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婚約者様が溺愛モンスターでした。あれ!?わたしのことは嫌いなんじゃないですか?

作者: 海空里和

「手を貸せ」

「はい、ウィリアム様」


 今日はわたしのデビュタントの日だ。


 婚約者がいる子はパートナーと、そうじゃない子は父親と同伴するのがこの国の決まりだ。


 わたしには十歳のころから決められた婚約者がいるため、彼と参加をする。

 

 真っ白な手袋をはめたウィリアム様の手をとり、馬車を降りた。


「お忙しい中、今日はありがとうございます」

「……ああ」


 にこりと彼を見れば、視線を逸らされる。その眉間には皺が寄っている。


(やはりわたしと手を繋ぐことさえ嫌なんだわ)


 ――そう。わたしは彼に嫌われているのだ。



 わたしの婚約者、ウィリアム・ポートリエ様は侯爵家の一人息子だ。

 代々軍人の家系で、お父様は騎士の頂点・近衛団長を務めておられる。ウィリアム様もつい先日、弱冠二十歳という若さで騎士団の副団長に就任された。


 ウィリアム様は、黒い短髪に美しいシルバーの瞳で精悍な顔立ちだ。騎士らしい逞しい長身の体躯はご令嬢の眼差しを一身に受けている。魔物(モンスター)をバッタバッタとなぎ倒す彼の姿こそがモンスターなんじゃないかと言われているが、その見目から騎士団に差し入れと称した刺繍入りのタオルを持って来るご令嬢が後を絶たないのだとか。


 婚約者がいる彼に、なぜご令嬢たちが殺到するのかですって?


 それは、わたしと彼の不仲説が社交界で広まっているから。


 そもそも私、エヴィ・オランジュはウィリアム様と不釣り合いの下位の伯爵家の娘だ。侯爵家である彼との婚約は王家も絡む政略的なもので、もちろんそこに愛はない。


 わたしはウィリアム様のこと、好きなんだけどな。


 彼は不愛想に見えるが、真面目で実直なだけだ。副団長に任命されたのも、彼の努力があってこそ。そんな彼をわたしは幼いころから見てきた。だから好きになった。貴族に政略結婚は当たり前だから、相手を好きになれるのって幸せなことじゃない?


「着いたぞ」


 ウイリアム様の声ではっとする。


 「オランジュ伯爵家ご令嬢、エヴィ様とその婚約者ウイリアム・ポートリエ様」


 扉の前で仰々しく名前を呼ばれ、中に入る。


 キラキラと輝くシャンデリアが天井にひしめく広い会場は、奥にダンスフロアがある。後でパートナーとのダンスをお披露目するのだ。


「噂のお二人よ」

「婚約破棄も秒読みらしいわ」

「エヴィ様のデビュタントまでウイリアム様が我慢されていたんでしょう?」


 ウイリアム様の腕に手を置き替え、会場を進んでいくと、噂話が耳に入る。


(ふわ~、皆さまよくご存じだわ。それほどウイリアム様が隠されていないということよね)


 ひそひそと社交界の洗礼を受けるも、どこか他人ごとに思えてしまう。

 わたし自身、いまだにウィリアム様の婚約者でいることが不思議なのだ。


 だって、こんな素敵な人がわたしの隣にいるなんて奇跡じゃない?


(みんな綺麗だわ!)


 他の令嬢たちを眺めながら、わたしは溜息をついた。


 デビュタントは白いドレスでの参加が決められている。その中でも皆個性を出そうと美しく着飾っているのだ。


 婚約者がいる子は相手からドレスを贈られるのが一般的で、わたしもウィリアム様に贈っていただいたドレスを身に着けている。


 しかしわたしのドレスは、とにかく目立たないようにと真っ白のドレスに少しのフリルはあるものの、刺繍も飾りもない地味なもの。オレンジの髪もアップにしてあるが、飾りは一切ない。唯一、小ぶりなダイヤモンドがついたネックレスがわたしの首を彩っている。


