第10話:最終防衛ラインはフライの轟音に包まれます ~飢えた勇者を釣り上げる「魔界鶏のサクサク唐揚げ」~
深夜。
魔王城の正門前広場。
そこは、城を守る最終防衛ラインであり、殺伐とした空気が張り詰める場所のはずだった。
しかし今、そこに広がっているのは、食欲をそそる香ばしい匂いと、活気ある兵士たちの声だった。
「チーフ! 油の温度、170℃で安定してます!」
「よし! 第二陣、投入するわよ!」
私――味野リカは、ドワーフ製の**「特大中華鍋」**の前に立ち、指揮を執っていた。
鍋の中で煮えたぎっているのは、魔獣から精製した大量のラード。
その熱波を受けて、私の白衣も汗ばんでいる。
「おいおいリカ、本当にここでやるのか? 正面の城壁だぞ?」
兵站局長のヴォルクが、油跳ねを警戒して盾を構えながらボヤく。
「当たり前でしょ。腹が減っては戦はできぬ。夜警の兵士たちに、最高の熱量を注入しに来たのよ」
私はトングを鳴らした。
「今日のメニューは**『コカトリスの唐揚げ』**。揚げ物はスピードと温度管理が命よ。……ゴズ! 準備はいい?」
「おうよ!」
正門守備隊長のオーク・ゴズが、涎を垂らしながら敬礼する。
彼の部下たちも、寒空の下で目を輝かせて鍋を取り囲んでいた。
一方その頃。
城壁のすぐ近く、瓦礫の影。
闇と霧に紛れて、4つの人影が息を潜めていた。
人類の希望、勇者一行である。
「……見張りが多いな。さすがに正面突破はリスクが高いか」
リーダーの勇者アルカスが、剣の柄を握りしめて呟く。
彼らはここ数日、魔王城の周囲を偵察し、突入の機会をうかがっていた。しかし、この前のカレーで一時的に回復した体力も、連日の野宿と寒さで限界に近づいていた。
「勇者様……魔力探知に反応ありです」
王宮魔導師ミナが、フードの下から小声で報告する。
「前方の広場に、巨大な熱源反応。……それと、とてつもない『脂質』の反応が……」
「脂質だと?」
巨漢の戦士ガッツが反応する。
「おいおい、なんかいい匂いがしてこねぇか? 焦げた醤油と、ニンニクの……」
ガッツのお腹が、雷鳴のように鳴り響いた。
「静かになさい! 見つかるわよ!」
聖女エレナが小声で叱るが、彼女もハンカチで口を押さえている。
「……でも、なんて暴力的な香りなの。聖女の精神統一が乱されるわ……」
アルカスは歯を食いしばった。
この匂いは知っている。カレーと同じ、あの謎の料理人が放つ「誘惑」だ。
「……耐えろ。これは敵の陽動だ。隙を見て、一気に中へ……」
私は、下味をつけたコカトリスの肉をバットに並べた。
醤油、酒、すりおろしたニンニクと生姜。それに漬け込むこと一晩。
肉はタレを十分に吸い込み、準備万端だ。
「いい? 衣は片栗粉よ。小麦粉よりも吸油率が低く、カリッとした食感になるわ」
私は肉全体に白い粉をまぶし、余分な粉をはたき落とした。
「いざ、投入!」
私は肉を次々と油の中へ滑り込ませた。
ジュワァァァァァァァ――――ッ!!!!
静寂な深夜の空気を切り裂く、凄まじい轟音。
鍋から白い水蒸気が爆発的に立ち上り、周囲を白く染め上げる。
「うおっ!? なんだこの音は!?」
ゴズたちが後ずさる。
「驚かないで! これは**『水分置換』**の音よ!」
私は解説した。
「170℃の高温の油に放り込まれた肉から、水分が一気に気化して水蒸気になって飛び出しているの! そして、水分が抜けて空いた穴に、油が入り込む。……この現象こそが、揚げ物特有の『サクサク感』を生む正体よ!」
バチバチバチバチッ!!
