14 ある子どもの思い出
それはまだ魔王カラのいた頃のこと。
イトラが初めてその人間に出会ったのは、魔王城の近くの迷いの森の奥にある湖でだった。龍姿で水浴びをしていた時に、がさりと音がして振り向くと子どもがいた。
小さな手足を縮こませて、驚いたようにそれでも好奇心は抑えられないように眼を輝かせて、その子どもはイトラをじっと見つめていた。黒髪に黒目の平凡な人間の子どもに見える。
「お前は誰だ?」
「楽太。俺の名前は楽太。貴方はなんて美しいんだ!」
龍姿で水を浴びていたイトラは、当たり前の賛辞であったものの、気が向いて子どものいる方へ泳いでいった。ざぱっと岸の上に顔を出すと、楽太がおそるおそる近寄ってくる。
楽太はびくびくとしつつも、我慢できないというようにそろそろと手を伸ばしてイトラの鼻の近くの鱗に触れようとしてきた。
じっと黙ってその様子を見ていたイトラは、楽太の指が鱗にまさに触れようとしたその瞬間に、ガバっと口を開いた。
「うわぁ~〜」
楽太は驚いて後ろに吹っ飛ぶように飛び上がってそのままころころと転ぶ。
「クッ……はははは」
その様子が滑稽で、小さく可愛らしく、イトラは柄にもなく笑い声を上げた。楽太はからかわれ翻弄されたにも関わらず、頬を赤くして笑うイトラを見つめている。
「貴方は俺を食べたいの?」
「うん? お前をか? そうだと言えば、慌てて逃げ出すか人間?」
「いえ……恐らくすぐに捕まるだろう。喜んで食べてくれとは言えない。だからどうだろう? 俺を食べずに話し相手にするというのは?」
「話し相手?」
イトラはそもそも楽太を食べる気などは無かった。だが、突拍子もないことを言い出すこの小さく可愛い生き物を既にイトラは気に入っていたので、何を言うつもりなのかワクワクしながら問い掛ける。
「うん。俺は大国である砂礫国の魔術師で、ここ、神獣のいるという伝説の神秘の森への転移魔法を完成させた。貴方は神獣なんだよね? 俺ほど、力のある人間は希少だよ。これまでの経験を話したり、魔術を見せることができるよ」
「伝説のしんぴのもり……しんじゅう……」
イトラは、とんでもない勘違いに可笑しくなった。ここが魔王城の向かいにある迷いの森で、イトラが魔族だということをすぐにバラすべきか、むずむずする思いをした。
「うむ……私はたしかに人間ごとき者どもからは神秘の存在である。崇め奉れ」
「うわ~~! やっぱりっ! こんなに綺麗な存在は見たことがないよー。そのキラキラの鱗は宝石のようで、一枚一枚が日の光を反射して瞬いてる。そして、その銀色の目も夜空に浮かぶ満月のような冴え冴えとした輝きだ。靭やかな肢体も、これまで見たどの絵姿の龍よりも美しい」
息継ぎなく賞賛の言葉を重ねる楽太に、イトラは当然という誇らしさと一抹の恥ずかしさを感じる。
「ふむ……もうそのへんで良い。そろそろお前のことを話せ」
「俺のことを?」
「ああ。私の話し相手となるのだろう?」
こうして、楽太はたびたび迷いの森の湖にやってくるようになった。イトラはこのお気に入りの玩具が、他の魔族に見つかって壊されても面白くないため、湖の周りに結界を張った。更に楽太が転移してくる時は、この湖に来られるようにした。
楽太の魔術は素晴らしかった。楽太が手を差し伸べると、湖面に映るまあるい月が揺らめいて、数多の黄金の蝶が飛び上がる。暗闇に灯る、幻想的な美しい魔術の蝶たち。
「神とはどんな存在なのかな?」
その光景に引き込まれていると、イトラを神獣と思っている楽太から、問い掛けられた。イトラは神ではないものの、魔王カラを思い出し、端的に答える。
「阿呆だ」
「えっ!?」
「あれは、強い力があるにも関わらず、使おうともしない。いずれ私が追い落とし、成り代わってやる」
「な、なんだか、殺伐とした関係なんだね……意外だ。……俺にも、神のような存在がいるんだ」
「神だと?」
「うん、幼馴染なんだけど、とんでもない力を持って、人の枠を超えるのではないかというような奴だよ。性格も良くて、いつも親しく接してくるんだ……」
イトラは複雑そうな表情で話す楽太を見て、初めて負の感情らしきものを表しているのを、興味深く思った。
「気に食わないのであれば殺してしまえばいい」
「えっ!? まさか! 俺もとっても好きなんだ。けれど、比較してしまって劣等感を抱くというか……」
イトラはその言葉に、また魔王カラを思い出した。イトラがカラであれば、この世界を思うままに蹂躙するというのに。魔王カラにどんな態度を取っても、軽くいなされるようで、対等になれない苛立ちを持っていた。
「ふむ、そうか。解決策はその者より強くなることだな」
「……ふふ、そうだね」
ある日、楽太は籠に甘い匂いのする何かを入れて持ってきた。
「……これは何だ?」
「えっと……それは、異世界からの転移者が発明したマフィンというものだよ。お茶請けに持ってきたんだ。貴方には少し小さいかもしれないが……」
「ふむ……」
イトラは少し考えて、人間姿へと変身した。
「あわわわわっ!!」
「なんだ……楽太?」
「貴方は雌……女性だったの?」
「ああ、何をいまさら。この姿はおかしいか?」
イトラは濃紺のドレスを纏う己の姿を見おろし、少し不安に思う。
「いいえ、とんでもない!! その銀糸のような髪は空を流れる流星のようだし、同じ色の瞳も神秘的で麗しい。そして、その蟀谷に残る銀の鱗。宝石のようなそれは貴方を美しく彩っている。それに、靭やかで柔らかな肢体は、恐ろしいほどに魅惑的だ!」
息継ぎなく重ねられる賞賛の言葉に、イトラは安堵してそしてやはり少し気恥ずかしく思う。楽太の顔がどんどんと真っ赤に染まっていった。イトラは楽太がここに初めて来た時よりは、随分と成長していることに気づく。
「ふむ……もう、そのへんで良い。さあ、今日も何か話をしろ」
「はい。ああ……俺は当分の間、ここへ来ることができなくなりそうなんだ」
「なんだと?」
「俺には、とても強い幼馴染がいるんだけど。彼が勇者に選ばれて魔王討伐に行くことになったんだ。俺は彼の希望でそのパーティーに入ることになったんだよ」