 それもこれも、ウィリアム様の婚約者として痕跡を残さないためだと思っている。


「おめでとう」


 王太子殿下とその婚約者様の前に辿りつくと、言葉をかけられた。


 わたしは頭を下げてカーテシーをした。隣のウィリアム様も胸に手を置き、頭を下げている。


「ふうん、これが例の……おっと、失礼」


 頭を下げたまま、くすりと笑う殿下の声を聞く。ウイリアム様はすでに頭を上げて殿下と視線を合わせておられるようだ。

 二人は旧知の仲で、殿下の御代ではウィリアム様が近衛団長になるだろうと言われている。


(殿下にまでウイリアム様の婚約者が冴えないと思われてしまったわ)


 恥をかかせてしまったと、ちらりと隣のウィリアム様を見る。


「行こう」

「え? あ、はい」


 ウイリアム様は踵を返して列から外れて行ってしまった。わたしは慌てて殿下たちに会釈をしてその場を去る。


「残り短い婚約期間、楽しんでね」


 わたしの背には殿下からそんな言葉が届いた。


(婚約破棄は、もう殿下もご存じのことなのね)


 ひそひそと挨拶の順番待ちをしていたご令嬢たちがわたしを見ている。


「やっぱりね」

「王家も承認しているのね」

「なら、私にもご縁はあるかしら?」


 わざと聞こえる声で笑っている。

 わたしには今さらなことだ。


「あら、ウイリアム様は騎士団で働いている男爵令嬢に夢中だって聞いたわよ」

「え!? 何それ!」


 それはわたしも初耳だ。


「おい」


 もっと話を聞きたいと立ち止まっていると、先を歩いていたウイリアム様が戻って来た。


「さっさと終わらせよう」


 そう言って視線をダンスホールにやる。


 ダンスホールでは楽団が演奏し、すでにダンスが始まっていた。

 ウイリアム様は元々こういった場がお好きではない。しかも今日は好きでもないわたしのデビュタントに付き合っているのだ。


「はい」


 差し出された手の平に自信の手を重ねれば、また彼の眉間には皺が寄る。


(ああ、ごめんなさい)


 申し訳ない気持ちになる。


 でも、これが最後かもしれない。大好きなウィリアム様に触れたい。わたしは笑顔を維持したまま彼に身を任せた。


「ウィリアム様、今日は本当にありがとうございました」


 少し強引なウィリアム様のリードに引かれ、ダンスは始まった。


 ウィリアム様はわたしと一切視線を合わせることなく、黙ったままで返事は返ってこなかった。


☆。☆。☆。


「うん、上手く焼けたわ」


 わたしの趣味は刺繍とお菓子作り。貴族の令嬢がお菓子作り? と思われるかもしれないが、うちはこれが普通なのだ。


 オランジュ家は養蚕がさかんで、蚕の世話から製糸までを一貫してやる。その収入で領地を経営しているのだ。孤児院の設営にも力を入れており、そこから巣立った子供たちの雇用もオランジュ家が請け負っている。


 わたしも母に付いてよく手伝いに行っていた。オランジュ産絹のハンカチに刺繍をしてバザーで売ったり、お菓子を孤児院に差し入れしたりは、幼い頃からやっている。


 今日のクッキーは、剣や盾や鎧の形をしている。砂糖を溶かしたもので絵を描けば、可愛らしく仕上がる。


「ウイリアム様のことを考えていたら、こんな形にしてしまったわ」


 今は社交界シーズンのため、王都の屋敷にいる。だから孤児院に持って行くこともできない。

 家族分のつもりが、考え事のせいで量産してしまった。


 ずらりと大量に並んだクッキーを見て、わたしは途方に暮れた。


「こんなにどうしよう……」

「あら、騎士団に差し入れしたらいいじゃない」


 キッチンに顔を出した母が、私の独り言に答える。


「えっ……でも」


 昨日デビュタントを迎えてしまったわたしは、婚約破棄秒読みのはずだ。


「ときどき持って行っていたじゃない」

「それは……」


 確かにわたしは、ときどきウイリアム様に差し入れを持って行っていた。


 しかしウイリアム様から、来るときは先ぶれを必ず出すように言われている。しかも団員との接触は禁止とのことで、いつも外で落ち合っていた。だから私は騎士団の敷地に入ったことがないのだ。


「たまには突然行って驚かせたら? 長い付き合いに刺激は必要よ!」


 ぱちんとお茶目にウインクする母は、貴族にはめずらしい恋愛結婚で父と結ばれたらしい。わたしもそんな母に憧れていたのだけど。


(だからウイリアム様を好きになれて、政略結婚でも幸せになれると思ったのにな)


「悩んでる暇があったら、はい、行く!」


 バンと母に背中を押され、わたしは屋敷を追い出される形で馬車に乗り込んだ。


 母はアクティブな人だ。わたしはどちらかというと、ぽややんとした父似なところがある。

 わたしたちは母の勢いに押されていつも動くのだ。


 いつの間にか包まれたクッキーを手に、馬車は騎士団の屯所までと走り出していた。


(お父様もお母様も、噂を知らないのかしら?)


