偶然なんて存在しない
自分の時間が止まった。
「あっ……」
彼女はむくれた顔のまま、廊下を走り去ってしまった。俺は心を落ち着かせる。大丈夫、この世界は平和だ。たとえ世界のどこかで戦争が起こっていようと、ここは日本だ。
確認したいことは山程出来た。……心臓が鼓動が速い。あの人の余韻を味わいながら、あの太ももを思い出しながら、俺はゆっくりと教室に向かうのであった。
「二年A組。確かここだ。席は一番前で……」
俺が入った瞬間、教室がざわついた。というよりも、余韻に浸りすぎていた。もうHRが始まっていた。
大丈夫、先生には事故があった事は姉ちゃんが報告済みなはずだ。成長期で急激に大きくなったという事も話してある。
担任の先生が俺を見て驚いていたが、手元にあったスマホと俺を見比べていた。
「ほ、本当に成長してる……。え、えっと、みんな聞いて! 事故にあった牧島君が戻ってきました! ちょっとだけ大きくなってるけど……気にしないで仲良くしてあげてね……、って無理でしょ!? 気にならないわけないでしょ!」
なんだ、この先生は? ノリツッコミしてるぞ? 面倒だけど俺に説明の義務はない。
教室がざわついてる。先生はふらついて「ちょっとだけトイレに行ってきます」と言って出ていった。生徒の音量が段々と大きくなる。
「いやいや、絶対違うだろ!? ……いや、よーくみると蓮夜に見える」
「うん、蓮夜君っぽいよね。でもさ、もっとヒョロガリだったような」
「ちっちゃかったよね? 可愛かったよね?」
「女の子みたいだったのに……」
「うひゃっ筋肉だよ、ねえねえ、超筋肉だよ! 服の上からでもわかる僧帽筋、大腿四頭筋!」
「おい、女子どもうるせえよ。姿がちげえかもしれねえけど、あの蓮夜だろ? なら雑魚じゃねえかよ」
「え、イケメンは正義だよ」「うん、鮫島君は自分の顔を見たほうがいいよ」「今どき高校生がやんちゃな格好しても似合わないよ」
「なんか、ムカつくな、どうせ蓮夜だ。あとで遊んでやろうな」
……思い出した。俺はクラスで……いじめられていたんだ。あいつらはいじりと言っていたけど、違う。あれはイジメと変わらない。
……薫子がいない時だけ俺をいじめる。薫子が俺をいじっている時は、誰も俺と関わらない。
なんだよ、性格悪いな。
とにかく、俺は生徒たちのざわめきを無視して、自席へと向かおうとした。
と、その時、ひょうきん者の……男子生徒、名前はわからん。そいつが足を出して通せんぼしやがった。
「蓮夜〜、事故なんて嘘だろ? ていうか、まずは俺様に挨拶しろよ〜。自分が可哀想って感じなのか? マジでキモいな。あとでトイレ集合な」
教室を見渡す。薫子はまだ来ていない。ああ、思い出した。こいつは薫子の事が好きだったんだ。
だから、率先して俺をイジメていた男。
トイレでボコボコに殴られた事があった。ヤンキー女子を使って、俺を色仕掛けで美人局をしようとした事もあった。
薫子が休みの日にクラス裁判と称して、俺を半裸にして、教壇に立たせた事もあった。
俺が作った、パンの耳に砂糖をまぶした弁当を勝手に食いやがった。
俺がこっそりバイトしたのを、親と学校にちくりやがった張本人だ。
……大丈夫だ。俺の心は何も感じない。信じられるものなんて……。黒ギャル先輩の顔が浮かんだ。まだ本人かわからない。でも、心が温かくなる。
「おい、通らねえのか? あ〜ん?」
次の瞬間、俺は男子生徒の足を床ごと踏みぬいた――
激しい音と、苦痛で顔を歪める男子生徒。自分の足が消し飛んだのを認識してきていなかった。
俺は【時戻しのスキル】を使った。一瞬だけ俺が関わった事象を過去に戻す事ができる禁断のスキル。
「いてえ……俺の、足が……? あれ? なんともねえ? 床も壊れてねえ?」
俺はこの頃から七年も経ったんだ。心も大人になった。……まあ身体が高校生だから精神も前よりも幼くなったような気がしないでもない。
強い力を持ったとしても、それをむやみやたら振りまいてはいけない。
俺は男子生徒の首根っこを掴んで顔を近づけた。
「……いい加減にしろ。高校生はもうガキではないだろ? なら、人の痛みをしれ」
「は、はひ……」
本当の殺気を当てられて怖がらない生徒はいない。……だが、怯えた瞳の奥から復讐心を感じられた。まあ気にしないでおこう。
教室が静かになる。と、その時先生がトイレから戻ってきた。
「はぁ……、あら? 静かね。えっと、とにかく牧島君は事故の影響で記憶があやふやらしいからみんな優しくね! じゃあ一時限目を始めます」
あいからわず生徒の事を見ていない無責任な女教師だ。俺は周りの生徒たちの視線を気にせず、席について授業を聞くことにした。
……そっか、普通に勉強できるっていうのは……幸せな事だったんだ……。
***
「え? 転校生? ちょ、ちょ、急すぎじゃないですか? 今朝の職員会議では何も……なんで、私の教室なんですか! なんなんですか!!」
一時限目の途中、校長先生が突然教室にやってきた。担任の先生は困った顔をしていたが、上司の言う事には逆らえない。
そんな絶妙に嫌な力関係を見せられて、誰かが教室に入ってきた。
「えっと……、転校生を紹介します。……挨拶をお願いします」
「はっ、了解であります! 私は御剣美々《みつるぎみみ》、16歳っ! 乙女座、好きな食べ物はカレーであります! よろしくお願い申し上げます!! あっ、蓮夜君!! 奇遇であります! こんな所で偶然会えるんて運命でありますね!」
……俺は呆然とした。と同時に嫌な予感がした。思考が加速する。御剣は向こうの異世界で出会った死亡した転移者だ。
俺が帰還して、学校に登校したら、こいつが来たってことは……、こっちの世界にも異世界が関わっている可能性が高い。
……誰も信じてはいけない。
俺はそう心の中で言葉を吐き捨てた。




