第3話 招かれざる同行者
「偵察に、同行……ですか?」
アレク様の言葉を、私は耳を疑いながら聞き返した。
演習場の砂埃が風に舞う。
彼の鋭い眼差しは、冗談を言っているようには見えなかった。
「そうだ。一時間後に出発する。準備をしておけ」
「お待ちください! 私はただの居候です。それに、魔物の出るような場所へ行っても、足手まといになるだけです」
私は必死に訴えた。
当然の主張だ。
無能と判定された私に、騎士の任務を手伝えるわけがない。
むしろ、守らなければならない対象が増えるだけで、邪魔になるはずだ。
「足手まといかどうかは、俺が決める」
アレク様は私の反論を切り捨てた。
彼は傍らに控えていた副官らしき男性に視線を送る。
「リリアに貸せる馬を用意しろ。一番大人しい奴だ」
「はっ、承知いたしました!」
副官の男性は、なぜか少し嬉しそうな顔をして走り去っていった。
どうしてそんな反応をするのだろう。
厄介な監視対象が増えるというのに。
私は悟った。
これは、ただの同行ではない。
(……きっと、監視されているんだわ)
王都で「無能」とされ、婚約破棄された公爵令嬢。
そんな不審な女が、国境を守る騎士団の拠点にやってきた。
素性を疑われ、危険な場所に連れ出してボロを出させるつもりなのだ。
あるいは。
過酷な現場を見せつけて、自分から「帰りたい」と言わせるつもりなのかもしれない。
胸の奥が冷たくなる。
けれど、拒否権なんて私にはなかった。
【ナレーション】
(騎士団の偵察任務。修道院周辺の森に潜む魔物の個体数調査や、魔力の歪みを測定する重要な公務である。通常、非戦闘員の同行は厳重に禁じられている)
一時間後。
私は慣れない乗馬服に着替え、修道院の門前に立っていた。
用意されたのは、毛並みの綺麗な茶色の馬だ。
「……乗れるか」
馬に跨ったアレク様が、上から私を見下ろす。
彼の黒いマントが風に翻り、その姿は物語に出てくる騎士そのものだった。
「少しだけなら、習ったことがあります。……でも、自信はありません」
「なら、俺の視界から外れるな。勝手に動けば、魔物の餌食になるぞ」
脅し文句のような言葉。
私は震える手で手綱を握り、なんとか馬の背に跨った。
一行は五人の騎士と、私。
合わせて六騎で森へと入っていった。
森の中は、外よりもずっと空気が重かった。
日光が遮られ、ひんやりとした湿気が肌にまとわりつく。
騎士たちは皆、剣の柄に手をかけ、周囲を警戒していた。
(怖い……)
私は馬を操ることに必死だった。
少しでも遅れれば、あの厳しいアレク様に叱責される。
そう思うと、緊張で胃のあたりが痛む。
「……止まれ」
先頭を行くアレク様が手を挙げた。
馬たちが一斉に足を止める。
「魔力の残滓があるな。二班に分かれて調査する。俺とリリアはここを動かない。他の者は周囲を検分してこい」
「了解!」
騎士たちが二手に分かれ、茂みの奥へと消えていく。
残されたのは、私とアレク様だけだった。
沈黙が流れる。
森のざわめきだけが、妙に大きく聞こえた。
アレク様は馬を下りると、地面に落ちていた黒ずんだ枝を拾い上げた。
「……リリア。お前、体調はどうだ」
不意に名前を呼ばれ、心臓が跳ねた。
「えっ? あ、はい。少し緊張していますが、大丈夫です」
「そうか。息苦しさや、魔力に当てられた感覚はないか」
「ありません。……というか、私には魔力がないので、当てられるという感覚自体がよく分からないのです」
自嘲気味にそう答えると、アレク様は拾い上げた枝を凝視したまま動かなくなった。
その枝は、魔物の毒気に当てられて腐り落ちたものに見えた。