 良くも悪くも貴族の集まりに興味がない両親は、派閥に属することもなく、そういう噂に疎い。だからこそ、ウイリアム様の婚約者としてわたしに白羽の矢が立ったわけだけど。


「う~ん、とにかくクッキーだけお渡ししてすぐに帰ろう」


 先ぶれはしていないが、受付で話を通してもらえばいいだろう。わたしは深く考えるのをやめて、馬車の背もたれにもたれかかった。


☆。☆。☆。


「あの、すみません。わたくし、エヴィ・オランジュと申しますが、ポートリエ副団長様にお取次ぎを……」


 騎士団の入口に立つ見張りの一人に声をかければ、彼は目を大きく見開いた。


「あの……?」


 なんだか様子がおかしい。


 彼の顔色は徐々に青ざめていき、次第にはガシャンと後ろの門に飛びのき、背中をぶつけてしまった。


「は、はははは、はい! ただちに」


 それだけ言うと、彼は一目散に走って行った。


「どうしたのかしら……」


 一人取り残され、ぽかんとする。見渡せば、もう一人騎士がいたはずなのに、いつの間にかいない。


 しばらくそこで立っていると、騒がしい声とともに足音が迫って来た。


「ウィリの婚約者が来たって!?」


 少し長い茶色の襟足を一つに結んだ、大柄な男性が現れる。くりくりとした好奇心旺盛な赤い瞳は――。


「ご無沙汰しております、ラシーヌ団長様」


 私は彼に向かってカーテシーをした。


 レオ・ラシーヌ騎士団長。ウイリアム様の上司だ。

 オランジュ家のバザーに騎士団が手伝いに来てくださるので、顔見知りだ。


 ウィリアム様に騎士たちとの接触禁止を言い渡されてから、お会いする機会も減ったわけだけど。


「わ~、よく来てくれたね! どうしたの?」


 笑顔で迎えてくれる団長に、とりあえず迷惑ではないのだとわかり安堵する。


「あの、クッキーを焼きすぎましたので差し入れに……」

「まじ!?」


 団長の目の色が変わる。


「いいの!?」

「は、はい……。あ、でもウィリアム様に一言……」

「あ~、あいつに言ったら取り上げられるから、とりあえず黙っておこう」

「え?」


 ぽかんと首を傾げると、柱の影から騎士の一人が声をかける。


「だんちょーう……副団長に殺されますよ~」


 なんて?


 物騒な単語が聞こえるも、団長はにこにこしている。


「俺がこの騎士団の団長だっての! ウィリに好き勝手させるか! ほらお前ら、エヴィ嬢の差し入れだぞ! 早くしないと食っちまうぞ~」


 団長の呼びかけとともに、どこにいたのか一斉に騎士団員たちが集まってきた。


「団長、ずるいです!」

「エヴィ嬢の幻のクッキー、俺にもください!」


 なんて?


 おかしな単語が聞こえてきたと思えば、あっという間に騎士たちが団長を囲む。


 あれよとクッキーは騎士たちの手に渡っていく。


「く~! やっぱうめえなあ」

「誰だよ二枚以上食べたやつ! 俺一枚しか食ってねえのに!」


 気づけばあんなにあったクッキーは、空っぽになっていた。


「みなさん、訓練でお腹が空いていらしたんですねえ」


 頬に手を置き、あ然とする。


「そうじゃなきゃ、わたしのクッキーを美味しいだなんて……」

「え? ちょっと待って、何言ってるの?」


 団長がなぜか驚いた顔でこちらを見た。


「えっ? ウイリアム様に騎士団へ差し入れを持って来るときは、必ず自分を通せと言われておりましたので……。よっぽど美味しくないから、ご自分で先に毒見をするからなのかと――」

