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⑬桃の木のそば


「あの、そうだ、他に価値があるものと言われたら……」


 ゼスも暗い話題を変えようとしたのか、プシュケの動揺には気が付かないようだった。彼はしばらく考え込んだ後にシャツの襟もとを手で探る。現れたのは目の細かい鎖の首飾り、おそらく女性ものと思われる造りの装飾品である。蔦の葉を象ったらしく目立つ宝石などは見られないものの、繊細な仕上がりは目を惹きつけ楽しませるだけの魅力を有していた。


「昔に父が母を連れ出して、露店で購入したものらしい。大事にしまっていたところをみると、もらった本人はいたく気に入っていたらしいが」


 彼は気まずそうに目線を外しながら、ペンダントこちらに差し出した。


「……よかったら……治療のお礼と、髪の毛を本意でない形にしてしまって。売れば多少は換金できるはず」

『あら、あらあら……』

「お、なんだなんだ。母上の形見なぞ持ち出して」


 受け取りづらい事情が明かされるのと同時で、ソファの後ろから横やりが入った。寝入っていたはずのミハイルが、いつのまにか起きだしている。耳をそばだてながら、興味と冷やかしの混じった眼差しをこちらに向けていた。

 

「なんだ、邪魔して悪かったか? 愛称で呼んでもいいなんて珍しくて驚いたから、なかなか会話に入れなくて。それから、誕生日はもう少し先だったよな? ゼス」

「……女性用の品なので、むさくるしい男が持っていては可哀そうでしょう。そのうちに譲渡するか売り払うかしようと思っていたのです」

「そうだとしても、今はあなたが持っているべきだと思う。素敵な品を見せてくれてありがとう」


 大事にしてね、とプシュケは慌てて首飾りは返却しておく。この状況でなければもう少しゆっくり観賞したかった気持ちが、少しはゼスに伝わってほしいところである。


「プシュケは縁もゆかりもない私達二人のために、髪の毛まで犠牲にして治療にあたってくれたのだ。相応のお礼はしなくては。というわけで、糸切鋏があったら貸してくれないか」


 ミハイルは懐を探るのではなく、上着を脱いだ。プシュケから鋏を借りて、まずは袖口の糸を少しずつ外し始めている。意匠、素材も造りも掛け値なしに上等の品だ。師匠なら上着だけでも喜んで徴収するに違いない。


「安全な寝床に弟への適切な治療。それからそのお師匠殿とやらに、カナブンにされてはかなわないからな」

「……どうりで、随分熱心に繕っていたわけですね」


 ミハイルの上着に縫い込んであったのは、金貨である。その後もありとあらゆる縫い目や折り返しから次々取り出されるのを、プシュケは興味深い眼差しで、ゼスの方は呆れた視線を送っている。卓に金貨の塔がいくつも積み上がった。


「これで全部。ああ、いい買い物だ。帰りは身が軽くて助かるよ」


 ミハイルが合流し、庵は一気に賑やかになった。ゼスがどこか実年齢より老成している雰囲気に対し、彼の方は人目を惹きつける華やかな好青年である。

 三人で自己紹介を交えながら気安いやりとりをしているようで、しかしゼスはもう一人が加わってから、常に微かな緊張を帯びていた。


「二人は血縁があるの?」

「ああ。ゼスはおしゃべりだな。もうそこまで喋ってしまったとは」

「そんなものはないので」

「意見の相違があるじゃない」

「血は繋がっていないが、縁あって一緒に育てられた特別な間柄だ」


 ある程度の階級に所属する人間には、乳兄弟という習わしがあるようだ。高貴な生まれの赤子と、親戚や使用人の子供を一緒に育てるらしい。魔除けの意味合いや将来、信頼できる臣下として確保され、競争率もそれなりに高いとミハイルが説明してくれた。


「ゼスの親父殿は父からの信頼も厚かった。……それにしてもああ、腹が減った。昨日の昼から何も口にしていない」


 その先にミハイルの出自の話をしてくれるのかと思いきや、彼は咳ばらいして話題を大幅に変えた。しかしお腹が空いて来たのは事実であったので、プシュケも口を挟みづらい。ゼスも昨晩は身体を酷使して消耗しているはずなので、食べられるなら消化器の負担が少ない食べ物を口にした方がいい。


「そうね、あるものでよければご飯にしましょうか」


 ゼス君はまだ動かないで、と納得いかない表情を浮かべる彼を長椅子に、プシュケはミハイルと一緒に食事を用意した。ミハイルも不慣れな様子ではあるものの、お皿を並べるのを熱心に手伝ってくれている。ランタンの魔力がパンと昨晩食べ損ねた煮込みスープを温めて、人間の世界にはない道具のためか二人の客人は感心した様子で眺めている。

