第2話 居場所のない朝
板張りの硬い感触で目が覚めた。
窓から差し込む朝日は、王都のそれよりも刺すように鋭い。
「……あ。そうだ、私、追い出されたんだわ」
天井の木目を見つめながら、昨日の出来事を反芻する。
ふかふかの天蓋付きベッドも、着替えを手伝ってくれる侍女もいない。
ここにあるのは、粗末な木製のベッドと、水差し、それに小さな革鞄だけ。
私は跳ね起きるようにして身支度を整えた。
じっとしていると、自分が「不要な存在」であることを突きつけられるようで怖かった。
部屋を出て、廊下を歩く。
昨日は気づかなかったけれど、建物の構造が少し変わっている。
修道院の建物と、石造りの頑丈な棟が回廊でつながっていた。
【ナレーション】
(聖マルグリット修道院と騎士団駐屯地は、有事の際の防衛拠点として一体化して設計されている。食堂や井戸などの生活インフラは共有されており、修道女たちが騎士の生活支援を担うことも多い)
共有の食堂にたどり着くと、そこには異様な光景が広がっていた。
「……ひどい」
思わず声が漏れた。
大きな長机に座っているのは、銀色の鎧をまとった騎士たちだ。
けれど、彼らから「王国を守る盾」としての覇気は感じられない。
皆、目の下に隈を作り、顔色は土色だ。
スプーンを持つ手も重そうで、黙々とスープを口に運んでいる。
中には、椅子に座ったまま船を漕いでいる者さえいた。
「おはようございます、リリア様。よく眠れましたか?」
声をかけてきたのは、院長のマルタ様だった。
彼女は大きな鍋を抱え、騎士たちに甲斐甲斐しくスープを注いで回っている。
「おはようございます、マルタ様。あの……あの方たちは……」
「騎士団の皆さんです。最近は特に魔物の活動が活発でしてね。魔力を使い果たして、疲労が限界に近いのでしょう」
マルタ様は困ったように眉を下げた。
騎士の方々がこれほどまでに疲弊しているなんて。
王都で優雅に暮らしていた私には、想像もつかない光景だった。
私はマルタ様のそばに駆け寄った。
「マルタ様、私に何かお手伝いをさせてください」
「え? ですが、あなたは昨日に着いたばかりですよ」
「お願いします。私は……何もせずにここにいることが、一番辛いんです」
マルタ様は私の目を見つめ、少しだけ驚いたような顔をした。
それから、優しく微笑む。
「分かりました。では、厨房で野菜の皮剥きをお願いできますか?」
「はい! ありがとうございます」
私は支給されたエプロンを締め、厨房の隅に陣取った。
山積みのジャガイモ。
ナイフを握り、ひたすら皮を剥いていく。
王都では包丁を握ったことなんてなかったけれど、家での居場所を失くし始めてからは、こっそり料理を覚えた。
没頭している間だけは、自分が「無能」であることを忘れられたから。
サッ、サッ、という規則正しい音。
ジャガイモが一つ、また一つと綺麗になっていく。
(もっと早く。もっとたくさん。役に立たなきゃ)
一心不乱に手を動かしていた、その時だった。
「――おい。何をしている」
背後から降ってきた低い声に、肩がびくりと跳ねた。
振り返ると、そこには昨日の男――騎士団長のアレク様が立っていた。
彼は昨日の黒い軍服姿とは違い、動きやすそうな訓練着を身に纏っている。
その鋭い瞳が、私の手元と、山になったジャガイモを交互に見た。
「見ての通り、ジャガイモの皮を剥いています」
「貴族の女が、泥にまみれて何をしていると言ったんだ」
「私は、もう貴族ではありません。ただの、リリアです。居候として、少しでもお役に立ちたいだけで……」
アレク様は無言で私を見つめ続けた。
その視線の強さに、ナイフを持つ手が震えそうになる。
やっぱり、邪魔だと思われている。
公爵令嬢が慣れないことをして、同情を買おうとしていると見られているに違いない。
彼は一つ溜息をつくと、私の腕を掴んだ。
「ひゃっ!?」
「立て」
「あ、あの、まだジャガイモが……!」
「そんなものは他の者に任せろ。お前には、別の仕事をしてもらう」
別の仕事。
それは、追い出されるということだろうか。
それとも、何か罰を与えられるのだろうか。
私は恐怖で足がすくみそうになりながらも、彼に引きずられるようにして厨房を出た。
たどり着いたのは、駐屯地の裏手にある広い演習場だった。
そこでは数十人の騎士たちが、剣を振るっている。
けれど、先ほどの食堂と同じように、その動きは鈍く、空気は重く淀んでいた。
「そこで座って見ていろ。それがお前の仕事だ」
アレク様は、演習場が見渡せるベンチを指差した。
「え……? 見ているだけで、いいのですか?」
「そうだ。余計なことはするな。ただ、そこにいろ」
意味が分からない。
皮剥きよりも役に立たないではないか。
けれど、彼の表情は真剣そのもので、冗談を言っているようには見えない。
私は言われるがまま、ベンチの端に腰を下ろした。
アレク様は私から視線を外すと、演習場の中心へと向かった。
彼が声を張り上げると、騎士たちが一斉に姿勢を正す。
「訓練再開だ! 各自、魔力循環を意識しろ!」
私はただ、呆然とその光景を眺めていた。
何の役にも立たない自分。
監視されているのか、それとも見世物にされているのか。
けれど。
訓練を見守ってから、数分が経った頃。
「……あれ?」
私は自分の目に違和感を覚えた。
騎士たちの動きが、明らかに変わっていた。
先ほどまで引きずっていた足取りが、軽くなっている。
空を切る剣の音が、鋭さを増している。
何より、どんよりと曇っていた彼らの顔色に、赤みが差してきているのだ。
【ナレーション】
(魔力枯渇状態の人間は、外部からの魔力供給、または極度のリラックス状態においてのみ、その回復速度が飛躍的に向上する。だが、その場に聖女も高位魔術師も存在しないはずだった)
「なんだ……? 急に体が軽くなったぞ」
「おい、俺もだ。魔力の巡りが良くなってる」
騎士たちのざわめきが聞こえてくる。
彼らは困惑したように自分の手を見つめたり、何度も深呼吸をしたりしている。
その輪の中心で、アレク様だけが立ち止まっていた。
彼は剣を鞘に収めると、ゆっくりと私の方を振り返る。
その瞳に宿っていたのは、怒りではなく、深い戸惑いだった。
「お前……。さっきから、何をした?」
「え……? 何も、していませんが……」
私は戸惑い、首を振った。
ただ座っていただけだ。
特別な魔法も、加護も、私にはない。
アレク様は無言のまま、私との距離を詰めてくる。
一歩、また一歩。
彼が近づくたびに、私の中の「何か」が共鳴するように震えた気がした。
至近距離で、彼は私の顔を覗き込んだ。
その整った顔立ちが目の前に迫り、私は思わず呼吸を止める。
「……本当に、自覚がないのか」
「は、はい……」
「……。明日もここに来い。これは命令だ」
命令。
その言葉を残して、彼は再び騎士たちの元へと戻っていった。
私は自分の胸に手を当てた。
心臓が、早鐘を打っている。
怒鳴られたわけではない。
なのに、彼の熱を帯びた視線が、いつまでも肌に残っているようだった。
「私……本当に、何もしていないのに」
理由の分からないまま、私はただ、活気を取り戻し始めた演習場を見つめ続けるしかなかった。