音はさらに激しくなる。
それはまるで、食欲を刺激するドラムロール。
水蒸気と共に拡散されるのは、熱せられた醤油の香ばしさと、鶏の脂の甘い香り。
これぞ、原子爆弾ならぬ**「飯テロ爆弾」**だ。
◇
「ひっ!? なにこの音!? 水属性と火属性の衝突音!?」
隠れていたミナが耳を塞ぐ。
「爆発音か!? ……いや、連続している。何かの『儀式』の音か!?」
アルカスも身を固める。
しかし、ガッツだけは違った。
彼の目は、野生動物のように一点を見つめていた。
白煙の向こうに見える、黄金色の輝きを。
「……違う。ありゃあ儀式じゃねえ」
ガッツが涎を拭った。
「ありゃあ……**『祭り』**だ」
数分後。
私は一度、肉を油から引き上げた。
まだ色は薄いキツネ色だ。
「おいリカ、まだ生じゃねえか?」
ヴォルクが心配そうに覗き込む。
「焦らないで。ここで一度休ませるの。**『余熱調理』**よ」
肉を網の上で休ませる。
この間に、肉の内部に残った熱が中心までじっくりと伝わり、肉汁を閉じ込める。
そして3分後。
「仕上げよ! 油の温度を180℃以上に上げて!」
火力を全開にする。油から煙が出る直前。
「再投入!」
ピチピチピチピチッ!!
先ほどよりも高く、鋭い金属的な音が響く。
これは水分が抜けきり、衣が硬化している合図だ。
表面が一気に濃い黄金色に変わっていく。
「よし、揚がったわ! 引き上げ!」
ザザァッ!
網ですくい上げられた唐揚げたちが、バットの上でカランコロンと乾いた音を立てる。
一つ一つが岩のようにゴツゴツとしていて、熱気と共に凶悪なまでの香りを放っている。
「完成よ! 『コカトリスの二度揚げ・ザクザク唐揚げ』!」
「うおおおおお! 待ってましたァァァ!」
オークたちが歓声を上げ、我先にと群がる。
「熱っ! でもウメェ! 衣がザクザクだ!」
「肉汁が! 口の中で肉汁が爆発したぞ!」
カリッ、サクッ、ジュワ〜。
深夜の広場に、咀嚼音が響き渡る。
それは、隠れている勇者たちへの、最後の一撃となった。
ガッツの理性が、プツンと切れる音がした。
「……もう無理だ」
「えっ、ガッツ?」
「盾なんか食えるか! 俺は肉が食いてぇんだよぉぉぉ!!」
ダダダダダッ!!
ガッツが雄叫びを上げながら、隠れ場所から飛び出した。
あまりの速さに、アルカスも止める間がない。
「敵襲ーーッ!!」
ゴズが反応し、斧を構える。
「……あ? なんだ、ただの腹ペコか?」
飛び出してきた巨漢の戦士は、武器も構えず、ただ真っ直ぐに唐揚げの山を目指して突進していた。
その目は完全にイっていた。
「ああっ、もう! ガッツのバカ! 私たちも行くわよ!」
エレナとミナも、ヤケクソ気味に飛び出す。
「くっ……! 陣形を崩すな! 突撃だ!」
アルカスも剣を抜いて続く。
勇者一行の強襲。
しかし、迎え撃つ私は、お玉とトングしか持っていなかった。
「あら、お客さん? 随分と顔色が悪いわね」
私は冷静に、突っ込んでくるガッツの口元に、揚げたての巨大な唐揚げを突き出した。
「ほら、あーん」
ガッツは反射的に口を開けた。
そして、その勢いのまま唐揚げを吸い込んだ。
ガリッ!!
