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勘違い令嬢の幸運魔法が王国を救うまで  作者: 九葉(くずは)


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第10話 足元に咲く答え

決戦の朝。

そう呼ぶにふさわしい、刺すような緊張感が修道院を包んでいた。


私はいつもより早く目が覚め、中庭へと足を運んだ。

ひんやりとした朝露が、肌を冷やす。


「……あ」


中庭の片隅で、私は足を止めた。

そこには、数日前まで茶色く枯れかけていたバラの茂みがあった。

手入れも行き届かず、今にも朽ち果てそうだったはずなのに。


今は、瑞々しい緑の葉を広げ、真っ赤な大輪の花をいくつも咲かせている。

その鮮やかさは、まるでそこだけ時間が春に戻ったかのようだった。


「見事なものですね、リリア様」


背後から穏やかな声がした。

振り返ると、如雨露を手にしたマルタ様が立っていた。


「マルタ様。このバラ、急に元気になったのですね。何か特別な肥料でも使われたのですか?」


私が尋ねると、マルタ様は首を横に振った。


「いいえ。私がしたのは、最低限の水やりだけです。この子たちを呼び覚ましたのは、昨日からこの庭を通っていた、あなたですよ」


「私……? そんなはずはありません。私はただ、通りかかっただけで……」


「ええ。あなたはただ、そこにいた。それだけで十分なのです」


マルタ様は如雨露を置き、私に近づいた。

彼女の細められた瞳には、確信に満ちた色が宿っている。


「あなたは昨夜、ここを歩きながら何を考えていましたか?」


「昨夜、ですか……? あの、皆さんが無事に帰ってきてくれて良かったな、と。それから、アレク様のお役に立ちたいと……そう願っていました」


正直に答えると、マルタ様は満足げに頷いた。


「それが答えです。あなたの『願い』は、言葉にならずとも魔力として溢れ出している。そしてそれは、命あるものの生命力を直接引き上げるのです」


【ナレーション】

(支援型加護の中でも稀少な『環境干渉型』。持ち主の精神状態が周囲の生態系に直接反映される特性を持つ。リリアの無垢な慈愛は、枯れかけた植物にとって最高の良薬となっていた)