「あいつ!」


 説明の途中で団長が怒りだした。


「だからエヴィ嬢のクッキーが幻になっているのか!!」

「え? あの?」


 理解できないわたしはまた首を傾げる。


「エヴィ嬢、知らないの? 君のクッキーが美味しすぎて、騎士団員がオランジュ領の孤児院バザーに出向いていること!」

「ええ!?」


 そういえば、最近のバザーはお客様がたくさん来場してくださるようになったなーなんて、父とぽやぽや話していた。私服なので騎士団の人だなんて気づかなかった。


「それでも、君のクッキーは即完で手に入らないから、幻のクッキーと言われているんだ」

「えええええ!?」


 知らなかった。母も何も言っていなかった。


(そ、そうなのね。だからクッキーを量産するよう言われていたのね?)


 びっくりしていると、目の前の騎士たちがぴしりと表情を固めだした。


「よう、遅かったなウィリ」


 わたしの後ろにウイリアム様が立っていた。団長がにこやかに手を振ると同時に、騎士たちが速やかに逃げていく。


「……どういうことですか」


 不機嫌な低い声に、わたしは頭を下げる。


「申し訳ございません! わたしが先ぶれもなく差し入れをしてしまいました!」

「おいウィリ、エヴィ嬢を責めるなよ。団員たちは喜んでたんだから! そもそもお前が彼女を独占――」

「送る」


 団長の声を遮ってウイリアム様が私の前に立つ。


 そして背中を向けた彼に、わたしは思わず手を伸ばした。


「ウィリアムさ――」


 彼の腕に触れた途端、ばっとわたしの手が振り払われた。


「ウィル!」


 団長の厳しい声が飛ぶと同時に、険しい顔のウイリアム様はわたしから視線を逸らした。


 そうだ。彼には騎士団に想い人がいるのだった。誤解されては困るのだろう。それが、彼がわたしを騎士団から遠ざけた理由に違いない。


「……長年ウイリアム様を煩わせて申し訳ございませんでした」

「は?」


 困惑した彼の瞳がわたしに向けられる。我慢していた涙が頬を伝った。


(あれ? なんで? わたし、ウィリアム様が幸せならそれで良かったのに)


 涙は止まらないが、笑顔は崩さない。


「わたしはウイリアム様のことが好きだから……身を引きます」

「は?」


 それ以上は困らせてしまうと、わたしは涙を拭ってその場を走り去った。


「……何の話だ?」

「~~、お前なあ!」


 団長の怒鳴り声が後ろで聞こえた気がした。わたしはぼろぼろと止まらない涙に焦って、とにかく早く帰ることに頭がいっぱいだった。


(でも上手く伝えられたわ!)


 憧れだった恋愛結婚は、ウィリアム様が叶えられればいい。わたしはそのお手伝いとして身を引く。


 きっとすぐに婚約破棄が進められるだろう。


☆。☆。☆。


 その翌週、騎士団長から手紙が届いた。


 ウイリアム様の副団長就任のお祝いが王城で開かれるとかで、わたしに婚約者として同伴して欲しいそうだ。

 ウイリアム様からは音沙汰がなく、わたしはまだ彼の婚約者でいられている。


「エヴィ、ウイリアム様から贈り物よ」


 祝賀会の当日、母が持ってきたのはドレスや靴だった。手紙には「アクセサリーはダイヤモンドのネックレスのみ付けてくること」と書いてあった。ドレスは綺麗だけど、わたしの髪と同じ淡いオレンジのものだ。こういうとき、婚約者の色を身に付けるのは他の男性への牽制だと母に聞いたことがあるが、わたしはウイリアム様の色を贈られたことがない。


(この祝賀会で婚約破棄されるのかしら)


 最近流行の小説では、公の場で真実の相手と一緒に婚約破棄を言い渡すらしい。


 ついにこの日が来たのかと、覚悟していたとはいえ気が滅入る。


 そうこうするうちにウイリアム様が迎えに来た。


(わ……)


