。俺自身、望んであの場所で生きているわけではない」

「……そうなの?」


 ああ、とゼスは頷いた。ここに来るまで、話の進め方を検討しながら進んで来た。宮廷は素晴らしい場所であるとか、職分に見合った報酬や名声を手に入れられるのだと、魅力的な謳い文句で誘うべき局面であるのかもしれない。

 けれど結局、ゼスが口にできた返答は魅力的とは言い難い内容だった。


「立地上、他国との付き合いは常に難しい状況に晒されている。今は恐ろしい魔女の噂もあるけれど、いつまでも躊躇してくれないのはこれまでの歴史が証明している」


 ゼスはプシュケを、人の理を超えた魔法を用いる相手を改めて見つめる。けれど何も知らなければ、髪を短くしているのを除けばどこにでもいる少女でしかない。奇しくも同じ年頃で、本来ならそろそろ両親の庇護の下を出て、独り立ちが迫る頃合いだ。


「情勢は常に危うい中、正統な身分を持つミハイルが矢面に立つと言っている。もしあいつがいなくなったら、次に相応しいのが誰か揉める時間はない。安心できる場所を、自分の手で守る機会と立場があるだけ、幸せな身の上だと思う。真剣に取り組まなくては、簡単に失われてしまう。その役目から逃げる気はないから、……どうか一緒に来て欲しい。信頼できる者を、ミハイルは一人でも多く必要としている」


 プシュケは目を瞠っている。彼女が興味を持ち、期待していたような話ではないはずだ。何度か瞬きし、こちらをじっと見定めているようだ。


「……そうか、それなら私も師匠に掛け合ってみる」


 こっち、とプシュケは集めた落ち葉の前に案内してくれた。煙の臭いが漂っている。そろそろどうかな、とゼスの隣に並んで、落ち葉の下の焼き加減を窺った。

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