本来なら、近づくだけでも不快感を覚えるはずのものだ。
「……そうか。お前には『不明』という鑑定が出たと言っていたな」
「はい。何の役にも立たない、欠陥品です」
はっきりと言うと、アレク様がこちらを振り向いた。
その瞳は、やはり何かを探るように鋭い。
「欠陥品、か。王都の連中はそう呼んだのか」
「……事実ですから」
私は視線を落とした。
公爵家の令嬢として、何の力も示せなかったあの日。
父様の失望した顔。
エドワード殿下の冷ややかな声。
それらが今も耳の奥にこびりついている。
「……。戻ってきたぞ」
アレク様が森の奥を見据えた。
調査に出ていた騎士たちが、足早に戻ってくる。
彼らは皆、額に汗を浮かべていた。
「団長、奥の沼地まで確認しました。残滓はありましたが、魔物の姿はありません」
「こちらも異常なしです。……ただ」
一人の騎士が、不思議そうな顔をして自分の胸元をさすった。
「なんだか、いつもより体が楽なんです。この森の調査は、いつもなら終わる頃には吐き気がするほど疲れるんですが」
「ああ、俺もだ。足取りが軽いというか。……団長、何か魔法でも使いましたか?」
部下たちの言葉に、私は首を傾げた。
魔法?
アレク様はさっきから、ただ枝を見ていただけだ。
アレク様は部下たちの顔を一人一人確認し、最後に私を見た。
その表情は、先ほどよりもずっと険しいものに変わっていた。
「……全員、帰還する。リリア、馬に乗れ」
「は、はい!」
彼の声のトーンが変わったことに、私は恐怖を感じた。
やはり、私が何か失礼なことでもしたのだろうか。
それとも、私の「無能」さが、騎士たちの調査に悪影響を及ぼしたのか。
(怒っているんだわ……きっと)
帰り道、アレク様は一度も私と目を合わせようとしなかった。
馬を走らせる速度も、行きよりずっと速い。
私は振り落とされないように必死でしがみつく。
修道院の門が見えてきたとき、私は心底安堵した。
これでようやく、一人になれる。
馬を降り、足元がおぼつかない私を、マルタ様が心配そうに出迎えてくれた。
「おかえりなさい。リリア様、顔色が悪いですよ」
「すみません、マルタ様。少し……疲れました」
私はふらふらと歩き出そうとした。
けれど。
「待て。リリア」
背後から、アレク様の呼び止める声がした。
私はビクッと肩を震わせ、恐る恐る振り返る。
彼は馬に乗ったまま、私をじっと見下ろしていた。
その瞳の奥にある感情が、今までの「厳しさ」とは違う何かに変わっているのを、私は本能的に察知した。
「……明日の朝も、演習場に来い。遅れるなよ」
「え……?」
「それと」
彼は一瞬、言葉を濁した。
それから、ぶっきらぼうに付け加える。
「……落馬しなかったのは、褒めてやる」
それだけ言うと、彼は馬を翻して駐屯地の方へと消えていった。
私は呆然と立ち尽くした。
褒められた?
あんなに不機嫌そうだったのに?
「……ふふ。アレク団長があんな顔をするなんて、珍しいですね」
横で見ていたマルタ様が、楽しそうにクスクスと笑った。
「え? どんな顔、ですか?」
「さあ? それはリリア様が、ご自分で見つけるべきことですよ」
マルタ様は教えてくれなかった。
私は自分の頬が、少しだけ熱くなっていることに気づいた。
夕焼けのせい。
きっと、そうだ。
部屋に戻ろうとした私は、ふと自分の手を見つめた。
騎士たちは「体が楽だ」と言っていた。
でも、私は何もしていない。
ただ、そこにいただけなのに。
私の知らないところで、何かが動き始めている。
その予感だけが、静かな夜の廊下に響いていた。