 彼は真っ白な儀式用の騎士服に身を包んでいる。


「すごく似合っています」


 思わず口に出せば、咳払いした彼が手を差し出す。


 わたしはいつも通りその白い手袋に手を重ねた。


 結局、わたしは彼と手袋越しにしか触れたことがない。これまで、彼が手袋をはずすことはなかった。


 会場に到着し、彼のエスコートで中に入る。やっぱり眉間には皺が寄っている。


 王太子殿下から挨拶を賜ると、祝賀会は和やかに始まった。


 ひっきりなしに彼の元に人がやって来る。わたしは婚約者として最後の仕事とばかりに、静かに微笑んで立っていた。


 ようやく人が途切れたところで団長がやって来た。


「エヴィ嬢、今日は来てくれてありがとうね。ポートリエ家のその家宝、似合うね。身に付ける宝石がそれだけだからこそ際立つというか……」

「かほう?」


 ぽかんと首を傾げるわたしに、団長の眉が吊り上がる。


「お前? 言葉が足りないにもほどがないか?」


 ぎぎぎ、とウイリアム様を睨む。一体どうしたんだろう?


「あー、エヴィ嬢、君が騎士たちとの接触を止められていた理由なんだけど……」

「ウイリアム様!!」


 団長が何か言いかけたところで、一人の令嬢が飛び込んで来た。


 サーモンピンクの髪にお揃いの瞳。小柄で可愛らしいその令嬢は、シルバーのドレスをまとっている。


(まさか……)


 その予感が当たり、令嬢はわたしの方を向いて宣言した。


「あたしはクノー男爵家のジェシカです! ウィリアム様と密かに恋を育んできたの! 婚約者のエヴィ様には悪いと思ったけど、ウイリアム様はあなたと婚約破棄するって言っていたから!」


 やっぱりそうかとぎゅっと両手を組む。


「……誰が婚約破棄するって?」

「「え?」」


 ウィリアム様が何を言っているんだ? という表情をしている。わたしとジェシカ様も目を丸くして彼を見た。


「えっ? ウイリアム様、あたしのこと好きですよね?」

「好きじゃない」

「えっ……でも荷物を持ってくれたり、優しく笑いかけてくれたり……」

「仲間として手伝うのは当然だし、エヴィの話を出されれば笑いもする」

「え??」


 ウィリアム様、いま何て?


 ぱちぱちと目を瞬けば、シルバーの鋭い瞳がわたしを捕まえる。


「婚約破棄、したいのか?」


 その問いに慌てて首を振る。


「そんなまさか! わたしはウイリアム様のことが大好きで……」

「良かった」

「え……」


 ウイリアム様の険しい表情が緩められ、唇が弧を描く。


「わ、笑った!?」


 周りにいた人たちからはどよめきが起こった。


「そ、そんな……あたしのこと弄んだの!?」


 うるうると瞳を揺らすジェシカさんの肩に、団長が手を置いた。


「ジェシカ……君が一方的にウィリに言い寄っていたんだろ」

「え……」


 頬を引きつかせるジェシカさんに団長が畳みかける。


「ウィリが相手にしていないから放置していたが……嘘の噂を流すばかりか、こんな公の場で騒ぎ立てるなんて。君には騎士団を辞めてもらうしかないな」

「そんな……そんな……。あたしのほうが可愛いのに、なんでこんな地味な人なんか!」


 よろけたジェシカさんがわたしを指さしながら睨んだ。


「何を言っている。エヴィのほうが可愛いだろう」

「えっ!? いま、なんて!?」


 心の中で叫んでいた言葉が思わず口から出てしまった。


 あれ? ウィリアム様、耳が赤い?


 じっと覗き込むわたしから彼が顔を背ける。


「あー……ウィリ。挨拶も一通り済んだし、もう帰っていいぞ」

「そうか」


 団長の言葉にうなずくと、ウィリアム様はわたしの手を引いて歩き出した。


 え? 今日の主役なのに中座していいの?


 崩れ落ちるジェシカさんを宥めている団長と目が合う。


「騎士団の者がごめんね! でも一度ウィルとちゃんと話したほうがいいよ!」

「?? はい」


 首を傾げながら頷く。


 ウィリアム様に手を引かれ、入口を出ようとしたところで王太子殿下とすれ違った。


 ウィリアム様は会釈だけして通り過ぎていく。わたしは手を引かれたまま慌てて頭だけ下げた。


「はは、ウィリアム。独占欲もほどほどにしないと嫌われるぞ」


 ん? いま、王太子殿下からウィリアム様に似つかわしくない言葉が出てこなかった?


