第一節 休日のふたり
同僚との初めての休日編です。
ふたりの距離がさらに縮まります。
第一話 薄明かりの世界
<アダンの家: 大切なやつ>
「いらっしゃい。土曜にわざわざありがとな。どうぞ入って」
俺は椎名を家に招き入れた。
午後の薄明かりが家を穏やかに照らし、久々の来客にウキウキした。
俺の家は東京の西方面の主要ターミナルから近い緑の多い住宅街にある。
両親が早くに他界し、札幌に姉が1人いるが、1年に1回会うか会わないかの大人の距離感を保っている。なので、この家にはずっと1人で住んでいる。
「これ少しだけどケーキ。アダンの大切な人の分もあるんだけど、よかったら。土曜日にお邪魔でなかったか?」
ん?何言っているんだ?俺1人なんだけどな。
何やら勘違いしている椎名を2階のリビングへ案内した。
椎名はキョロキョロして言った。
「あれ?今日は彼女さんは?気をつかわせっちゃたかな、何だかすまん」
ああ、そういうことか。俺はようやく合点がついた。
俺が大切なヤツと言っていたから、彼女と勘違いしたようだ。俺も言葉足らずだったな。
よし、少しからかってやるか。
「ああ、俺の大切なヤツ、紹介しないとな。今16歳でさ、すごい美人なんだよ。“イチコ“って名前で漢字では“苺“。可愛いだろ。目は金色で色黒でさ。もう、ぞっこんんだよ」
椎名が青くなる。お前・・未成年、外人?と付き合っているのか、犯罪では?イヤ、16歳はギリセーフか?なんてぶつぶつ言い始めた。
「ふはは、冗談だよ!椎名、勘違いだよ。俺の大切なヤツは猫、16歳のおばあちゃん猫。高齢なので、俺がいないと不安になるみたいでさ、会ってやってよ。
イチコ〜おいで〜」
にゃーん、と真っ黒の金色の目をしたふさふさしたイチコが走ってきた。
椎名をじっと見ていたが、何を思ってか、椎名の足にゴツンと体当たりした。
椎名は目を輝かせてしゃがみ込んでイチコの頭を撫でた。
「可愛いな〜、いやーびっくりしたぜ、アダン。確かにこいつ可愛いな。お前に似てるよ。魔女の飼っている黒猫みたいだ」
イチコは椎名の側をグルグルとして、嬉しそうにしている。
「この子の金の瞳と行動がアダンに少し似ているな。お前の瞳はヘーゼルカラーで黄味かがったグレー色だけど、日差しや光の当たり具合で金色に見える時があるもんな。コイツと同じだ」
椎名はイチコがすっかり気に入ったようだ。切れ長の目を細めてニコニコしている。
俺はお茶を淹れて、椎名のケーキを皿に盛り付けケーキは、2つに分けて半分にした。
甘いもの好きのこと、覚えていたのかな。
俺には椎名の気遣いがとても嬉しく感じた。
軽食の後、しばらくイチコをかまう椎名と取り留めない話をした。久々に学生時代のような気軽な会話ができて心が弾んだ。
椎名は俺に彼女いるかと思いビックリしたと言っていた。でも俺としては、椎名に彼女いない事の方が驚きだ。
椎名はすらりとして切長の目をした男前で、出向時から社内でかなり人気があった。
ただ、仕事熱心で社交性はあるものの、踏み込んだ交流を嫌う冷たい雰囲気があるためか、遠巻きで眺めている女子も多い。
俺も出向で来た当初は、仕事内容からもっとオタク的な男性を想像していたので、初めて挨拶した時はイケメン登場に正直びびった。
そんなイケメンも普段は俺とそんなに変わらず、猫と戯れたりするんだな。ケーキを食べながら俺は椎名の横顔をそっと眺めた。もうやつれた雰囲気はない。
「椎名、先週末はゆっくり休んだか?彼女いないっていってだけど、お前モテるんだから仕事以外で少し遊んだらどうだ?」
俺は椎名の考えが聞きたく、探りを入れてみた。
「今はいいよ、なんか好きとか嫌いとか、女性とのやり取りは俺には向かないみたいでさ。本気の恋愛って、考えたらしたことないかもな。
告白されたら何となく付き合うくらいで、熱量もないんだよ、大人になったら会社入る的な。それって相手に失礼だったと反省してるよ。
本当に好きでないのに、相手の本気な気持ちを弄んだことになったわけだし」
