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⑫同い年の相手

 

「ああよかった。師匠の薬がよく効いたの。息が苦しいとか、吐き気がなければ少し食べても大丈夫でしょう」


 とりあえず命の危機は去ったようだ。プシュケは昨晩から継続して彼の容態を診ていたので、今のゼスの表情を見ると感慨深いものがある。朝の穏やかな明るさを考慮しても、本来の彼が十代半ば、強い生命力を秘めた少年であるのがわかった。昨日は本当に危なかったのを思い出し、プシュケは内心で息をついた。


 プシュケの魔力が負担の大部分を担ったとはいえ、相手の内臓器官を酷使したのは間違いない。しばらくは消化に良さそうな優しいもの、出どころが怪しい生水や脂っこい食事はしばらく避けるように言い含めておいた。


「それで、あの……疑ってすまなかった。高名な薬師殿とは知らなくて」

「それは師匠の話。私はまだ単なる見習いの身で」


 彼は姿勢を正し、謝罪とお礼の言葉を探している。その目線が不意に、一か所に留まった。プシュケの後ろを凝視しているような様子だったので振り返って見たが、特に何かあるわけではない。不在の主人を除けば、静かな庵の朝だった。視線を戻しながらしばらく考え、ようやく思い当たる。髪を切った直後は彼も目を開けていたが、文字通り夢うつつの状態だった。布を被った程度では隠しようがない。 


「髪が……」

「ああ、えっと、……治療に必要だったから、自分で切ったの。見苦しいのは後でちゃんと整えるから、今はこれで許してね」


 鏡も見ず鋏を入れたので不格好なのは致し方ない。後で毛先だけでも整えて、師匠に指示を仰ぐほかない状況である。

 それにしても、夜通し解毒に徹していたプシュケは随分消耗した。魔力はともかく気力、体力面は自分でもわかるほどなので、今晩はシロップを飲んでさっさと寝るほかない。治したとはいえ怪我人に気を遣わせないよう、別の話題を探した。


「傷薬は師匠お手製の、効果は保証するから安心して。私も以前耳の怪我に塗ってもらって、今はもうわからないくらい。治りかけの傷口は別の薬で痒みを抑えられるから、他には……」


 プシュケは患者にあれこれと説明を尽くしたが、ゼスも大人しく聞き入れるわりには、やはり髪の件を気にしている様子だった。ほとんど残っていない耳の傷跡を見てみるか尋ねたけれど、気まずそうに視線を逸らされてしまう。


「それは大丈夫なのか……? 魔女殿の住む界隈の認識はわからないが、人間の世界で女性が髪を切る、切らせたとなるとそれなりに大事で」


 ゼスはこの上なく申し訳なさそうに教えてくれた。しかし寒村で生まれ、幼い頃師匠に弟子入りしたプシュケにはよくわからない。おそらくもっと裕福な階級の風習に違いないだろう。

 今度はこちらが、魔女や魔法使いが複雑な術を試みる際、身体の一部を薪のように消費するのだと説明した。強い痛みを伴う箇所は師匠曰く禁忌扱いのため髪の毛を用いたものの、今度は別の意味合いが含まれるらしい。

 

 誰の了承も得ずに鋏を手に取ったプシュケは気まずい空気を誤魔化すため、シロップを水で薄めて飲みやすくした。きっと彼も言い出さないだけで、空腹に違いない。


「これをどうぞ。滋養剤みたいなものだと思って。これを飲んで平気なら食事にしましょうか。もう一人、ミハイルも起こして」


 プシュケが追加で取り出したのは虫の使役用ではなく、単に飲んで味わうだけのものだ。淡く美しい黄緑色の液体にいそいそと口をつけ、それを見た彼もそれに倣う。


「ああ、美味しい」

「……生き返るようだ」


 ゼスの感想を聞いたプシュケは大袈裟な、とは思いつつ似たような心地である。爽やかで口当たりの良い甘みと酸味が、手先をはじめとして身体の奥まで染み渡るような感覚を覚えた。