 ぱちぱちと瞬かせた目で殿下を見れば、ふふっと笑みを返される。


「ウィリアムは君のデビュタントを待ち遠しく思っていたよ。すぐにでも結婚する勢いだったからね」

「えっ……」

「殿下」


 ウィリアム様が殿下を睨む。そしてわたしの手を再び引いてポートリエ家の馬車へと押し込んだ。


 残り短い婚約期間ってそういう?


 情報が過多すぎて頭が追い付かない。


 つまり、婚約破棄の噂は噂なだけで、ジェシカさんに夢中という噂も嘘で……。


 ウィリアム様もわたしを好きだということだろうか?


 向かいに座る彼をちらりと見れば、眉間に皺を寄せている。


 うん。やっぱりそうは思えない。


 長い沈黙の後、馬車が辿り着いたのはポートリエ家のお屋敷だった。


「手を」


 いつものように手を重ねれば、耳の赤さが目に入る。


 あれ? 眉間にばかり目がいっていたけど、いつもこうだったかしら?


 彼に連れられてしばらく歩くと、離れにある大きな建物の前で足を止めた。


「ここは?」

「我が家の美術館だ」

「わあ……」


 ウィリアム様が施錠された扉に鍵を差して開け放つ。


 中はとても広く、壁にはたくさんの絵画が飾られていた。入口には甲冑が飾られ、さらに中に進んでいけば壺や陶器も飾られている。


 さすがポートリエ侯爵家だ。多くの美術品を所有し、美術館と呼べるほどの建物で保管しているのだから。


 どうしてウィリアム様がここに連れてきたのかは疑問だったが、わたしは目の前の光景に感動して魅入った。


「あら? これは中身が空ですね?」


 奥までやって来ると、ガラスケースに囲われた宝石たちが並んでいる。そのうちの一つに目をやり、ウィリアム様を見た。


「ああ、それはいま君が首からさげている」

「え?」


 ウィリアム様がわたしの首元を指さした。わたしは目を見開き固まる。


「え?」


 恐る恐る指先を辿れば、わたしが身に付けているダイヤモンドのネックレスに行き当たる。


 そういえば団長がポートリエ家の家宝だって言っていたような?


 だらだらと変な汗が背中を伝っていく。


「ええ!?」


 視線がガラスケースとネックレスを往復する。そんな、まさか、という思いで青くなる。


「そ、そんな大切なものを身に付けていたなんて! 今すぐお返しして……」


 慌てるわたしをウィリアム様が手で制止した。


「それはポートリエ家に嫁ぐ花嫁へ贈られるものだ。返さなくていい」

「それは……わたしはまだ婚約者でいてもいいということでしょうか?」


 表情の変わらないウィリアム様をじっと見つめれば、再び手を取られ、歩き出す。


「……君は俺が好きなのだろう? 婚約破棄もするつもりはないと」

「はい、それはもちろん。でもウィリアム様は――」


 別室に続く扉をウィリアム様が開く。


 その部屋の壁には、額縁が規則正しく並べられている。

 どうやら刺繍作品のようだ。


「え!?」


 わたしは飾られていた作品たちに駆け寄る。

 これまでウィリアム様に贈ってきたハンカチだ。


「これ……」


 わたしが贈ったハンカチを使わないのは、わたしのことが嫌いだからだと思っていた。


「俺個人の美術室だ」

「わたしのハンカチしかありませんが?」


 ウィリアム様は次期侯爵だ。この美術館そのものが彼のものに違いないが、わざわざ私室まで作って保管するのがわたしのハンカチ? と驚きで彼を見返す。


「君にもらったハンカチはどんな宝石よりも尊い」

「いやいやいやいや……」


 わたし、耳がおかしくなったのかしら? ウィリアム様からとんでもない言葉が聞こえたような?


