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⑩ここは魔女の庵


『……野盗かしら? しばらく見なかったけれど』


 使い魔の蝶々、ルクレティアがプシュケの視界を共有しながら、見えている景色に対する見解を述べた。

 これまでも畑の収穫物や商隊の荷物、時には女性や子供を狙う者達が、師匠と付き合いのある村周辺に時折現れた事がある。

 領主が討伐隊を編成、もしくは師匠が依頼を受けて退けた時もあった。近年は王都主導で街道の整備が進み、被害は減少傾向にあると言われていた。


 プシュケは空や草原、林の奥に至るまで無数に存在する、虫使いの魔女に力を貸す者達の目を拝借し、状況を継続的に確かめた。年若い少年二人を、残りが追う構図である。全員が男性、弓矢と剣で散発的に応酬する様子は、騎士隊の訓練か何かに見えなくもない。

 少年達は一人が抜き放った剣で矢を空中で叩き落し、もう一人が後方に向かって牽制するように弓を放っている。上手く連携がとれていて、少しずつ距離を稼いでいた。このまま全員が師匠の庵がある場所から離れれば、それでおしまいだ。

 

『プシュケ、大丈夫?』


 足を止め、事情がわからないまま様子を見守る主人を見た使い魔が、心配そうに肩に止まった。こちらをじっと窺っている。指先でお目付け役を宥めながら少し先の様子を見たプシュケは息を呑んだ。


「……あ、」


 まずい、と思ったが彼らに教える方法がない。行く手の林から別の一隊が姿を現し、馬のいななきと罵声が交差した。待ち伏せによる奇襲をなんとか切りぬけた二人に、ここぞとばかりに弓矢が追いすがる。プシュケが冷静に見ていられたのはそこまでだった。



 





 どうにか切り抜け距離を稼いで追撃が緩んだものの、いくらもしないうちに片方が落馬した。乗り手の異変に気が付いた馬が自らの判断で咄嗟に速度を落としたおかげで、大きな怪我は負わずに済んだらしい。


「……ゼス!」


 無事な方も馬から降り、似たような年頃の二人が言い争そう声が聞こえる。傷を負った方は立ち上がろうとしたものの、矢を受けた足に力が入らないらしい。先に行け、と強い口調で突き放そうとしている。

 しかし強がりでしかないというのは、顔色を見るまでもない。腿を押さえている指の間から血が滲むのが見える。どちらにせよ長くはもたない。おろおろと様子を窺う馬達も、どちらもすっかり息が上がっている。


「ミハイル、掠っただけだ。後で追いつくから……」

「馬鹿言うな」

「……本当はものすごく痛いのではないかしら」


 プシュケが遠慮しながら口を挟むと、二人はさっと振り返った。そうして困惑と恐怖の入り混じった眼差しが向けられる。声を掛けてから、一言目は身を案じるような台詞にするべきだったと反省した。

 人の気配がない荒野にいきなり出て来て、この上なく怪しいのは間違いない。仕方なく開き直って、できるだけ淡々と事実を告げた。


「さっきの矢には丁寧に毒が塗ってあったから。矢尻自体は抜けているようだけれど」


 肩をすくめ、プシュケは両手を軽く掲げる降参の手振りを見せる。害意はないと示したものの、相手方の反応は芳しくない。彼に当たった矢ではないが、プシュケは拾ってきた一つを見せた。矢尻は人間同士の大規模な争いでは使われない形状だ。矢に仕込まれていた毒は、師匠の下に持ち込まれて観察した程度ではあるものの、一応知っている。この周辺で獣に使う矢毒ではない。

 人間相手に毒を使うのは卑怯である、という分別は師弟も持ち合わせている。師匠も組織も、毒殺のための調合は決して引き受けないのだ。


「ごめんなさいね。自分でも十分怪しいとは思っているけれど、もし許してくれたら匿って解毒と手当てができるの」

 

 師匠であれば手をかざしただけで毒の中和くらいはしてしまうけれど、見習いのプシュケはそこまでの技量を持ち合わせていない。怪我人を安全な場所で落ち着かせた上で、集中する必要がある。


 二人は言い争いをやめ、突如現れ謎の提案を始めた怪しい女を凝視している。負傷した方は身体に毒が回り始めているのを、意志の力だけでどうにか抑え込んでいるらしい。それでも手の震えは既に始まっている。こちらが手を貸さない限り、彼はこれ以上動くどころか、一刻の猶予もない。それでも顔を顰めながらもう一人を庇うように立ち、剣の柄に手を掛けようとしている。


