第三節 鉛色の世界
久しぶりの更新となり申し訳ありません。
互いの今と気持ちを意識しはじめる2人です。
第一話 ひとりの現状
<椎名の現実: 同僚の彼女>
「おはよう。昨日ごめん、眠れたか?」
次の日の土曜日、昼過ぎに目が覚め居間に入って声をかけると、アダンはもういなかった。
昨夜はうっかり、ソファで寝かせてしまった。
今日はせっかくの土曜日だし、特に予定もなく、2人でコーヒーを飲みゆっくり話がしたかったと思う。
ふと見ると、テーブルにメモが残してあった。
『昨日はありがとう。大切なヤツがいるので、朝一で帰ります。寝てたので声かけないけど、週末はゆっくり過ごせよ』
達筆な字で書いてある。
小さく下に、
『髪をカットしてくれてありがとう、朝見たら似合っている気がして割と良いかも。くせ毛もこんな風に活かすことできるんだな、サンキュな』
とも書いてある。
アダン、恋人居たんだ。。
アイツはまったく女の影なかったけど、いいヤツだしよく見るとカッコいいしモテるのかもな、と独りごちた。
髪カットしたアダンは、予想通り素材の良さが際立った。隠れていたグレーの目と白い肌、男にしては細く長い首すじが、もともとの厚い唇と相まって、その辺のモデルよりかっこよく見えた。
これだと、月曜日から女子社員がほっておかないだろう。やり過ぎたかな、ってなんで俺はアダンの恋の心配なんてしているんだ。
まぁ、そもそも恋人も居るんだし、別にいいのか。
何だか捉えようもない気持ちになり、俺はアダンの寝ていたソファに横になり、天井を見上げた。
・・・・・
「おはようございます。椎名さん、今日は顔色良いですね!お仕事落ち着かれたんですか?」
月曜日の朝、総務の池田さんが書類を俺から受け取る際に声をかけてきた。
何度か俺にアプローチしてきた子だったかな、香水がキツイけど、胸があってスタイルは良い。
俺のことを薄いイケメンとか言って、人事の女子と陰で歪みあっていると噂で聞いたことがある。
それとなく彼女の顔を見ながら
「ありがとう。まだまだ仕事は落ち着きそうにないよ」
と、作り笑いをしてお礼を言った。
入社してから何度も女性社員からアプローチを受けたが、好きになったり付き合ってもなかなか続かなかった。
女嫌いではないが、恋に落ちたことはない。
初めは良くても、その関係に打算や計算を感じてくるとイヤになってしまう。今思うと、その先に結婚などの自分の安定を求める女性の強かさが、何だかイヤだったんだと思うし、女性の表面しか見ていない自分にも嫌気がさした。
実際、それで何度か痛い目にもあったしな。
俺のことよりその先の自身の幸せを夢みていて、俺という実体は女性のオプションに過ぎないと感じてしまう。
仕事の忙しさもあってここ数年、出会いの場からも遠のき、今は彼女と呼べる人はいない。
そろそろいい年齢なので、真剣に考えようとは思うが、何となくお互いそんな想いで結婚を選んでも、良い結果にならない事が想像がつき、恋愛や出会いは塩漬け状態だ。
この年で理想家と分かってはいるが、俺は本当に好きな人と愛し合って結婚したいんだ。
ま、こんな夢見てる俺はまだ青いよな。仕事でも夢見てて、地に足がついていないから理想家だなんて言われるんだ。
でも、俺は映画や本の中のように恋に落ちてみたいんだ。家族から得られなかった本当の愛に触れてみたい。俺の内面を愛して欲しい。それが三十路の俺のささやかな夢だ。
はぁ、やっぱりと大きなため息が職場の小さな一人の空間に広がった。
窓の外は今日は雨。
グレーの世界が広がっている。
昨日は月白の青白い世界だったのに、今日は鉛色なまりいろのグレー色だ。
俺はふと、アダンのグレーの瞳を思い出した。
そして仕事に切り替えるべく、モニタのプログラムに集中した。
第二話 仕事の現実
<椎名の上司: 尊敬する先輩>
1時間を超える会議がやっと終わった。
重たい会議だったため、皆、疲労感を漂わせて会議室からゾロゾロ出てきた。
オンライン会議が多いものの、重要なことを決める時はやはり対面が良い。