 さらに奥に続く壁にも額が飾ってあるのが目に入る。

 きっと絵画ね、と足を踏み入れたわたしは驚愕した。


 それはバザーに出品してきた、わたしの歴代のハンカチたちだったからだ。

 しかも律儀に年代順に並べられている。


 一枚目は、少しいびつな花の刺繍――それは八歳で初めてバザーに出したもの。

 二枚目は、図案を変えてかなり上達した花の刺繍――猛特訓して腕を上げたのがわかる。

 一番右端の額は、去年出品した最新のものだ。


「あの……?」

「気持ち悪いと嫌われるのが怖かった」

「はい?」


 後ろのウィリアム様を振り返れば、耳を赤くして、鋭い瞳でわたしを見ている。


「眉間……」


 ウィリアム様の本当の気持ちが見えなくて。


 わたしは思わず人差し指で彼の眉間へと触れた。


「…………!!」


 彼がわたしの手を振り払い、後ろへと飛びずさる。

 でもわたしは傷付かなかった。彼の顔が真っ赤だったからだ。


「あの、ウィリアム様? 大丈夫ですか?」

「……じゃない」


 ぼそりと呟く彼に首を傾げれば、真っ赤な彼と目が合う。


「大丈夫じゃない! き、きみの素肌と触れ合うなんて……!」

「はい?」


 今日のウィリアム様は何だかいっぱい話してくれる。でも言っていることがおかしい。どうしたのかしら?


 またまた首を傾げるわたしに、ウィリアム様は手袋をはずしてみせた。


「俺は、君に直接触れると真っ赤になってしまうんだ」

「へっ」


 またまた~と笑うわたしの手をウィリアム様がぐいっと引き寄せた。

 そのせいでわたしの身体はウィリアム様に近付き、お顔が目の前に迫る。


(うわわ……)