 お先にどうぞ、と断ってから庭へ赴いて、食べごろの果物を人数分見繕った。先日、誤って栄養剤を大量に与えた桃の木に季節外れの実がなっていたので、鋏で収穫しておく。そしてルクレティアのために花壇から咲いている花を数本持って来て、こちらも花瓶に生けて食卓に添えた。人数と食事が揃うと、庵の食卓はいつもと違う賑やかな歓談な場となった。


  プシュケに金貨の相場はわからないものの、 かなり高額と思われる報酬を受け取ってしまった。庵の主人が不在のため、留守居役の弟子が代理として二人に食事を提供した。


 そうして三人と蝶々で食事を始めると、一人では明らかに多い量だったのが、育ち盛りの少年二人が加わると心許ない。しばらくの間、がつがつと全員が無言で食事に集中した。



「……それで、プシュケ殿がかの有名な、魔女殿なのか? 」

「有名な魔女というのはやっぱり、あの……」


 たらふく食べて満足したらしいミハイルが、改めて口を開く。大方食べ終えたプシュケは話題に応じると、彼は大袈裟に咳払いした。


「この国には魔女や魔法使いはいない。今から五十年ほど前、当時は海の向こうから来た帝国の支配下にあって、そのような人々は異端とされて追い払われ、ただ一人を除いて姿を消した」


 この小国は海に面し、複数の国と国境を接している影響で、侵略や占領の憂き目を何度も経験している。ミハイルが大仰な台詞で以て説明を始め、残りの面々は静かに耳を傾けた。

 

 海の向こうの皇帝が差し向けた自慢の重騎兵を追い払ったのは、この国に残った魔女とされている。怒りに任せた強大な魔術によって騎士団は敗走、魔の手は皇帝自身にまで及び、帝国崩壊に繋がったと言われている。実際は広げ過ぎた領土のあちこちで同時に反乱が起き、鎮圧できない規模に膨れ上がったのが原因とされているらしい。

 どこまでが魔女の仕業であるのかは、判断が難しいところである。


「帝国の脅威は遠ざかったものの、今は狭い国土のあちこちに、妙な一帯がいくつかある。豊作の年は目立たないが、不作の年に陳情もなく淡々と決められた税を納める場所には、≪魔女≫が匿われているのだと」

「……」


 師匠は人間嫌いだが、全く付き合いがないわけではない。見習い魔女を育てるために食料の一部を頼っているのだ。肉、魚、牛や山羊の乳などを交換するかたわら、畑の生育がよろしくない年には、多くの贈り物と共に人間が庵を訪ねる年も、確かにあった。 


「どうでしょうね。たしかに小麦の成長と収穫が順調に進むよう手を貸すけれど、その帝国云々は今度聞いてみる……。ちょっと待って、もしかしてわざとここへ来たという事?」

「闇雲に逃げるより、助かる可能性が高いと踏んではいた。実際読みが的中して命拾いしたわけだ」

「……どうりで、変な方向に逃げているものだと思っていましたが」


 師匠は人間が嫌いだからカナブンにされてしまう、とプシュケは再度忠告した。しかしどこまでミハイルに響いたかは怪しいところである。彼は子供を攫う魔女の噂話を把握したうえで、ここへ逃げ込む判断をしたのだ。


「……納税のくだりの教師のお話、思ったよりきちんと聞いているのですね」

「面白そうな部分だけ、な。というわけだ、優秀な魔女のプシュケ殿、……一緒に来ないか?」

「……ミハイル」


 饒舌なミハイルが口火を切って、ゼスが何とも形容しがたい口調と表情を浮かべた。彼は魔女や魔法使いではないが、口を開くとその場の空気を従えてしまうような妙な迫力がある。並みの人間には持ちえない、特別な才能と称しても差し支えない。


「私はいずれ、父上から引き継ぐ仕事がある。このままいけば、ゼスがその補佐を務めるようになるだろう。今回の件で献身がより一層功績として認められるだろうから。それはとても重要な仕事であるからして、手伝ってやってくれないか」

「……えっと」


 どのように手伝うのか、プシュケにはいまいち想像がつかない。怪我をしたら早く治るよう手を貸せるけれど、頻繁にそのような事態が起きる場所が暮らしやすいとは思えなかった。 

 それから、人間嫌いの師匠の意向もある。すぐには決められないが興味はある、というあいまいな返答だが、ミハイルはさほど気落ちした様子もない。


「生まれた場所は違っても……、とよく言ったものだ。ちょうどうまい具合に桃があって、三人集って食事を囲んで夢を語れば、まるで遠い国の昔話を思い出す」

「あ、それは子供の頃に読んでもらった。ええと……」

「……生まれた場所は違えど、我らは兄弟なり!」


 プシュケはこの話を知っている人間に遭遇したのが嬉しかったので、ミハイルとグラスを掲げて乾杯し合った。ゼスは目を丸くしている。東にある国の戦記物語の序章に、このようなやり取りがあった。

 

 三人の若い武者が夢を語り、生涯共に戦う誓いを結ぶ、印象的な物語の始まりである。

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