第11話 ここに残る決意
バルト司祭の馬車が去ったあとの修道院は、かつてない熱気に包まれていた。
「見たか、あの司祭の面量!」
「団長が剣を抜こうとしたとき、腰を抜かしていただろう!」
演習場からは、騎士たちの快活な笑い声が聞こえてくる。
彼らの動きは、今や王都の近衛騎士団をも凌駕するのではないかと思えるほど鋭い。
私という「無能な居候」を守るために、彼らはあそこまで団結してくれている。
「……リリアさん」
声をかけてきたのは、カイルさんだった。
彼は剣を置き、清々しい表情で私に歩み寄る。
「カイルさん。あの、大丈夫でしょうか。王都の方をあんなに乱暴に追い返してしまって……」
私の不安を察したのか、カイルさんは歯を見せて笑った。
「大丈夫ですよ。俺たちはみんな、リリアさんに感謝してるんです。あなたが来てから、この地獄のような辺境が、まるで天国みたいに変わったんですから」
「天国、だなんて……。大袈裟です」
「いいえ。みんな言っていますよ。リリアさんは俺たちの幸運の女神だって」
女神。
王都では「ゴミ」や「石ころ」のように扱われていた私が。
胸の奥がじんわりと熱くなり、視界が少しだけぼやけた。
【ナレーション】
(辺境騎士団『北天の盾』。王国の最北端を守る彼らは、長年、中央からの支援を後回しにされ、過酷な環境に置かれてきた。彼らにとって、自分たちの価値を認めてくれる存在は、何よりも尊いものである)
私はカイルさんと別れ、アレク様がいる執務室へと向かった。
彼は一人、窓の外を見つめていた。
その背中は、いつになく険しく、重いものを背負っているように見えた。
「アレク様」
「……リリアか」
アレク様は振り返らずに答えた。
「先ほどの件ですが……。私のために、王都と対立してしまって良かったのでしょうか。公爵家や王宮を敵に回せば、アレク様の立場が危うくなるのでは」
私は彼の隣に並び、同じ空を見た。
青い空の向こうには、私が捨てられた王都がある。
「立場など、最初から興味はない。俺の仕事はこの地を守ることだ。そのためにお前が必要だと言った。それだけの話だ」
「ですが……」
「リリア。お前は、王都に戻りたいか?」
アレク様がようやく私を見た。
その瞳は、逃げ道を塞ぐように鋭く、同時に震えるほど切実だった。
「戻りたく……ありません。ここで、皆さんのために自分ができることを探したいです」
私の答えを聞いた瞬間、アレク様の表情が僅かに和らいだ。
彼は大きな手で私の頭を不器用に撫でる。
「ならば、それでいい。お前がここにいたいと願う限り、俺は世界のすべてを敵に回してもお前を守る」
その言葉は、もはや騎士団長としての義務感だけではないように感じられた。
彼自身の、剥き出しの意志。
けれど、現実は甘くなかった。
扉が激しく叩かれ、一人の騎士が飛び込んできた。
「団長! 王都からの早馬です! 司祭からの報告を受けた王宮が、直ちに特使を派遣すると!」
「……早いな。次は誰だ」
「……軍部の最高監察官、ヴァイス卿です。千の私兵を連れて、三日後にはここに到着するとのことです」
千の私兵。
それは、もはや調査や再鑑定といった規模ではない。
武力による強制連行の宣告だ。
私は血の気が引くのを感じた。
私がここに残ることで、本当にこの場所が戦場になってしまう。
「アレク様、やっぱり私は――」
「言うな」
アレク様が私の言葉を遮った。
彼の目は、既に戦う者のそれに変わっていた。
「ヴァイスか。あの老いぼれが来るというなら、丁度いい。辺境の騎士がどれほど強くなったか、身をもって教えてやる」
「でも、王軍と戦うなんて、それは反逆罪に……!」
「リリア。お前はまだ、自分の価値を分かっていない」
アレク様は私の両肩を掴み、自分の方へ引き寄せた。
「お前がここにいるから、俺たちは無敵なんだ。千人だろうが一万人だろうが、俺の部下たちは一歩も引かん。お前を奪われることは、俺たちの魂を奪われるのと同じだからだ」
熱い。
彼の体温が、言葉を通じて私の中に流れ込んでくる。
(私は、もう無能じゃない)
鑑定盤が何と言おうと。
父様やエドワード殿下が何と言おうと。
ここに、私を必要とし、命を懸けて守ると言ってくれる人たちがいる。
私の心の中にあった、最後の一欠片の迷いが消えた。
「……分かりました。私は、どこへも行きません。アレク様、皆さんと共に、ここに残ります」
「ああ。それでこそ、俺の助手だ」
アレク様は満足げに頷くと、部下に向けて鋭い指令を飛ばし始めた。
駐屯地全体が、戦闘配備へと移行していく。
【ナレーション】
(王宮最高監察官、ヴァイス卿。彼は王族の血を引く武官であり、その命令は国王の言葉と同義とされる。これに対し辺境騎士団が剣を向けることは、王国全土を揺るがす動乱の幕開けを意味していた)
三日間の猶予。
それが、私に与えられた最後の準備期間だ。
私は厨房へと走り、今まで以上に気合を入れて火を起こした。
戦う彼らのために、最高の食事を作る。
私の祈りを、力の限り込めて。
夕闇が迫る中、修道院の鐘が鳴り響いた。
それは警告の音ではなく、私には新しい人生の始まりを告げる福音のように聞こえていた。
(私は、ここで役割を果たす)
もう二度と、無能だと笑われて俯いたりはしない。
私は握りしめたお玉を強く握り直し、煮え立つ鍋を見つめた。
窓の外では、月が昇り始めている。
嵐の前の、静かな夜。
けれど私の心は、かつてないほど穏やかで、そして強く燃えていた。




