第8話:東方の武人は「デンプンの糊化」を知りません ~潜入した勇者が「塩むすび」の罠に落ちる~
魔王城、第3厨房。
私――味野リカは、これまでの成果をテーブルに並べて悦に入っていた。
保存の効く「ジャーキー」。
芳醇な「醤油」。
濃厚な「豚骨スープ」。
ローレライから定期納入されるようになった、新鮮な「魚介類」。
「完璧だわ……。おかず、汁物、調味料。全ての役者は揃った」
私は白衣を翻し、相棒の狼男・ヴォルクに向かって宣言した。
「あとは主役よ! この名脇役たちを統率し、一つの『宇宙』へと昇華させる絶対的センター……すなわち**『白飯』**が必要なのよ!」
ヴォルクはげんなりとした顔で耳を垂れた。
「またか……。リカ、お前の言う『米』というのは、東の湿地帯に生えている『ワイルドライス』のことだろう?」
「ええ。イネ科の植物種子よ」
「あんなもの、食えたもんじゃないぞ。殻は硬いし、中身はボソボソして砂利みたいだ。リザードマンたちは精神修養のために噛んでいるらしいが……」
「それは調理法が間違っているからよ! 生のデンプンなんて、消化酵素が働かない『β(ベータ)状態』だもの。あいつら、消化不良で腹痛を起こしてるんじゃない?」
「……なんで知ってるんだ? 確かに東方軍からの報告では、原因不明の腹痛で戦力が半減していると……」
ビンゴだ。
私はニヤリと笑った。
「行くわよ、ヴォルク。東方遠征よ。美味しいご飯を手に入れて、ついでに魔王軍の腹痛も治してあげるわ」
「はぁ……。人使いが荒いな。護衛はどうする?」
「決まってるでしょ。いつもの『力仕事担当』を呼んで!」
数時間後。
私たちは東の湿地帯へ向かう馬車の中にいた。
メンバーは私とヴォルク、そして――。
「ガハハ! 久しぶりだなチーフ! また美味いもん食わせてくれるんだろうな!」
豚の顔をした巨漢、オークの軍曹・ゴズ。
「……花は、ないか。ここは湿気が多い……」
岩石の巨人、重装歩兵団長のタイタン。
この前の「ラーメン開発」で固い絆で結ばれた、私の頼れる「チーム・リカ」の面々だ。
今回は「精米」という重労働が予想されるため、彼らの怪力が必要不可欠だった。
湿地帯に到着すると、そこは濃い霧に包まれていた。
出迎えたのは、直立歩行するトカゲのような姿をした魔族――リザードマンの将軍、ガビアルだった。
腰に日本刀のような曲刀を差した、武人肌の男だ。
「よくぞ参られた、味野リカ殿。噂はかねがね」
ガビアルは礼儀正しく一礼したが、その顔色は悪い。鱗の艶がなく、時折お腹を押さえている。
「……顔色が優れませんね、将軍」
「恥ずかしながら……。部下たちが皆、流行り病に伏せっておりましてな。腹が張り、力が入らぬのです」
ガビアルが案内した兵舎では、屈強なリザードマンたちが「ぐぅぅ……」と腹を押さえてのたうち回っていた。
その横には、彼らの食事である「赤黒い穀物」が山盛りにされている。
私はそれを手に取り、齧ってみた。
ガリッ。
硬い。殻がついたままだし、中は生のままだ。
「……やっぱりね。こんな『鳥の餌』以下のものを食べていれば、消化不良も起こすわよ」
私は穀物を放り投げた。
「ガビアル、これは病気じゃないわ。ただの『調理ミス』よ」
「なんと!? ……しかし我らは数百年、この赤米を噛み砕くことで顎を鍛え、武勇を誇ってきたのだが……」
「だから腹を壊してるんでしょうが! いい? 今から私が、この硬い石ころを『銀色の宝石』に変えてみせるわ!」
私は即座に指揮を執った。
まずは**「精米」**だ。玄米の表面にある硬い種皮を取り除かなければならない。
「ゴズ! タイタン! 出番よ!」
「おう!」
「うむ……」
私が用意させたのは、巨大な石臼と杵。
本来なら水車などの動力を使うところだが、そんな時間はない。ここには最強の生体エンジンがいるのだから。
「この臼に赤米を入れて、全力で突くのよ! 摩擦熱で殻を剥ぎ取るイメージで!」
「了解だ! どらぁぁぁ!!」
ドゴォォォォン!!