そう言うと、椎名はうーんと伸びをしてイチコを抱き上げた。
「若い頃は付き合う度に本気の恋だって思ってたんだけど、相手の結婚とか依存とかの本心を知ってしまうと冷めてしまって、なかなか続かなかったな。
だから、遊ぶって言う考えはあんまりないかな。遊ぶと後々面倒くさいし、相手に悪いからな」
真面目なんだよな、こいつ。
でも、相手の気持ちを考えて大切にするところは、男として偉いなと感じた。
俺は初めて椎名に会った時の気持ちを思い出していた。
ケーキを食べた後、俺は椎名に家のパソコン構築環境をみてもらうことにした。
目をキラキラして見て回る椎名を見て、家に呼んで良かったと安堵した。
椎名も、純粋に興味だけの目線でパソコンに向き合うのは久しぶりのようだ。
楽しげな椎名の姿を見ていて、ふと俺も自分の気持ちに素直になろうと独りごちた。
午後の穏やかな淡い日差しが、天井の細窓から俺たちを優しく照らした。
第二話 土曜の夕暮れ
<椎名の休日: 同僚の家>
アダンの家は都内の一等地の戸建だった。
俺の賃貸の家から電車で5つくらいと近いが、街の雰囲気に落ち着きがあり、緑も多くて何だか落ち着く。
都内なのでそこまで広くはないが3階建で少し小高い所にあり、街並みを見下すことができる。
居間のある2階にトイレや風呂、キッチンなどの水回りがあり、1階は端末やサーバ類の仕事兼、趣味スペースとなっていた。本棚は医学書が多い。
「いい家だな。すっげぇ綺麗に暮らしているな。ナチュラルな雰囲気でアダンに合うよ。3階は寝室?」
「ああ、俺の寝室。イチコの寝室は2階なんだ。年取ってから、3階に上がるのがおっくうみたいでさ。
良かったら3階のソファであとでお茶飲もうか、西日が差して、夕暮れがきれいに見えるんだよ」
パソコン部屋で3時間くらい仕事やAIの話をしていたら、すっかり夕暮れ時になっていた。
そろそろ帰るべきかと思っていたら、アダンがお茶を勧めてくれたので、俺は好意に甘えることにした。
3階に上がると、ベランダに面してオシャレな皮のソファと小さめのテーブルが置いてあった。部屋に間仕切りがなく、広めのワンフロアになっている。
西日を受けて部屋がオレンジに色づき、街並みが綺麗に見渡せる。
西日を受けたアダンの瞳は今まさに金色で、休日の気さくさと、スーツを脱いだ私服なのも相まって、幼く少し幻想的に見える。
俺は人の家なのに、リラックスしていることに気づいた。アダンといると自然体でいられるから落ち着くんだよな。
「アダンの家、すごくいいな。落ち着くよ。
今日は誘ってくれてもありがとう。お前、俺のこと心配して呼んでくれたんだよな。すっげぇ楽しかったよ。仕事の事も忘れて話し込んだのも久々だしな」
夕暮れの街の遠く後ろに富士山が見える。紅く染まった山陰から刺す夕日がきれいだ。
緑茶を飲みながら、しばらく遠くを眺めていた。
「あのさ、椎名、もしこの後予定なかったら、よかったら夕食べて行かない?簡単なの作るよ。実は食材買っておいたんだ。
この前お前、ダラダラ過ごす彼女居ないっていってたし、俺でよければダラダラの相手するよ。お前の希望でもあるしさ。
それと、良かったら泊まっていけよ。この家は俺1人だし、椎名のコーヒーを朝飲んでみたい」
予期せぬ申し出に、すごく喜んでいる自分がいた。
アダンとの時間が楽しすぎて、今日は一人の部屋に帰るのが寂しく感じていたからだ。
「いいのか?なんか悪いな。明日も予定ないから俺は平気だけど、アダンの休日時間を奪ってしまわないか?」
アダンはふはは!と笑い、俺も予定ないし、お前と過ごす方が楽しいから遠慮しないでと言った。
・・・・・
夜は2人で簡単にご飯を作り、食卓を囲んだ。
アダンは手際良く仕込んでいたハンバーグをオーブンで焼き、オリーブとモッツァレラチーズやハムをふんだんに使ったサラダを作ってくれた。
大きめ目のキッチンの横に、白いタイルの2人がけの小ぶりな食卓があり、小さな花瓶に庭で咲いたという黄色い花が飾ってある。