「今更だが、ゼルティスだ。ゼスでいい。薬師殿は?」

「ただのプシュケよ。まだまだ見習い」


 ゼスが会話に応じてくれそうな雰囲気なので、プシュケはいそいそと姿勢を正す。同年代の少年少女、たまに師匠の客人や友人の遣いとして庵を訪れても、絶対に長居しない。どうやら師匠が子供を攫うと信じているようでそそくさと帰ってしまう。

 同年代の相手とじっくり言葉を交わす機会は初めてかもしれない。とりあえず、頭に浮かんだ質問を投げかけた。


「ゼス君は何歳?」

「…………間もなく十五になる」

「じゃあ、同い年なのね」


 ゼスの返答には少々不自然な間が存在したものの、プシュケは同い年の相手をじっと観察した。少年であれば声が低くなり、身体が大きく成長して性差が顕著になるのと同時で、精神面でやや不安定な時期はおおむね男女どちらにも共通、と知識はある。

 プシュケは人間の両親の下で生まれたが、いくらもしないうちに口減らしの憂き目にあっている。誕生日は師匠に拾ってもらった日に決めていた。

 やはり男の子と自分では全然違う、とプシュケは興味深々だけれど、相手はその視線をふい、と躱した。シロップの残りに集中して飲み干す時間を設け、聞き手と話し手の入れ替えるつもりであるらしい。


「プシュケ、……さんの方は、本当に魔女というやつなのか」

「プシュケでいいよ、呼びにくいでしょう。ええ、この庵で薬を調合と、本業は虫使い。蝶々にミツバチ、他にも色々いるおかげで、効率よく果物や草木の採集できる。害虫だと敬遠されるけれど、無闇に嫌うよりも扱いを学ぶ方が効率的に避けられると思っている」


 特定の虫は農作物の収穫に影響し、家屋に勝手に入り込んで鬱陶しい場合も多く、厄介者扱いである。けれどプシュケはここへ来て果物の収穫や蜂蜜はもちろん、師匠は工房で生糸を作る虫を飼っているので、抵抗はほとんどない。


「そういえば、矢を射かけられる直前に変な飛び方をした蜻蛉、だと思うが、とにかくその虫の動きを追った時、待ち伏せている相手に気が付いた。もう少し遅れていたら、あの場で捕まっていたかもしれない。もしかして、あれも……」

「そうそう、気が付いてくれてよかった」


 彼の話を聞いて、プシュケは満足して一人で頷いた。昨日、こちらの咄嗟の手助けをゼスはきっちり受け取っていたのだった。彼がまた態度を改めようとするのを、プシュケはまあまあと宥めておいた。これほど感謝してくれるとは思っていなかったので、逆に戸惑うほどだ。しかしそうなると常々感じている疑問が頭にはっきりと浮かぶ。


「虫を操ったり、何の毒か判定して正しい対処法を実行したり、後は傷の手当て。これは全部師匠が教えてくれた技術。とっても役に立つはずなのに、どうしてあの人は人間を嫌って、ひっそり暮らしているのかしら」


 これはプシュケがこの庵に来てからずっと感じている疑問である。誰かの役に立てたらこれほど嬉しいのに、と常々思っていた。

 そして子供を攫う噂のせいで変な要求に走る依頼人もそれなりにいる。追い払ってから迷惑だと愚痴をこぼすのもしばしばだった。弟子としては立ち回りを変えるべきなのではないか提案するべきだろうかと真剣に悩んでいる。

 けれど、おそらくプシュケがここへ来る前から彼女はこのように暮らしている。そうするだけの理由があるのだとすれば、的外れな鬱陶しい発言にしかならないのではないかと危惧していた。

 

「プシュケのお師匠殿とやらの為人は詳しくわからないが……。心配しているのだとわかるよう伝えれば、行動を変えるまではいかなくても、多少響くのではないだろうか。俺もミハイルから難しい仕事を押し付けられる際、拒否できなくても、不本意だと言外に示すのはそれなりに効果があると信じている。甘えではなく信頼して訴えているのだと、わかってくれる間柄であれば」