ゴズとタイタンが交互に杵を振り下ろす。
地響きが鳴り、衝撃波で周囲の霧が晴れるほどの威力だ。
ゴリゴリ、バキバキと殻が砕ける音が響く。
「……す、凄まじい……。これが料理なのか……?」
ガビアルが唖然として見ている。
「いいえ、ただの下処理よ」
数十分後。
砕けた殻を風で飛ばすと、中から現れたのは――透き通るような白さを持つ、美しい楕円形の粒だった。
「おおぉ……! 赤い殻の中に、これほど美しい真珠が隠されていたとは……!」
ガビアルが感嘆の声を上げる。
「これが**『白米』**よ。でも、まだ食べられないわ」
私は研いだ米を、ドワーフ製の巨大な**「羽釜」**に入れ、たっぷりの水に浸した。
「ここからが科学の時間よ。デンプンには2つの状態があるの」
私はヴォルクたちに講義を始めた。
「生のお米は**『β(ベータ)デンプン』。結晶構造がガチガチに固まっていて、消化酵素を受け付けない状態よ。これを『糊化』させて『α(アルファ)デンプン』**に変化させる必要があるの」
「糊化……?」
「そう。水と熱を加えることで、デンプンの分子構造を緩め、水分を取り込ませて膨張させるの。そうすれば、柔らかくて甘くて、消化に良いご飯になるわ!」
浸水時間30分。
米が十分に水を吸い、白く不透明になったところで、点火だ。
「タイタン、かまどに火を! 最初は強火で一気に沸騰させるのよ!」
「わかった。……燃えろ」
タイタンがドラゴンの火炎石を投げ込む。
ゴォォォッ! と炎が上がり、釜の中の水が激しく対流を始める。
グツグツ、ボコボコ……。
釜の中で、米と水が踊っている。
やがて、蒸気口から勢いよく白い湯気が噴き出し始めた。
シュゥゥゥゥゥゥゥ――――ッ!!
猛烈な勢いで立ち上る蒸気。
それは湿地帯の霧と混ざり合い、あたり一面を真っ白な世界へと変えていった。
そして、その蒸気に乗って拡散するのは――日本人なら誰もが足を止めるであろう、あの**「ご飯の炊ける甘い香り」**。
「……いい匂いだ」
ヴォルクが鼻をひくつかせる。
「穀物の甘い香り……。これだけで腹が鳴るぞ」
その頃。
湿地帯のさらに奥、魔王領との境界線付近。
そこには、人類の希望――勇者アルカスの姿があった。
彼は単独で偵察任務に就いていた。
ここ数日、魔王軍の動きが活発化しているという情報を得て、調査に来ていたのだ。
しかし、濃霧に行く手を阻まれ、さらに食料も尽きかけていた。
「……くっ。何も見えん」
アルカスは岩陰に身を隠し、目を凝らした。
すると、前方の霧が、不自然に濃くなっていることに気づいた。
いや、ただの霧ではない。
猛烈な勢いで噴き出す、白い煙だ。
「なんだ、あれは……?」
アルカスは警戒を強めた。
煙の下には、魔王軍の陣地がある。
オークや巨人が何かを叫びながら、巨大な釜を囲んで作業をしているのが微かに見える。
「……釜? 煙? まさか」
アルカスの脳裏に、最悪の予想がよぎった。
「あれは……**『新型の毒ガス兵器』**の実験か!?」
魔王軍が、化学兵器を開発している。
そうに違いない。あの大量の白煙は、吸い込めば即死、あるいは魔物に洗脳される恐ろしいガスなのだ。
しかも、風に乗って漂ってくる匂いが……おかしい。
「……甘い? いや、ふくよかな……脳を溶かすような香りだ」
アルカスは鼻と口を布で覆った。
「嗅ぐだけで意識が朦朧とする……。これは、精神作用のあるガスか!?」
放置すれば、人間界に甚大な被害が出る。
アルカスは聖剣の柄を握りしめた。
「……やるしかない。完成する前に、私が破壊する!」
勇者は覚悟を決めた。
彼は匍匐前進で、視界ゼロの白煙の中へと潜入を開始した。
◇
ズリ……ズリ……。
アルカスは泥にまみれながら進んだ。
煙の中心に近づくにつれ、その「甘い香り」は暴力的になり、理性を揺さぶってくる。
口の中に唾液が溢れ出し、胃袋が痙攣する。
(くっ……! 恐ろしい精神攻撃だ……! 私の空腹中枢をピンポイントで狙ってくるとは……!)
