第11話:勇者は「認知的不協和」に苦しみます ~敵味方を繋ぎ止める「至高のハンバーグ・デミグラスソース」~
魔王城の正門前での、あの出来事から一夜明けた、荒野の朝。
勇者一行の空気は、重く、そして奇妙なものだった。
焚き火を囲む4人。
リーダーの勇者アルカスは、昨夜食べた「コカトリスの唐揚げ」の味を反芻しながら、苦悩の表情を浮かべていた。
「……認めん」
アルカスが膝を叩く。
「私は認めないぞ。あの唐揚げも、カレーも、おにぎりも……すべては我々を堕落させるための、魔王軍の『甘い罠』だ」
しかし、仲間の反応は鈍い。
巨漢の戦士ガッツは、まだ指に残る油の匂いを愛おしそうに嗅いでいる。
「でもよぉ、勇者。毒はなかったぜ? むしろ昨日の唐揚げのおかげで、筋肉の張りが最高だ。プロテインより効いてる気がする」
潔癖症の聖女エレナも、頬を染めて同意する。
「悔しいけれど……あの衣のサクサク感と、溢れ出る肉汁……。教会で食べる『味気ない煮込み』より、遥かに心が満たされたわ。あれが悪魔の所業だと言うのなら、天国とはなんと味気ない場所なのでしょう……」
王宮魔導師のミナに至っては、地面に数式を描いてブツブツと呟いている。
「水分置換による多孔質構造……高温のラードによるメイラード反応……。あの料理人の技術、魔法理論を超越しています。……もっと、データを集めたいです。」
「お前たち……!」
アルカスは立ち上がった。
「目を覚ませ! 奴らは魔族だ! 人類を脅かす敵だぞ! 美味しいご飯を出すからといって、奴らが善人であるはずがない!」
アルカスは叫びながらも、自分自身の心が揺らいでいるのを感じていた。
心理学で言うところの**「認知的不協和」**だ。
『魔族は邪悪であるべき』という信念と、『魔族の料理は死ぬほど美味くて温かい』という現実。
この二つが矛盾し、脳がストレスを感じているのだ。
「……この迷いを断つには、元凶を叩くしかない」
アルカスは剣を抜いた。
「魔王グラン・ゾード。そして、あの白衣の料理人……味野リカ。彼らと対峙し、その真意を問いただす! もし彼らが本当に邪悪な存在なら……その時は、私の手で引導を渡す!」
「つまり、城に突っ込むってことか?」
ガッツがニヤリと笑う。
「おうよ! 腹も減ってきたところだ。城の中には、もっと美味いもんがあるかもしれねえしな!」
動機は不純だが、目的は一致した。
勇者一行は、最後の決戦向けて、魔王城への侵入を開始した。
深夜。
魔王城の警備は、意外なほど手薄だった。
いや、正確には「平和すぎた」。
勇者一行は、城壁の死角にある排水口から簡単に城内へと侵入できた。
カビと汚水にまみれた地下道を予想していた彼らは、内部の様子を見て絶句する。
「……な、なんだここは?」
アルカスが目を見開く。
廊下はピカピカに磨き上げられ、塵一つ落ちていない。
壁には『手洗い・うがい・消毒』というスローガンが貼られ、空気中には微かに柑橘系の清潔な香りが漂っている。
そこへ、夜勤明けのオーク兵たちが通りかかった。
勇者たちは慌てて物陰に隠れる。
「お疲れさーん。今日の社食、何だった?」
「昼は『オムライス』だったぜ。卵がフワトロで最高だった」
「マジかよ! 夜食は『ハンバーグ』らしいぞ。リカさんが腕によりをかけて仕込んでたぜ」
「うひょー! 早く行こうぜ! 洗い物も手伝わないとな!」
オークたちは楽しそうに談笑しながら、食堂の方へと消えていった。
殺伐とした殺気は皆無。そこにあるのは、仕事終わりのサラリーマンのような哀愁と、食事への純粋な喜びだけだ。
「……なんなの、この雰囲気」
エレナが困惑する。
「まるで王都の騎士団寮より清潔で……ホワイトな職場環境だわ」
「オークがあんなに笑顔で……。俺たちより幸せそうじゃねえか」
ガッツが複雑な顔をする。
アルカスの認知的不協和は、限界に達しようとしていた。
これが魔王軍なのか?