 二人は長椅子の裏でまだ毛布に包まっているもう一人を窺う。起きだす気配はなかった。

 プシュケはここにいない魔女の師匠、本人がどう思っているかはともかく、自分の親代わりに等しい相手を案じている。教育と衣食住を惜しみなく与えてくれる良い先生が外部から誤解されている現状を、ずっと歯痒く感じていた。機嫌が良い日を見計らってみようと、彼に相談して少し気が楽になった。


「うん、私も段々大人に近づいて来たから、いつかは言わないといけないと思っていたから。ありがとう」

「お礼どころか治療代を払うのはこちらで……ここは通貨を受け付けてもらえるだろうか?」


 何も考えず彼らに手を貸したプシュケは、相手の申し出をやんわり断ろうと試みたけれど、ゼスは譲らなかった。そもそも治療は師匠のように鮮やかな手並みとは程遠く、対価を要求する気になれなかった。まだ半人前の身でそのような度胸はない。何しろ初めて、一人で何とか対処したのだ。

 

「師匠は依頼人の一番大切にしているもの、価値がある物を取り上げてしまうけど、……一番大事なものを私に見せてくれたら、それで十分」

『ちょっと、私はあれだけ頑張ったのに!』


 空いている窓から、不意に使い魔が戻って来た。タダ同然とは信じられない、とルクレティアが抗議している。ゼスの目の先でじたばたと飛んだが、プシュケは黙殺した。彼にはそもそも聞こえていない。 

 

「何か文句を言われている気がする。……花の蜜でいいだろうか。それはともかく、大事なもの……」

「我がまま蝶々は、あとで花壇から適当に摘んで渡したら喜ぶでしょう。あ、……もしかしたら、銀貨をお持ちかしら? ちょっとでいいから触らせて欲しい」


 こちらの申し出に疑問を浮かべつつ、ゼスはお願いした通りに懐を漁って巾着袋を取り出した。紐を解いて軽い金属の音がする中から、間もなく銀貨が数枚寄越された。


「……」


 指で触る前に残っている魔力をこっそりと伸ばしても、他より稀少であるのを除けば普通の金属とわかる。農作業に使う鉄、真鍮の秤や鍋と何ら変わりない。しかし師匠がこれを嫌って遠ざけているという事実が、弟子を不安にさせた。絵本で悪い魔物を遠ざけるために登場するのは、必ず銀だった。


 ルクレティアは主人の緊張が高まるのを感じ取って、口を閉ざした。プシュケは既に魔女の仲間内に入る。触った瞬間に手が焼けただれるかもしれないという微かな恐怖だが、結局杞憂に終わった。少し冷たい硬質な貨幣の感触を楽しんだ後、彼に返却する。


「ありがとう。ちょっと気になる事があっただけ。……人間は、銀の食器を色々な用途で使うそうね」

「ああ、……。料理を盛り付けた器が黒く変色するのを、何度も見た事がある。毒が入っているのだと騒ぎになった後で身体検査や取り調べが始まって、無実を訴えながら下働きや客人が引っ立てられたり、怪しいと噂が立った者が夜の間に姿を消したりした」


 何気ない話題のつもりが、プシュケは思わず相手を窺った。銀食器が、決して祝いの席ばかりに使用されるのではないと知っている。しかし相手は実際に見聞きしたどころか、危うく毒を盛られる場面を幾度となく経験しているらしい。

 そもそも二人の客人は命からがらここへ逃げ込んだのだった。

 

『人間の暮らしの中では、よくあるのよ、プシュケちゃん。武器を持ち出すより、こっそり食べ物や肌に触れるものに細工する方がずっと楽で、誰がやったのかわかりにくいもの……』


 使い魔のルクレティアが冷静に口を挟む。ゼスは暗い表情を浮かべていて、プシュケが返答に困って口を噤むほかなかった。

 安全で暮らしやすく管理された庵と、かつて住んでいた山間の寒村。それとも全く違う別の世界があるのだと、初めて感じたのだった。 



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