「……追われている。身を隠す場所を知っていると助かるが」


 ミハイルと呼ばれている方が、プシュケに頼る以外に希望はないと覚悟を決めたようだ。武器を触ろうとした怪我人を止め、やや強引に肩を貸した。年恰好のよく似た二人だが、主導権は完全に片方が握っているらしい。正式に許可を得たプシュケは駆け寄って、止血のためにハンカチを巻いた。そのまま反対の足を支えるのに、相手は戸惑ったようだが抵抗しなかった。


「とりあえずこちらへ。ルクレティアも手伝って」

『もう、どうなっても知らないからね……』


 成り行きを見守っていた使い魔が要請に応じてひらりと飛び、使い魔は怪我をした少年の足に止まった。不思議な光景に彼が身体を強張らせる間に、もう一人はしきりに後ろを気にしている。


「……追手は振り切ったのだろうか」

「この辺りは迷いやすいから」


 プシュケは説明を省略するために、それらしい言い訳をしておいた。彼らに声を掛ける前、飛んでいた蜻蛉の群れに干渉してけしかけたのだった。まつ毛に触れる距離に現れた羽音に気を取られた一瞬で、プシュケの術が発動している。


 彼らは獲物を追って再び馬を駆り、しかし弓を打っても手ごたえがなく、縮まらない距離を奇妙だと思うに違いない。しかしそれがどの辺りで始まったのか、正確にはわからないはずだ。あちらに魔法使いが参加していればともかく、そして陽は既に傾きかけている。


「ゼス、……父上と母上が助けを遣わしてくださったのだ」


 ミハイルという名前らしい無事な方が、懸命に怪我人を勇気づけるような台詞を口にしている。彼も大人しく肩を借りて歩けているので、とりあえずルクレティアの魔力が効いている様子だ。そうでなければ痛みとひきつけを起こしてそれどころではない。三人はできるだけ早く移動を試みた。


「それと、師匠の庵の中では大人しくしてね。たくさん魔法が掛かっているから、妙な動きをすると危険なの。できるだけ誤魔化すけど、あの人は人間が嫌いだから」


 まさかこのような事態に陥るとは、とプシュケは不在の師匠に心の中で謝っておいた。これならば人間の街へ見物に出ていた方がよほど無難な結果と言える。母屋が見えて来た頃、客人に向かって不用意に武器を触るなどの敵対的な行動は控えるよう忠告した。怪我人を支える方が神妙な顔で頷いたので、プシュケは二人を奥へと案内する。

 空いている手をランタンに伸ばし、庵中の明かりをつけた。あちこちの燭台が一斉に反応するのを、ミハイルは目を丸くしている。


「この屋敷で普通の火は使えないの。燐寸なんか使ったら、師匠が貴方たちに何をするか。とりあえずソファで横になって……」


 かまどにも火が灯って、早々に湯まで沸かしてくれた。便利な魔法だと感動しつつ、プシュケは応接間に怪我人を横たえた。それから鋏を持って来て、ごめんなさいね、と安物ではなさそうなトラウザーズに視線を向けた。


「いや、いい。遠慮なくやってくれ」


 初めて、怪我人はこちらを見て口を開いた。不安と疲労に諦念が混じった複雑な口調だが、震えているわけではない。

 しかし処置がしやすいようにと触れた冷たい金属の感触のせいか、それとも得体の知れない相手に委ねている恐怖なのか、身体を一層強張らせている。声に力はなく顔色も良くないが、覚悟は決めたらしく息を吐きながら力を抜く。


 掠っただけというのは明らかに強がりだった。矢尻が抜けているのは幸いだが、手当に時間がかかりそうな傷だ。


「それじゃあ、とりあえずお手を拝借してよろしい? その方がやりやすくて」

「……」


 要求が人間の薬師のやり方ではないためか、二人は再び口を閉ざした。そもそも急に姿を表したり蝶に話しかけたりという奇行、そして彼らは見知らぬ屋敷に足を踏み入れている。ここから更に謎めいた処置が行われると悟って、理解が追いつかないのだろう。ここは彼らがこれまで見聞きした理が通用しない、魔女の庵である。


 プシュケは病人を寝かせたすぐ横に腰を下ろした。手狭だが安定して処置に集中できるだろう。

 

 

「どうか、よろしく頼む。貴殿だけが頼りだ」


 本人ではなく付き添いの台詞だが、怪我人も意を決したように頷いたので、こちらも応じておく。

 そうしておそるおそる伸ばされた手を取ると、毒が回っている影響を除いても熱かった。師匠とも、自分の手も違う感触がする。場違いな驚きと好奇心を頭の隅へ追いやって、プシュケは目の前に集中した。


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