我々が倒そうとしているのは、こんなに楽しそうに「ハンバーグ」を楽しみにしている連中なのか?
「……行くぞ」
アルカスは声を絞り出した。
「最上階、玉座の間だ。……魔王と料理人はそこにいるはずだ」
一方、魔王城の厨房。
私――味野リカは、今夜の「迎撃準備」に追われていた。
「リカ! 勇者一行が城に侵入してきて、 中央階段まで突破された!」
ヴォルクが報告に飛んでくる。
「予定通りね。魔王様には伝えてある?」
「ああ。『準備万端だ。腹を空かせて待っている』とのことだ」
私は頷き、調理台に向き直った。
目の前には、山盛りの**「挽き肉」。
魔界牛の赤身と、オーク豚の脂身を、黄金比率7:3**で配合した合い挽き肉だ。
「さあ、作るわよ。人類と魔族、全ての種族が愛してやまない洋食の王様……**『ハンバーグ』**をね!」
私はボウルに挽き肉を入れた。
そして、氷水でボウルの底を冷やしながら、ある「白い粉」を投入した。
グルタミン酸ではない。
**「塩」**だ。
「いい? ハンバーグの命は**『結着』よ」
私はヴォルクに解説しながら、素手で肉を練り始めた。
「肉に含まれるタンパク質の一つ、『ミオシン』**は、塩を加えることで溶解し、粘り気のある網目構造を作るの。これが肉汁を閉じ込める壁になるわ!」
まだ玉ねぎやパン粉は入れない。
まずは肉と塩だけで、徹底的に練る。
ペチッ、ペチッ。
肉が白っぽくなり、糸を引くほどの粘りが出るまで。
この工程をサボると、焼いた時に割れて肉汁が逃げてしまう。科学的に絶対に必要な手順だ。
「粘りが出たら、ここで初めて『炒めた玉ねぎ』、『パン粉』、『卵』、そして『牛乳』を加える!」
つなぎの材料を混ぜ合わせる。
そして、隠し味。
ナツメグ、ブラックペッパー、そして私の代名詞である**「白い粉(グルタミン酸ナトリウム)」**。
「肉のイノシン酸と、白い粉のグルタミン酸。ここでも相乗効果を発動させるわよ!」
空気を抜くようにタネを成形し、中央を少し窪ませる。
分厚く、巨大な小判型。
見るだけで満腹になりそうなボリューム感だ。
「焼きに入るわよ! **『鋳鉄』**のフライパンを用意して!」
ドワーフ製の分厚い鉄のフライパンを、ドラゴンの火でカンカンに熱する。
牛脂を溶かし、ハンバーグを投入。
ジューーーーーッ!!!!