「――んぐッ!?」
ガッツの動きが急停止した。
ザクザクの衣を噛み砕くと、中から熱々の肉汁が噴水のように溢れ出す。
醤油の塩気。ニンニクのパンチ。鶏肉の旨味。
空っぽの胃袋に、高カロリーの爆弾が直撃する。
「……はふッ! 熱っ! ……うめぇぇぇぇ!!」
ガッツはその場に崩れ落ち、幸福感で戦意を喪失した。
「なんだこの衣は! 鎧みてぇに硬いのに、噛むとほどける! なにより……脂がうめぇ!」
続いて駆けつけたアルカスたちが、その光景を見て立ちすくむ。
「ガッツ!? ……貴様、魔族め、仲間に何をした!」
「あら、ただの栄養補給よ。あなた達も食べる?」
私はバットを差し出した。
黄金色の山。立ち上る湯気。
アルカスの剣先が震える。
戦わなければならない。しかし、本能が「剣を捨てて箸を持て」と叫んでいる。
「……毒は……入っていないのか?」
ミナが小声で尋ねる。
「入ってるわけないでしょ。入ってるのは『カロリー』と『愛』だけよ」
その言葉に、ミナとエレナが陥落した。
「いただきます!」
二人は唐揚げを摘み、口に放り込む。
「んん〜っ! サクサクですぅ!」
「神よ……この背徳的な脂の味をお許しください……」
残されたアルカスは、一人で剣を構え続けたが、ゴズがニヤニヤしながら自分の唐揚げを差し出した。
「食えよ、人間。冷めると不味くなるぞ」
「……くっ」
アルカスは剣を収め、唐揚げをひったくった。
齧る。
肉汁が溢れる。
悔しいけれど、涙が出るほど美味かった。
こうして、魔王城の正門前は、奇妙な宴会場と化した。
オークの兵士たちと、勇者一行が、並んで座って唐揚げを食べている。
「おい兄ちゃん、いい食いっぷりだな」
「おうよ! オークの旦那、そっちの部位と交換してくれ!」
ガッツとゴズが意気投合している。
「ご飯もあるわよ。」
私が差し出すと、アルカスたちは目を輝かせた。
唐揚げをおかずに、白飯をかき込む。
これぞ、定食の極み。
霧が晴れ始め、月明かりが広場を照らす。
私は、もぐもぐと頬を膨らませるアルカスに話しかけた。
「……あなた達、こんなところで何してたの?」
「……偵察だ。城の中の様子を……」
アルカスはバツが悪そうに答える。
「でも、わかったよ。この城の兵士たちが、なぜあんなに強靭なのか」
彼は唐揚げを見つめた。
「こんなに美味いものを食べていれば、力も出るし、守るもののために必死にもなるさ」
「そうね。食は士気の源だもの」
「……君は、何者なんだ? ただの料理人には見えないが」
「私は味野リカ。ただの『理系女子』よ」
完食後。
満腹になった勇者一行は、すっかり戦意を喪失していた。
満腹中枢が刺激され、血糖値が上がったことで、強烈な眠気に襲われているようだ。
「……今日のところは、引く」
アルカスがふらつきながら立ち上がる。
「この借りは、必ず返す。……次は、戦場ではなく……いや、なんでもない」
「ええ。またお腹を空かせていらっしゃい。」
勇者たちは千鳥足で闇夜に消えていった。
その後ろ姿は、敵というより、常連客のようだった。
「……いいのかリカ? 逃がして」
ヴォルクが片付けを手伝いながら言う。
「いいのよ。胃袋は掴んだわ」
私は空になった中華鍋を叩いた。
「彼らはもう、私の料理の味を知ってしまった。教会の干しパンには戻れないわ。……最終決戦は、剣じゃなくてナイフとフォークで行うことになるわね」
揚げ物の香りが残る広場で、私は確信した。
世界征服まで、あと一歩。
次は、彼らを城の中枢――魔王の食卓へと招く時だ。
私の科学調理は、ついに国境をも溶かし始めたのだ。