「環境を、整える……」


私は自分の手を見つめた。

鑑定盤は「不明」と言った。

数値も出なかった。


けれど、目の前で咲き誇るバラは、偽りのない現実だ。

数値で測れない力が、確かに私の中に存在している。

それを認め始めた瞬間、胸の奥のモヤが少しだけ晴れた気がした。


「リリア。ここにいたか」


鋭い軍靴の音が石畳を叩く。

アレク様だ。

彼は既に完全な武装を整え、漆黒のマントを翻して歩いてきた。

その表情は、これから戦場へ向かうかのように険しい。


「アレク様」


「使者の馬車が、街道の入り口で見えた。あと十分でここに到着する」


心臓が大きく跳ねた。

逃げ出したいという衝動を、私は必死に抑え込む。


「怖いか」


アレク様が私の顔を覗き込んだ。

その瞳には、私を不安にさせるような冷たさは一切なかった。


「……はい。でも、もう無能だと言われて泣くだけの私には戻りたくありません」


「いい顔だ。お前は何も心配しなくていい。俺の後ろにいろ」


アレク様は私の肩を、大きな手で一度だけ強く叩いた。

その熱が、私の背骨を真っ直ぐに伸ばしてくれる。


私たちは修道院の正面門へと移動した。

門の前には、既に『北天の盾』騎士団の面々が整列していた。

カイルさんを始め、全員が厳しい表情で街道を見据えている。


その光景は、一人の令嬢を迎えるためのものではなかった。

大切な仲間を、奪いに来る敵から守るための陣形だ。


「……団長、来ました」


カイルさんの低い声が響く。

地平線の向こうから、砂埃が上がった。


現れたのは、白銀に装飾された豪華な馬車。

扉には、見覚えのあるアルフェン公爵家の紋章が大きく描かれている。

王都の傲慢さを象徴するような、場違いな華やかさ。


馬車は私たちの目の前で、不遜な音を立てて止まった。


御者が扉を開ける。

降りてきたのは、豪奢な法衣に身を包んだ、恰幅の良い中年男性だった。

その隣には、公爵家の私兵たちが数名、剣を携えて控えている。


「やあやあ、これは手厚い歓迎ですな。アレク・グラント団長」


男は嫌らしい笑みを浮かべ、辺りを見回した。

その視線が私を捉えた瞬間、侮蔑の色が混じる。


「久しぶりですな、リリア様。……いや、今はただのリリア、でしたか」


「……お久しぶりです、バルト司祭」


公爵家で鑑定の儀を取り仕切っていた、教会の司祭。

彼が来たということは、私の「無能」を改めて公的に証明し、晒し者にするつもりなのだ。


「王都より、公爵閣下と王宮の連名による命令書を預かって参りました。リリア殿、直ちに我らと共に王都へ戻っていただく。再鑑定の準備は整っておりますぞ」


バルト司祭は仰々しく羊皮紙を広げた。


「断る」


アレク様の短く、冷徹な声が中庭に響いた。

バルト司祭の笑みが凍りつく。


「……何とおっしゃいましたか? これは公爵家の、ひいては王宮の正式な命ですぞ。辺境の騎士団長ごときが、口を挟むことでは――」


「リリアは現在、我が騎士団の正式な専属助手として雇用されている。彼女の身分は、この地における軍の最優先保護対象だ」


アレク様が一歩前に出た。

彼から放たれる圧倒的な威圧感に、公爵家の私兵たちが思わず剣の柄を握る。


「法的に、軍務に就いている者を一方的に連れ出す権利は公爵家にはない。どうしてもと言うなら、王軍司令部を通せ。……それとも、今ここで俺たちと力ずくでやり合うか?」


カイルさんたちが一斉に、鞘から剣を僅かに抜いた。

金属の冷たい音が、バルト司祭の顔色を真っ白に変える。


「な、何を馬鹿な……! こんな無能な娘を、騎士団が雇用しているだと!? 狂ったか!」


「無能かどうかは、俺が決めることだ」


アレク様は私の手を掴み、自分の方へと引き寄せた。


「帰れ。二度とこの地の土を踏ませるな」


その言葉は、もはや交渉ではなく、一方的な追放の宣告だった。

私は、自分の手がアレク様に強く握られているのを感じていた。

震えていたのは、私ではない。

私を失うことを拒絶する、彼の指先だった。


「お、覚えておれよ……! この反逆行為、必ず王都へ報告してやる!」


バルト司祭は捨て台詞を残し、逃げるように馬車へと戻っていった。

砂埃を上げて去っていく馬車。


それを見送りながら、私は大きく息を吐き出した。


けれど、アレク様の表情はまだ晴れていなかった。

彼は去っていく馬車を見つめたまま、低く呟いた。


「……これで終わる連中じゃない。本番はこれからだ」


【ナレーション】

(バルト司祭の懐には、もう一通の極秘命令書があった。それは『リリアの再鑑定』ではなく、『リリアの身柄の強制確保』。王都の混乱は、既にそれほどまでに深刻化していたのである)


私は、握られたアレク様の手を、そっと握り返した。

これからどんな嵐が来ようと。

私はもう、自分を無能だとは思わない。


「アレク様。私、もっとお役に立ちたいです」


私の言葉に、アレク様は初めて僅かに表情を緩めた。


「ああ。頼りにしているぞ、リリア」


空はどこまでも青く、澄み渡っていた。

けれど、その向こう側には、巨大な暗雲が立ち込めようとしている。


私の「不明」な力が、これからこの国をどう変えていくのか。

その物語の歯車が、大きな音を立てて回り始めた。

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