強烈な焼き音。
表面を一気に焼き固め、香ばしい「壁」を作る。
肉の焼ける匂いが、厨房から廊下へ、そして玉座の間へと登っていく。
「裏返して……よし、いい焦げ目! ここからはオーブンよ!」
表面を焼いたハンバーグを、200℃に予熱したオーブンへ。
フライパンに残った肉汁には、「赤ワイン」、「醤油」、ケチャップ、バターを投入し、煮詰める。
濃厚で艶やかな**「特製デミグラスソース」**の完成だ。
「準備完了。……さあ、運びましょう。最後の決戦場へ!」
最上階、玉座の間。
勇者アルカス一行は、ついに巨大な扉の前に立った。
「……開けるぞ」
アルカスが扉に手をかける。
緊張が走る。中には魔界の支配者が待ち構えている。
どんな恐ろしい光景が広がっているのか。
ギィィィィ……。
重い扉が開く。
「覚悟しろ魔王!! ……え?」
アルカスが剣を構えて突入した先。
そこにあったのは、禍々しい玉座……ではなく。
部屋の中央に置かれた、長く、優雅な**「ダイニングテーブル」**だった。
真っ白なテーブルクロス。
銀の燭台に灯るキャンドル。
そして、上座に座っているのは、漆黒の鎧ではなく、タキシードのような礼服を着て、首にナプキンを巻いた魔王グラン・ゾード。
「……遅かったな、勇者よ」
魔王が、ナイフとフォークを持って微笑んだ。
「待ちくたびれたぞ。……ちょうど今、焼き上がったところだ」
魔王の横には、ワゴンを押した白衣の女――私が立っていた。
「いらっしゃいませ。4名様ですね。お席へどうぞ」
私が恭しくお辞儀をすると、勇者たちはポカンと口を開けた。
「な、なんだこれは……!?」
ガッツが叫ぶ。
「戦うんじゃねえのか!? なんでパーティー会場みたいになってんだ!?」
「罠よ! きっと毒殺する気だわ!」
エレナが杖を構える。
「騙されんぞ!」
アルカスが叫ぶ。
「魔王! 貴様の戯れに付き合うつもりはない! 我々は貴様を倒しに……!」
「戦う前に、座りなさい」
私は、冷徹な声で遮った。
「せっかくの料理が冷めるわよ。……肉汁が落ち着いて、一番美味しい瞬間を逃す気?」
私がワゴンの上の**「銀の蓋」**に手をかけると、勇者たちの視線が釘付けになった。
蓋の隙間から、漏れ出しているのだ。
抗いがたい、暴力的なまでの「肉」の香りが。
「……」
アルカスの喉が動いた。
本能が告げている。
『見たい』。『嗅ぎたい』。『食べたい』。
「……座ろう」
アルカスが剣を収めた。
「勇者様!?」
「毒なら毒でいい。……敵の将が食卓に招いているのだ。これに応じぬは騎士の礼儀に反する。」
勇者たちは、魔王に促されるまま、席に着いた。
魔王の対面にアルカス。その横に仲間たち。
全員が席に着いたのを見計らって、私はクロッシュを一斉に開けた。
「メインディッシュ。**『魔王牛とオーク豚の黄金比率ハンバーグ ~特製デミグラスソース~』**です」
パカッ。
フワァァァァァ……!
立ち上る白い湯気。
その中から現れたのは、大人の拳2つ分はある巨大なハンバーグ。
漆黒のデミグラスソースを纏い、鉄板の上でジュウジュウと音を立てている。
付け合わせは、甘くソテーされた人参と、ホクホクのポテト、そして鮮やかなクレソン。
「……ごくり」
ガッツが涎を垂らす。
ミナが目を輝かせる。
エレナが胸の前で十字を切る。
「さあ、熱いうちにどうぞ」
魔王が先にナイフを入れた。
スッ……。
ナイフを入れた瞬間。
ジュワアァァァァ……!!
断面から、透明な肉汁が滝のように溢れ出した。
それは鉄板に流れ落ち、ソースと混ざり合って沸騰する。
視覚と聴覚、そして嗅覚への同時多発テロ。
「……肉汁の……洪水だ……」
ガッツが呻く。
もう我慢できない。勇者たちは震える手でナイフを握った。
アルカスは、一口大に切ったハンバーグを口へ運んだ。
ソースをたっぷりと絡ませて。
パクッ。
……時が止まった。
口に入れた瞬間、ホロリと解ける挽き肉。
塩によって結着されていた旨味の爆弾が、口の中で炸裂する。
噛むたびに溢れる肉汁の甘み。
それを引き締める、赤ワインと醤油の効いたデミグラスソースの深いコク。
そして、鼻に抜けるナツメグと「白い粉」の余韻。
「…………ッ!!」
アルカスは、目をつぶり、天を仰いだ。
美味しい。
