2.魔モノというもの
「魔モノ図鑑……」
こんなものがあると思わなかった。この世界の人間は、みんな魔モノを恐れて距離をとっていると思っていたから。
(あ、でも考えてみたら、向こうにだって妖怪図鑑とか悪魔図鑑とかあったもんな)
1体たりとも現実には存在しないモンスター図鑑なんてものもあったくらいだ、問題になるのは興味のあるなしだけなのかもしれない。
(どれどれ)
確実に興味MAXで、魔モノ図鑑を開いてみる。なかにはたくさんの魔モノの姿が克明に描かれていた。この書物に描かれている魔モノは、この世界に確実に存在していると考えて差し支えないだろう。
(おお、結構見応えあるな。でも……)
僕が期待した図鑑とは、明らかに違っていた。そこに載っていたのは、姿と名称、生息地くらいなものだ。どんな生態でどんな攻撃法を持っているかなどは、特に記されていない。
(これじゃあ図鑑っていうより、ただのスケッチじゃん)
だが裏を返せば、やはりそれだけ人間と魔モノの距離が遠いということなのだろう。これを描いた人は、もしかしたらこの世界で唯一の魔モノ研究家なのかもしれないが、そうだとしたらおそらく人々から迫害されて表に出てこないだろうことは、容易に想像できた。
(僕だって、魔モノと話せるってだけで迫害されかけたもんなぁ)
そもそも僕は、元の世界に戻るための情報を求めて世界中の図書館を訪問しているわけだが、当然ながら直接その方法が書かれた書物があるだなんて期待はしていない。
ただ、ひとつの可能性として、もしかしたら魔モノがなにか鍵を握っているのではないかというのは、常々感じていた。なぜなら、僕とエミリーに与えられた能力が『魔モノと話せる』という限られた力だったから。
それに――
(ずっと違和感があるんだ、この『魔モノ』という表記に)
一般的には『魔物』と書くのが普通だと思う。でもこの世界では、一貫して『魔モノ』表記にされていた。そこに意味がないとは思えないのだ。
(この世界の人は、見た目はとても日本人に見えないけど、みんな日本語を完璧に扱えてる。それは魔モノたちも一緒だ)
少なくともこのゲームの制作者は日本人。機械翻訳的な不自然さも一切ないから、僕はそう思っている。そしてそうなるとよけいに、表記のひとつひとつが深い意味を持ってくるわけだ。
かく言う僕も、エミリーも、当然日本人である。本名は、芹沢兵吾と芹沢笑里という。でも、この世界の人々には発音しづらかったらしく、気づいたらヒューゴとエミリーなんて呼ばれていたから、もうそれでいいやとなった。
(でも、本名を忘れたくないから、宿帳には必ず漢字で名前を書いてる)
現地の人々は、それでもちゃんとその漢字を読んだうえで、僕が賢者のヒューゴで妹はエミリーだと、しっかりと理解できている。そこが毎回とても不思議に思えてしまうのだ。
(いや、日本語のゲームならそんなのはあたりまえのことなんだけど……)
到底日本人には見えない彼らが日本語を話しても、それは自動翻訳的な力が働いているからだと思えるせいか、そんなに違和感はなかった。一方で、『僕が書いた漢字を読む』のは全然違う能力だと感じるから、毎回ちゃんと読んでもらえるだろうかと緊張が走るわけだ。
もっとも、今のところ読めなかった人はいないのだが――
「――失礼します」
脳内でいろいろなことを考えていると、不意に司書さんが書庫に入ってきた。
「必要な書物は見つかりましたか?」
「えっと……はい、まあ」
手元のこの書物が本当に必要なものかは不透明だったが、読めるものを特定できたのは事実だから頷いた。
すると司書さんは、ぱあっと表情を明るくする。
「そうですか! よかった~」
その喜びようがあまりにもアレだったから、つい聞いてみた。
「な、なにか気になることでもあったんですか?」
「あ、いえ、ごめんなさい! 実は私、司書と呼ばれてはいるものの、蔵書のことは全然わからなくて……」
「あ、そうなんですね」
「そう! なので、聞かれても答えられないから、無事に見つかってよかったって思ったんです」
(だから安心した、ってことか)
すっかり笑顔になった司書さんは、ちらっとエミリーに目配せしつつ続ける。
「あの、よかったら休憩しませんか? おいしいお菓子やジュースを用意したので」
するとすぐに、床に寝っ転がって作業していたエミリーがパッと顔をあげた。
「お菓子! ジュース!」
こんなところも素直な妹だ。
「ではせっかくなので……」
「やったー!」
「ふふ、じゃあ休憩室のほうに行きましょう」
「あ、この書物を持っていってもいいですか?」
まだ最後まで目を通せていなかった魔モノ図鑑を見せると、司書さんは裏表紙を確認した。
「これは図書館の蔵書なので、書庫から持ち出しても大丈夫です! でも建物の外には持ち出さないようにお願いしますね」
「わかりました」
(個人所有の書物じゃなかったのは少し残念だけど、奥付に著者の名前があるかもしれないからあとで確認してみよう)
そうして連れ立って休憩室に向かうと、小さい子が好きそうなお菓子やジュースがたくさん用意してあった。
「普段は警備してくださっている兵士さんたちをもてなしているのですが、こんなにかわいい女の子が来てくれるのは初めてで、張り切っちゃいました」
(司書の仕事とは……?)
ちょっと気になったが、けっして悪いことではないのでまあいいだろう。現にエミリーはこのうえないほど喜んでいる。むしろ僕はおおいに感謝すべきだ。
「ありがとうございます」
「ありがとー、ございま――す!!」
僕が深々と頭をさげたら、真似をしたエミリーがそれ以上に――床に頭がつきそうなほど深くお辞儀をしたものだから、かわいすぎてヤバかった。
司書さんも同じ気持ちだったのか、エミリーのためにお菓子を両手に抱えて差し出す。
「いいの、いいのよぉ! さあ、どんどん食べて、飲んで!」
「わぁーい」
(尊い……)
そうしてエミリーが暴飲暴食に走る様子を微笑ましく眺めながら、僕は書物を汚さないように気をつけつつ開いていた。
(こういう本って、多分なんらかの順番に並んでいると思うんだけど……)
ザッと見た感じ、50音順ではなさそうだったし、前のほうに載っている魔モノたちはなんだかちょっと弱そうだった。だとしたら、魔モノとしてのランク順(ただし勝手にランクをつけたのは人間)だろうか?
気になって、一気に飛ばして最後のページをめくってみる。
するとそこには――
「やっぱり、いるのか……」
姿は描かれていないものの、はっきり『魔王』と書かれていた。