第七節 優しい時間
心に仕舞い込んだ思いを共有するふたりです。
第一話 日曜日の朝
<アダンの姉: 急の連絡>
ふぁ…と俺は朝日に向かって大きく伸びをした。
椎名がおはようと微笑む。
朝日を背景に、何だか眩しい…イケメンだな。
椎名と迎える何も予定のない日曜日、気持ちが穏やかでヒカリに包まれている気がした。
あれ?あまり連絡をして来ない姉から携帯にメッセージが入っている。連絡が来る時は大抵は悪い知らせだ。
メッセージには、実家の庭の木の剪定をするから帰ってきて欲しいとの内容だった。木の剪定は理由付けで、恐らくメンタルが不安定になっているのだろう。
俺の姉は小さな頃から精神的な障害があり、家族に剥き出しの感情をぶつけることが多かった。小さな頃から心を振り回されてきた俺は、その事が大きなきっかけとなり、精神科医を志した経緯がある。
ただ、精神科医の割に、俺は自分の事となるとからきしダメだ。家族のこととなると、どうして良いかと動揺してしまう。そんな思いが顔に出ていたようだ。
「お姉さん?アダンはあまり実家に連絡していようだけど、もし急のことなら一度札幌に行ってあげた方が良いんじゃないか?」
椎名は心配気に俺の肩に手を回した。
俺は少し考えて首を横に振った。
「姉の家、と言っても俺名義なんだけど、両親が残した家に姉が一人で住んでて、困った時だけ俺に連絡してくるんだ。
看護師の仕事していて、一人で充分暮らしていけるはずなんだけど、俺に時々帰ってこいと行ってくるんだ。
こう言う時は大抵、心の病気が重たい時。周囲と上手くいかなかったり不安が強まったりする時みたいで。
俺も何度も心配して帰ったんだけど、帰っても俺の悪口しか言わないし、仕舞いには早く帰れとか、顔も見たくないって言って追い返すんだ。どう対応していいか分からなくてさ」
俺は思わず本音を話していた。
椎名に朝から重たい話しをしてしまった…
でも一度話し始めると、心に閉まっていた思いが溢れてきた。
「俺も仕事工面して帰省して、帰ったら邪険に扱われるのは、いくら姉が精神的な病気でも辛くてさ。
もう、泣きながら東京に帰る生活に疲れてしまったんだ。だから、木の剪定のお金を送るだけならそうしようと思う。後で入金するよ。大した額でないし」
椎名は心配気に俺を見つめて、再度肩を抱き寄せてくれた。
「何かあった時、俺も力になるし、お姉さんのことはそっとしておいた方が良いかもな。
お前に甘えられると思うと、お姉さんも自分の生活をきちんとする意識も薄れるだろうし。
精神的なことがあっても仕事は真面目にこなしているんだろ?周囲と色々あっても真面目な性格で自立しているのはすごいと思う。
お姉さんなりに頑張っているんだよ。甘えられるのがお前しかいないから、こんなメールをして我儘言うんだろうな。
でも家族だから、何かあったときは俺も力になるよ。大丈夫だよ、アダン」
こんな時、話せる人がいるのは良いものだな。俺は椎名に礼を言って、姉に返事をした。
庭の剪定は任せるのでお金を送ること、転職するので忙しく帰れないことを詫びた。
姉のことは家族なので嫌いではない。ただ、小さな時から、理不尽な発言で心を振り回されてきたこともあり、どう対応して良いかいまだに分からない。
でも、家族との適切な距離感も、恋人との暖かな時間も、無理をせずに自分のペースで過ごしていけば良いと、ようやく最近分かるようになった。
以前はどうにもならない現実に迷ったり落ち込んだりしていたが、椎名のおかげで少し目が覚めた気がした。
俺はそっと椎名の頬にお礼のキスをした。
