⑮ミハイルの思惑
ゼスとミハイルが王城へ帰還すると、様々な憶測が既に飛び交っていた。二人が山道で護衛の者達とはぐれてしまい、一時消息不明になっていた経緯は広まっている。無事な姿を見せた事で混乱は一旦収まったものの、今度は一体何があったのか、と真相を誰もが知りたがった。
ミハイルが同盟国で行われた戴冠式へ出席し、もちろんゼスも同行していた。往路で特に大きな問題はなく、問題は帰還する途上で発生した。何者かによる襲撃から逃れて不思議な場所へ迷い込み、そして謎めいた娘に助けられたのだ。
そうした正確な内容はミハイルの指示で伏せられた。ゼスが負傷したものの怪我の程度は軽く、一晩草原で手当てし息を潜めていた。星が綺麗だったがずっと狼の気配があり、冷たく容赦のない夜だった。火を絶やさないように暁を待ち、追手に見つからないうちに城を目指して駆け抜けた。
もっともらしいミハイルの説明に、ゼスはそれとなく口裏を合わせておいた。
「……そうですか、毒などが塗られていなくて幸いでしたね。そのうちに傷跡も目立たなくなるでしょう」
王城へ戻ってからゼスは大事を取って診察を受けたものの、とっくに塞がった治りかけの小さな傷があるだけだった。医官もまさか命の危険があるような状態だとは思わなかったらしい。
捜索のため編成された護衛隊も、合流する様子を見守っていたひとひらの蝶を気に留めなかった。
しかし、山道で遭遇したのは単なる野盗ではない。草原の小さな国は辛うじて独立を維持しているものの、情勢は常に危うかった。ミハイルを暗殺するか、誘拐して交渉の材料にする目的があったのだろう。
その後二人はミハイルの父君に謁見、隣国での華やかな式典の報告をした。今後より一層の協力を確認し、帰途についたのだと。途中で問題は発生したものの、軽い怪我で済んだのは不幸中の幸いである。父君である国王陛下、それから集まっていた閣僚や大臣達の前で、無難な報告をミハイルが行った。
「さて」
それが終わってようやく肩の荷が下ろしたと言わんばかりである。王族のみが出入りできる王城の最奥にある区画まで戻ってから、ようやく真実を口にした。
「ついに《魔女の館》への手がかりを得ました、父上」
まさか無かった事にするとも思わなかったので、ミハイルの言動は想定の範囲内ではある。父君も身を乗り出して、子息の報告に聞き入った。
襲撃によってゼスが負傷し、草原に身を潜めていたというのは事実ではない。どういうわけか普通でない場所へ足を踏み入れ、魔女の弟子を名乗る娘から手当てと食事の世話を受けていたのだと。
あの魔女の館で、ミハイルはまるで身分が無い者のように振舞い、プシュケと昔読んだ物語を持ち出すなどして、親しく過ごした。どこまで計算でやっているのか定かではないほどだった。
彼女が料理の提供から片付けまで滞りなく差配し、二人は異論せず従った。城の者が見たら卒倒するような光景である。ミハイルは横でゼスが始終ひやひやしているのに気が付き、余計な事を言うなと口止めまでする始末だった。そのあたりは都合よく省略された。
「改めて調べさせましたが、大型の獣でも、矢尻にひと塗りで確実に仕留めるような毒を、相手はあっさりと解毒してしまいました。彼女がいなければ、今頃はゼスを喪っていたでしょう。私は一部始終を見学しましたが、人間の薬師や医官とは全く違ったやり方で」
「……そなたの父と母を失ったのは、私の大きな損失であり、深い悲しみであった」
「お言葉、ありがたく……」
ミハイルの父君は目を潤ませ、深く息をつく。しばらくそうしたままで、何かを思い返しているらしい。それからようやく、ゼスに向かって重々しく声を掛けた。
息子の遊び相手という名目で城に迎え入れてくれたミハイルの父君の言葉である。ゼスも神妙な顔で応じておいた。
「気が進まない顔だな」
「本当に、あの子をここへ呼ぶおつもりなのですか」