ただ、ひたすらに美味しい。
それは、高級レストランの味ではない。
もっと温かくて、懐かしくて、心の一番柔らかい部分を撫でてくれるような……「家庭」の味。
「……なぜだ」
アルカスの目から、涙がこぼれ落ちた。
「ここは敵地だぞ……。魔王の城だぞ……。なんで……こんなに『優しい味』がするんだ……」
母の笑顔。故郷の食卓。平和だった頃の記憶。
ハンバーグの味が、戦いで荒んだ勇者の心を溶かしていく。
「うめぇ……うめぇよぉぉ……!」
ガッツが号泣しながら白飯をかき込む。
「こんな美味いもん食ってる奴らが、悪い奴なわけねぇ!」
「ソースが……絶品です……」
ミナがソースをパンで拭って食べている。
「計算され尽くした酸味と甘味のバランス……。これは『芸術』です」
エレナも、ハンカチで涙を拭いながら完食した。
「……負けました。聖女として、この幸福感を否定することはできません」
魔王グラン・ゾードは、ワイングラスを揺らしながら、満足げに彼らを見ていた。
「どうだ、勇者よ。美味いか?」
「……ああ。悔しいが……私の人生で一番美味い」
アルカスは素直に認めた。
「そうか。……余もだ」
魔王は静かに言った。
「余は今まで、食事など無駄だと思っていた。だが、この料理人に出会って知ったのだ。美味いものを食う喜びは、世界征服の喜びにも勝ると」
魔王はアルカスにグラスを差し出した。
「勇者よ。余は、もう人間を滅ぼす気などない。こんな美味いものを作れる種族を滅ぼしては、余の食卓が寂しくなるからな」
「……魔王」
「剣を置け。そして、余と共に『食』を楽しもうではないか。……この城には、まだまだ美味いものがあるらしいぞ?」
アルカスは、目の前のハンバーグと、笑顔の仲間たち、そして穏やかな顔をした魔王を見た。
認知的不協和は、もうない。
目の前の現実は一つだ。
「美味しいご飯は、敵味方関係なく、みんなを幸せにする」。
アルカスは、剣を床に置いた。
そして、グラスを手に取った。
「……わかった。休戦だ」
アルカスは言った。
「ただし、条件がある」
「なんだ?」
「……このハンバーグの『おかわり』を所望する!」
「ぶははは! 強欲な勇者め! リカ、焼いてやれ! 腹がはち切れるまでな!」
カチン。
グラスが触れ合う音が、玉座の間に響いた。
それは、歴史的な和平条約の調印……ではなく、乾杯の音だった。
宴は深夜まで続いた。
勇者たちは魔王城に泊まることになり、城には平和なイビキが響き渡った。
私は、片付けの終わった厨房で、一人コーヒーを淹れていた。
ふぅ、と息をつく。
「……大団円、ってやつね」
戦いは終わった。
私の「白い粉」と科学調理は、ついに世界を救ってしまったらしい。
これからは、魔王軍と人間が手を取り合い、より豊かな食文化を築いていくだろう。
その時、背後からヴォルクが現れた。
「お疲れ、リカ。……すごいことになったな」
「ええ。計算通りよ」
「……で、どうするんだ? これから」
ヴォルクが真剣な顔で私を見る。
「勇者たちが帰る時、一緒に帰るのか? 人間の国へ」
「は?」
「お前の故郷だろ。……役目は終わったんだ。帰りたいんじゃないのか?」
私はカップを置き、ヴォルクを見て……吹き出した。
「あはは! 何言ってるのヴォルク!」
「え?」
「帰るわけないじゃない! 日本には『ドラゴン』も『マンドラゴラ』もいないのよ? 私の好奇心を満たせる食材なんて、あっちにはもうないわ!」
私は白衣のポケットから、新たな実験ノートを取り出した。
「それに、まだ終わってないわ。ラーメン、カレー、ハンバーグ……。次は、もっと大量生産できる『保存食の革命』を起こさなきゃ」
「……保存食?」
「そう。お湯を注ぐだけで食べられる魔法の麺……**『カップヌードル』**の開発よ!」
私はニヤリと笑った。
「私の実験は、まだ始まったばかりよ。……付き合ってくれるわよね、助手さん?」
ヴォルクは呆気にとられ、それから安心したように、深くため息をついて笑った。
「……やれやれ。一生こき使われる運命か」
「光栄に思いなさい」
窓の外、空が白んでくる。
魔王城の朝は早い。
今日もまた、腹を空かせた魔物たちと、そしてこれからは人間の客人も加わって、騒がしい一日が始まるのだ。