椎名は安心した顔をして、コーヒーを淹れてくるとソファから立ち上がった。
俺はイチコの背中を撫でながら、心にしまい込んでいた言葉にならない思いを、椎名に吐き出したことに少し驚いた。誰も理解してくれないと思っていたからだ。
新しい家族か…
椎名の存在感が日に日に強くなる。
俺の中で、暖かな初めて出会う感情が溢れるようになった。何だか、幸せだな。
「これからは、家族のことも俺に悩みを聞かせてくれよな。アダンは、我慢強さと優しさが溢れてると思う。お姉さんのことで苦労してるけど、負けずに理解して、距離を取りつつも、きちんと寄り添っている。偉いよ」
椎名は香り良いコーヒーを俺に渡し、ソファに腰をかけた。
「俺も、疎遠の家族に引越したこと連絡するよ。アダンと暮らし、俺も良い方に自分が変わっていく気がする」
そう言って、眩しいほどのウインクを俺に投げかけた。
第二話 くつろぎの灯り
<アダンの癒し: 真の安らぎ>
「お風呂場の掃除をしておいた。カビ防止をしておいたから、しばらく入らないようにな」
俺の後に風呂に入った椎名は、風呂場の掃除をよくやってくれる。
水回りは気を抜くと汚れるので、椎名は風呂場やキッチン、トイレなど、率先して掃除をしてくれるのでとても助かっている。
「椎名、ありがとう、毎回とても助かっているよ」
「当たり前だろ、俺の家でもあるしな。それと、アダン、そろそろ俺のこと、名前で呼んでくれないか?椎名だと、仕事の時みたいだ」
椎名がにこりと笑い、ビールを片手に濡れた頭をタオルで拭いた。
その足元でイチコがひっくり返ってお腹を見せている。椎名の風呂上がりを心待ちにしていたようだ。
「晴一、今日からは名前呼びだな。改めてよろしく」
俺は椎名の名前を言ってみた。何だかこそばゆい。
俺たちは3階のソファに座り、レコードを流して2人でビールを飲んだ。
椎名はビジネス本を読んでいる。灯りの照度が読書にちょうど良いようだ。
「晴一、この灯り、下から見ると青とオレンジが交わってパープルになるな。これがデンマークの夕暮れか、綺麗だ」
俺は携帯で料理のレシピを見ながら、落ち着いた空間の感想を呟いた。
椎名はおもむろに立ち上がり、窓の扉を閉めた。
カーテンはそのまま少し開けて、月明かりを取り込んでいる。
「アダン、そろそろ寝よう。ベッドカーテンの様子も見たいし、明日は仕事だしな」
俺たちはベッドに横たわり、天上を見上げた。
新しく買ったベッドは俺の身体を優しく包み込む。
一人の時から眠る時間は癒しの時で、一番好きな時間だ。ただ、安らぎと同時に、一人の現実を突き付けられる寂しさに包まれる時間でもあった。
でも椎名と暮らしてから、この空間と時間は椎名の体温と優しさが加わり、真の安らぎの時間に変わった。
薄いベッドカーテンが、窓から差し込む月明かりを柔らかく取り込む。生地の中に織り込まれている薄い金糸が月明かりを映しわずかに煌めく。
サイドテーブルに置いた新しいデンマークのライトは、お互いの顔を柔らかく照らした。眠りを妨げない照度だ。
椎名は俺を優しく見つめ、ライトの灯りが綺麗だなと微笑む。
来週は退職の準備か…。
7年間以上働いてきた職場を去るのは寂しくもあるが、医局でもっと医療を学び、椎名との生活を穏やかにするよう、俺も頑張らないと。
椎名が唇を優しく重ねてきた。柔らかいそれは、瞼が重たくなってきた俺を、優しく夢の中に連れて行くような感覚にさせる。
「おやすみ、せいいち」
俺は椎名の唇を喰みながら、小声で呟き目を閉じた。月明かりがふんわりと俺たちを包んだ気がした。