イチコにはお皿に柔らかなパウチのご飯を盛り付け、高血圧とお腹の薬をかけてあげ、好物のかつお節で薬を隠す。
ナーン、と言ってイチコが美味しそうに食べた。
誰かとご飯を食べるなんて久しぶりだ。
アダンも可愛い顔をクシャとさせ、よく笑った。俺は遠い記憶の家族との温もりを感じていた。
「誰かと一緒にご飯を食べるのっていいな。椎名、良かったら土日で来れる時に家においでよ。そんなに遠くないし、お互いフリーなんだし、気兼ねなく来てくれると嬉しい。家のパソコンもお前の検証環境として使ってくれていいよ。
それに、イチコもお前に懐いているようだし。俺、久しぶりなんだ。誰かとプライベートでこんなに話したり笑ったりするの」
そう言えばアダンは両親とも病気で早めに亡くなったと聞いている。唯一の肉親の兄妹のことはあまり話さないが、札幌にいると聞いている。
俺と似たような境遇なのかもな。
俺の両親は離婚しており、母親が再婚して弟が一人いる。弟とはたまに会うが、母親とはあまり会わないし、父親も他にも家庭があるので連絡も殆ど取らない。
この歳になれば、家族から独立するのは普通なので、こんなものだと思っているが、たまに世界で一人っきりの孤独感を感じる時もある。
夕食後は風呂と部屋着を勧められ、すっかりリラックスして3階のソファで夜景を見ながら2人でワインを一本開けた。ワインに詳しいアダンのお勧めのフランスワインが美味しく、くだらない話しで盛り上がって笑った。
「俺さ、いつも3階で軽く飲んで寝るんだ。アルコールもあれば水だけの時もあるけど。1日の終わりは、自分を見つめる静かな時間があると良いよ。で、何も考えないの。仕事のことも、自分のことも。
脳から思考を開放してやるイメージかな。お前も試してみろよ、リセットできるぞ。じゃ、そろそろ寝るか」
「そっか。俺、脳が自由になる時間が今まであんまりなかったのかもな。今日はホントありがとう」
俺は眠るのが名残惜しく感じた。
考えたら、こんな風に誰かと夜まで話したり、ゆっくり寛いだりなんて、学生時代以来なかった。
俺はソファに座るアダンを見つめた。
その時、俺よりひと回り小さな身体のアダンの頭が、俺の肩にそっともたれかかった。
アダンの横顔はとても綺麗で、ほんのり蒸気したピンクの頬と小さく細い小鼻、厚い下唇がやけに色っぽく、一瞬ドキッとしてしまった。
そして俺は無意識に、片手でアダンを抱き寄せてしまった。咄嗟のことで、我にかえって自分に驚いた。
「ごめんごめん、俺酔ってるな、アダン可愛いことするから、ついな」
アダンは嬉しそうに微笑んで、俺を見上げた。その瞳は光を反射して金色を帯び潤んで見えて俺は更に慌てた。
「あのさ、椎名、俺の祖父はフランス人のハーフだったんだけど、俺は小さい頃は祖父に預けられていてさ、良くこうやって抱き寄せてくれたもんだよ。
日本ではこういったスキンシップしないから忘れてたけど、何か良いよな、安心する。全然イヤでないから、もっと抱きしめてよ」
俺はドキドキして焦ってしまい、イヤ、俺日本人だから慣れてなくて、と照れてしまった。
恋人だったら良かったのにな、と言うと、アダンはふははと笑って自分から抱きついてきて、俺を困らせた。
ようやく俺から離れたアダンは、俺に客用の布団をベットの下に引いてくれた。
「俺と同じ部屋でごめんな。この家を親から引き継いだ時、1人の部屋に広くリフォームしてさ、3階は間仕切りなくしたんだ。どうせ俺1人で住むしさ。イビキかいたらごめんだけど」
おやすみ、と言ってパジャマに着替えたアダンはベットに横になった。俺は、その後ろ姿をみて、何だかドキドキしてしまった。
男なのに、アダンの線の細さと月明かりに照らされたキレイな白い顔が、とても妖艶に映ったからだ。
俺は目を閉じながら、アダンに惹かれている自分の心を素直に認めた。
惹かれてはいるが、自分の気持ちはまだよく分からない。多分、俺はアダンを恋愛対象として好きなのではないかと思う。
そんな甘い思いを抱きながら、布団の寝心地の良さに包まれて、俺は久しぶりに深い眠りに落ちていた。