そう言えば、アダンは今日の会議に出てなかった。
重要なセキュリティ案件でもなかったので、他の出向者、確かアダンの同期の星野だったか、彼に任せたのかもしれない。
「椎名、お疲れ。お前の資料良かったぞ。その調子でその企画進めろ。期待してるぞ」
先輩の中嶋さんに声をかけられた。
中嶋さんは入社時から俺のことを気にかけてくれて何かと頼りになる先輩だ。細身の優しい風貌で、少し下がった目尻が人の良さを物語りキュートな印象だ。
中嶋さんは1月に異動となり今は人事部兼務になったが、開発技術が高くアドバイザーとして会議には定期的に参加している。忙しない職場で、心を許すことができる先輩の1人だ。
「中嶋さん、今日はお子さんの学校の行事大丈夫ですか?てっきりお休み取られるのかと思ってました」
中嶋さんには同性のパートナーがいて、養子をとって子育てしており、法務部の田端さんと社内結婚している。
田端さんは契約書の事前にチェックで何度かお世話になったことがあるが、眼鏡をかけた短髪の渋い男性で感じの良い方だ。
「今日は田端が参加してくれているから大丈夫だ。この案件を優先しないとな。今日もなるべく早く帰れよ」
中嶋さんは俺の肩をポンと叩いて、大川部長と話始めた。
自席に戻る途中、給湯室の前で女性の賑やかな声がして立ち止まった。
「ねぇ、奈木さん見た?髪型変わってビックリよね、すごいギャップ。ボサってしてたのに、かわいい系イケメンだったなんて。帰社する前に飲み会に誘わない?公務員で医者だし、超有望だよね!」
女子社員の黄色い声がする。
俺は思わず鼻にシワを寄せた。女性の好きの基準ってなんだ?見た目?学歴?有望さが伴わないと好きにならないのかよ、不純だな。
俺の大切な同僚をそんな物差しで測るな、と言ってやりたい。思わず足がそちらに向かった。
「お疲れさまです。皆さん、休憩?」
一斉に女子社員がこちらを向いた。瞬時になにやら計算している空気を感じた。
さっきのアダンは?の話は置いておいて、今度は俺に対する何やらの計算をはじめた空気を何となく感じた。
「奈木の名前が聞こえたけど、なんか用事あった?今日打ち合わせするから伝えておくけど」
俺は嘘をついて、奈木の名前を出した。
「いえいえ、そろそろ奈木さんは出向明けと伺ったので、今週、宴会でもと思ったんですが、椎名さんもご一緒にいかがでしょうか?」
宴会に俺もプラスか、強かだな。
勝率あげる計算だろうが、純粋なアダンはこの猛獣女子達に引っかかってしまうかもしれない。
「お誘い、ありがとう。でもスマナイ!奈木はお相手に聞いてみないとだし、俺は今週は仕事で参加は無理そう。皆さんで楽しんでください!」
さりげなく、奈木の彼女の存在を匂わせ、彼女達の希望をへし折ってやった。
心がモヤっとした。奈木に、俺と同じ邪心で近づいて欲しくない。
奈木の大切な恋人は、損得なしの良い人なら良いけどな。あいつの事だから、真面目な女医とか看護士、いや、同じ職場の公務員かもしれない。お似合いだ。
同僚でしかない奈木に、何だか心がざわついてしまうのはなぜだろと、自分でも不思議だった。
俺は残念とため息をつく声を後に、そそくさと自席に向かった。何だか調子が狂う。今日こそ早く帰ろう。
うーん、俺は大きく伸びをした。今日は定時頃まで企画書の作成に時間を取られてしまった。
今度の企画は大手航空機の会社で、そこの事業課題にAI活用を取り入れる企画だ。
そのためのAI開発は手段の位置付けで、先方の解決課題ありきで適切な技術を探す必要があり、アプローチが難しい。
企画を受けてAI開発に着手するより骨が折れる。
まあ、年次的にそういった上流工程もできないとなんだが。現場好きの俺としては苦手分野だ。はぁ、とため息をついた。
定時の17時を回って、俺は食堂のカフェエリアにコーヒーを買いに向かった。
視界に、カフェエリアの窓際カウンター席に座る奈木が目に入った。ぼんやりと外を眺めている。
「奈木!アダン、お疲れ。今日は内勤だったんだな。さっき会議に出てなかったから外出かと思ったぜ。一緒していい?