ミハイルは父君の許可を得て、再びあの館に住むプシュケ、もしかすると今度は彼女のお師匠とやらにも接触する腹積もりであるらしい。
二人は宝物殿へこもって、ゼスが各地に残る魔女の伝承、それから詳しい納税記録をあたっているミハイルは横で先ほどから収蔵庫を物色し、中身の持ち出し許可証を作成していた。
目的があって訪問するのであれば、贈り物がある方が良い、という考えであるらしい。
「殿下、このあたりの文書の記録の信用性は、いかほどなのでしょう」
ゼスは書庫で何冊か開き、記述を読み上げる。その頃は北の帝国一強の時代であった。版図は海を越えて大きく拡大し、この平原にも迫りつつある。
棚からいくつか木箱を出して中身を検分していたミハイルが近くへ来て、その続きを促した。
『魔女の館が近づくと、突如空が暗くなった。太陽すら覆い尽くした正体は蠢く無数の何かである。異端を殲滅せんと集結した重騎士達によって銀と火の矢が雨のように撃ち込まれたが、打ち消すには至らなかった。
肺を腐らせる瘴気が噴き出し、無数の毒虫が鎧の隙間から侵入して騎士団は身動きが取れないまま一人、また一人と斃れていった』
騎士団の一隊が壊滅した報せは帝国を駆け巡り、各地で無計画な領土の拡大と苛烈な占領政策の火種が同時に燃え上がった。
更に皇帝、そして後継と指名されていた皇子が安全なはずの後宮で毒虫に刺され、起き上がる事すらできなくなった。駆け付けた衛兵の前で、サソリに似た毒虫は灰のように消え失せたと伝えられている。
有力な後継と全権を握る統治者を同時に失った帝国は瓦解し、そのどさくさに紛れて小国もまた独立したのだった。
「……魔女がどの程度関わっているのかは定かではない。この手のものは大抵誇張されているだろう。ただし年代は一致しているから、この時期に皇帝とその息子が同時に斃れ、帝国崩壊の要因の一つであるというのは、事実のようだが」
人の理を無視した術で、大国の皇帝どころか国そのものが身罷った。海の向こうから来た脅威は去ったものの、依然として小国は危うい。占領して他国との緩衝地帯にするか、使い捨ての労働力、資源だけ奪えればいいという思惑は常にこちらの状況を窺っている。
だが、ここはかつてあの怖ろしい魔女がいる地域でもある。軍の大半を素通りして直接皇帝を襲い、帝国崩壊の遠因はまだここにあるのだと、勝手に勘違いしてくれれば御の字である。
その隙にミハイルの父君が外交政策に力を入れて条約や取引を行い、国土と独立を守るべく奔走していた。
「……ゼスはプシュケの前で、珍しく愛想がよかったじゃないか。普段からあのくらいの温度でお嬢さん方に応じていればいいものを」
「……命の恩人に敬意を示したまでです。いつもとそれほど態度の違いを出した覚えもありません。殿下が、あの場所ではまるで身分がないかのように振舞ったので、それに倣ったまで」
「そうか、そうか。なるほど」
ゼスはむっとして反論しつつ、プシュケの前でだけ特別愛想よく振舞ったわけではないと説明した。しかしミハイルはにやにやしながら視線を寄越すだけで、それ以上は何も言わないつもりでいるらしい。
もう一人がそれきり口を閉ざしたため、ゼスは仕方なく手元を開き、納税記録と各地の領主からの報告書をあたり始めた。税帳簿の記録に照らし合わせ、虫や天候不順、野盗の襲撃を理由に交渉、嘆願が寄せられた記録が残されている。建国間もない時期には蜂起寸前まで事態が進行した記録がある一方で、たしかに何の支障もなく納税が行われている地域もある。
単に記録が残されていないか、それとも別の理由があるためか。魔女を匿い、天候や病害虫の影響を軽減するよう協力を得ている可能性がある。何も知らなければ偶然だと気に留めなかったけれど、あの場所を知ってしまった以上、この上なく怪しいと感じられた。