 顔を赤らめたわたしは目を大きく見開いた。


 目の前のウィリアム様のお顔が、おそらくわたしよりも真っ赤だったからだ。


「……初めて会ったときから俺は、君に触れられると真っ赤になってしまうんだ」

「ええ!?」


 そんなバカな、と思う私を「他の女に触れられてもそうはならなかった」とウィリアム様が一蹴する。


「初めてお会いしたときから手袋をされていませんでしたっけ?」


 ウィリアム様の素肌に触れたことなどないはず。考え込むわたしに、ウィリアム様は赤い顔のまま手を握り続けている。


「それは婚約の顔合わせのときだろう。俺は君が八歳のときにバザーで出会っている」

「ええ!?」


 覚えていない。驚愕の事実にわたしは彼の次の言葉を待った。


「騎士団は護衛を兼ねてよく手伝いに参加してるだろう? 俺も父に連れられ初めて行ったオランジェ家のバザーで、君に出会った」

「そうだったんですね? あ、そのときにハンカチを?」

「ああ。君は幼くとも分け隔てなく人に接する女の子で、俺は天使だと思った」

「て、天使?」


 また変な単語が出てきたが、とりあえず聞き流そう。


「騎士団の騎士たちも一人一人労っていた。俺はそのとき、手伝い中に腕を擦りむいたんだ。そんな俺を君は心配しながら必死に手当てしてくれた。それがこのハンカチだ」


 一枚目の額を指さし、ウィリアム様が愛おしそうに微笑む。


「……!!」


 そんな甘い顔は初めてだ。わたしの顔には熱が集まる。


 そのハンカチはよく見ればところどころ汚れていた。


「それから毎年バザーに通って、オランジュ家に顔を売った。そして君に婚約を申し入れたんだ」

「え? 王家からのご命令では?」

「ああ。殿下には力添えしてもらったが、君のご両親にはもちろん承諾を得ている」


 ……知らなかった。ぽやんな父はともかく、母はあえて言わなかったのだろう。


「じゃあ、わたしのことが嫌いではなかったのですね?」


 ウィリアム様から婚約を申し入れてくれたのなら、そういうことだろう。念のため聞いてみる。


「俺が? 君を!? 好きすぎて嫌われないか悩んでいるのに?」

「ひゃっ……」


 それ以上の答えが返ってきて、わたしの心臓が飛び跳ねる。


「じゃあいつも険しいお顔をされていたのは……」

「君に触れると赤面してしまうから、気を張っていた」

「えええ……」


 わたしのこれまでの悩みは。がくっとうなだれれば、彼に覗き込まれた。


「すまない。こんなカッコ悪い姿を知られたら、君に嫌われるんじゃないかと不安で言えなかった」

「うう……そんなふうに言われては怒れません」


 ウィリアム様は言葉足らずだ。でも相手に甘えて、話そうとしてこなかったお互いに非がある。


「わたし、ウィリアム様が好きです。だから側にいたいです」

「俺もエヴィを愛している。君を失いたくない」

「ひゃっ」


 またそれ以上の返事が返ってきて、今度はわたし自身が飛び跳ねた。


「ふふ。わたしたち、もっと早く話し合えばよかったですね」

「そうだな……。すまない」


 片方だった手を両手にかえて握り合う。素手で触れ合う体温が心地よくて、愛おしい。

 ウィリアム様のお顔は変わらず真っ赤だ。


「もう隠していることはありませんか?」


 冗談ぽく言えば、ウィリアム様が真剣な顔で考える。


「バザーで君のクッキーを買い占めている」

「……は?」


 至って真剣な顔のウィリアム様は続けた。


「君の手作りを他の男の口に入れるなんて許せないからな。母君にお願いして女性以外には販売しないようにしてもらった。それ以外を俺が買い取っている」

「えええええ?」


 母から生産量を増やすよう言われていたことを思い出す。

 かなりの量のはずでは?


「あの……わたしが騎士団へ差し入れしているものは」

「もちろん俺が全部いただいている」

「えええええ!?」


 さきほどから叫びっぱなしだ。

 あ、団長が言おうとしていたのって、このこと?


「この前、君の手作りを他の男が口にしていて、頭がおかしくなりそうだった」

「き、騎士団……仲間ですよ?」


 わたしはウィリアム様に、何もかかっていない壁の方へじりじりと追い詰められる。ウィリアム様の拳が頭上に置かれ、壁に縫い留められた。


「関係ない。エヴィを他の男の瞳に晒すのも嫌だ。君の可愛さが目に留まらないよう、あえて地味なドレスを贈っているというのに」

「ウィリアム様……さらけすぎじゃありません??」


 嫌われていたと思っていたウィリアム様の態度や行動は、全部わたしへの愛情からだったらしい。


「全部話しても、受け入れてくれるんだろう?」

「は、はい! 嬉しいです!」


 ウィリアム様に隠された重い愛に驚いたが、それよりも嬉しいほうが大きいのは本当だ。


 笑顔で答えてみせれば、影が落ちてきて、唇に柔らかいものが触れた。


「どのみち君を手放す気はない。情けない俺の部分を暴いたんだ。今さら引き返させないよ」


 唇を少し離してそう言うと、ウィリアム様は再びわたしにキスをした。


 彼の素手に触れたのが初めてなのに、いきなりキスなんて。


 壁に縫い留められたわたしは身動きできず、彼に身を任せるしかなかった。


 相変わらず彼は真っ赤だけれど、表情には余裕がみえる。


 ようやく解放され、くたりとしたわたしの身体を支え、ウィリアム様が耳元で囁いた。


「情けない姿を見せたくなかったのは本当だけど、一番はたがが外れるのが怖かった。一度君に触れてしまえば止まらなくなるんじゃないかと」

「ふえ!?」

「俺の色を贈らなかったのも、エヴィを襲わないよう自身を戒めるためだ」

「おそっ……!?」


 ウィリアム様から次々に吐かれる甘い言葉に、わたしの顔は彼以上に赤くなったに違いない。


「すぐに結婚もするから、毎日君に触れていたい。いいよね?」

「ひゃい……」


 彼が寡黙なのは、我慢をしていたから。


 ウィリアム様がこんなに饒舌だったなんて驚きだ。


「エヴィ、愛しているよ。シルバーのドレスをすぐに贈るから、身に付けて」


 彼の本性は溺愛モンスターだったらしい。呼び起こしたのはわたしだ。


「ハンカチもクッキーも、君の作る全てが俺のものだ。この部屋も増築しないとな。いっそ領地に専用の美術館を建てるか?」

「いやいやいやいや」


 つっこみを入れるわたしに、ウィリアム様がにこやかに笑う。ひゃっ! とわたしの心臓が飛び出そうになる。


「もちろん、君自身も全て俺のものだ。一生離さないから覚悟してくれ」


 甘い言葉を吐くモンスターは、シルバーの瞳を蕩けさせ、わたしを見つめる。


「はい! わたしも離しません!」


 がばっとウィリアム様の胸に飛び込めば、彼の顔がいちごのように真っ赤になった。

 それはきっと、甘い愛の色だ。




 おわり 

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そんなこったろうなとおもったらそんなことだったw しかし彼は今まで散々誤解させて傷つけてきたのは謝るべきだよなあ
ウィリアム様、これまでの態度、恥ずかしかったとはいえ、よく愛想尽かされなかったなぁ。
面白かったです! ハンカチの美術館みたいな部屋を想像して笑いました! 重い愛情は良いものです。
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