髪型似合っているよ。土曜日はすまなかったな、飲みすぎて起きれなかったよ。コーヒー淹れてあげたかったんだけどさ」
奈木の彼女に話を触れて良いものか迷って、そこは話題にしなかった。
「おう、こちらこそありがとな。今日は髪、やっぱ恥ずかしくて会社休むとこだったぜ。俺、大丈夫かな?浮いてない?
で、すまなかったよ、急ぎ帰ってしまってさ。家で待っているヤツが心配で、お前寝てたから先に帰ったんだ。
後で連絡しようと思ったんだけど、考えたらお前と連絡先を交換していなかったな。聞いていいか?」
俺たちは連絡先を交換し、しばらく無言で一緒にコーヒーを飲んだ。
コイツ、自分の良さを全然分かってないんだよな、似合っているに決まってるだろ。
頬杖をついていた奈木がぽつりと仕事の話をし始めた。
「今日は他の会議とバッティングして欠席してごめんな。今後は星野に引き続ぐ予定だ。
それにしても、AI領域の技術進歩はあまりにも早いよな。
この前、人工知能学会に参加したんだけど、『自身がずっと進めていた研究がGPTの登場で見直さざるを得なくなった』といった声が多くて、技術に関り続けることは相当な努力が必要だと感じた。
俺、スピード感持つこととか競走するの苦手だから、なんだか色々ついて行けない気持ちで焦るよ」
こいつも、俺と同じように仕事で悩んでいるようだ。
俺は奈木の肩をぽんぽんと叩いて、さっきの社内の女子人気の話をし、重たい空気を散らした。
お前、女子にカッコイイいって言われているから元気出せ、でも俺が断っといたけどな。
奈木はサンキュなっと言って、ようやく笑った。余計なことするなと怒られなくて、俺はなんだか安心した。
「なぁ、椎名、今週末によかったら家に遊びに来ないか?考えたらさ、この3年間、お前と仕事場でもあまり仕事の接点なかったし、出向明けたら会うこともなくなるし。
仕事の案件抜きでゆっくり話がしたかったんだ。
俺の家、親から引きついで大きめなんだよ。それで開発環境を構築していてさ、お前に専門的な意見ももらいたくて。家がイヤならこの前のカフェでもいいぞ」
え、奈木の家にいっていいの?俺はとても嬉しい気持ちになった。学生が同級生の家に遊びに行く感覚に近いものがあるのかもな、と思った。
「え、マジでいいの?行きたいな、家に環境構築なんていいな。そう言うの見るの凄く好きだよ。うちは狭いから最低限の環境なんだけど、家が広いと物理サーバーも設置できるんじゃないか?いつ行っていい?」
俺は食い気味に返事をしていた。
「じゃ、今週末はどう?うちのヤツにも是非会ってよ」
最後の一言で、弾んでいた気持ちが少し沈んだ。
俺と一緒で奈木も恋愛とか家庭とかに興味なさそうって勝手に思っていた。
現実を順調に歩んでいる奈木のプライベートの姿を見るのが本当はイヤなんだよな。
でもせっかくの機会だし、俺も現実を受け止めて前に進む時期なのかもしれない。
週末の約束をして、俺たちはそれぞれの仕事に戻った。
登場人物の補足です。
椎名の上司は大川部長と中嶋さんです。
大川部長は専務でもあり、開発部の部長も兼務のやり手な方です。
中嶋さんは次長クラスとご認識ください。