やがて、煙の発生源である「巨大な釜」の近くまで辿り着いた。
敵の姿は見えない。蒸らしの時間に入ったのか、周囲は静まり返っていた。
アルカスは、釜の近くに設置された作業台に目を向けた。
そこには、竹の皮に包まれた**「白い塊」**が山積みになっていた。
「……あれは?」
アルカスは目を凝らす。
白く、丸く、湯気を立てている物体。
それは、リカが試食用に握っておいた**「塩むすび」**だった。
「……固形燃料か? いや、毒ガスの発生源か?」
アルカスは、その「白い塊」こそが、この恐ろしい兵器の正体だと直感した。
「あれを奪えば……分析できるかもしれん」
アルカスは素早く身を乗り出し、一番上にあった「塊」を一つ掴み取った。
そして、再び茂みの中へと転がり込んだ。
安全な場所まで後退したアルカスは、奪取した「白い塊」を確認した。
手に伝わる熱。
適度な弾力と、湿り気。
そして、鼻を近づけると、理性が吹き飛びそうなほど芳醇な穀物の香りがした。
「……なんだ、これは。生き物のように温かい……」
アルカスの本能が警鐘を鳴らす。
『食え』と。
『今すぐそれを口に入れろ』と。
「……いや、罠だ。これは毒だ」
アルカスは首を振った。
しかし、限界だった。
数日間、硬い干しパンしか食べていない彼の体は、即効性のエネルギーを渇望していた。
「……毒見だ。分析のために……一口だけ……」
勇者は震える手で、白い塊を口元へ運んだ。
そして、ガブリと齧り付いた。
ハフッ。
その瞬間。
アルカスの世界が、白一色に染まった。
「――ッ!!??」
口の中で解ける、粒の立った食感。
噛みしめるたびに溢れ出す、濃厚なデンプンの甘み。
そして、表面にまぶされた塩が、その甘みを極限まで引き立てる。
シンプルにして、至高。
余計な具材などいらない。米と、塩と、水だけで構成された、完璧な宇宙。
「……あ、甘い……! なんだこの柔らかさは……!?」
アルカスの目から、涙が溢れ出した。
硬い干しパンで傷ついた口内を、優しく包み込むような食感。
急速に上昇する血糖値が、脳に快楽物質を送り込む。
「うまい……! うますぎる……! これが毒だというのか……!? ならば私は、喜んで毒に侵されよう……!」
勇者は泣きながら、おにぎりを貪り食った。
一粒たりとも残さない。指についた米粒さえも愛おしい。
食べ終わった後、彼の体には力が満ち溢れ、心には深い敗北感が刻まれていた。
「……魔王軍、恐るべし。こんな兵器を開発していたとは……」
アルカスは、懐から**「聖王国の金貨」**を一枚取り出した。
それは、騎士としての誇りだった。
彼は金貨をおにぎりがあった場所にそっと置き、静かに撤退した。
「……今日のところは引く。だが、必ずまた来る。……この味の正体を暴くために!」
一方、厨房(野戦炊事場)。
蒸らし時間が終わり、私は釜の蓋を開け放った。
「炊けたわ! オープン!」
モワァァァッ!
再び立ち上る白煙。その中には、銀色に輝く宝石たち――**「銀シャリ」**が詰まっていた。
一粒一粒が立ち上がり、カニ穴ができている。完璧な炊きあがりだ。
「さあ、みんな! 器を持って並びなさい!」
私は、炊きたてのご飯を丼によそった。
そして、その横に添えるのは――
「醤油」をかけた**「キノコの佃煮」。
ローレライから届いた「アジの干物」。
そして、豚骨スープをベースにした「味噌汁」**。
**『魔界初・究極の銀シャリ定食』**の完成だ。
「……こ、これが……あの石のような赤米か?」
ガビアル将軍が、震える箸でご飯を口に運ぶ。
モグ、モグ……。
「……おおぉぉぉ!!」
ガビアルが咆哮した。
「柔らかい! 甘い! 腹に染みる! 今まで我々が食っていたのは何だったのだ!」
リザードマンたちが次々と定食を平らげていく。
「腹が痛くないぞ!」「力が湧いてくる!」
ゴズも、タイタンも、ヴォルクも、夢中でかきこんでいる。
「この焼き魚との相性がヤバイわね……無限に食えるわ」
大成功だ。
これで魔王軍の食卓に「主食」が確立された。
私の野望である「完全栄養給食」へ、また一歩近づいた。
その時。
片付けをしていた私は、作業台の上に「キラリと光るもの」を見つけた。
試食用に置いておいた塩むすびが一つ消え、代わりに置かれているもの。
「……あら? 金貨?」
私はそれを拾い上げた。
魔界の通貨ではない。聖王国の紋章が刻まれた、純金の硬貨だ。
「……タヌキか何かが化かしていったのかしら?」
私は首を傾げた。
まさか、それが人類最強の勇者が置いていった「敗北の証」だとは知らずに。