「……プシュケによると、お師匠という魔女は大層な人間嫌いだそうだが、外界と全く交流がないわけでもあるまい。外から届けられる食糧もあれば、畑で育てた作物の売り先もあるのだろう。……そうなると、誰かが交渉に乗り出すはずだ。特に弟子の方には、外の世界にまるきり興味がないという様子でもない」
不作な年をどうにかできるだけの術が存在する事実が、既に知られている。人間には扱えない技術を持つ者が隠れ住んでいるという秘密は、時間が経つにつれ、少しずつ周囲の村へ広まっていくのは避けられない。
あの魔女達が他の陣営に付いて敵に回る前に、交渉したい。せっかく繋がりができた以上、上手く交渉して味方になってもらうのが最善である。それがミハイルの言い分だった。
「人間を遠ざけているお師匠殿と違って、あの子は御しやすい相手と見做されるのではないか? 自力で得た伝手を頼って交渉し、協力を取り付ける方が何倍も有意義だと私は考えている。……ゼスはどう思う?」
どうだ、と思いのほか真剣な眼差しだった。ここでゼスが嫌だと反対するのは許さないだろう。前回は運の良い事にプシュケの師匠は不在だったが、もう帰還していておかしくない。ミハイル本人に行かせるのは危険が大きく、本当にカナブンに変えられてはどうしようもない。
結局は傷を治してもらったゼスが赴き、先日の非礼を詫びつつ交渉の糸口を探るという、正式な辞令から逃げられなかった。
数日後、ゼスはある村を訪問した。視察、という名目で珍しい視線を集めつつ、特に警戒はされない。教会、村の集会所と作物の出来具合を見せてもらって領主館へ移った。形式的なやり取りの後で、金貨を握らせながら話をふると、村の代表は視線を泳がせた。
「危害を加えようという意図はなくて。私は以前、そこへ立ち寄りました。一晩休ませてもらって、親切な事に食事まで振舞ってもらいそのお礼を、と……」
薬草園と果樹園があって、ミツバチが飼われていた。記憶を頼りに母屋と工房の位置関係を示した敷地内の見取り図を作ってもみた。自分と同じ年頃の娘が一人いるはずで、師匠の方は随分な人間嫌いだが、それなりの年齢を重ねているはず。そこまで説明してようやく、そこへ立ち入った事があるのだと信じてもらえたらしい。
「時折食料として干し肉や卵などをやり取りしているのだと、その子が」
「しかし、あの方は……」
「彼女、いや彼女達に危害を加える気はない」
ただ命を救ってくれた礼だけはしなくてはならないのだと事情を説明し、長い問答の末にようやく相手が重たい口を開いた。湿地の奥に居座る魔女が、迷い人を送ってくれたのは一度や二度ではない、というような話をしてくれた。若い者が度胸試しと酒の勢いで奥へ足を踏み入れても、途中で方角を見失い村へ戻ってしまうのだという。
ゼスは城からついて来た者に、携えて来た護身用の剣や小刀を預けた。父の頃からいる気心の知れた年寄り馬の手綱も預けた。
心配する声を宥めて、ゼスは一人で案内された場所の奥、湿地の辺へ足を踏み入れた。
「……」
さほど珍しい風景ではない。うっそうと生い茂る草木の中を進んでいく。何か人の住んでいる痕跡がないかも調べたが、それらしいものは見当たらない。時折茂みが微かに揺れたものの、大きな獣の気配ではないようだ。
虫使いの魔女、とプシュケは名乗っていたのでそれらしい蝶々なども探したが、見つけられなかった。
彼女の名前を呼んでみようか、という考えが頭に浮かんだ。プシュケが先に気が付いてくれれば、多少交渉は楽になるだろうという案が頭に浮かんだものの、ゼスはそれを打ち消した。まるで利用しているような形になるのはよろしくない。
そもそも人間の世界でたとえるなら、親方の言いつけを破って勝手な仕事をした見習いである。本人は大丈夫だと笑っていたが、師匠とやらが果たしてどのような処遇を受けさせるのか、ゼスはあまり楽天的にはなれなかった。
もう少し進んでみようと、道のない場所に足掛かりを探すため顔を上げた時、全く友好的な気配のない女の声が、思いのほか近くから聞こえた。
「……丸腰とはいい度胸だ」




